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福島地方裁判所郡山支部 昭和61年(ワ)97号 判決

原告

飯田敏夫

原告

木村隆志

原告

円谷寛

右原告ら訴訟代理人弁護士

青木正芳

同弁護士

佐藤正明

同弁護士

佐々木廣充

被告

日本国有鉄道清算事業団

右代表者理事長

杉浦喬也

右訴訟代理人弁護士

井関浩

右指定代理人

中野誠也

右同

安岡昌龍

主文

一  原告らが、被告に対し、雇用契約に基づく権利を有する地位にあることを確認する。

二  被告は、昭和六一年三月一日以降毎月二〇日限り、原告飯田敏夫に対し金二九万七六五九円、原告木村隆志に対し金二三万八九九二円、原告円谷寛に対し金三一万六一三四円及び右各金員に対する毎月支払期日の翌日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

三  被告は、原告飯田敏夫に対し金一三万八一九八円、原告木村隆志に対し金一一万〇九六〇円、原告円谷寛に対し金一四万六七七六円及び右各金員に対する昭和六一年二月二一日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

四  訴訟費用は被告の負担とする。

五  二項、三項は仮に執行することができる。

事実及び理由

事実及び理由は別紙のとおりである。

(裁判官 沼里豊滋 裁判官 村山浩昭 裁判長裁判官今井俊介は、填(ママ)補のため署名、捺印することができない。裁判官 沼里豊滋)

事実

第一 当事者の求めた裁判

一 請求の趣旨

1 原告らが、被告に対し、雇用契約に基づく権利を有する地位にあることを確認する。

2 被告は、昭和六一年二月一六日以降毎月二〇日限り、各原告らに対し、一か月後記目録請求金額欄記載の各金員、及びこれに対する毎月支払期日の翌日から支払済みまで年五分の割合による金員を付加して各々支払え。

3 訴訟費用は、被告の負担とする。

4 第2項につき、仮執行の宣言。

二 請求の趣旨に対する答弁

1 原告らの請求をいずれも棄却する。

2 訴訟費用は原告らの負担とする。

第二 当事者の主張

一 請求の原因

1 原告らは、日本国有鉄道(以下「国鉄」という。)との間に雇用契約を締結し、昭和六〇年二月当時、仙台鉄道管理局郡山客貨車区(以下「区」という。)に勤務し、国鉄労働組合(以下「国労」という。)員として、国労仙台地方本部福島県支部郡山客貨車区分会(以下「分会」という。)に所属していたものである。

原告らの昭和六一年二月当時における各々の職名、組合役名は後記目録記載のとおりである。

尚、原告らは国鉄より毎月二〇日にその給与の支払いを受け、昭和六〇年分の給与総額は各々後記目録「昭和六〇年給与所得」(略)欄記載のとおりである。

2 国鉄仙台鉄道管理局菊地功は、国鉄総裁代理として昭和六一年二月一五日、原告らに対し、日本国有鉄道法第三一条により懲戒免職する旨の意思表示をした(以下本件処分という。)。

その事由は、「昭和六〇年四月以降、区において管理者の再三の注意指示にもかかわらず、管理者に対する業務妨害等職員としてあるまじき行為をくり返し行ったことは著しく不都合であったことによる」旨である。

3 被告清算事業団は、昭和六二年四月一日、日本国有鉄道改革法一五条、同法附則二項、日本国有鉄道清算事業団法九条一項及び同法附則二項により国鉄の地位を承継した。

4(1) 原告らには、国鉄が処分事由とする各非違行為はなく、懲戒処分事由が存在しない違法な処分であり無効である。

(2) 本件懲戒解雇処分は、不当労働行為であり、無効である。

(3) 本件懲戒解雇処分は、解雇権の濫用であり無効である。その詳細は、「原告の主張」欄に記載のとおりである。

5 原告らは、後記目録「昭和六〇年給与所得」欄記載の賃金を得ているものであるが、国鉄は、免職処分通知日の翌日である昭和六一年二月一六日以降、その通知の内容に従い、原告らの労務の提供にもかかわらずその賃金の支払いをしない。

免職処分を受けた原告らの賃金については右記載金額を一二か月で除した金額とした。

二 請求の原因に対する認否

1 請求原因1記載の事実中、原告らが前記目録記載の組合役職であったことは不知。

その余は認める。

2 請求原因2、3記載の事実は認める。

3 請求原因4記載の主張は争う。

4 請求原因5記載の事実中、原告らが前記目録「昭和六〇年給与所得」欄記載の賃金を得ていたこと、国鉄が、原告らに対して、発令の翌日である昭和六一年二月一六日以降賃金の全部を支払わなかったことは認めるが、その余は争う。

三 抗弁

1 区の概要と原告らの職制上の地位

(一) 区は、主として貨車の交番検査、仕業検査、修繕及び応急手当等の業務を担当しており、昭和六〇年四月当時(本項で述べることは、いずれもこの時点におけるものである。)の職員数は、管理者七名、職員九三名である。管理者の分担と氏名は、つぎのとおりである。区長新田彌、首席助役柳沼亀吉、総務助役蛇石敏夫、検修助役鵜沢甚吉、当直助役宗像洲美夫、同紺野紀男、同大竹正秀。職員は、その担当する業務に応じて、つぎのように班にわかれて勤務しているが随時担当業務替が行われている。交番検査を担当する職員を交検班、修繕を担当する職員を機動班とし、この両班は、区の検修庫を勤務場所として、日勤勤務であって、両班に属する職員数は、五三名である。仕業検査に従事する職員をハンプ貨車仕業班として、郡山ターミナル駅構内にあるハンプ仕業詰所を勤務場所とし、二四時間勤務(一交)であり、この班に属する職員数は一二名である。また運行中の列車を組成する旅客車等の応急手当をする業務に従事する職員がホームサービス班であり、郡山駅を勤務場所とし、二四時間勤務であり、この班に属する職員数は一二名である。この外、区には内勤として技術管理担当六名及び事務係六名が属している。なお、これらの職員のうち約六三名が「国労」に属し、二九名が鉄道労働組合(以下「鉄労」という。)に属していた。

また、区の物的設備の配置は、別紙1郡山客貨車区平面図のとおりである。

(二) 職員は、車両検査長、車両検査係、運転検修係及び事務係に職制上分かれるが、原告円谷寛は車両検査係であり、その余の原告らは、いずれも運転検修係であった。

2 原告らに対する懲戒処分事由

(一) 原告飯田の非違行為(他の原告と関連する非違行為も含む。)

(1) 昭和六〇年四月三日午前八時四八分ころ区検修庫二階検修員室において、首席助役が取下前原告上遠野武(以下上遠野という。)に対し、当日の作業として交検票の文字書替作業を指示した。上遠野は、これまで安全帽着用等の安全についての管理者の指導に従わず、同区に配属された昭和四五年二月以来作業中に一七件もの傷害事故をおこしていたので、同区長は、昭和六〇年一月以来上遠野を貨車検修作業から外して、傷害事故の発生する余地のない作業に従事させていたのであるが、原告飯田(以下単に飯田ともいう。)は、首席助役の上遠野に対する右作業指示を聞いて、首席助役に対し、上遠野を貨車検修作業に就かせないことに抗議して、「なんで就けないんだ。いやがらせすんな。カメカメ。」等と激しい口調で抗議をし、同首席助役に暴言を吐いた。

さらに、首席助役が飯田に対し、抗議をすることをやめ、安全帽を着用して作業に就くよう指示したのに対し、同首席助役に「安全帽はかぶらないよ。」と捨てぜりふを言って、同室を出て行った。

ちなみに、飯田は、区の労働安全衛生委員会(以下「労安委員会」という。)の委員であり、区における業務上の安全を推進する立場にありながら、平常から着用すべきであるという国鉄の規則及び現場管理者の指示に従わず、安全帽を着用しないのである。

(2) 飯田は、翌四日午前八時五六分ごろ、同区検修庫一〇番線において首席助役が同人に対し検修庫内の安全ラインを白ペンキを塗って補修するよう指示したのに対し、「現場協議では外部委託になっている。」、「オメーラやったらいいべ。」「おらやんないぞ。」等と暴言をはいた。ペンキ塗装作業が外部委託となっている事実もなく、同首席助役の再三の説得によりようやく作業に就いた。

(3) 飯田は、同月八日検修庫木工室において、「郡山支区」と表示されていた貨車交検票の「支」の字を白ペンキで塗りつぶして「郡山区」と書き替える作業に従事していたが、午前一〇時四〇分ごろ首席助役が巡回してきた際、交検票に大量の白ペンキを塗りその乾燥しないうちに次の交検票を重ねるという投げやりな作業をして、交検票を使いものにならないようにしていたので、首席助役がペンキを少量に塗り、ベニヤ板の上に拡げ、乾いてから重ねるよう指示したところ、飯田は、首席助役に対し、「助役一緒にやれ。高い金もらって。」等と暴言を吐き、執拗に反抗して、作業指示に従わなかった。

(4)〈1〉 飯田は、同月一〇日午前八時四六分ごろ、検修員室で、同室に赴いた首席助役に対し、同日開催される予定である区の労安委員会の委員である取下前原告佐藤正則(以下佐藤(正)という。)を同日当月本務である交検班から機動班に担務替したことについて抗議し、「なんで本務を外した。」、「このカメ。」等と暴言を吐いた。

なお区労安委は、毎月一〇日午後三時から定例的に開催されているが、労安委員を交検班に担務指定すると、右委員会開催時には代務手配をすることが必要となることから、これを避けるため従来から交検班を本務とする職員については、機動班に担務指定していたのである。

〈2〉 さらに飯田は、同日午前一一時一〇分、上遠野とともに、当日の作業場である検修庫木工室を離れ、電気試験室にいて交検票の文字修正作業をサボっていたが、これを注意した首席助役に対し飯田は、煙草をくわえたまま「こっちにこえ。」といって従わず、上遠野も「いっさいおめやれ。」等と暴言を吐いて、首席助役の注意を聞かなかった。

(5) 飯田は、同月一一日午前八時四二分ごろ、検修員室で行われていた始業点呼において、点呼執行者の宗像助役の呼名に対して、取下前原告阿部貴弘(以下阿部という。)の返事が小さかったため、宗像助役が再度呼名したところ「何回呼ぶんだ。顔を見ろ。」等の暴言を吐き点呼を妨害したが、これをきっかけとして他の職員数名も騒ぎだして、点呼場は騒然となり、正常な点呼ができなくなった。

(6)〈1〉 飯田は、同月一五日午前八時四八分ごろ、始業点呼において、区長が同原告及び原告円谷(以下円谷ともいう。)車検係の担務について、同年五月一日からハンプ貨車仕業に変える旨通告したのに対し、飯田は、「俺がハンプ仕業にゆく理由はなんだ。」等と反抗し、同席していた円谷は、「昼休みに抗議に行くべ。抗議やっぺ」等と区長を威圧して抗議した。

〈2〉 飯田は、同日午前一一時三五分ごろ、検修員室を巡回中の区長に対し「区長ドロボーしたべ、机の上の金をとって行ったべ。区長ドロボー」等と繰り返し発言した。

この発言は、つぎのような場面でされたものであって、職場を騒然とさせる意図のもとになされたことは明白であり、職場規律を乱すものである。

すなわち、区の国労所属の職員の数名は、かねてより検修員室の自席の机のうえに、分割反対・首切り反対等の国労のスローガンあるいは管理者に対する抗議等を落書きしたジュースの空罐等をたてて示威運動をしていたが、区長ら管理者は、発見の都度これらの空罐類の撤去を求めたが、応じなかったので、止むなく、管理者が片付けていたのであるが、飯田らは、前述の落書きをしたジュース等の空罐に二~三円の小銭を入れておいて、このことを知らないで管理者がこれを片付けるとドロボーと騒ぎたてることにより、職場を混乱させていたのである。

事実飯田の前述のドロボー発言をきっかけに、取下前原告佐藤浩幸(以下佐藤(浩)という。)は、「俺の机の金を返せ。区長ドロボー。」等と、円谷は、「区長、現場にドロボーがいる。区長はドロボーをしたべ。」等と、上遠野は、「こんなことやっているから隣近所のつきあいもないべ。」等と、佐藤(正)は、「区長、机の上の金持っていったべ。ドロボー野郎。」等とそれぞれ暴言を繰り返し、その場は騒然となった。

〈3〉 同日午後四時ごろ飯田は、区長に電話で、「俺をハンプ仕業にやるのは三ケ月とか一年とか、今まではそうなっていたべ。」と述べたが、区長が従来のパターンは参考にするが、担務期間を従来どおりすることを確約できない旨述べたところ、同原告は、「なんの目的で俺をハンプにやるのか。俺はハンプに行っても郡客は変わらないぞ。国労仙台地本にあげる。」等と威圧的な抗議を繰り返した。

(7) 飯田は、同月一八日午後四時一〇分ごろ区長室に電話をし、応対した首席助役に対し、「首席のカメさんかい。大井工場の先輩ですけど、俺ハンプ仕業に行くてどこで言った。」といい、更に首席助役に対し、「首席のところにウィスキー届けたべ。俺にも便宜をはかったらいいべ。」等と上司たる首席助役をやゆし、執拗に担務の変更について抗議して、首席助役の業務を妨害した。

(8) 同月二二日午前八時四〇分から検修員室で行われた始業点呼において、飯田は、佐藤(正)、取下前原告遠藤一彦(以下遠藤(一)という。)同黒羽勝一(以下黒羽という。)とともに、紺野当直助役の「起立を願います。」との指示に従わず、自席に着席したまま、点呼執行者である紺野助役に背を向け、反抗的な態度を示した。このような点呼時の状況は、これまでも継続して行われてきたため、管理者は再三にわたり注意してきたところであるが、飯田らは、その注意に従わないばかりか、激しい抗議行動を繰り返してきたので、区長は、首席助役及び総務助役に、点呼時における右のような状況を証拠にするため、写真を撮影することを指示し、同助役らが写真を撮ろうとした際、飯田が先頭にたって、「軍隊でもないのに立って挨拶とはなんだ。」「柳沼やってんな。この野郎。」等の暴言をはき、点呼は中断のやむなきにいたったが、同原告の発言をきっかけにして、原告木村(以下木村ともいう。)は、自席を立って、首席助役の持っているカメラの前に立ちはだかり、「無断で写真を撮るとはなにごとか。」等と、円谷も、「ことわりなく写真を撮るの権利侵害だべ。」等と、佐藤(正)は首席助役に対し、「なにやってんだ。カメカメ。なにが点呼中だこの野郎。」等と、取下前原告橋本守弘(以下橋本という。)、阿部は、口々に「写真を撮るとはなにごとか。」等と大声で騒ぎ、点呼の続行を不能にしたが、遠藤(一)は、自席を立って首席助役のカメラ前に手を振りかざして写真撮影を妨害した。このような状況のもとで点呼は正常に行われなかった。

(9) 同月二三日午前八時四〇分から検修員室で行われた始業点呼において、飯田は、宗像当直助役の「起立を願います。」との号令に対し、橋本、上遠野、阿部、佐藤(正)、黒羽、取下前原告田谷良一(以下田谷という。)、木村、佐藤(浩)、取下前原告鈴木康一(以下鈴木という。)とともに起立の指示に応ぜず、二回目の指示でようやく起立したものの呼名については、意識的に声を小さくして抗議の姿勢を示したほか、飯田を含む一〇名の国労所属の職員は、点呼を執行する宗像当直助役に背を向け、再三にわたる管理者の注意も受け入れず、前日の写真撮影に対する抗議の発言を繰り返した。

(10) 飯田は、同月二四日は非休であったが、午前八時四〇分検修員室で行われた始業点呼の際に同室に在室していたが、点呼のため他の職員は起立したのに机にむかって腰をかけていたので、区長が注意したところ、他の国労所属の職員らが「休みなのに立たせるのか。」等と野次をとばしたため、区長及び首席助役が交互に同人に点呼場からの退室を求めたところ、同人は、首席助役に対し「バカこのカメ、金を集めにきたんだ、この野郎。」と暴言をはいて点呼を妨害した。他の職員も区長は職員の勤務も知らないのかと口々に発言したため点呼の場は騒然となり、点呼を行える状況でなく、作業の着手に支障すると考えられたので、区長は、自席で腰をかけている飯田のところまで行って強く退室を求めたが、同人はこれに応じなかった。しかして、その周囲には、上遠野、佐藤(浩)、遠藤(一)、黒羽、田谷、取下前原告佐藤武彦(以下佐藤(武)という。)らが集まり、口々に抗議の発言をしていた。

このような状況になったので、区長は飯田の退室をもとめるべく、同人の肩に手をかけたところ、同人は無言で立ち上がったが、同人と区長の身体が腹部で触れた。そして、その際区長がふらついて半歩踏みだした右足が同人の内股に触れた。すると飯田は、急に大声を発し、周囲にいる職員にアピールするように、「区長は暴力を振るった。俺のきん玉を蹴った。」と抗議し、周囲にいた国労所属の職員も大声をあげて、「区長は暴力を振るった。暴力区長。」等と口々に抗議した。そして飯田は、区長に対し、「区長は暴力を振るったべ。やってみろ。やってみろ。」と体を押しつけてきた。

飯田は、木村、取下前原告高橋敏矢(以下高橋(敏)という。)、上遠野、黒羽、円谷らは口々に大声で、「暴力区長。区長は暴力を振るったべ。」等と繰り返し発言し、点呼場は騒然となった。

区長が飯田に対し点呼場から退室を求めたのは、同人が国労所属の職員の点呼を監視することを目的として、在室したためである。同人ら一部の指導者がいないときは、点呼に際し一般の国労所属の職員も起立し、呼名に応じて返答をし、点呼執行者に対して背を向ける等の行為をしないのであるが、飯田らが点呼に同席する場合には、その指導によって、正常な点呼が執行できない状況となっていたのである。職場規律を乱したことを理由として木村、佐藤(正)は、昭和五九年八月一日から停職一ケ月、円谷は同日から停職三ケ月、飯田は同月四日から停職一ケ月の各懲戒処分を受けた際も、停職期間中は、自宅で謹慎すべきであるのに、しばしば点呼場に居合わせ、管理者が退室をもとめても、退去せず、管理者に対し暴言を吐きながら、点呼の様子を監視していた。

当日の点呼終了後の検修員室で飯田の前述の挙動に触発され、木村は、首席助役に対し、「へでなし野郎、出ていけ。」等と暴言を吐き、高橋(敏)は、総務助役に対し、「暴力を振るってよいのか。なにやっていんだ。おめえ何が業務妨害だ。この野郎。」等と、円谷は、着用していたワッペンを外すよう総務助役から注意されると、同助役に対し「組合干渉をやめろ。仕事に就くわけにはゆかない。ぐずぐず言っていんな。」等と、またジュース罐に落書をしていたことを同助役から注意された上遠野は、「やかましいこの野郎。」等と、黒羽は、同助役に対し「おめいら上司のやることか。この野郎。」等とそれぞれ暴言をはいたため、職場の規律が著しく乱れたのである。

(11) 翌四月二五日午後〇時二一分ごろ事務室で区長及び首席助役が作業計画の打ち合わせをしていたところ、飯田は、高橋(敏)、円谷ら国労所属の職員役二〇名とともに入室し、区長が制止したのに、同区長の回りを取り囲んだ。区長は、飯田に対し、「集団抗議は受けない。話があるなら他の人をここから出しなさい。」と通告したが、これに応ぜず、同区長に対し、「昨日暴力を振るったべ。きん玉二回蹴ったべ。」と抗議を始め、これに同調した円谷は、「暴力行為はなんだ。」等と、黒羽は、「強制配転やめろ。」等と暴言を吐き、この様子を記録するためカメラで撮影しようとした首席助役に対し、取下前原告近昭一(以下近という。)は、「やっていんな。カメ。」等と、高橋(敏)は「足蹴りしたべ。」等と暴言を吐き、再三にわたる区長の退室命令に応じなかった。また、この抗議行動中の区長の机の上の書類をみていた佐藤(正)に対し首席助役が制止したところ、同人は同助役に対し「ふざけんな。このカメ。」等と暴言を吐いた。

この騒ぎは、入室中の職員のなかに国労仙台地本の山田組織部長がおり、同人が区長と話をしたいというので、区長が他の職員の退室を求めたところ、これに応じ、他の職員は退室したのでおさまった。

(12) 飯田は、同年五月二日は非番であったが、午前八時四〇分ごろから検修員室で行われた始業点呼の際、同室に在室し、他の職員が起立して点呼を受けているのに、取下前原告藤田香(以下藤田という。)の席に着席していたため、区長が退室するよう指示したが応ぜず、首席助役及び総務助役も再三にわたり退室を指示したが、黙って応ぜず、周囲にいた高橋(敏)は、「区長うるさい。呼名聞えね。」等と、上遠野も「点呼中だぞ。区長なにやってんだ。」等と抗議し、橋本や黒羽、田谷らもつぎつぎと発言して騒ぎ出し、騒然となり、点呼はしばしば中断した。

(13) 飯田は、同月四日も非番であったが、午前八時四〇分から検修員室で行われた点呼に際し、私服で、当日休みの松田車検係の机に着席していた。そこで区長は、同人に近付き、退室を求めたところ、高橋(敏)、上遠野、佐藤(正)が自席から立ち上がり、区長に近付き、区長とその近くにいた首席助役及び総務助役に対し、口々に「室にいてなにが悪い。なんで出なくてならないのか。」等と激しく抗議し、点呼の執行が不能となった。なお、その際上遠野は、自席を立って区長と飯田の写真を撮影した。午前八時四四分区長は、再度飯田に退室を求めたが、これを無視して席にすわっていた。その後区長が「派遣企業リスト」等について伝達していたところ、佐藤(正)は、「やめろ新田。」等と暴言を吐いた。

首席助役は、同日午前八時五〇分ごろ高橋(敏)、上遠野が着用している制帽に、「国労」「首切反対」と落書しているのを見て、注意したところ、飯田、遠藤(一)、佐藤(正)がそれぞれ「帽子なんかかぶらないぞ。」「安全帽はない。」、「休みにきてなんで悪い、この新田。」等と暴言を吐いた後、飯田は退室した。

(14) 飯田は、同月八日も非番であったが、午前八時四〇分から検修員室で行われていた始業点呼の際に在席していたので、区長は、同人に対し外に出るよう三回にわたって通告したところ、同人は、「直轄の人が自分の詰所にきてなんで悪いんだ。非番で悪いって言えるのか。」等の抗議をして退出せず、点呼の状況を監視していた。

(15) 飯田は、同月一一日午後〇時一七分ごろ、近ら国労所属の職員約一五名の先頭に立って区長室に入室し、区長が飯田に対し「集団抗議であれば受けない。話があるのであれば、他の職員を帰しなさい。」と面会を拒んだところ、近は、「話がある」といって、同月九日から点呼場所を区二階の検修員室から一階検修庫内に変更し、同月一三日から従前は午前八時三〇分から国鉄体操をし、同八時四〇分から点呼していたのを始業時の午前八時三〇分から点呼を行い、点呼終了後その場で国鉄体操をすることに改めたことに抗議する申入書をもってきたが、これに対し、区長は、始業・終業時間に変更はなく、始業点呼と体操の順序を変更したにすぎず、この変更については、局、労働課の指導のもとに行ったのであって、団交無視とならない旨答え、午後〇時二〇分に退去命令を出したが、飯田らは、これに従わなかった。そこで区長は、「仕事以外で持場を離れると職場離脱になるよ。」、「飯田は集団抗議の指導者だな。」、「円谷はなんだ。」と問うと、円谷は、事務室に印をとりにきたと答え、午後〇時二五分右原告らは区長室を退出した。

その後区長がハンプ仕業の外出簿について確認したところ、飯田、円谷は外出簿に記載しないで外出していたので、同区長は、ハンプ仕業現場で右原告らに対し仕事以外で理由なく職場を離れれば職場離脱になる旨話したところ、右原告らは、「何言ってんだ。休憩時間だぞ。」、「よく覚えておけ。」等と抗議した。

(16) 同月一八日午前八時三一分点呼におくれて検修員室から国労所属の職員が一団となって点呼場所である検修庫に降りてきたが、高橋(敏)は、録音機を持ち、佐藤(正)及び田谷は、カメラを持っていたので、区長は、これらの機器類の持込を禁止する旨指示したが応じなかった。そして、同日午前八時四〇分ごろ、検修員室に当日ハンプ仕業検査の一交非番の飯田がいたので、区長は、執務場所も違い当日の業務に関係がないので帰るように促したが、応じなかった。そして、検修員室のあちこちの机の上に「点呼場所を戻せ」、「点呼は八時四〇分に戻せ」、「分割民営反対」、「首切り反対」、「三本柱反対」等と組合の主張を記載した紙を添付したジュースの空罐が置かれていたので、区長は、国労分会書記長である飯田に対し「ジュース罐の落書を指導したのは飯田君だな。整理しなさい。」と通告したがこれにも応じなかった。

(17) 同年七月二日午後三時三〇分ごろ、首席助役がハンプ仕業詰所へ職場巡回に赴き、同詰所の壁面に掲示されている古い掲示物を外し、運転・傷害事故防止の強調項目を記載した掲示物に張り替えようとしたところ、自席に着席していた飯田は、同首席助役に対し、「そんな所に張るな。」、「早く管理者は出向しろ。林精機にでも行け。」と暴言を吐き、さらに同人は、安全帽を着用していないので、同首席助役が安全帽を着けて作業をするよう指導したところ、同人は、「うっちゃし。」と反抗した。

(18) 飯田は、同月一二日午後三時三五分ごろ、ハンプ貨車仕業詰所において職場巡回中の首席助役から同人が着用しているワッペンを取り外すよう注意されたのに対し、「とらない。」、「うっちゃし。」、「よけいなことを言うな。」と激しい口調で抗議した。

(19) 同月二二日午前一〇時九分ごろ、検修員室において職員の服務の整正のため職場を巡回中の首席助役は、飯田が手待時間で椅子に腰を掛けて休養している相沢車両検査長に対しワッペンを着用しろと強要しているのを現認したので、同人に対し、ワッペンを着けることは服装違反であり、着用を指導するとはなんだと詰問したところ、荒々しい声で、「書記長の役割だ。邪魔するな。」と言って勤務時間中の組合活動を自認するとともに、「首席の大井工場のできそこね野郎。」、「組合に介入するな。」等と首席助役に不法な抗議をした。

(20) 飯田は、翌七月二三日午前一一時二九分ごろ、ハンプ貨車仕業詰所において、テレビのスイッチをいれたので、巡回中の首席助役が勤務時間中であるから止めろと言ってスイッチを切ったところ、同人は、その注意を無視して再度スイッチを入れたので、首席助役は止めなさいといってスイッチを切ったところ、同人は右注意に反抗して再びスイッチを入れた。

その際同人がワッペンを着けていたので、首席助役はワッペンを外すよう注意したが、同人はその指示に従わず、首席助役に対し、「一円も働かないでなにしにきた。」と反抗した。

(21) 飯田は、同年八月九日午前一一時五二分ごろ、検修員室で勤務時間中であるのに弁当を食べ始めた。職場巡回中の首席助役がやめるように注意したところ、同人は、「オレの弁当だ。」、「余計なことを言うな。」と反抗した。

(22) 飯田は、同年九月一三日午後一時五四分ごろ、ハンプ仕業詰所において、安全帽の点検等のため職場を巡回中の区長が職員に対し、「これからの国鉄職員の物の考え方について」の話をしたのに対し、「直すのは区長の頭だべ。」と反抗し、また同行していた首席助役が安全帽を点検すると言ったのに対し、「ここにない。区長の頭を借りろ。馬鹿野郎。」等と暴言を吐いた。

(23) 飯田は、同年一〇月五日勤務時間である午後四時三〇分にハンプ作業詰所の休憩室において、国労の「国鉄分割民営反対五千万人署名運動」の原稿を書いて、組合活動をしていた。またそのとき高橋(敏)が同休憩室に設置されている風呂場で入浴をしていた。そこで首席助役と総務助役が午後四時三五分ごろ同詰所で高橋(敏)に勤務時間中の入浴について注意していたところ、飯田は、右助役らに対し、「風呂に入ってきれいにして帰るのも労働時間の一種だべ。」、「仕事で汚れたのを入浴し、きれいにするのは当たり前だ。」等と抗議し、首席助役より勤務時間中の組合活動について注意されたのに対し、右助役に「やっていない。でっち上げるな。」とはげしく抗議し、首席助役らが高橋(敏)に対し同人の提出した年休カードの日付の間違いを確認していたところ、飯田は、「きたないごとやんな。」、「三階から見てあとをつけてくるな。」等と重ねて抗議をした。首席助役は、同人に対し「一六時三五分から五〇分まで欠勤扱いにする。」と通告した。

(24) 飯田は、同年一〇月二八日午後一〇時五分ごろ、ハンプ仕業詰所において大竹当直助役が同人に対し同人に見習についている取下前原告矢部智久(以下矢部という。)について、矢部が初めての仕業検査であるから怪我のないように指導されたい旨述べたところ、「指導手当をもらっていない。金よこせ、指導するから。」等といやがらせを言った。

(25)〈1〉 飯田は、ハンプ仕業班徹夜本番の担務であったが、同月三〇日区の貨車脱線復旧訓練日には日勤の機動班に担務指定された。同人は、午前八時四〇分ごろ検修員室において、国労分会のニュース(組合情報)を配布しており、首席助役が注意したが、これを無視して笑いながら配布を続け、配布が終わった後も管理者の注意を無視し、分会ニュースを読んでいた。

〈2〉 飯田は、同日行われた区の脱線復旧訓練に際し、国労所属の職員を煽動して訓練に従事する職員に安全帽、安全靴を着用させなかったため円滑な訓練が行えず、また予定された訓練の内容が実施できなくなり、業務を妨害した。

その状況は、つぎのとおりである。

脱線復旧作業は、検修部門が担当する作業のなかでも列車の正常運行を回復するための重要なものであるから、区においては、毎年一度復旧訓練を実施し、職員の技術の向上を図り、不測の事故に備えているのであるが、この訓練は、実際に貨車の車体及び台車を車輪とも約二〇センチメートル線路より引き上げ、これを線路中心から約四〇センチメートル、ジャッキを使って横送りに移動させる等の作業で重量の大きい貨車を二個のジャッキと反対側の車輪で支えることになるから、最も危険を伴うものであり、これに従事する職員は、安全帽、安全靴を着用して、指揮者の指示に従って行動することが安全確保上必要であった。当日午前八時三〇分からの始業点呼においても、区長より当日の同訓練の実施にさいしては、全員が安全帽、安全靴を着用して指揮者の指示にしたがい、負傷事故のないようにと特に注意したところである。

午前八時五五分ごろ、訓練参加者は、検修一〇番線の車庫前に集合したが、佐藤(浩)、阿部が、安全帽、安全靴を着用していなかったので、この訓練の責任者である検修助役が同人らに対し着用するよう注意した。午前九時ごろ、区長は、訓練場所である検修庫九・一〇番線で訓練に参加する職員にその目的を説明したが、その際まだ安全帽、安全靴を着用していなかった右両名に対し、着用するよう指示するとともに、もしこれらを着用しないときは、訓練から外す旨通告した。

その後、機材運搬の準備作業が開始されたが、佐藤(啓)は、区長らの再三の指示を無視して安全帽、安全靴を着用しないので、午前九時一五分ごろ区長は、同人に対し、これでは作業に従事できないから、業務をしないことになり、賃金をカットすることになる旨注意した。しかし、佐藤(浩)は、右区長の注意を無視して、午前九時一七分ごろ安全帽を着けないまま訓練用貨車の側ブレーキ付近からその下に潜りこもうとしたので、危険を感じた区長は、「佐藤君、危ないぞ。」と同人の肩に手を掛け制止しようとしたところ、これを見ていた橋本が「区長が暴力を振るった。」と騒ぎだした。飯田は、これを聞いて付近にいた国労所属の職員に耳打ちして回ったが、同人から耳打ちされた取下前原告駒木根昇二(以下駒木根という。)、同本田文雄(以下本田という。)が安全帽を脱いだ。特に本田は、まわりを見ながら、安全帽をコンクリートの床にたたきつけた。これに引き続き佐藤(啓)、藤田、矢部も安全帽を脱いでしまった。

午前一〇時二〇分ごろ、ジャッキによる貨車車体の扛起作業が始まったので、区長は、安全帽、安全靴を着用していない佐藤(浩)に危険だから貨車から離れるように注意したが、同人は、応じなかった。この区長の注意を聞いていた飯田は、午前一〇時二三分ごろ国労所属職員約一〇名位の先頭に立って、区長に近付いて、同職員らが区長を取り囲んだ状況のもとで、区長と相対し、「なぜ二人を作業から外すのか。」、「どうして否認して賃金カットするのか。」等と食ってかかった。区長は、「飯田君は、なんの立場で抗議をし、業務を妨害するのか。」と言ったところ、飯田は「分会書記長の立場だ。」、「区長抗議を指導したのは俺だ。」等と言明した。この飯田の抗議に同調した取下前原告宗形要(以下宗形という。)は、「働きに来ているのに賃金カットは無茶だ。」と、橋本は、「仕事に就けたらいいべ。新田の言うことを聞くな。」と、近は、「みんな作業から外したらいいべ。」と口々に発言し、飯田は、さらに区長に対し「佐藤君と阿部君を安全帽、安全靴を着用しないという理由でどうしても否認するのか。」と大声で執拗に抗議を繰り返した。区長がこれに対し、「安全帽未着用者は、作業に就かせる訳にはいかない。」と答えると、他のパートの国労所属の職員も区長の取囲みに加わり、一斉に大声で罵声をあびせ、その場は騒然となり、訓練の実施が妨げられた。

このような状況になったので、区長の命を受けた検修助役が安全帽、安全靴の着用を各職員個々について懸命に説得してまわったが、午前一〇時三五分ごろ飯田が国労所属職員らに「作業に就くべ。」と声をかけると、同四〇分ごろ抗議をしていた橋本、遠藤(一)、佐藤(武)等が作業場に戻った。

前述のように、飯田は、区の労安委員であって、区職員の労働安全のための施策を推進をする立場にありながら、かねてより「安全帽・安全靴を強要するな。」とか「手足のケガを安全帽をかぶって妨げるのか。」等と主張して、国鉄の規則で定められ、かつ管理者の指示する安全帽等の着用に反対し、これに同調する国労所属職員のうち約一五名は平素からその着用していなかったのである。

飯田らを先頭にした国労所属職員の抗議のため、この抗議に参加した飯田のほか、橋本、遠藤(一)、取下前原告吉田紳太郎(以下吉田(紳)という。)、佐藤(武)駒木根、本田については、午前一〇時二三分から一〇時四〇分まで否認した。しかして、訓練場である検修庫内は騒然となったため、その間訓練は円滑に実施できなかったのみならず、当日予定されていた事故時の応急復旧のための呼出要員に指定された職員が参加できなくなり、また、当日は、交検班及び機動班の職員の見学を予定していたが、その見学ができる雰囲気でなくなり、ホームサービス班からこの訓練のため参加した経験豊富な内藤検査長及び星車検係は、指導も十分にできず、職員の年一度の技術習得の機会を失う結果となった。

なお、当日午後からの作業においても駒木根、本田、阿部、矢部は、安全帽を着用しなかったため、作業から外し、代替要員を配置せざるを得なかった。

(26) 同年一一月一日飯田は、非番であったが、午前八時五〇分ごろ、検修員室において、同室の国労所属の職員の机上に組合情報が置かれていることを国鉄体操を指導するために同室に入った総務助役が見付け片付けようとしていたのをみて、「ドロボーだべ、返せ。」、「組合財産盗むのはドロボーだべ。」と抗議し、その場にいた遠藤(一)も、「ドロボーだべ、返せ。」と呼応し、同助役が作業時間となっているのに飯田と話をしていて作業場に行っていなかった上遠野に注意したところ、上遠野は、「馬鹿野郎。」と上半身裸で抗議し、さらに同室の机上の組合情報を片付けていた右総務助役に対し、「ドロボーだべ、返せ。」と、飯田とともに抗議した。

(27)〈1〉 翌二日午前一一時三〇分ごろ、検修庫を巡回中の検修助役が貨車の扛起作業の時間中であるのに電修場で休憩していた宗形に作業を続けるよう注意したが、その場にいた上遠野、黒羽、佐藤(武)、田谷らは、同助役に対し、「先輩に対しその言葉はネーベ。」、「助役はえらいからな。」等と暴言を吐き抗議していたが、宗形が作業に就いたので、同助役が三階事務室に戻ろうとして中央玄関一階のおどり場にきた際、追随していた上遠野が同助役の前に立ちはだかり、その行先の針路を妨げたが、同助役がこれにかかわらず、前に進もうとして、上遠野と身体が接触した。そこで、同人らは、「暴力助役。」、「暴力振るったべ。」、「ふざけんでねぇ。」と激しく抗議し、同助役に詰め寄るという騒ぎをおこした。これに気づいた飯田は、検修員室からおりてきて、検修助役に向かい、「ハベッテンデネー。」、「鵜沢このままで済むと思ってんなよ。」等とドスのきいた声で脅迫し、さらにこの騒ぎを聞き、駆けつけた総務助役に対しても、「蛇、ドロボーしてんなよ。このドロボー助役。」等と暴言を吐いた。

〈2〉 飯田は、同日午前一一時四八分ごろ、検修員室で、勤務時間中に早昼食をはじめたので、これを制止した総務助役に対し、同人と同様に早昼食をはじめていた遠藤(一)、高橋(敏)、上遠野、田谷、黒羽、木村、佐藤(浩)、取下前原告影山正(以下影山という。)らとともに、口々に「自分の弁当食ってなんで悪い。」、「否認したんだもの、なにやってもいいべ。」、「ぐずぐず言ってねで早く帰れ。」等と暴言を吐き、早昼食をすることもやめなかった。

(28) 飯田は、同月五日午前八時三〇分からの点呼に出席すべきであるのに同三一分まで遅刻し、点呼に際しては、返事をせず、管理者が指導して行われていた国鉄体操に参加しなかった。

(29)〈1〉 翌六日午前八時三一分ごろ飯田は、近、宗形、遠藤(一)、高橋(敏)、木村、田谷、上遠野、佐藤(武)、黒羽らとともに呼名点呼中の検修庫に入ってきたが、呼名されても、飯田らは、返事をせず、点呼を遅らせようと抵抗した。その点呼において、区長が国鉄の現状及びその改革について伝達したのに対し、飯田は、「区長は、国鉄をつぶさないためになにをやってきたか。」等と、円谷は、「なんだかんだ言ってんな。新潟局の話やんねのか。」等と発言して抗議した。区長の伝達中、飯田は、高橋(敏)、木村、田谷らとともに伝達する区長に背を向けて反抗した。

午前八時三七分ごろ点呼の終了後、飯田は、近、宗形、円谷、高橋(敏)、遠藤(一)、木村、田谷、上遠野、佐藤(武)、黒羽らとともに、その場で国鉄体操をするようにとの管理者の指導は聞かず、検修庫から検修員室に上がったので、区長、首席助役らは、右飯田らに体操を指導すべく検修員室に赴いたところ、飯田は、区長に対し、「お前は国鉄を守るためになにをやってきた。」等と繰り返し抗議した。そして、区長が同人の右発言について現認メモをとったのに対し、さらに同人は、区長に対し、「あんたは体操の時間なにをやってんだ。」、「伸一の結婚式に余剰人員の話ってあっか。」等と高橋(敏)は、区長に対し、「抗議をすれば職場がなくなるのか。」等と、総務助役に対し、「ドロボー、おめなにやってんだ。」等と円谷は、区長らに対し、「人間性のない管理者だ。最低だ。」、「体操は、下でやれ、通路じゃましんな。」、「最低のブレーンの管理者だもの、職場がよくなんねの当たり前だ。最低だ。」、「血も涙もない現場長だもの、職場はよくなんね。」等と遠藤(一)は、区長が伝達した学園での国鉄改革についてのアンケートについて、「わざと書かしたんだべ。関係ねえべ。」等と口々に暴言を吐いて抗議した。

〈2〉 同日午前一一時五二分ごろ、飯田は、検修員室で、木村、田谷、黒羽、佐藤(武)らとともに、勤務時間中に早昼食をしたので、職場巡回中の助役が再三制止したが、これを無視して昼食を食べ続けた。

(30) 同月八日午前八時三〇分区の始業点検がおこなわれたが、点呼対象者四四名の職員のうち飯田、円谷を含む二〇名が遅参した。そして、点呼執行者である宗像助役が呼名しても正常に返答せず、飯田らは、呼名に対し、「出勤しています。」等と発言したので、同助役が返事をするよう注意したのに対し、飯田は、「点呼だもの、来てるの確認できればいいんだべ。」とうそぶき、この発言を契機に他の職員のなかにも同様な返答をする者が多くなった。

右点呼において、区長が北海道地域の職員が派遣について等を伝達していると、飯田は、「国鉄職員の再就職った話はねえべー。馬鹿にしてんな。」等と抗議の発言をし、点呼の場が騒然となった。午前八時三九分ごろ、現場指導にきていた仙台鉄道管理局運用車両課の黒沢補佐が区長の紹介で挨拶に立つと、いきなり、円谷が、「汚職の話でもしてみろ。」とかん高い声で暴言を吐き、同補佐の挨拶を妨害し、同補佐が国鉄民営化の話をしている最中に、飯田は、「とんでもねえ。ふざけてんでねえ。」と大声で野次り、高橋(敏)も、「分割・民営誰が決めたんだ。」、「国会で決まったのか。」とわめきちらし、点呼の場は混乱状態となった。

(31) 同月九日午前八時三〇分始業点呼が開始され、点呼執行者である紺野助役が点呼中に、国労所属の職員約一〇名が遅れて出席したが、そのなかにいた飯田は、「点呼が早すぎる。」等と上遠野は、「馬鹿みてだ。」とわめき散らしながら点呼場に出席したが、その点呼において同八時三五分ごろ、区長が、休み申込みとその扱いについて伝達をはじめたとたん、飯田は、「郡山駅に対する労基法を知っているか。休み申込みに問題があるなら全員日曜日に休ませろ。」と大声で発言し騒ぎだし、これに誘発されて木村も、「土、日曜日は皆んな休ませろ。」と強い口調で抗議をし、その場にいた職員も口々に騒ぎだしたため、点呼場は騒然となった。区長は、直ちに伝達を中止し、飯田に対し、どういう立場で発言しているのか、話があるなら職員として、個人面談を申しでるべきで点呼中の発言は、点呼妨害になると厳重に注意したが、同人らは点呼終了まで抗議の発言を繰り返し、点呼を妨害したのである。

(32) 飯田は、同月一〇日午前八時三一分ごろ点呼に一分遅れて参加した。

(33) 飯田は、同月一二日午前八時三二分、所定の点呼に二分遅れて参加し、点呼執行官である紺野当直助役が点呼したのに、はっきりと返事をせず、同助役がはっきり返事をするよう注意すると、同人は、「八時三〇分までに来て、なんで否認されるんだ。」、「なんの遅れなんだ。」等と強い口調で抗議した。また、点呼終了後その場で国鉄体操をするよう指示したが、同人を含む国労所属の職員二五名は、体操をしないで二階の検修員室に上がって行ったので、区長らが同室に赴き、体操をするよう注意したが、誰も応じなかった。飯田は、その場でメモをつけていたので、区長が点検摘発メモをつけているのかと注意すると、同人は、点検摘発メモである旨述べたので、区長が組合情報に使うのだったら組合活動になるから止めるよう指示したが、同人は応ぜずにメモをとっていた。

(34) 飯田は、同月一三日午前八時三二分点呼に二分遅れて参加したが、点呼終了後体操をしないで、二階の検修員室にあがったので、総務助役らも同室に赴いたところ、同人がメモをとっているので、同人に組合活動だなと注意すると、同人は、「そうだ。」、「職制の動向をメモ帳に記入してんだ。」と言って反抗した。

(35)〈1〉 飯田は、同月一五日午前八時三一分点呼に一分遅参し、紺野当直助役の呼名に対して明確な返事をせず、二度目に同助役がはっきり返事をするよう注意したのに対し、けたはずれた高い声で「ハーイ。」と返事し、「助役あばれんな。」と声を荒げて抗議した。点呼中その執行者である紺野助役に背中を向けて立っていた。そして、午前八時三六分、近、高橋(敏)、黒羽、上遠野、木村、田谷らとともに、区長が伝達事項を伝える際、貨車の車種名「ハワム」を「パワム」と発言したのをとらえ、口々に「「パワム」でなく「ハワム」だべ。」、「まちがい認めろ。」、「ごまかすな。」等と揚足とりの発言を繰り返して点呼を妨害し、点呼終了後は、体操に参加せず検修員室に戻り、同室に赴いて国鉄体操を指導していた区長及び紺野助役が同人に体操をするよう指導したのに対し、「なに暴れていんだ。」とやゆして応じなかった。

〈2〉 同日午前一一時一〇分ごろ、常に保護具を着用しない遠藤(一)が当日もこれを着用していなかったので、首席助役は、同人を貨車の検修作業から外して、検修七・八番線間の首切反対の落書を消す作業をするように指示した。ところが、同人及び交検班の手待中の木村とともに電気試験室に入り長椅子で休んで、作業をしなかったので、これを見た首席助役が同室に入り作業に就くよう注意したところ、遠藤(一)は、「強制労働か。監視労働。」といって指示に従わず、木村も首席助役に対し、「首席。オメーあだの検修作業ではないぞ。」と大声で暴言を吐いて抗議した。その後、作業に就いたが、午前一一時三〇分ごろこの様子を見ていた飯田は、検修七・八番線の中ほどで、首席助役に対し、遠藤(一)に対する雑作業の指示について、「なんでいやがらせすんだ。亀ちゃん。」、「自分でやったらいいべ。」、「職場にきていじめして。」、「三九年からの国鉄赤字にして。」、「賃カツして赤字なくなるか。」等と暴言を吐いて抗議した。

(36) 飯田は、同月一八日午前八時三一分ごろ、点呼に一分遅参したが、区長が余剰人員の再就職について伝達している最中に、「首切りするってなんだ。」と発言したため、これに同調して円谷は、「代弁だべ。」、上遠野も「人べらしやってんだぞ、そんなことあっか。」等と騒ぎだし点呼場は騒然となり、点呼は中断した。

(37) 飯田は、翌一九日午前八時三一分ごろ、点呼に一分遅参し、大竹当直助役の呼名に明確な返事をせず、阿部、田谷、上遠野、鈴木、遠藤(一)、木村、黒羽、佐藤(浩)とともに、点呼を執行する大竹助役に対し、背中を向けて、検修一〇番線に沿って横一列に並んで、真面目に点呼を受けなかった。

(38)〈1〉 飯田は、翌二〇日も午前八時三一分ごろ、点呼に一分遅参し、宗像当直助役の呼名に対し低い声で返事をし、明確な返事をしなかったうえ、呼名の終了後同人は、佐藤(浩)とともに点呼指定場所から三メートル北側に並んだところ、これに同調する国労所属の職員八名も、飯田らに従って点呼指定場所の北側に横一列に立った。

点呼終了後の午前八時四〇分ごろ、飯田は、検修員室で体操を指導中の区長らの動静について「職制の動向メモ」を作成して組合活動をした。

〈2〉 同日午前九時三五分ごろ、飯田は、近、田谷、佐藤(浩)、宗形、木村とともに、検修庫内の検修七番線北方より三両目に停留中の緩急車内で、ストーブで暖をとりながら話をしていた。巡回中の検修助役が同車内に入り、作業が早く終わったのだなと話しかけたところ、飯田らは、「なめてんでね。こんな寒いとこで作業できっか。」、「馬車馬でね。ふざけんな。」、「三階も暖房とめたらいいべ。」、「事務室の机、検修庫に下ろすからここで仕事しろ。」等と暴言をはき、佐藤(浩)は、「パネルヒーター使用したらいいべ。」等と発言し、田谷は、これらの発言中、緩急車のドアを押さえて検修助役が車外に出ることを妨害する態度を示した。このように、飯田らは、九時三五分から一〇分間就業しなかった。

〈3〉 同日午前一一時二五分ごろ、飯田は、検修庫内の検修九番線中央部でレールに腰を下ろしており、向かい側の黒羽、田谷、高橋(敏)と話をしていた。巡回中の検修助役が飯田に対し、危険であり、禁止されているのだからレールに腰を下ろさないようにと注意をしたが、同人は右注意を無視して立ち上がろうとしなかったが、同人と話をしていた黒羽ら三名も、飯田に習うようにレールに腰を下ろした。

〈4〉 飯田は、同日午前一一時三〇分ごろ、当時同人は機動班で作業手待時間であったが、検修庫電修場で他の職員と話をしていたので、検修助役は、同人に対し、検修庫の検修七番線にこぼれているペンキの掃除を指示したのに対し、同人は、「検修作業にペンキ掃除があるか。」、「今日の担務指定は、機動班だべ。」と言って指示に従わず、その場にいた上遠野、田谷、遠藤(一)は、同助役に対し、なぜ飯田さんだけに作業指示するのだ。」等と口々に抗議をした。しかして、飯田は、右作業指示に応ぜず、午前一一時三五分ごろ検修員室に戻っていた。そこで検修助役が同人にペンキ掃除をするよう命じたが、その場にいた上遠野が、「なぜ飯田さんだけ作業指示するのだ。」等としつこく抗議した。その後、飯田の周囲に上遠野、田谷、遠藤(一)、黒羽が集まり、飯田とともに「検修作業にペンキ掃除があるか。」、「なぜ飯田さんだけ作業指示するのだ。」、「差別してんな。」等と口々に暴言と抗議を繰り返し、飯田は、指示された業務を拒否した。

(39) 飯田は、翌二一日にも午前八時三一分ごろ、点呼に一分遅参したが、点呼執行者の紺野助役の呼名に対してカン高い声で「ハ」とふざせた返事をし、さらに点呼中に首席助役より夏用バッジを着用した職員に対し、服装違反であるから取り外すよう注意したのに対し、同人は、「ワッペン着用しないと処分対象になるぞ。」と大声で他の職員をけしかけ、反抗した。

(40)〈1〉 飯田は、翌二二日午前八時三一分、点呼に一分遅参し、大竹当直助役の呼名に対しふざけた調子で「ハアーイ。」と語尾を長く伸ばして返事をしたが、その席上区長が余剰人員対策について話をしていると、同人は、「ふざけていんな。」等と、円谷は、「そんなことでうまくねえ。」と発言し、点呼を妨害した。

〈2〉 同日午後〇時一六分ごろ、飯田は、遠藤(一)、木村、上遠野ら国労所属の職員約一〇名の先頭にたって区長室に入ってきて、年休の申込みについて区長に抗議をした。区長は、飯田に対し、年休問題であれば個人で来るよう集団抗議は受けないから他の職員を退室させるよう求めたが、これらの職員は、口々に「抗議でない話合いだべ。」と発言し、その場は騒然となった。区長は、このような状況では、区の当直業務に支障すると考え、職員に対し業務妨害となるから退室するよう通告したが、一人として応じなかった。区長は、やむなく二階の検修員室に行く旨話し、同室に赴き、飯田に年休の申込みについて説明しようとしたところ、同人は、「俺が話をするから、ここに座れ。」と命令口調で検修員の腰掛を指さした。区長は、このような状態では話ができないと判断し、飯田に話があるなら区長面談を申し込むようにと言って席を立ち、三階区長室に戻ろうとしたところ、上遠野は、「新田は人間か。」橋本は、「区長は二階で話すと言ったべ。」、「ここで話したらいいべ。」等と口々に大声で騒ぎだした。そこで区長は、この抗議の責任者は、飯田であることを確かめたところ、同人は、「分会書記長の立場だ。」、「そうだ俺の指導だ。抗議でないべ。」と述べ、さらに「下で話すと言ったべ。そこまでずるいのか。」、「新田は悪いことばかりやっているからなんにも話せねえんだべ。」等と続けざまに暴言を浴びせかけた。区長に同行していた首席助役及び検修助役が注意すると、周りにいた木村は、「鵜沢、この野郎。」、「首席この野郎。」、「やかましいこの野郎、黙ってろ。」、「チンピラ鵜沢、卑怯者。」等、と橋本は、「なにが個人面談だ。」、「大体嘘ばかり言っているから話ができねんだべ。」、「馬鹿野郎。」等とそれぞれ暴言を吐き、上遠野は、区長に対して「この野郎。分会情報をみてみろ。」、「新田は人間か。」等と大声で罵声を浴びせ、この騒ぎは午後〇時二三分区長らが同室に引きあげるまで続いた。

ところで、昭和五九年九月以来毎月二五日に発表する翌月の職員の勤務予定表を作成するのに、予め休みを希望する職員に、毎月二〇日までに、年休申込簿に希望する日及び理由を記載して申し込ませていたのであるが、国労所属の職員は、本来時季指定権のない非休・公休についても希望日を指定して申し込む者もいたが、昭和六〇年一二月から非休・公休についての指定を考慮せずに勤務予定表を作成することにしたが、原告らの右の抗議はこのことに対しなされたものである。なお、上遠野の発言中の分会情報とは、区の管理者に対する誹謗・中傷の記事を掲載した国労の分会ニュースのことである。

(41)〈1〉 飯田は、同月二五日午前八時三一分、点呼に一分遅参し、大竹当直助役の呼名に対し、「寒いぞ。これが返事だ。」と答え、木村は、呼名に返事をしなかった。そして、区長が伝達事項を話している途中で、円谷は、大声で、「団交やれ、団交。」と発言し、飯田は、高橋(敏)、上遠野、田谷、橋本、鈴木らとともに、大声で「寒いぞ。」等と口々に叫び、遠藤(一)は出勤のことについて、「八時三〇分まで来てる。」等と、木村も、「保護具つけても暖かくなんね。」等と発言して、騒ぎだしたため、区長の伝達は全然聞こえなくなり、点呼は妨害された。

〈2〉 同日午後四時一六分ごろ、飯田は、首席助役に電話して、同日午後三時三〇分に発表された一二月分の勤務割予定表について、「一二月一五日以降の年休は、特休でないか。この勤務はなんだ。馬鹿野郎。」と抗議した。同日午後五時検修員室で行われた終業点呼において、首席助役が申込みは年休だけであって、非休・公休については申込みができないこと及び一二月一六日以降の特休付与については計画があり、一斉に付与する旨説明したところ、飯田は、「記事欄に書けば年休でないぞ。間違いを言うな。年休なんかでないぞ。年休は年休カードがあるのだ。作り直せ。」等と大声で抗議を始め、高橋(敏)も、「申込みは、年休カードである。申込みは非休・公休だ。作り直してこい。」、「仕事も出来ないのか。公休確定しろ。」、「俺らの生活はどうするのだ。一五日以降は特休優先だべ。」等と大声で抗議した。そして、飯田は、自席から立ち上がり、大声でわめきながら首席助役に近付いたが、これに同調して、高橋(敏)、木村、近、円谷も大声をあげながら首席助役に近付き、同助役を取り囲み、木村は、顔を真赤にして、「俺達の生活破壊するのか。なにを考えているんだ。」等と激しい口調で食い下がった。首席助役が、申込みは年休だけであると返答すると、近は、電気カミソリで髭を剃りながら、「首席だろう。首席らしく作って来い。自分でやったんだべ。馬鹿野郎。」と大声を張りあげ、円谷も、「労働条件の変更だべ。団交やれ。」等と激しく抗議した。また、吉田(紳)、田谷、木村、遠藤(一)は、一二月の勤務予定表らしきものを折りたたみ、首席助役の上着のポケットにかわるがわる押し込んできたので、首席助役は、五、六回手で払い退けたり身体をよじって抵抗したが、やめる気配がなかったので、身の危険を感じ、なにをするのだと言いながら出口へ向かおうとしたら、近が背を向けて進路を邪魔して出られなくしたが、宗像助役がその間に割って入り、ようやく退室することができた。

(42) 飯田は、翌二六日午前八時三一分、点呼に一分遅参した。点呼終了後、管理者の指示に従わず、体操をしないで検修員室に戻った国労所属の職員がいたので、区長及び首席助役が同室に赴いて体操をするよう指導していたが、これらの職員はこれに応じないで茶を飲んだりしていた。その際、鈴木が区長に、「ハンプ仕業に行かない。」と申し出たので、区長は、午後四時四〇分から区長面談をする旨通告したところ、飯田は、区長に対し、「どうせ仕業にやるんだべ。」、「区長は言っていることとやっていること違うべ。」、「朝からメモ以外仕事ないんだべ。いいからどんどん書いておけ。」、「区長はそんなにえらいのか。」等と暴言をはいた。

(43) 飯田は、翌二七日午前八時三一分ごろ、点呼に一分遅参し、点呼において検修助役が検修庫内の落書について注意している途中、「落書されるようなことすんな。」と大声を発して妨害した。しかして、飯田らの国労所属の職員の一部は、点呼終了後体操をしないで検修員室に引きあげたが、体操を指導するために区長及び首席助役が同室に赴いたところ、円谷が区長に対し、「新田は、外注に行っても勤まんねいわ。」と他の職員に聞こえよがしに暴言を吐き、高橋(敏)も「いい気になっているからな。」と発言し、飯田は、首席助役に対し、「オメー新田とやっているうちは協力できね。」と暴言を吐いた。

(44)〈1〉 飯田は、同月二九日午前八時三一分、点呼に一分遅参したが、宗像当直助役の呼名に対し声を出さず口を開く態度を示しているだけで明確に返事をしなかった。点呼において区長が首都圏で発生した過激派による列車妨害事件について伝達している途中、円谷は、「なに言ってる。」と、高橋(敏)は、「過激派は区長だべ。」と飯田は、「なにが職場なくなるだ。」と発言し、点呼を妨害した。

〈2〉 同日午前一〇時三三分ごろ、首席助役が検修員室を巡回中、上遠野の机の上に「分割民営反対」と書いてセロテープで貼りつけたワラ半紙半分大の紙が置かれていたので、近付いているとき、飯田が、廊下のドアから突然入ってきて、首席助役に対し、「なにしてるんだ。」、「泥棒野郎。」と大声を発しながら近付き、いきなり同助役が左手に持っていた紙バサミを右手で強引にもぎとろうとした。首席助役は、左手に力を入れ防ごうとしたが、はずみで紙バサミは床に落ち、挾んであった二〇枚位の書類は散乱したが、飯田は、それを拾おうとしてかがんだので、首席助役が制止したところ、同人は、「なんだ泥棒したべ。中身をみせろ。」と暴言を吐いたが、首席助役が書類を拾いあげ、同人に勤務時間中に入室の目的を尋ねたところ、弁当の注文にきたということであったが、「危なくてしようがない。俺らいないときに詰所に入るな。」と大声で捨てぜりふを残して退室した。なお、同日午後五時ごろ、首席助役が終業点呼のため、検修員室に入った際、飯田は、大声で、「泥棒野郎。」とわめいた。

(45) 飯田は、翌三〇日午前八時三一分ごろ、始業点呼に一分遅参し、紺野当直助役の呼名に対し、明確な返事をしなかった。点呼の際、区長が職場内の落書を注意したところ、飯田は、「そんなの昨日聞いた。」、円谷は、「一方的にやるのは違法だべ。」とそれぞれ大声をあげて点呼を妨害した。さらに区長が検修庫内の検修七・八番線間のコンクリート床面に白ペンキで書かれた落書の掃除を機動班三名に指示したのに対し、飯田は、「それは違法だべ。自分らでやれ。」と言って作業指示に反対する暴言を吐いたが、橋本もこれに同調して、「検修作業にそんなのあるか。」と大声で発言し、業務を妨害した。

(46)〈1〉 飯田は、翌一二月一日午前八時三一分、始業点呼に一分遅参した。

〈2〉 同日午前八時五二分ごろ、検修庫内の検修一〇番線付近で、飯田は、安全帽を着用せず、ゴム長靴を履いていたので、巡回中の紺野助役が同人に対し、安全帽と安全靴を着用して作業するよう指示したのに対し、同人はこれに応じないで、「昨日ハンプ始業詰所で佐藤正則君に首席助役が暴力を振るったべ。」、「ピット内の掃除はいつやんだい。」、「安全対策をきちんとやってくんち。」、「言っていることちゃんとやってから言ってくんち。」等と抗議を繰り返した。

(47) 飯田は、同月三日午前八時三一分、始業点呼に一分遅参し、検修助役の呼名に対し返事をしなかったが、点呼において首席助役が点呼出席遅れや伝達の妨害を注意している途中で、円谷は、「差別やめろ。体操やれば残れるのか。」と、高橋(敏)は、「三階に行ったらいいべ。」と、飯田は、「首切反対だな。四人に三人いんなくなるんだ。」等と口々に発言して点呼を妨害した。

(48) 飯田は、同月九日午前八時三一分ごろ、始業点呼に一分遅参し、大竹当直助役の呼名に対し返事を拒否した。点呼終了後国労所属の職員らの一部とともに体操をせずに検修員室に上がったので、区長及び首席助役が体操の指導に同室に赴いたが、首席助役より体操をせずにタバコを吸っていて注意された飯田は、「勤務時間でないぞ。体操の時間だぞ。亀助役。」と暴言を吐いた。

(49)〈1〉 飯田は、翌一〇日午前八時三一分、始業点呼に一分遅参したが、点呼執行者である宗像当直助役に対し横を向き、遠藤(一)もこれにならって横を向いた。そこで区長が、正面を向いて中央に寄るよう注意すると、飯田は、「区長が側にいるから横向くんだ。区長は別扱いか。来年四月まであるんだぞ。」と反抗し、同じく横を向いていた田谷は、注意を受けるとさらに三歩外側に遠ざかり反抗した。

〈2〉 飯田は、同日午前一〇時二六分ごろ、検修員室に巡回に来た首席助役に対し、いきなり「年休はいらないぞ。」、「ちゃんと覚えておけ。」、「この亀。」と暴言を吐き、手に持った本を開き、なにやら首席助役に読んで聞かせようとしたが、首席助役は、これに取り合わず、言葉使いに注意するとともに、年休を付与したときに検修計画をたてるのだから、特別の理由がない限り、年休を請求しながら必要がないという訳にはいかない旨説明したが、同人は、「年休は俺の権利だ。いつ使おうと勝手だ。」と抗議した。

〈3〉 飯田は、同日午前一一時五〇分ごろ、検修員室で準備をしていたため、巡回中の首席助役より注意されたのに対し、「貨車の手押作業が終わったんだ。なんでだめなんだ。」と抗議した。

(50) 飯田は、同月一二日午前八時三一分、始業点呼に一分遅参し、宗像当直助役の呼名に対して意識して声を小さくしたので、はっきり返事をして下さいと注意された。

呼名中に、当日年休の高橋(敏)が、「俺の名前呼んだのか。年休なんかとっていねいぞ。」と発言して点呼を妨害したので、区長は、今日は年休であるので休むようにと通告したが、納得しなかった。その時上遠野は、「年休申し込んでねえべ。」、近は、「本人が言っていんだ。ほら当直聞こえているのか。」等と発言して妨害したが、飯田は、「違法行為をやめろ。労基法を守れ。」と何回も繰り返し、また円谷も、「年休で休めとは労基法違反だべ。」、「違法行為やっていんな。」と騒ぎたてた。

高橋(敏)の年休申込簿による申込みは、一日、八日、一二日、二二日、二六日、二九日、三〇日、三一日であったので、一二日を勤務予定表で年休と指定したところ、同人は、年休を申し込んだのではなく、非休、公休を申し込んだのであるから取消せと主張した。これに対し区長は、職員が休みの申込みのできるのは、年休だけであるが、一二日の年休取消の理由があれば申し出るようにと説明したが、同人は、なんらの理由も申し出ないでこの騒ぎとなったのである。

点呼終了後、飯田ら国労所属の職員の一部は、体操をしないで検修員室に戻ったため、体操の指導に同室に行った区長に対し、飯田は、「今日高橋君の年休取消に応じないのは区長の考えだな。」、「高橋君の年休を取消せ。無理に休ませるのか。」と抗議し、また円谷も、「年休で休めとは労基法違反だべ。」等と発言し、飯田は、さらに「新田は再就職のことを考えろ。」等と騒ぎたて、集団抗議の状況となり、高橋(馨)、近、飯田、田谷、遠藤(一)、上遠野、佐藤(正)は、作業開始のベルがなっても、作業場に行かなかった。

(51) 飯田は、翌一三日午前八時三三分ごろ、始業点呼に遅れて参加したが、二階昇降口の入口の出務表を見て、「一二日高橋君の年休とはなんだ。」と抗議し、点呼の所定場所から北側一〇メートルの位置に立った。他の職員もこれに同調して飯田の所に並んだので、区長がそこは点呼場所ではないので中央に寄るように注意したのに対し、飯田は、「俺がここにいて否認されるなら、区長も否認だぞ。」等と暴言を吐き、呼名されると、高橋(敏)、遠藤(一)とともに横を向いて反抗した。また円谷、橋本は、「出てきて年休とはなんだ。」等と繰り返し抗議した。

点呼終了後、例のように飯田ら国労所属の職員は、体操をしないで検修員室に引きあげたので、体操を指導するため区長及び総務助役が同室に行ったところ、飯田は、「区長自分でやったらいいべ。」と反抗し、同人、上遠野、高橋(敏)はそれぞれ「今日高橋君の捺印を消して出務表に年休とはなんだ。」等と抗議を続けたが、さらに飯田は、「ろくな銭も払いやがんねえでなに言ってんだ。」と、佐藤(武)は、「区長はなんでもできんのか。」と大声で暴言を吐き、また橋本は、総務助役に対し、「体操なんか自分でやったらいいべ。」、「かすかたんな。」と暴言を吐いて室内は騒然となった。

(52) 飯田は、同月一四日午前八時三一分ごろ、始業点呼に一分遅参したが、呼名に際し、大竹当直助役が当日ハンプ仕業班から検修に移った矢部の名前を呼んだところ返事が聞こえなかったが、同人が出席していることを確認して次の人に移ったところ、突然飯田は、佐藤(正)、遠藤(一)、佐藤(武)らがハンプの矢部をなぜ呼ばないと騒ぎたて点呼を妨害した。そして飯田は、呼名されると、点呼執行者に対し横を向き、高橋(敏)、遠藤(一)及び木村もこれに同調して横を向いて反抗した。

点呼において首席助役が勤務時間の厳正について注意すると、高橋(敏)は、「いつチャイム鳴った。」と野次り、黒羽の遅刻について、飯田は、「八時三〇分前に来ている。遅くない。」等と発言し、区長の経費の節約についての伝達中、飯田は、「それは間違いだね。」と、遠藤(一)も「新幹線の水三倍払ったべ。」等と発言し、区長の年休申込みの伝達に際しては、飯田は、「点呼を中断して言わしてもらいます。昭和五九年九月一八日田代助役が言ったその他の欄はどうなったのか。」、「これまでの組合の主張を守れ。」、「公休を早く確定しろ。」等と発言し、これに同調する高橋(敏)、佐藤(正)、田谷らも、口々に、「公休確定しろ。」、「何だと思ってんだ。」、「年休申込簿はいらないべ。」、「人のハンコ押したのを削ったんだもの。」、「年休カードでいいのではないか。」等と抗議し、遠藤(一)も区長に対し、「掲示板に張ったら、伝達することねえべ。」等と発言したため騒然となり、点呼は午前八時三八分ごろと同午前八時三九分ごろの二回にわたり中断せざるを得なくなった。区長は、この抗議の指導は飯田だなと確かめると、同人は自分が指導していることを認めたが、高橋(敏)も自分が指導している旨発言したが、遠藤(一)は、「点呼中断してたものいいべ。」等と発言した。

このように、飯田らは、管理者に暴言を吐き、点呼を妨害した。

(53)〈1〉 飯田は、同月一六日午前八時三一分ごろ、始業点呼に一分遅参した。そして点呼中の同八時三四分ごろ、区長は、高橋(敏)が録音機を持っていることに気づき、同人に録音をやめるよう注意したところ、飯田、高橋(敏)及び上遠野は、一二月一二日年休の高橋(敏)が作業服に着替えて点呼出席していたが呼名しなかったことを指して、口々に「出勤簿を改ざんしてなんだ。」等と抗議の発言をし、また円谷も、「労働条件変更の団交やれ。」と発言し、点呼を妨害した。

〈2〉 同日午前一一時五〇分ごろ、飯田は、検修員室において巡回中の首席助役に対し、「詰所の暖房を通せ。」、「この亀。」と暴言を吐き、昼食の準備を始めたので注意すると、「くそ亀。」と大声で暴言を吐いた。

(二) 原告木村の非違行為(他の原告と関連する非違行為も含む。)

(1) 昭和六〇年四月二二日午前八時四〇分から検修員室で行われた始業点呼において、飯田らが点呼執行者の指示に従わず、背を向けて点呼を受ける状況であったため、区長が首席助役及び総務助役に対し、証拠写真の撮影を命じ、同助役らが撮影しようとした際、同人らが騒ぎだしたことは、前(一)(8)で述べたところであるが、その際木村は、自席を立って、首席助役が写真撮影しようと構えているカメラの前に立ちはだかり、「無断で写真を撮るとはなにごとか。」と大声で騒ぎ、同助役の写真撮影を妨害するとともに点呼の続行を不能にした。

(2) 翌二三日午前八時四〇分から検修員室で行われた始業点呼において、木村は、飯田らとともに点呼執行者の指示に従わず背を向けて立ち、意識的に返事の声を低くして反抗の態度を示すとともに、管理者の再三の注意もきかず、前日の写真撮影に対する抗議の発言を繰り返したことは前(一)(9)に記載のとおりである。

(3) 翌二四日午前八時四〇分から検修員室で行われた始業点呼において、区長が当日非休の飯田の退室を求めたところ、同人が応じなかったことが原因で、国労所属の職員が騒ぎだし、その際、木村も飯田らとともに区長に対し、「暴力区長。区長は暴力を振るったべ。」等と暴言を吐き、点呼の執行を妨げ、また、点呼終了後首席助役に対し、「へでなし野郎、出て行け。」等と暴言を吐いたことは前(一)(10)に記載したとおりである。

(4) 同年五月四日午前八時五〇分ごろ、検修員室で高橋(敏)、上遠野が着用している制帽に、「国労」、「首切反対」と落書していたので、首席助役が注意したのに対し、飯田らが騒ぎ、その経緯は前(一)(13)記載のとおりであるが、木村も右原告らとともに抗議に加わり、作業開始時間である同八時五〇分から同八時五三分まで就業しなかった。

(5) 同月一四日午前八時三〇分検修庫一階の点呼場で行われた始業点呼に際し、木村は、他の国労所属の職員二八名とともに私服で出席した。これは同月九日より始業点呼の場所を従来の検修員室より一階検修庫へ移し、かつ、同月一三日より始業点呼を午前八時三〇分に開始し、点呼終了後はその場で国鉄体操をすることに変更したことに抗議するためであって、区長は、点呼開始時刻の変更及び点呼には作業に従事できる服装に着替えて出席するよう職員に対する検修員室の業務用掲示板での掲示、あるいは事前の一斉放送によりあらかじめ周知させていたのである。

しかして、当日は、呼名を終わった者から着替えのため検修員室に行き午前八時四二分、二八名が一斉に点呼場に戻って来たが、点呼中、高橋(敏)は、指示事項を伝達中の区長等にフラッシュをたいて写真を撮りながら「なにやってんだ。この。」と、佐藤(正)は、「否認してっぺ。」と、橋本は、「八時三〇分までにどうやって被服と着替えできんのか。」と木村は、「ちゃんと答えろ。」、「八時三〇分に出勤して、どうやって着替えんだ。」と、黒羽は、「やめちまえ無能管理者。」と、上遠野は、「ふざけんな、この。」と遠藤(一)は、「出勤してっぺ。」等と口々に発言し、点呼を妨害した。

(6) 翌一五日午前八時三〇分から検修庫の点呼場で行われた始業点呼において、呼名が開始された後に、国労所属の職員二四名が木村、田谷を先頭に一団となって私服のままで出席した。そこで、区長は、同人らに対し、私服での出席は、就業の意思のないものと認め欠務とする旨、さらに作業のできる服装に着替えたら検修助役に申し出るようにと通告したところ、高橋(敏)は、「いづ着替えんだ。」、「俺の名前呼んだか。」等と抗議した。その後、私服で出席した職員らは着替えのため、検修員室に戻り、同八時四二分点呼を受けるために改めて点呼場に出席した。

(7) 翌一六日午前八時二五分と同二八分の二回にわたり、区長は、八時三〇分までに遅れないように点呼に出ること及び私服の場合は、就労の意思がないものとし欠務となる旨を一斉放送によって注意を与えた(この注意放送は点呼場所の変更後連日行われていた)。しかし、同日午前八時三〇分より開始された始業点呼に出席しない木村ら国労所属の職員二三名は、同八時三二分ごろ、私服のまま一団となって、点呼場に出場したが、区長が、私服の者は、欠務となる旨通告すると、私服の者全員が検修員室に戻って行き、同八時三九分から四〇分ごろまでに、全員が作業服に着替えて、点呼場に集合してきたので、区長は、これらの職員に就労の意思の有無を申告するよう通告すると、佐藤(正)、高橋(敏)ら口々に「全員八時三〇分に出勤した。」等と抗議した。二三名全員の就労意思を確認できたのは同八時五〇分であった。

(8) 翌一七日も、点呼開始前の午前八時二五分ごろ、区長が一斉放送で前日同様に職員に対して注意をしたが、木村ら国労所属の職員二五名は、定刻までに出席せず、同八時三一分ごろ呼名中に、木村、近を先頭に私服のまま一団となって点呼場にきたので、点呼は一時中断したが、その際、高橋(敏)は持参したカメラでこの状況を撮影していた。区長が右職員らに対し、私服で来た者は着替えて就労の意思表示をするまで欠務となると通告すると、近は、「八時三〇分までに出勤しているよ。」等といって、他の私服の者二四名とともに検修員室に引きあげ、点呼終了後の同八時三七分ごろ作業服に着替えた二五名が一団となって点呼場に出てきた。区長が、このようなことをするのは、誰が責任者かと問うても誰も返答せず、田谷、遠藤(一)、佐藤(浩)、上遠野らは、メモをとっていた。このような状況となったので同八時三八分これらの職員に対する点呼を再度開始したが、当日非休の佐藤(正)がまぎれ込んでいたので首席助役が退去を通告したが、同人は退去しなかった。点呼終了後高橋(敏)の合図で、右国労所属の職員の大半は、北部の階段より二段検修員室に戻って行ったが、検修員室の利用は、朝の点呼前、昼の時間帯、及び終業時の夕方に限るとし、それ以外の時間帯の利用は管理者の許可を得るようにとの指導にもかかわらず、無断で同室に入ったのである。

(9) 同月二〇日午前八時二六分と同二九分の二回にわたって区長は、一斉放送で、点呼は八時三〇分から行うこと、作業のできる服装で出席すること、私服での出席は就労意思がないものとみなし欠務となること、及び点呼場所は検修庫の奥であることを伝達していたが、午前八時三〇分すぎ、木村を含む国労所属の職員一九名が時間に遅れて点呼場所に出席した。これらの職員は、先に出席している他の職員の北側一メートルのところに、横一列に立ったので、区長がもっと南側に寄るようにと指示したが、これに従わなかった。また、木村は、田谷とともにサンダル履きで点呼に出席したため、区長から作業靴に履きかえるよう指示を受けると同人らは、ようやく作業靴に履きかえた。それにまた、木村は、紺野当直助役の呼名に対しても小声で返答した。

(10) 翌二一日の始業点呼に際し、木村は、他の国労所属の職員とともに、点呼場の北側にしゃがんだままで点呼に応じ、区長らが起立し、点呼場に移動するよう再三注意したが応ぜず、呼名に対しても低い声で「いる。」と返事し、区長よりはっきり返答するよう注意されると、「いる。見たらわがっぺ。新田この。なにをみてんだ。」と発言して点呼を妨害し、点呼後の体操をしなかった。

(11) 翌二二日の始業点呼において、木村は、他の国労所属の職員とともに、呼名中にしゃがんでしまった。区長が起立するよう注意しても応ぜず、点呼は中断した。木村は、点呼後の体操をしなかった。

(12) 翌二三日の始業点呼において、木村は、他の国労所属の職員とともに、衝立で仕切られた点呼場の外(北側)にしゃがんで、区長らの注意にも応ぜず、点呼後の体操をしなかった。

(13) 翌二四日の始業点呼において、木村は、他の国労所属の職員とともに、点呼場の境に設けられた衝立の北側に前日同様にしゃがんで、管理者の注意に応じなかった。呼名に対し木村は、「出てます。」と返答し、再度呼名された。同人は、点呼後の体操をしなかった。

(14) 翌二五日の始業点呼の際にも、木村は、点呼場外にしゃがんだまま点呼を受け、点呼後の体操をしなかった。

(15) 翌二七日の始業点呼の際にも、木村は、国労所属の職員の一部とともに点呼場外に立ち、点呼後の体操をしなかった。

(16) 翌二八日の始業点呼の際にも、木村は、国労所属の職員の一部とともに点呼場外に立ち、呼名に対し小声で返答した。そして点呼後の体操をしなかった。

(17) 翌二九日の始業点呼の際にも、木村は、国労所属の職員の一部とともに点呼場外に立ち、呼名に対し小声で返答し、点呼後の体操をしなかった。

(18) 翌三〇日の始業点呼の際にも、木村は、国労所属の職員四名とともに点呼場外に立ち、呼名に対し小声で返答し、点呼後の体操をしなかった。

(19) 翌三一日の始業点呼の際にも、木村は、国労所属の職員三名とともに点呼場外に立ち、点呼後の体操をしなかった。

(20) 翌六月一日の始業点呼の際にも、木村は、国労所属の職員四名とともに点呼場外に立ち、点呼後の体操をしなかった。

(21) 同月三日の始業点呼の際にも、木村は、国労所属の職員五名とともに点呼場外に立ち、呼名に対し遅れて小さい声で返答し、点呼後の体操をしなかった。

(22) 翌四日の始業点呼の際にも、木村は、国労所属の職員七名とともに点呼場外に立ち、呼名に対し小声で返事をし、点呼後の体操をしなかった。

(23) 翌五日の始業点呼においても、木村は、呼名に対し小声で返答をし、点呼後の体操をしなかった。

(24) 翌六日の始業点呼においても、木村は、呼名に対し小声で返答をし、点呼後の体操をしなかった。

(25) 同月八日の始業点呼に際し、木村は、一分遅刻し、国労所属の職員二名とともに点呼場外に立ち、点呼後の体操をしなかった。

(26) 翌九日の始業点呼に際し、木村は、国労所属の職員二名とともに点呼場外に立ち、呼名に対し小声で返答し、点呼後の体操をしなかった。

(27) 同月一一日、始業点呼に際し、木村は、一分遅参し、国労所属の職員三名とともに点呼場外に立ち、点呼後の体操をしなかった。

(28) 翌一二日の始業点呼に際し、木村は、一分遅参し、国労所属の職員三名とともに点呼場外に立ち、点呼後の体操をしなかった。

(29) 翌一三日の始業点呼に際し、木村は、一分遅参し、国労所属の職員三名とともに点呼場外に立ち、呼名に対し小さい声で返答し、点呼後の体操をしなかった。

(30) 翌一四日の始業点呼に際し、木村は、国労所属の職員四名とともに点呼場外に立ち、呼名に対し遅れて小声で返答し、点呼後の体操をしなかった。

(31) 同月一七日の始業点呼に際し、木村は、国労所属の職員七名とともに点呼場外に立ち、呼名に対し小さい声で返答し、点呼後の体操をしなかった。

(32) 翌一八日の始業点呼に際し、木村は、一分遅参し、国労所属の職員四名とともに点呼場外に立ち、呼名に対し「いる。」と返答し、点呼後の体操をしなかった。

(33) 翌一九日の始業点呼に際し、木村は、国労所属の職員九名とともに点呼場外に立ち、田谷とともに録音機を持ち込んだので、区長及び総務助役が点呼に関係のない物の持込みを禁止するから録音機を別の場所に保管するよう指示したが、同人らは、この指示に応ぜず、呼名に対し遅れて返答をした。また、木村は点呼後の体操をしなかった。

(34) 翌二〇日の始業点呼において、木村は、呼名に対し小声で返答し、点呼後の体操をしなかった。

(35) 翌二一日の始業点呼に際しても、木村は、国労所属の職員三名とともに点呼場外に立ち、呼名に対し小声で返答し、点呼後の体操をしなかった。

(36) 同月二四日の始業点呼に際し、木村は、一分遅参し、国労所属の職員四名とともに点呼場外に立ち、呼名に対し小さい低い声で返答し、点呼後の体操をしなかった。

(37) 翌二五日の始業点呼に際し、木村は、呼名に対し返答せず、再度呼名され、また、点呼後の体操をしなかった。

(38) 翌二六日、木村は、点呼後の体操をしなかった。

(39) 翌二七日も木村は、点呼後の体操をしなかった。

(40) 翌二八日の始業点呼に際し、木村は、一分遅参し、点呼後の体操をしなかった。

(41) 同年七月二日の始業点呼に際し、木村は、一分遅参し、点呼後の体操をしなかった。

(42) 翌三日、木村は、点呼後の体操をしなかった。

(43) 翌四日も木村は、点呼後の体操をしなかった。

(44)〈1〉 翌五日の始業点呼に際し、木村は、一分遅参し、点呼後の体操をしなかった。

〈2〉 木村は、同日午前九時四〇分ごろ、国鉄から貸与されている布製作業帽に、国労の夏用バッジをつけて交番検査作業をしていたので区長がバッジを外すよう注意し、さらに安全帽を着用して作業するよう指示したが、同人は、これに応ぜず、「うるさい。よけいなことを言うな。」と暴言を吐いた。

(45) 同月八日の始業点呼に際し、木村は、一分遅参し、国労のワッペンを着用しており、呼名に対し小さい声で返答し、点呼後の体操をしなかった。

(46) 翌九日の始業点呼に際し、木村は、一分遅参し、呼名に対し小声で返答し、点呼後の体操をしなかった。

(47)〈1〉 同月一一日の始業点呼に際し、木村は、国労のワッペンを着用して一分遅参し、呼名に対し小声で返答したため、再度呼名され、点呼後の体操をしなかった。

〈2〉 同日午前一〇時ごろ、木村を含む国労所属の職員数名は、検修員室で国労の職場集会を行い、高橋(敏)が立って組合情報(国労郡山貨物ターミナル分会報八五年七月六日付第三六三号)を読みあげていた。この職場集会を職場巡回中の総務助役及び大竹助役が制止すると、高橋(敏)は、「入換手待だ。なにをやってもいいべ。」と反抗し、その場に来た首席助役も制止したが、やめないで続行し、木村は録音機を使ってその場の状況を録音し、田谷は、カメラでその状況を撮影していた。そして木村、橋本、田谷らは、ワッペンを着用していたので、首席助役及び総務助役が外すよう注意したが、これにも従わなかった。また、木村がその際着用していた盛夏用作業衣に「反独、反自民」と、田谷の着衣には「国労」と落書していたので、総務助役が落書を消すように注意し、消すことができないのなら返納するよう通告したが、同人らは、これに応ぜず、その場にいた畑中車両検査係は「たいした気しているバカ。」等と野次ったが、午前一〇時二〇分貨車手押作業開始のベルが鳴り、右職員らが検修員室を退室するまで、職場集会は続いた。

従前から、勤務時間中は組合活動が禁止されている旨、注意していたことはもちろん、貨車入換のための手待時間帯には、検修庫一階の記録室で待機するよう指導していたが、同人らは、右指導にも反し、検修員室で組合の職場集会を開き、管理者の制止の指示に従わなかった。

(48) 翌一二日の始業点呼に際し、木村は、国労のワッペンを着用して一分遅参し、点呼後の体操をしなかった。

(49) 翌一三日の始業点呼に際し、木村は、国労のワッペンを着用して二分遅参し、呼名に対し遅れて返答し、点呼後の体操をしなかった。

(50) 同月一六日の始業点呼に際し、木村は、一分遅参し、呼名に対し小さい声で返答し、点呼後の体操をしなかった。

(51) 翌一七日の始業点呼に際し、木村は、一分遅参し、点呼後の体操をしなかった。

(52) 翌一八日の始業点呼に際しても、木村は、一分遅参し、呼名に対し小さい低い声で返答し、再度呼名された。また、点呼後の体操をしなかった。

(53)〈1〉 同月二〇日の始業点呼に際し、木村は、一分遅参し、呼名に対し遅れて小声で返答し、点呼後の体操をしなかった。

〈2〉 同日午前一一時四五分ごろ、木村は、勤務時間中であるにもかかわらず高橋(敏)、遠藤(一)、佐藤(浩)とともに、二階検修員室の各人の机で昼食をとっていたので、巡回中の首席助役が注意したが、木村は、「うっちゃし。」と反撥し、右同人らは食事をやめなかった。

(54)〈1〉 同月二二日の始業点呼に際しても、木村は、国労のワッペンを着用し、呼名に対し小声で返答し、点呼後の体操をしなかった。

〈2〉 同日午前九時五分ごろ、木村は、検修庫七、八番線で、ワッペンを着用して作業に就こうとしていた。そこで首席助役がワッペンを取り外すよう注意したが、聞き入れず、同人は、「作業中邪魔するな。」、「組合介入すんな。」と抗議するとともに、首席助役をにらみつけたうえ、ワッペンを着用したまま作業した。

(55)〈1〉 翌二三日の始業点呼において、木村は、国労のワッペンを着用して出席したが、呼名に対し小声で返答をし、また、点呼後の体操に参加しなかった。

〈2〉 同日午前一一時五〇分ごろ、木村は、遠藤(一)及び上遠野とともに、検修員室で、勤務時間中であるのに昼食を始めようとした。巡回中の首席助役がこれを制止したが、同人らは、右制止を無視して昼食をとりはじめ、首席助役が再度にわたって注意したのに対し、木村は「うっちゃし。」と言いながら他の者らとともに昼食をとり続けた。

(56) 翌二四日の始業点呼に際し、木村は、国労のワッペンを着用して一分遅参し、呼名に対し小さい声で返答し、点呼後の体操をしなかった。

(57) 翌二五日の始業点呼に際し、木村は、国労のワッペンを着用して点呼に出席し、呼名に対し小さい声で返答し、点呼後の体操をしなかった。

(58) 翌二六日の始業点呼に際し、木村は、国労のワッペンを着用して一分遅参し、呼名に対し小さい声で返答し、点呼後の体操をしなかった。

(59) 同月三〇日の始業点呼に際し、木村は、国労のワッペンを着用して一分遅参し、二回にわたる呼名に対し返答せず、点呼後の体操をしなかった。

(60)〈1〉 翌三一日午前八時三〇分からの点呼において、木村は、国労のワッペンを着用して一分遅参し、上遠野、佐藤(正)、高橋(敏)、遠藤(一)とともに、宗像当直助役の呼名に対し、小さな声で返答したので、首席助役が大声で「ハイ。」と返事するよう注意し、当直助役が再度呼名したが、右五名は、全く返事をせず、首席助役の指示に従わなかった。右点呼において、首席助役が担務替をした佐藤(正)、高橋(敏)に対し、手待時間に引越しするよう指示したところ、佐藤(正)は「間合引越しは出来ない。」、「作業ダイヤを説明しろ。」と抗議したが、これを契機にその場にいた木村、上遠野、高橋(敏)、黒羽、近、橋本らが騒ぎ出した。騒ぎを制止し、区長が八月分の勤務交番について伝達していたところ、木村は、「このチンピラ区長。」等と大声で暴言を吐いた。この間田谷は、二階検修員室から録音機を持って来て録音を始めたので、首席助役が制止したが、聞き入れなかった。なお、木村は、点呼後の体操をしなかった。

〈2〉 同日午前一一時四五分ごろ、検修員室において、木村は、高橋(敏)、田谷、阿部とともに勤務時間中であるのに各自の机で昼食を始めたので、居合わせた首席助役が注意すると右木村らは、「うっちゃし。」と反撥して、食事を続けたが再度の注意によって、ようやく食事をやめた。

(61) 翌八月一日午前八時三〇分からの点呼に際し、木村は、国労のワッペンを着けて一分遅参し、呼名に対し小声で「オーイ。」と返答した。右点呼の席上区長が、八月五日国労が計画している違法ストについて警告していたところ、突然上遠野が「オメ組合に介入すんな。」、「貨物がなくなんだ。職場をなくすのは誰だ。」と大声で暴言を吐き、点呼を妨害した。これに同調した木村、遠藤(一)、佐藤(浩)、及び橋本らが、口々に大声で、「民営・分割反対でないのか。」、「やかまし。国会によって決まると言ったのは誰だ。」と叫んで反撥し、点呼場は騒然となり、点呼の執行が妨害された。

(62) 翌二日の始業点呼に際し、木村は、国労のワッペンを着けて一分遅参し、呼名に対し小さい声で返答し、二回呼名させ、点呼後の体操をしなかった。

(63) 同月六日の始業点呼に際し、木村は、一分遅参し、呼名に対し返答せず、点呼後の体操をしなかった。

(64) 翌七日の始業点呼に際し、木村は、一分遅参し、呼名に対し遅れて小さい声で返答し、点呼後の体操をしなかった。

(65) 翌八日の始業点呼に際し、木村は、一分遅参し、呼名に返答せず、点呼後の体操をしなかった。

(66) 同月一〇日午前八時三〇分からの点呼に際し、木村は、橋本、鈴木、黒羽ら四名は、一分遅参し、大竹当直助役の呼名に対し、聞きとれないような返事をしたり、大声でふざけた返事をした。右点呼において、首席助役が国鉄体操を励行するように指示したが、木村を含む国労所属の職員二五名は、右指示に従わず、二階検修員室に戻ったので首席助役らは同室に赴き、体操をするよう再度指示したが、木村らは、これに応ぜず、自席に座っていた。体操終了後、首席助役が上遠野、遠藤(一)に近づいて、当日の作業指示をしていたところ、木村、田谷、黒羽が首席助役に近づき、同助役を取り囲んだので、同助役は、右原告らに対し君達に関係がないと話したところ、木村は、首席助役に対し「泥棒するなよ。」、「このカメ。」、「赤タオルを返せ。」と暴言を吐きながら詰め寄り抗議した。

なお、赤タオルというのは、赤地のタオルに「'84春闘勝利」と白抜きしたものを木村、上遠野、遠藤(一)ら国労所属の職員が検修員室の机の上に広げたり、窓際に掛ける等していたので、管理者は、再三にわたり取り除くよう注意していたが、聞き入れなかった。

そこで、管理者が赤タオルを取り外し折りたたんで各自の机の上に置いておくのであるが、また、その掲示を繰り返し行うので、やむを得ず管理者において取り除いた赤タオルを保管していたものである。

(67) 翌一一日、木村は、始業点呼後の体操をしなかった。

(68) 同月一五日の始業点呼に際し、木村は、呼名に対し低い声で返答し、点呼後の体操をしなかった。

(69) 一六日の始業点呼に際し、木村は、呼名に対し小さい声で返答し、点呼後の体操をしなかった。

(70)〈1〉 翌一七日の始業点呼に際し、木村は、一分遅参し、点呼後の体操をしなかった。

〈2〉 同日午前一一時四九分ごろ、検修員室において、上遠野は勤務時間中であるのに自席で昼食を取り始めたので、居合わせた総務助役が再三にわたり、食事をやめるよう注意したが従わず、側にいた田谷が、「否認してんだものいいべ。」と反撥した。また、一一時五四分に木村、遠藤(一)、佐藤(浩)、取下前原告富塚、黒羽、鈴木、藤田も総務助役の再三の制止も聞き入れず昼食を取り始めた。

(71) 同月一九日の始業点呼に際し、木村は、一分遅参し、呼名に対し小さい声で返答し、点呼後の体操をしなかった。

(72) 翌二〇日の始業点呼に際し、木村は、一分遅参し、呼名に対し小さい声で返答し、点呼後の体操をしなかった。

(73) 同月二三日の始業点呼に際し、木村は、一分遅参し、呼名に対し遅れて小さい声で返答し、点呼後の体操をしなかった。

(74)〈1〉 同月二六日の始業点呼において、木村は、呼名に対し小声で返答し、点呼後の体操をしなかった。

〈2〉 同日午後三時二〇分ごろ、木村は、巡回中の首席助役に対し、「首席。ピットに水が入るから安全白線の清掃をやめろ。」と言いながら、小走りで同助役に近づき、激しい口調で「俺の作業が出来ない。止めさせろ。」と抗議した。首席助役が見ると、通路と貨車検修区域とを区分する安全白線の清掃作業を請負っている東北鉄道整備株式会社の社員が、貨車の検修作業に支障のないよう右白線を水洗いしていたが、貨車の検修作業には差し支えないので作業はできる旨木村に告げたところ、同人は、「なに言ってる。早く中止しろ。」と首席助役に詰め寄った。その場にいた上遠野も首席助役に近づき「いつまでやらしておくんだ。この馬鹿野郎。」と暴言を吐いた。田谷は、その近くで野球バットで素振りをしていたので首席助役が注意しても「ウルサイ。」と注意を無視し、素振りを続けた。

(75)〈1〉 翌二七日午前八時三〇分からの始業点呼に際し、木村は、円谷ら国労所属の職員一〇名とともに一分遅参したが、紺野当直助役の呼名に対し、木村、田谷らは、同助役に聞きとれないような低く、かつ小さい声で返事し、近、吉田(紳)、円谷、橋本は返事をしなかった。呼名の後、区長が当日職場規律の指導のため管理局から職員が派遣されている旨紹介したところ、近らは、「今日は仙台局から偉い人がきているので、チャイムを早く鳴らしたべ。」と騒ぎ始め、これに同調する円谷は、「一方的に点呼時間を変更ができるのか。」、「労働条件の変更だべ、この。」、「赤字の責任とって辞めろ。」等の暴言を吐き点呼は中断した。当日のチャイムが早く鳴ったのは、前日チャイムが故障し、その修理をしたが、その際の調整誤りによるもので、正確でなかったことによるが、点呼は、紺野当直助役の所持する整正されている時計をもって八時三〇分に正常に開始されており、区長がその旨を、国労所属の職員に対し告げたが、木村、円谷らは聞き入れようとせず、点呼場は騒然となり、点呼が遅れるに至った。また、木村は、点呼後の体操をしなかった。

〈2〉 木村は、同日午後一時三〇分ごろ、交番検査作業に従事すべきであったが、検修庫一階の電気試験室の長椅子に深く腰を掛け、脚を机の上にあげて眠っている状態であったので巡回中の区長が注意したところ、同人は、「疲れているんだ。」、「かまねんでねえが。」と反抗した。

なお、その場にいた橋本も「疲れているんだ。」と言って、区長に抗議した。

(76) 翌二八日午前八時三〇分からの始業点呼に際し、木村は、一分遅参したが、大竹当直助役の呼名に対し、聞きとれないような返事であったので大竹助役が大きな声で返事をするよう注意したのに対し、同人は、「大きな声出してねえのはお前らだべ。」と暴言を吐いて点呼を妨害した。

なお、その際近も呼名されると、返事をしないで、大竹助役の訛に難くせをつけ、「ひょういちでねえ。そんなの聞えっか。」と暴言を吐いて、点呼を妨害をした。そして、右点呼において、区長が傷害事故防止職場相互診断の結果について伝達中、近は、「三六項目でね。三八項目だ。」、「何回も聞いた、馬鹿野郎。」と暴言を吐いたが、区長が手待時間を利用しての安全教育の実施を提案すると、田谷は、「一四時ちゃなんだ。なんでもやれんのか。」と大声で叫ぶと、上遠野も、「ふざけたこと言ってんな。」と騒ぎだし、木村を含む国労所属の職員が口々に、「馬鹿言ってんな。」、「デタラメ言うな。」等と暴言を吐き、点呼を妨害したため点呼は中断せざるを得なかった。また、木村は、点呼後の体操をしなかった。

(77)〈1〉 翌二九日の始業点呼に際し、木村は、一分遅参し、呼名に対し返答せず、点呼後の体操をしなかった。

〈2〉 同日午前三時四五分ころ、木村は、橋本、上遠野、鈴木とともに、勤務時間中であるのに倉庫東側入口で花火遊びをしていた。これを発見して、現場に駆けつけた総務助役及び首席助役が再三にわたり花火遊びを止めるよう注意して、ようやくやめた。

(78) 同月三一日の始業点呼に際し、木村は、一分遅参し、呼名に対し返答せず、点呼後の体操をしなかった。

(79) 翌九月一日の始業点呼に際し、木村は、一分遅参し、点呼後の体操をしなかった。

(80) 同月三日の始業点呼に際し、木村は、一分遅参し、呼名に対し返答せず、点呼後の体操をしなかった。

(81)〈1〉 翌四日午前八時三〇分からの始業点呼に際し、木村は、一分遅参し、国鉄体操にも参加しなかった。

〈2〉 同日午前一一時五〇分ごろ、木村は、鈴木、黒羽、高橋(敏)、影山、阿部、藤田とともに検修員室の自席に座っていたが、木村は、鈴木とともに勤務時間中であるのに早昼食をはじめた。それを、巡回中の総務助役が再三にわたって制止したが、木村は、「否認したんだものいいべ。」と言いながら食事をとることを止めなかった。

(82) 翌五日午前八時三〇分からの始業点呼において、木村は、一分遅参し、宗像当直助役の二回の呼名に対し、返事をしなかった。

右点呼において区長が『余剰人員の活用』、『直営店舗職員の募集』について伝達中、木村は、区長に対し、「自分で行ってこ。」と騒ぎだし、これに同調する上遠野は、「余計なこと言ってんな。」と、近及び田谷らも口々に「首席行ったらいいべ。」等と野次をとばし、点呼場は騒然となった。また、木村は点呼後の体操をしなかった。

(83) 同月七日の始業点呼に際し、木村は、一分遅参し、呼名に対し、「オー。」と返答し、点呼後の体操をしなかった。

(84)〈1〉 同月九日の始業点呼に際し、木村は、一分遅参し、呼名に対し返事をしなかったし、点呼後の体操をしなかった。

〈2〉 同日午前一一時四八分ごろ、木村は、検修員室において勤務時間中であるのに、昼食をとりはじめ、巡回中の首席助役の注意も聞き入れなかった。同人に同調した田谷、遠藤(一)も、同一一時五一分から昼食をとりはじめ、首席助役の制止の注意も聞き入れなかった。

〈3〉 同日午後五時ごろ、検修員室で行われた終業点呼に際し、木村及び橋本は上半身裸で自席に着席していた。右点呼に立ち会った首席助役が上衣を着けて点呼を受けるように注意したが、同人らは、この注意に従わなかった。

(85) 同月一一日の始業点呼に際し、木村は、一分遅参し、点呼後の体操をしなかった。

(86)〈1〉 翌一二日の始業点呼に際し、木村は、一分遅参し、呼名に対し小声で返答し、点呼後の体操をしなかった。

〈2〉 同日午前一一時五三分ごろ、木村は、田谷、上遠野及び黒羽とともに、勤務時間中であるのに、昼食をとっていた。巡回中の検修助役が食事を止めるよう注意すると、木村は、同助役をにらみつけ、顔を見るのもいやだという態度をとりながら、食事を中断した。

(87) 翌一三日の始業点呼に際し、木村は、一分遅参し、呼名に対し返答せず、点呼後の体操をしなかった。

(88)〈1〉 同月一七日の始業点呼に際し、木村は、一分遅参し、呼名に対し返答せず、点呼後の体操をしなかった。

〈2〉 同日午前一一時五三分ごろ、木村は、検修員室の自席で勤務時間中にもかかわらず、昼食をとりはじめた。巡回中の首席助役が食事を止めるよう注意すると、しぶしぶ食事をとることを中断した。

(89) 翌一八日の始業点呼に際し、木村は、一分遅参し、呼名に対し小声で返答し、点呼後の体操をしなかった。

(90) 翌一九日の始業点呼に際し、木村は、一分遅参し、呼名に対し小声で返答し、点呼後の体操をしなかった。

(91) 翌二〇日の始業点呼に際し、木村は、呼名に対し小さい声で返答し、点呼後の体操をしなかった。

(92) 同月二二日、木村は、始業点呼後の体操をしなかった。

(93) 同月二五日の始業点呼に際し、木村は、一分遅参し、呼名に対し小さい声で返答し、点呼後の体操をしなかった。

(94) 翌二六日の始業点呼に際し、木村は、一分遅参し、呼名に対し小さい声で返答し、点呼後の体操をしなかった。

(95) 同月三〇日の始業点呼に際し、木村は、一分遅参し、呼名に対し小さい声で返答し、点呼後の体操をしなかった。

(96) 翌一〇月一日の始業点呼に際し、木村は、一分遅参し、呼名に対し小さい声で返答し、首席助役及び区長が連絡事項を伝達中、近が「交番間違ってねえな。間違いねえべ。」、「現場長ねえべ。」、「現場長のヘルメットなんだ。」、「同じこと毎日言ってんな。」等と、上遠野が「人のヘルメットかぶって、いきばってんなよ。」等と点呼妨害の発言をしたのに対し、木村は、これに同調して、笑い声をたて点呼場を騒がせ、妨害した。また、同人は、点呼後の体操をしなかった。

(97)〈1〉 同月三日の始業点呼に際し、木村は、一分遅参し、呼名に対し小さい声で返答し、点呼後の体操をしなかった。

右点呼において区長が『国鉄の改革と職員の意識の改革について』訓示中、木村は、「区長はやめるんだから人のこと心配しんな。」等と発言をして点呼を妨害し、点呼後の体操をせずに他の国労所属の職員とともに検修員室に引きあげたため、これら職員に体操するよう指導するため、同室に行った区長らに対し、木村は、円谷、田谷、遠藤(一)、近らとともに、「体操は下でやれ。いやがらせしんな。」等と暴言を吐き、飯田は「仕事をしない区長は体操やれ。」等と発言して体操の指導に従わなかった。

〈2〉 木村は、同日午前一一時五三分ごろ、検修員室の自席で勤務時間中であるのに、昼食を始めた。巡回中の首席助役が食事を止めるよう注意したところ、同人はしぶしぶ食事を中断した。

(98) 翌四日の始業点呼に際し、木村は、一分遅参し、点呼後の体操をしなかった。

(99)〈1〉 翌五日の始業点呼に際し、木村は、一分遅参し、呼名に対し小さい声で返答した。そして、他の国労所属の職員とともに点呼後の体操をせずに、検修員室に戻り、同室に赴いて体操をするよう指導した区長の注意を無視し、自席で新聞を読んでいた。

〈2〉 同日午前八時五一分ごろ、作業開始時刻が過ぎたのに、検修庫内で当日非番の佐藤(正)が勤務につくべき上遠野及び遠藤(一)と話し込んでいたので、首席助役及び総務助役が仕事に関係のない者は帰るよう注意したところ、佐藤(正)は、「自分の職場に来てなにが悪い。」、「馬鹿、ねぼけてんな。」と暴言を吐いた。宗像助役が佐藤(正)に「巻き添えにするなよ。」と注意すると、同人は、「なに言ってんだ。生意気言うな。この。」と同助役に詰め寄り、傍にいた上遠野も、「なに。巻き添えにすんなだと。生意気言うな。この。」、「後で話つけっかんな。」とすごんだ。この様子を見ていた作業中の木村は、その場に駆け寄り「おめらなにやってんだ。」と抗議に加わり、橋本は首席助役に向かって、「おめらなんだ。このカメ助役。」等と暴言を吐いた。

首席助役は、勤務時間中の原告らに対し、作業に就くように注意したが聞き入れず、同九時二分ごろ佐藤(正)が「赤字は労働者がつくったんでねー。」、「お前らが一番先にやめろ。」等と抗議して帰ったので騒ぎは納まった。

(100)〈1〉 同月七日午前八時三〇分からの始業点呼に際し、木村は、一分遅参し、呼名に対しても小さい声で返事し、管理者の指示による点呼後の体操もしなかった。

〈2〉 同日午前一一時五〇分ごろ、検修員室の自席で木村は、高橋(敏)、田谷、遠藤(一)、阿部、佐藤(浩)とともに、勤務時間中であるのに昼食をとり始め、巡回中の首席助役が注意しても、これを無視して食事を続けた。

(101) 翌八日の始業点呼に際し、木村は、一分遅参し、呼名に対し小さい声で返答し、点呼後の体操をしなかった。

(102) 翌九日の始業点呼に際し、木村は、一分遅参し、呼名に対し小さい声で返答し、点呼後の体操をしなかった。

(103) 同月一一日の始業点呼に際し、木村は、一分遅参し、呼名に対し低い声で返答し、点呼後の体操をしなかった。

(104) 翌一二日の始業点呼に際し、木村は、一分遅参し、呼名に対し小さい声で返答し、点呼後の体操をしなかった。そして、午前八時五〇分作業時間となったのに、検修員室において木村は、上遠野、遠藤(一)とともに区長に対し、当局が柳橋職員に対してした八月五日のスト参加の誤処分に対し執拗に抗議し、作業に就かなかった。

(105)〈1〉 同月一四日も、木村は、午前八時三〇分からの始業点呼に際し、一分遅参し、呼名に対して小さい声でしか返答せず、体操もしなかった。

〈2〉 同日午前一一時二〇分ごろ、首席助役が上遠野、遠藤(一)に当日の作業として指示してあった、検修庫内七、八番線間の中央床面に八〇センチ角位の大きさに白ペンキで書かれた「首切反対」の落書きの消去作業が進まないため、同人らに早く作業をするよう指示していたところ、当日交検班であった木村が首席助役に近づき「手本を示してみろ。」、「賃金カットしか能がないんだべ。」等と激しい口調でどなりながら、同助役に詰め寄ってきて、「監視労働をするな。」と抗議した。

〈3〉 同日午前一一時五〇分ごろ、木村は、遠藤(一)、田谷、佐藤(浩)、富塚、黒羽、鈴木、影山とともに、勤務時間中であるのに昼食を始め、巡回中の首席助役が制止しても聞き入れず、食事をとり続けた。

(106)〈1〉 同月一六日も木村は、午前八時三〇分からの始業点呼に一分遅参し、国鉄体操もしなかった。

〈2〉 同日午前一一時五二分ごろ、検修員室の自席で田谷が勤務時間中であるのに昼食をとり始めたので、巡回中の総務助役が制止したがこれを無視して食事をとり続けた。これを見た木村も昼食をとり始めたので、同助役が注意すると、「自分の弁当食ってなにが悪い。ぐずぐず言ってんな。」等と反撥し、食事を続けた。近も早昼食をとり始めた。総務助役が再度注意したところ、木村は、「余計なこと言ってんな。」等と反撥し、食事を止めなかった。

(107)〈1〉 翌一七日も木村は、午前八時三〇分からの始業点呼に一分遅参し、呼名に対しても小さな声で返事し、体操にも参加しなかった。

〈2〉 同日午前一一時五三分ごろ、検修員室で木村は、田谷、富塚、鈴木とともに勤務時間中にもかかわらず、それぞれの自席で早昼食をとり始めた。巡回中の総務助役が注意したのに対し、木村は、「グズグズ言ってんな。」と反撥し、他の原告らとともに昼食をとり続けた。

(108) 同月一九日の始業点呼に際し、木村は、一分遅参し、呼名に対し小さい声で返答し、点呼後の体操をしなかった。

(109)〈1〉 同月二二日の始業点呼に際し、木村は、一分遅参し、呼名に対し返答せず、再度呼名された。また、点呼後の体操もしなかった。

〈2〉 同日午後五時から検修員室で行われた終業点呼において、区長が管内の交番検査をしなければならない貨車が多く、特にコキ車の交番検査待ちが構内に一八両もあるので、C'組(車両検査係一名、運転検修係一名)をつくり、検修一〇番で交換を実施する旨伝達したところ、上遠野は「検一〇で交検やるのは、労働条件だべ。団交守れ。ふざけんなこの野郎。」、「一方的に団交破ってよいのか。ふざけんな。」、「なんのために労働条件あんだ言ってみろ。」と騒ぎだし、佐藤(浩)は「団交に関係ないとはなんだ。」、「命綱なくしてどうやってやれるんだ。」と、木村も「お前らやっていることはなんだ。」と、田谷は「俺等仕事をしているんだぞ。」等と、佐藤(武)も「お前ら最低の管理者だぞ。」等と暴言を吐き、点呼を妨害した。

(110) 翌二三日午前八時三〇分からの始業点呼に際し、木村は、近、宗形、吉田(紳)、円谷、佐藤(啓)、橋本、田谷、影山、遠藤(一)、上遠野、佐藤(武)、黒羽とともに一団となって一分遅参して出席したが、紺野当直助役の呼名に対して、近、宗形、橋本、遠藤(一)、上遠野は小さい声で返答したので、同当直助役がしっかり返事するよう注意したのに対し、上遠野は、「聞えねなら点呼を二階でやれ。」、「軍隊ではないぞ。返事をしっかりしろとはなにか。」と、遠藤(一)も「二階でやれ。」等と反撥し、点呼を妨害した。そして、右点呼において区長が交番検査すべき貨車が多数局内で滞留しているので、検修庫の検修一〇番線を使って交番検査をすると伝達したのに対し、上遠野は、「団交確認守れ。団交でどうなったんだ。」、「お前、なにふざけているんだ。」、「団交守れと言っていんだ。」、「確認事項破ってなんだ。」、「一車減が問題なら、毎日多くやっている分はどうなんだ。」と騒ぎだし、遠藤(一)は、「二七両の交検が基本だべ。検九、一〇番線で交換をやらないと言ったのは誰なんだ。」等と発言し、円谷も「団交でなんと言ったんだ。」、「団交守れ。」と、木村、黒羽も「団交守れ。」と口々に繰り返し発言して点呼を妨害した。点呼に出席していた総務助役がこれらの発言をしている者らに対し、点呼妨害を止めるように注意したところ、田谷は「なにが点呼妨害だ。蛇。蛇。確認事項守れ。」と暴言を吐き、点呼を妨害した。

点呼終了した午前八時四一分体操を開始したが、木村を含む国労所属の職員は体操をしないで二階検修員室に戻ったので、区長、総務助役及び紺野助役が同室に赴き体操の指導をしたが、木村、影山、遠藤(一)、上遠野、田谷、黒羽、佐藤(武)らは、自席に腰をおろして、指導に応ぜず、区長らに対し、上遠野は、「自分らでデタラメやってなんだ。」、「年金なんぼもらうか。」、「そればかり考えていんだべ。」、「区長は長生きすると余されるぞ。」と遠藤(一)も「団交経緯守れ、答えられないべ。」、「抗議なんて言わず答えてみろ。」、「それしか言われないんだべ。答えてみろ。」、「団交守らねえから答えられないべ。」、「六〇年三月でなんと言ったんだ。答えられないべ。」等と発言し、木村、黒羽、田谷も口々に「団交やれ。」と抗議の発言を繰り返した。

なお、右原告らの発言中にある六〇年三月の団交事項とは、区の検修職員の定員四五名に対して、一日の交番検査両数は、二七両を標準とするとしたものである。当時、区には四五名を超える相当数の要員がおり、また、交番検査を要すべき貨車が多かった事情から、区の設備等を勘案し、それに見合った要員を配置したうえで三六両の検査を行ったものであって、団体交渉に違反するものではない。

(111) 翌二四日の始業点呼においても、木村は、円谷、上遠野、橋本、遠藤(一)、田谷ら国労所属の職員の一二名とともに一団となって一分遅れて参加し、呼名に対して、円谷、橋本、田谷、木村、佐藤(浩)らは、小さい声で返事をして点呼を妨害したが、その呼名中、上遠野、遠藤(一)は、口々に「寒くて返事もできない。」等と抗議したが、佐藤(浩)は、その場の状況を録音した。右点呼において区長が点呼の厳正な実施を伝達したのに対し、遠藤(一)は、「なに言ってんだ。八時三〇分出勤してっつお。」、「職場なくすのに、ここに来たんだべ。」、「騒いでいんな。なに言ってんだ。」、「体操やれやれって、おめーやったことないべ。一方的に言うな。」等と暴言を吐き、上遠野も「なに言ってかわがんねべ。聞えねべ。小声で一方的なこと言ってんな。」と、田谷は、「長町なくしたからだべ。なに言ってかわがんねべ。聞えねべ」と、円谷は、「馬鹿言ってんでねえ。」と、橋本も「関係ねえ、そんなこと現場長が悪いからだぞ。」等と口々に暴言を吐いて点呼を妨害した。

木村を含む国労所属の職員の一部が体操の指示に従わず、検修員室に戻ったので、区長と総務助役が体操の指導のために同室に赴いたところ、これらの職員は自席に着席していたが、木村、上遠野、田谷、遠藤(一)及び宗形は、同室にある出務表の否認の記載をみて、「八時三〇分まで出勤し、毎日否認されるのはおかしい。」と口々に区長らに対し抗議をした。その際、同室で始業点呼を行っていた当時、点呼執行者が使用していた同室中央部の西端にある机の前に立っていたところ、木村は、自席を立ち、同室の西側壁面の業務用掲示板の下に吊り下げて備え付けてある終業規則の冊子を取り外して、区長のすぐ右手前まで行き、就業規則を持った右手を区長の顔の高さまで振りあげ、これを区長の面前の机の上にたたきつけ、「それを読んでみろ。」と怒鳴った。

(112) 翌二五日の始業点呼においても、近、吉田(紳)、円谷、上遠野、遠藤(一)、影山、木村ら国労所属の職員一六名は一分遅れて出席し、呼名に対し、近、円谷、上遠野、遠藤(一)、木村、佐藤(浩)、阿部、黒羽は返事をせず、また、佐藤(武)は小声で返事して、点呼を引きのばすように妨害した。右点呼において、区長が出務表は、点呼場所に置くのが原則であるから、一一月一日から検修庫入口に置く旨を伝達したところ、円谷、上遠野、遠藤(一)らが口々に「団交でどうなってんだ。」、「ここは作業場所だぞ。」、「団交破んな、この。」等と抗議の発言をして点呼を妨害した。

点呼終了後、国労所属の職員の一部は、体操をしないで検修員室に戻ったので、区長及び総務助役が、同室に行くと、自席で黒羽は読書をしており、木村は新聞を読んでいたので、総務助役が読書等をやめて体操をするよう指導したのに対し、木村は「なにこの。」と反抗して新聞を読み続けた。

(113) 翌二六日の始業点呼に際し、木村は、一分遅参し、呼名に対し返答せず、注意されると「返事してっぺ二階でやれ。」等と反撥し、点呼において列車掛の実習の伝達に対し「列車掛なくなったべ。」等と発言し点呼を妨害した。また、点呼後の体操をしなかった。

(114)〈1〉 同月二八日の始業点呼においても、木村を含む国労所属の職員一四名は、一団となって一分遅れて参加し、呼名に対し橋本、上遠野、遠藤(一)、木村らは返事をせず、佐藤(浩)が小声で返事をして点呼をひきのばして妨害した。その点呼において、検修助役が連絡事項を伝達中、上遠野は、「寒い。寒い。」と連発し、遠藤(一)は、「二階でやったらいいべ。」と点呼を妨害する発言をした。区長が貨車の交検待車の状況について伝達していたとき、上遠野、遠藤(一)は口々に、「貨車交検あまっていると言ったべ。」と妨害する発言をし、さらに区長が点呼の厳正な執行について伝達しているとき、木村は、「点呼場所は詰所だべ。」と、橋本は、「こんな寒いところで呼名やってんな。」等と抗議して、点呼を妨害した。

点呼終了後、国労所属の職員の一部は、体操をせず検修員室に戻ったので、区長及び総務助役が、同室に行ったところ、円谷、阿部、田谷、高橋(敏)及び上遠野が自席で新聞を読んでいたので、区長らがやめて体操するよう注意したのに聞き入れず、高橋(敏)、木村、黒羽、佐藤(浩)、田谷らは、「国鉄のこして駄目なのか。」、「五千万人署名してなにが悪い。」、「おめえらが国鉄を潰すのか。」等と口々に繰り返して抗議した。

〈2〉 同日午後〇時一五分ごろ、区長室に近を先頭に、吉田(紳)、橋本、上遠野、高橋(敏)、遠藤(一)、影山、木村、鈴木、田谷、富塚、佐藤(浩)、阿部、黒羽、佐藤(武)が「話があんだけど。」と言いながら入室してきた。区長は、話があるのであれば個人面談を申し込み、個人でくるように指示し入室を拒んだが、右原告らは、区長室に入り込んだ。そこで午後〇時一七分区長は、右原告らに退去命令通告したがこれに応じなかった。そこで首席助役は、この状況を写真撮影しようとして、カメラを操作していたところ、佐藤(浩)は国鉄の機関紙『つばめ』を手でまるめて、カメラのレンズ部分に押し付けて撮影を妨害し、首席助役が再三妨害を止めるよう注意したが止めなかった。

また、田谷が区長の机上にあったメモを読んでいたので、区長が制止したが、同人がやめなかったので、同人の頭を手の平で後へ押して止めさせた。これをみていた高橋(敏)は「区長は暴力を振るったな。」、「人の頭なんだ。今の態度なんだ。」と騒ぎだし、上遠野も「ロクなこと出来ねから、涙出んだわ、コノ。」と、田谷は「おめ触ったのなんだ。」、「今の態度なんだ。」等と抗議を続けた。さらに総務助役が、退去通告が出ているので、抗議を止め退去するよう注意したのに対し、高橋(敏)は「団交守れ。だめ助役だもの。」、「おめーそれくらいしか出来ないべ。」、「おめー出たらいいべ。」等と、近は「あんまり勝手なことばかりやって皆んなに関係があるんだ。」、「なにやってんだおめら。」、「だめ助役だもの。」、「懲戒申請しか、何も出来ないのか。」等と、橋本は、「カメ、写真をとることは組合運動ではないのか。このカメ。」、「蛇には関係ないべ。」、「職員が区長室に入ってなにが悪いのだ。」等と、上遠野は「そだごとやっているから懲戒の申請しか出来ないのか。」等と、遠藤(一)は「ルールを守れ、団交を守れ。」、「やってんな。」等と、木村は「うるせーな、このなんだ。」、「生意気言ってんな。蛇。」等と口々に抗議を続け、狭い区長室内は騒然となり混乱状態となったが、この状態は午後〇時二四分、近が申入書を読みあげて引きあげるまで続いた。

(115)〈1〉 同月三〇日の始業点呼に際し、木村は、一分遅参し、呼名に対し返事をせず、点呼後の体操をしないで検修員室に戻ったが、区長らが同室に行き体操をするよう指導したがこれに従わず組合情報を読んでいた。

〈2〉 同日午前九時より検修庫内で行われた貨車脱線復旧訓練作業において、佐藤(浩)及び阿部が国鉄の規則及び管理者の指示に反して安全帽、安全靴を着用しないため、区長が同人らを作業から外したことについて、飯田ら国労所属の職員の一部が区長らに対し執拗な抗議行動をして、訓練を混乱させたことについては、前(一)(25)〈2〉で詳細に述べたとおりであるが、木村も当日は交検班に属していたが、その勤務時間の午前一〇時二三分から四〇分まで飯田らとともに区長を取囲み、抗議して前記訓練を混乱させた。

(116) 翌三一日の始業点呼に際し、木村は、一分遅参し、呼名に対し小さい声で返答し、点呼後の体操をしなかった。

(117)〈1〉 同年一一月二日の始業点呼に際し、木村は、一分遅参し、呼名に対し返答をせず、点呼後の体操をしなかった。

〈2〉 同日午前一一時四八分ごろ、木村が飯田らとともに検修員室において勤務時間中に昼食をとり、これを注意した総務助役に暴言を吐いたことは、前(一)(27)〈2〉に記載したとおりである。

(118) 翌三日、木村は、始業点呼後の体操をしなかった。

(119) 翌四日も木村は、始業点呼後の体操をしなかった。

(120)〈1〉 同月六日の始業点呼に際し、木村は、飯田らとともに一分遅参し、点呼中、連絡事項を伝達する区長に対し背をむけて反抗し、点呼終了後は、体操をせずに管理者の指導に従わず、二階検修員室に戻ったことは前(一)(29)〈1〉に記載したとおりであるが、木村は、右点呼における呼名に対して返事をしないで、点呼を妨害した。

〈2〉 同日午前一一時五二分ごろ、木村は、検修員室で飯田らとともに勤務時間中に昼食を始め、助役の制止を聞かなかったことについては、前(一)(29)〈2〉記載のとおりである。

(121)〈1〉 翌七日の始業点呼に際し、木村は、一分遅参し、呼名に対し小さい声で返答し、点呼後の体操をしなかった。

〈2〉 同日検修員室で午前一一時五〇分ごろ、黒羽が、同五二分ごろ、木村、高橋(敏)、鈴木、遠藤(一)、影山、佐藤(浩)が、勤務時間中であるのに各自の席で昼食をとり始めたので、居合わせた総務助役が食事を止めるよう注意したが、高橋(敏)は「否認したんだもの何やってもいいべ。」、「がだがだ言ってんな。」等と反撥して、原告らは食事をとることを止めなかった。

(122) 同月九日の始業点呼に際し、木村は、飯田らとともに二分遅れて参加し、呼名に対し小さい声で返答し、区長の伝達中に抗議の発言をして、点呼を妨害したことは前(一)(31)に記載したとおりである。また、点呼後の体操をしなかった。

(123) 翌一〇日の始業点呼に際し、木村は、一分遅参し、点呼後の体操をしなかった。

(124) 同月一二日の始業点呼に際し、木村は、一分遅参し、呼名に対し返答せず、点呼が終わらないうちに出口に向かい、点呼後の体操をしなかった。

(125) 翌一三日の始業点呼に際し、木村は、一分遅参し、呼名に対し返答せず、点呼後の体操をしなかった。

(126)〈1〉 同月一五日の始業点呼に際し、木村は、一分遅れて出席し、呼名に対し明確に返答をせず、点呼執行者に対し背中を向けて立った。その点呼において区長が連絡事項を伝達中、飯田らとともに区長の説明に揚足とりの発言を繰り返して点呼を妨害し、点呼終了後の体操の指導に従わず、検修員室に戻ったことは前(一)(35)〈1〉に記載したとおりである。

〈2〉 同日午前一一時一〇分ごろ、交検班の手待時間であった木村は、雑作業の勤務時間中の遠藤(一)とともに電気試験室で休んでいたが、これを注意した巡回中の首席助役に対し、暴言を吐いて抗議したことは、前(一)(35)〈2〉に記載したとおりである。

(127) 翌一六日の始業点呼に際し、木村は、二分遅参し、呼名に対し返答をしなかったが、その点呼において、検修助役が休暇日の希望について、申し込むのは、年休の希望日であって公休・非休の申込みでない旨を伝達したところ、同人は「なに言ってんだ。」、「労基法違反だべ。」等と、高橋(敏)は「公休・非休確定してないべ。」と、遠藤(一)も「違法行為やめろ。」と、佐藤(浩)は「非休・公休確定しろ。」と、上遠野も「公休・非休の申込みだべ、年休申込みってあっか。皆、土、日は休みだ。質問に答えろ。」等と口々に騒ぎだしたため、点呼場は騒然となり、点呼は中断せざるを得なかった。また、木村は点呼後の体操をしなかった。

(128) 同月一八日の始業点呼に際し、木村は、一分遅参し、呼名に対し返答せず、点呼後の体操をしなかった。

(129)翌一九日の始業点呼に際し、木村は、一分遅参し、前(一)(37)に記載の者らとともに、点呼執行者である大竹当直助役に背中を向けて、検修一〇番線に横一列に並んだが、同助役の呼名に対しても返答せず、同助役が再度呼名すると、田谷は「聞えないんだろう。点呼は二階でやれ。」と大声を出し、木村は点検摘発メモをとり、点呼を二階に移動しろという意味で「なんでできないんだ。」等と騒ぎだし、点呼を妨害した。また、区長が検修庫の一階工具室を改造して記録室にすると伝達したところ、円谷は「汚くて入れない。」と発言し、これに同調した木村らが騒ぎだし、点呼を妨害したため、点呼は再び中断した。そして木村は、点呼後の体操をしなかった。

(130)〈1〉 翌二〇日の始業点呼に際しても、木村は、飯田らとともに一分遅参し、同人らとともに点呼指定場所より三メートル北側に横一列に並び、点呼執行者に対し横向きの形となり、呼名に対しても返事をせず、点呼後の体操もしなかった。

〈2〉同日午前九時三五分ごろ、木村は、飯田らとともに作業時間中であるのに検修庫内の検修七番線に停留中の緩急車内で暖をとりながら雑談していたが、検修助役に注意されると、これに抗議したことは、前(一)(38)〈2〉に記載したとおりである。

〈3〉 同日午前一一時五一分ごろ、木村は検修員室で勤務時間中であるのに、昼食のラーメンを食べていたが、検修助役よりこれを注意されると、「なに言ってんだ。」と強い口調で反撥したが、しぶしぶ食事を中止した。

(131)〈1〉 同月二二日の始業点呼に際しても木村は、二分遅参し、呼名に対しても返事しなかったため、大竹当直助役は、再三にわたり呼名せざるを得なかった。また、木村は呼名されると遠藤(一)らとともに点呼執行者に対し、横向きとなり反抗する態度をとった。そして木村は、点呼後の体操をしなかった。

〈2〉 同日午後〇時一六分ごろ、木村は、区長室に飯田らとともに年休の申込みについての抗議のため入室し、区長の退室の指示に従わず、その後検修員室に席を移した区長、首席助役、総務助役及び検修助役に対し、暴言を吐いて抗議したことは前(一)(40)〈2〉に記載したとおりである。

(132)〈1〉 翌二三日の始業点呼にも、木村は、一分遅参し、呼名に対し返答せず、点呼後は指導に従わず、検修員室に戻った。

〈2〉 同日午前一一時四五分ごろ、木村は検修員室で田谷、黒羽、鈴木及び佐藤(啓)とともに、勤務時間中に昼食のラーメンを食べ始めた。巡回中の首席助役が右原告らに注意すると、木村は「どこが悪い。」と同助役をにらみつけながら抗議した。

(133) 同月二五日の始業点呼において、木村は、一分遅参し、呼名に対して返事をせず、区長の連絡事項の伝達中に円谷らとともに口々に騒いで点呼を妨害したことは前(一)(41)〈1〉に記載したとおりである。また、木村は、点呼後の体操をしなかった。

〈2〉 同日午後五時検修員室での終業点呼において、木村は、飯田らとともに、首席助役に年休申込みについて、暴言を吐きながら激しく抗議したことは前(一)(41)〈2〉に記載したとおりである。

(134)〈1〉 翌二六日の始業点呼においても、木村は、一分遅参し、呼名に対し返答をしなかった。また、点呼後の体操の指導にも従わず、検修員室に戻り、自席で茶を飲んだりしていたが、その場に赴いた区長らの体操をするようにとの指導に応じなかった。

〈2〉 同日午後三時ごろ、木村は、検修庫ボイラー室南側の駐車場において、勤務時間中であるのに、自己所有の自動車にジャッキを掛け、スパイクタイヤを普通タイヤに取り替えていた。巡回中の首席助役が注意したところ、同人は「見ればわかっぺ。」と右助役の注意を無視して取替作業を続けたので、同助役が再度注意すると、同人は「どうせ否認するんだべ。」、「最低の管理者だ。」と抗議しながらタイヤ取替作業が完了するまで続けた。

(135) 翌二七日の始業点呼に際し、木村は、二分遅参し、呼名に対し返答せず、点呼後の体操をしなかった。

(136) 翌二八日も木村は、始業点呼後の体操をしなかった。

(137) 同月二九日の始業点呼に際し、木村は、二分遅参し、呼名に対し返答せず、点呼中メモとりをし、点呼後の体操をしなかった。

(138) 同年一二月二日の始業点呼に際し、木村は、一分遅参し、呼名に対し返答せず、点呼後の体操をしなかった。

(139) 翌三日の始業点呼に際し、木村は、一分遅参し、呼名に対し返答せず、点呼後の体操をしなかった。

(140) 同月五日の始業点呼に際し、木村は、二分遅参し、呼名に対し返答せず、点呼後の体操をしなかった。

(141)〈1〉 翌六日の始業点呼において、木村は、一分遅参し、呼名に対しても返答せず、また、体操の指導にも従わなかった。

〈2〉 同日午後二時一五分ごろ、首席助役が検修員室で翌七日分の作業分担表の名札掛をしていたところ、木村は、上遠野、高橋(敏)らとともに同助役に近づき、口々に「非休・公休を申し込んだのに、年休を入れて。年休を取り消せ。出勤するぞ。」と激しく抗議した。首席助役は、職員が休みの時季指定ができるのは、年休だけであるから、年休申込簿で休みの申込みがあれば、年休の申込みがあったものとして業務計画をたてるので、年休が不要となったときは、その理由を区長に申し出れば、それによって年休取消の可否を判断すると説明したところ、上遠野、高橋(敏)は、年休カードを首席助役が掛け替えている作業分担表の上に執拗に押しつけ、同助役の作業の妨害をするとともに「年休は申し込んでいない。」と語気荒く抗議した。また、木村も「一二月二四日の年休とらない。出勤するぞ。」と激しく抗議し、同助役の業務を妨害した。

(142) 同月九日の始業点呼に際し、木村は、一分遅参し、呼名に対し返答せず、点呼後の体操をしなかった。

(143) 翌一〇日の始業点呼に際し、木村は、三分遅れて煙草を喫いながら出席したので、管理者が注意すると、「二九分に到着したべ。」と反撥した。そして点呼後の体操をしなかった。

(144)〈1〉 翌一一日の始業点呼に際し、木村は、一分遅参し、呼名に対し返事をせず、また、点呼終了後の体操の指導にも従わなかった。

〈2〉 同日午前一〇時ごろ、木村は、手待時間であったが、検修員室において、巡回中の首席助役に佐藤(正)らとともに近づき「一二月一四日の年休を取り消せ。」と執拗に迫り、佐藤(正)もこれに同調して、「高橋敏夫君、木村君の年休を取り消せ。」と抗議し、同助役の業務を妨害した。

(145) 同月一三日の始業点呼に際し、木村は、一分遅参し、呼名に対し返答をせず、点呼後の体操をしなかった。

(146) 翌一四日の始業点呼に際し、木村は、一分遅参し、呼名に対し返答せず、点呼後の体操をしなかった。

(147) 翌一五日の始業点呼に際し、木村は、一分遅参し、呼名に対し返答せず、点呼後の体操をしなかった。

(148) 同月一七日の始業点呼に際し、木村は、一分遅参し、点呼後の体操をしなかった。

(149) 翌一八日の始業点呼に際し、木村は、円谷ら国労所属の職員一二名とともに一分遅参し、呼名に返答せず、首席助役が点呼に遅れないように注意したのに対し、円谷、佐藤(正)、高橋(敏)らは「寒いぞ。」、「点呼場所の変更は団交でやれ。」、「労働条件の変更だべ。」、「差別されて、おめえらの言うこと聞いていられっか。団交やれ。」と口々に暴言を吐いて、点呼を妨害した。右点呼に出席した仙台鉄道管理局の伊藤運転車両部長が訓示をしているとき、円谷は「盛工はなんでなくなった。」と、木村は「早く出向に行ったらいいべ。」、「でたらめ言ってんな。」と高橋(敏)は「新幹線で水三倍払ったべ。何で貨車なくなった。」等と暴言を吐いて、点呼を妨害した。また、区長が職員のアンケート調査について伝達したのに対し、高橋(敏)は「国会で決まってねえのになんでやんだ。分割民営決まってねいのになんだ。」と、橋本は「国会で決まってからやれ。」と抗議し、これに同調した田谷も「本当だもの。」と発言する等して、点呼を妨害した。そして、木村は点呼後の体操をしなかった。

(150)〈1〉 同月二〇日の始業点呼においても、木村は、一分遅参し、呼名に対して返答をせず、体操の指導にも従わなかった。

〈2〉 同日、木村は交検班に属しており、検九番線における交番検査も担当していたが、緩慢な作業をしており、とくに午後一時三〇分から午後二時一〇分までの作業時間には、立ったままで全く作業をしていなかった。そこで首席助役が同人に、九番線の交検車に早く取りかかるよう再三指示をしたが、同人はその度に「寒い。暖房をおくれ。」等と騒ぎたて、同人に同調した橋本、影山、黒羽、佐藤(武)、高橋(敏)らも騒ぎたてて首席助役の指示に従わなかった。

(三) 原告円谷の非違行為(他の原告と関連する非違行為も含む。)

(1) 昭和六〇年四月五日午前一一時四〇分ごろ、円谷は、検修庫の検修一〇番線で国鉄の規則及び平常からの管理者の指示に違反し、安全帽を着用しないで、作業をしていた。巡回中の首席助役から安全帽を着用するよう注意されたが、同人は、同助役に「新田区長の人間性のないところで働いていないで出向しろ。」と暴言を吐いて右注意に従わなかった。

(2) 同月九日午前八時四六分ごろ、検修員室において、首席助役が上遠野に対して当日の作業として交検票の書換作業を指示していたところ、円谷は、突然同助役に近づき、大声で「上遠野を作業に就かせろ。」と怒鳴り、上遠野に貨車検修作業をさせないことについて執拗に抗議をして、同助役の業務を妨害した。

(3) 同月一一日の始業点呼において、当直助役の呼名に対し、阿部の返答が小さく、再度呼名したところ、飯田らが騒ぎだし、点呼を妨害したことは、前(一)(5)で記載したところであるが、区長が静粛にするよう注意したのに対し、上遠野、佐藤(正)らは「区長らしく落ち着け。出勤の確認は出勤簿に印を押しているべ。」と暴言を吐き、高橋(敏)は「区長、首席が、がん首を揃えてなんだ。」と野次り、呼名に対して点呼執行者に背を向けて「オー。」と反抗的な返事をしたが、円谷は「区長のファシスト。」等と暴言を吐き、黒羽も「上遠野さんを作業につけろ。」と抗議し、点呼を妨害した。

(4)〈1〉 同月一五日の始業点呼において、区長が円谷及び飯田の担務について同年五月一日からハンプ貨車仕業に変更する旨通告したところ、円谷は「昼休みに抗議に行くべ。抗議やっぺ。」等と区長を威圧して抗議したことは、前(一)(6)〈1〉に記載したとおりである。

〈2〉 同日午前一一時三五分ごろ、検修員室において巡回中の区長に対し、円谷が「区長、現場にドロボーがいる。区長はドロボーをしたべ。」等と発言し、他の原告らとともに騒ぎたて、同室を騒然とさせ、かつ区長の業務を妨害したことは、前(一)(6)〈2〉に記載したとおりである。

(5) 同月二〇日午前八時四五分ごろ、検修員室において国労所属の職員が国労のワッペンを着用していた。そこで首席助役がワッペン着用は服装違反だから取り外すよう注意したところ、円谷は、同助役に対し突然大声で「組合干渉はやめろ。」と抗議し、同助役の業務を妨害した。

(6) 同月二二日の始業点呼において、国労所属の一部の職員の態度が悪かったので、管理者がこの状況を写真に撮ろうとした際、円谷は「断りもなく写真を撮るのは権利侵害だべ。」等と発言し、他の原告らとともに騒いで点呼を妨害したことは、前(一)(8)に記載したとおりである。

(7) 同月二四日の始業点呼において、区長が、在室していた当日休みの飯田の退室を求めたのに対し、同人が退室せずに騒ぎとなった際、円谷が区長に対し「暴力区長。」等と暴言を吐き、またワッペンの着用を注意されるや、総務助役に対し「組合干渉やめろ。仕事に就くわけにはゆかない。ぐずぐず言っていんな。」等と暴言を吐いて点呼を妨害したことは、前(一)(10)に記載のとおりである。

(8) 翌二五日午後〇時二一分ごろ、円谷は、飯田ら二〇名とともに、事務室に入り、制止されたのに同室で事務打合せ中の区長を取り囲み、前日の始業点呼についての抗議をしたが、その際「暴力行為はなんだ。」等と発言し、同区長らの業務を妨害した。

(9) 同年五月一一日午後〇時一七分ごろ、円谷は、近ら国労所属の職員約一五名とともに区長室に入室した。区長が面談を拒んでいるのに、近は、始業点呼時間及び場所の変更について抗議する申入書を区長に提出したので、区長は、この点について当局の見解を示したうえ同二〇分退去命令を出したが、右原告らは同二五分まで退去しなかったこと及び円谷は当日ハンプ仕業検査班に属していたが、外出簿に記載せずに外出していたので、このことを区長より注意されると、飯田とともに「なに言ってんだ。休憩時間だぞ。」、「よく覚えておけ。」等と抗議したことは前(一)(15)に記載のとおりである。

(10) 同年七月二〇日午後一時二八分ごろ、ハンプ貨車仕業詰所において、巡回中の首席助役が、渡辺検査長より作業状況について報告を聞いていたところ、長椅子で腰を下ろしていた円谷は、突然同助役に対し同年八月の担務を郡山工場派出勤務と指定されたことについて、「八月分交番でたらめやんな。」、「おめーらのドレイであるまい。」と怒鳴りだし、「交番は了解をとってから行なえ。」と激しい口調で抗議した。首席助役は、同人に対し交番の指定は管理運営事項であるが、特別の事情があるときは、配慮していると説明したが、同人は、「俺らはドレイでない。人をなんだと思っている。」等と、強い口調で捨てぜりふをはいて退室し、同助役の職務を妨害するとともに、職場の規律を乱した。

(11) 同月二三日ハンプ貨車仕業詰所において、飯田が勤務時間中であるのに、首席助役の制止を聞かないでテレビを見ようとしたこと等については、前(一)(20)に記載したところであるが、その際同室にいた円谷は、勤務時間中であるのに執務机の上で国労関係の新聞を切り抜き、スクラップ帳に整理していた。

(12) 同年八月一日の始業点呼において、円谷は、国労のワッペンを着用して一分遅参したが、呼名に対しても小声で返事をした。

(13) 翌二日の始業点呼においても、円谷は、国労のワッペンを着用して一分遅参し、呼名に対しても小声で返事をした。

(14) 同月六日の始業点呼において、円谷は、一分遅参し、体操をするようにとの指導に従わなかった。

(15) 翌七日の始業点呼に際しても、円谷は、一分遅参し、呼名に対し小声で返答し、注意されたが、区長の連絡事項の伝達中に上遠野らが暴言を吐いたのに同調し、「答えられないべ。」等と発言し、呼名を妨害し、体操の指導に従わなかった。

(16) 翌八日の始業点呼に際しても、円谷は、呼名に対し返事をせず、また、体操もしなかった。

(17) 翌九日も、円谷は、始業点呼後の体操をしなかった。

(18) 同月一二日、円谷は、始業点呼後の体操をしなかった。

(19) 翌一三日の始業点呼に際し、円谷は、三分遅参し、点呼後の体操をしなかった。

(20) 翌一四日の始業点呼に際して、円谷は、一分遅参した。

(21) 翌一五日も、円谷は、始業点呼後の体操をしなかった。

(22) 翌一六日も、円谷は、始業点呼後の体操をしなかった。

(23) 同月一九日の始業点呼に際し、円谷は、一分遅参し、点呼後の体操をしなかった。

(24) 同月二一日の始業点呼に際し、円谷は、呼名点呼が終わった午前八時三三分ごろ出席し、三分遅参したが、点呼終了後の体操をしなかった。

(25) 翌二二日の始業点呼に参し、円谷は、一分遅参し、呼名に対し返答をせず、また、点呼後の体操をしなかった。

(26) 翌二三日の始業点呼に際しても、円谷は、一分遅参し、点呼後の体操をしなかった。

(27) 同月二六日の始業点呼に際し、円谷は、三分遅参し、呼名に対し返答をせず、点呼後の体操をしなかった。

(28) 翌二七日の始業点呼に際し、円谷は、一分遅参し、呼名に対し返答をせず、点呼中「一方的に点呼時間を変更できるのか。」、「労働条件の変更だべ。」、「赤字の責任をとってやめろ。」等と再三にわたり発言し、点呼を妨害したことは、前(二)(75)〈1〉に記載したとおりである。

(29) 翌二八日の始業点中(ママ)に、円谷は、「一四時ちゃあなんだ。なんでもやれんのか。」と発言し、点呼を妨害したことは、前(二)(76)に記載したとおりである。また、点呼後の体操をしなかった。

(30) 翌二九日の始業点呼に際しても、円谷は、一分遅参したが、呼名に対して返答をせず、区長が障害事故の防止について訓示していたところ、同人は、「人間なんだからな。」、「安全帽、安全靴と言うな。」と大声を発し、近も「やめろ。あとから知らせたらいいべ。」と、上遠野は、「なに言ってんだ。合理化のしわよせだ。」と発言して点呼を妨害した。また、円谷は点呼後の体操もしなかった。

(31) 翌三〇日の始業点呼に際しても、円谷を含む国労所属の職員一〇名が一団となって、一分遅れて出席したが、円谷は、呼名に対し返事が聞こえないような小声だったので、点呼執行者は、同人の所在を確かめるために、二、三歩移動しなければならなかった。点呼執行者が遅参の連絡のあった職員の呼名をしなかったところ、近は「横山仁君の呼名しねーべ。」と、また遠藤(一)は「名前呼んだらいいべ。」等と発言し、点呼を妨害した。しかして、円谷は、点呼中に国労の分会情報を読んでいたので、区長が注意すると「グダグダ言ってんな。それも同じだべ。」と反撥した。また、区長が連絡事項を伝達していると、田谷は「新幹線しかないんだべ。」と妨害発言をしたので、区長が点呼中の妨害は否認とすると通告したところ、橋本は「言ってんなよ。」等と、上遠野は「それしか言えないのか。」、「やかましい。」等と暴言を吐いて点呼を妨害した。

(32) 同年九月二日の始業点呼に際し、円谷は、一分遅参し、点呼後の体操をしなかった。

(33) 翌三日の始業点呼に際しても、円谷は一分遅参し、呼名に対し小声で返事したため、再度呼名しなければならなかった。また、点呼後の体操をしなかった。

(34) 翌四日の始業点呼に際しても、円谷は、一分遅参し、点呼後の体操をしなかった。

(35) 翌五日の始業点呼に際し、円谷は、一分遅参し、呼名に対し返答をせず、また、点呼後の体操をしなかった。

(36) 翌六日の始業点呼に際しても、円谷は、二分遅参し、呼名に対し返答をしなかった。区長が『申出による休職の状況について』伝達している最中に、同人は「一方的になんでもできるのか。」と大声で発言し、点呼を妨害したが、さらに区長が『安全成績一〇〇点達成について』の話しをしていると、遠藤(一)、田谷は「なに言ってんだ。怪我したのは当たり前だべ。」等と反撥し、点呼に遅れないようにと注意をしたのに対し、上遠野は「八時三〇分出勤している。ふざけんな。」と、橋本も「なに言ってんだ。」と暴言を吐いて点呼を妨害した。また、円谷は点呼後の体操をしなかった。

(37) 同月九日の始業点呼に際しても、円谷は、一分遅参し、呼名に対し返答をせず、点呼後の体操をしなかった。

(38) 翌一〇日の始業点呼に際しても、円谷は、二分遅参し、呼名に対し聞き取れないような小声で返答した。検修助役が仙台運転所で実施された『第二回障害事故防止相互診断』について伝達中、円谷は、野次をとばして騒ぎたて、これに同調した橋本、佐藤(浩)、田谷、上遠野らも騒いだため、点呼は午前八時三六分から同三九分まで中断せざるを得なかった。また、円谷は点呼後の体操もしなかった。

(39) 翌一一日の始業点呼に際しても、円谷は、三分遅参し、点呼後の体操をしなかった。

(40) 翌一二日の始業点呼に際しても、円谷は、一分遅れて参加し、呼名に対し聞き取れないように小声で返答した。点呼において区長が新幹線の保線作業中の死亡事故について伝達していたところ、円谷は、「なんでだ。」と大声で騒ぎだし、これに同調した近も「わかっている。」と、上遠野は、「安全帽かぶって死んだんだぞ。わかってんのか。」、「なんで列車が遅れたんだ。」等と発言したため、その場は騒然となり点呼は中断した。また、円谷は点呼後の体操をしなかった。

(41) 翌一三日の始業点呼に際しても、円谷は、国労所属の職員の九名の一団の先頭にたって、一分遅れて出席したが、区長が余剰人員の活用について業務伝達をしていると、円谷は、突然「関係がない。組合介入をするな。」と、田谷は職員の派遣について「協力できない。プラス10もだ。」と、上遠野も「派遣なんか行くな。」と発言し、抗議をするとともに、点呼を妨害した。点呼終了後の体操の指導に従わず、円谷を含む国労所属の職員は検修員室に戻ったので、体操を指導するため、同室に行った区長に対し、円谷は「区長おめさんには協力しない。随分やっているようだが派遣には行かないから、おめさんの成績はあがらないべ。」等と暴言を吐いて、体操の指導に従わなかった。

(42) 同月一七日の始業点呼に際しても、円谷は、一分遅参し、呼名に対して返答をしなかった。

(43) 翌一八日の始業点呼に際しても、円谷は、一分遅れて出席したが、呼名に対し、呼名執行者に聞き取れないよう小声で返答し、点呼後の体操もしなかった。

(44) 翌一九日の始業点呼に際しても、円谷は、一分遅参し、呼名に対し小声で返答し、点呼後の体操をしなかった。

(45) 翌二〇日の始業点呼にも、円谷は、一分遅参し、呼名に対し小声で返答し、点呼後の体操をしなかった。

(46) 翌二一日の始業点呼にも、一分遅れて出席し、呼名に対し小声で返答し、点呼中に録音機を持って点呼場にきた当日公休の高橋(敏)とひそひそ話をし、また、点呼後の体操をしなかった。

(47) 同月二四日の始業点呼に際し、円谷は、一分遅参し、呼名に対し小声で返答し、点呼後の体操をしなかった。

(48) 翌二五日の始業点呼に際しても、円谷は、国労所属の職員一〇名とともに一分遅れて出席したが、呼名に対しても点呼執行者に聞きとれないような小声で返答をしたため、当直助役は再度呼名をして、その出席を確かめなければならなかった。点呼終了後、円谷を含む国労所属の職員の一部は、体操をしないで検修員室に引きあげたので、区長らが同室に行き、体操をするよう指導をしたが、円谷は、区長に対し「点呼と体操の時間を勝手に変更したのは労働条件の変更だべ。」、「これが労働条件の変更でなくて、労働条件はなにがあるのか。」等と他の職員の先頭に立って、抗議を繰り返し体操の指導に従わなかった。

(49) 翌二六日の始業点呼にも、円谷は、一分遅参し、呼名に対し小声で返答し、また、点呼後の体操をしなかった。

(50) 翌二七日の始業点呼に際して、円谷は、一分遅参し、呼名に対し小声で返答した。点呼終了後、同人を含む国労所属の職員約一五名が、体操をしないで検修員室に戻ったので、首席助役が、同室に行き、自ら体操をしながら職員にも体操をするよう指導したが、松田車検係が首席助役に近づき「そだの体操でね。体操はこだにやんだ。」と腕立て伏せを三、四回やったので周りの職員は、その様子を見て笑いながら首席助役等の指導に従わなかった。

円谷は、その際も首席助役に対し「労働条件の変更だべ。」、「団交を開け。」、「勤務時間の変更だべ。」と大声で抗議を繰り返した。

(51) 同年一〇月一日の始業点呼にも、円谷は、一分遅れ、呼名に対し小声で返答し、点呼後の体操をしないで国労所属の職員約一五名ととともに検修員室に戻ったので、区長らが同室に行き、体操するよう指導したが、高橋(敏)、遠藤(一)、田谷、上遠野はこれに従わず『点検摘発メモ帳』にメモ活動をしており、また、高橋(敏)に対し、着用していた国労のバッジを外すよう注意していたところ、円谷は、区長に対し「点呼の場所を一方的に変更し、局の言うことばかり気にして。」「区長、助役は人間の屑だ。」と暴言を吐き、これに同調した上遠野、遠藤(一)も区長に野次をとばし、検修員室は騒然となった。

(52) 翌二日の始業点呼にも、円谷は、一分遅参し、呼名に対し小声で返答し、点呼後の体操もしなかった。

(53) 翌三日の始業点呼の際、円谷は、一分遅参し、呼名に対し低く小さい声で返答した。右点呼において、区長が「国鉄の改革と職員の意識の改革」について伝達しはじめたところ、円谷は、「イヤガラセやめろ。」と発言し、これに同調した木村も「区長はやめるんだから人の事、心配しんな。」等と暴言を吐き、点呼場は騒然となった。円谷を含む国労所属の職員の一部は、体操をしないで検修員室に戻ったので、区長らが同室に行き、体操するよう呼びかけたが誰一人として応じなかった。区長は当日の点呼場に録音機を持ち込んでいた遠藤(一)に対し、録音機の持ち込みは、組合活動にあたると注意したところ、同人は「なにが組合活動だ。」と反撥し、これに同調した田谷も「テープが組合活動のなんだ。」と抗議した。区長らが同室で体操をしていると、田谷は、同区長らに対し「団交やれ。勤務変更だべ。」、「おめらみたいな小物でねんだ。」、「体操は下でやれ。」等と大声で繰り返し暴言を吐き、飯田も、区長に対し「仕事をしない区長は体操をやれ。」等と暴言を吐いた。

(54) 翌四日の始業点呼にも、円谷は、一分遅参し、呼名に対し小声で返答した。点呼中首席助役が点呼に遅れないで出席するよう注意したところ、田谷が「八時半までに来ている。なにが悪い。」と発言し、これを受けて、円谷が「賃カツすんなよ。」と叫んだため、上遠野ら国労所属の職員らも「点呼の場所を元に戻せ。」等と口々に発言したため、点呼は一時中断した。また、円谷は点呼後の体操をしなかった。

(55) 同月七日の始業点呼にも、円谷は、一分遅参し、呼名に対し小さい声で返答した。点呼終了後、円谷を含む国労所属の職員の一部が体操をしないで、検修員室に戻ったので、区長らが同室に赴き、体操するよう指導したが、一人として応じなかったが、佐藤(浩)は区長に対し「お前らなどいるから職場もよくなんね。」「あと何か月でやめんだ。」等と暴言を吐き、区長が苦笑したところ、円谷は「笑ってごまかすな。」と暴言を吐いた。

(56) 翌八日の始業点呼の際も、円谷は、一分遅参し、呼名に対し小声で返答した。そして、右呼名において首席助役が作業指示中、円谷は「後進に道を譲ったらいいべ。」と発言し、区長の伝達中に上遠野はその言葉尻をとらえ「区長は正しい発言もできないのか。」と発言して、それぞれ点呼を妨害した。

点呼終了後、円谷ら国労所属の職員約二五名は、体操をしないで検修員室に戻ったので、区長らが同室に行き、体操するよう指導したが一人も応ぜず、自席で茶を飲んでいた上遠野は、総務助役に対し「おめは馬鹿だ。なにメモしてんだ。」と、円谷は「体操の時間を変えたのは労働条件の変更だ。団交で決めろ。」、「おめら権力でなんでもやれっと思ったら大間違いだぞ。」等と激しい口調で抗議した。

(57) 翌九日の始業点呼にも、円谷は、一一名の国労所属の職員とともに一分遅参し、小声で返事をした。点呼終了後、国労所属の職員のほとんどが体操をしないで検修員室に戻ったので、区長らが同室に行き、体操するよう指導したがこれら職員は応ぜず、区長が、円谷に点呼に遅れないように注意すると、同人は、「なに言ってんだ馬鹿。」と暴言を吐きながら退室した。

(58) 同月一四日の始業点呼にも、円谷は、一分遅参し、呼名に対し小声で返答し、このことを注意されると「外でやるから聞えねいんだわ。」と反撥した。そして、点呼後の体操をしなかった。

(59) 翌一五日の始業点呼にも、円谷は、一分遅参し、呼名に対し小声で返答した。右点呼において区長が検査長の人事の発令を伝達したところ、円谷は、「検査係の先輩がいるべ。」、「年功序列だべ。」、「人の上に立つ人がこれだから職場が乱れる。」等と発言して点呼を妨害した。

点呼終了後、円谷は体操をしないで検修員室に戻り、体操の指導にきた区長、総務助役に対し、出務表で否認扱いの整理をされていることについて、「抗議されることやって抗議とはなにか。」、「問題をすりかえるな。」と抗議の発言を繰り返し、体操をしなかった。

(60) 翌一六日の始業点呼にも、円谷は、一分遅参し、点呼後の体操をしなかった。

(61) 翌一七日の始業点呼にも、円谷は、一分遅参し、小声で返事をした。右点呼において、区長が職場のレクリエーションについて説明したところ、近、円谷は「勝手に計画できるのか。」、「全員参加と言いながら、何人参加できる。一方的だべ。相談して決めんだべ。」等と発言して点呼を妨害した。また、円谷は、点呼後の体操をしなかった。

(62) 翌一八日も円谷は、始業点呼に一分遅参し、点呼後の体操をしなかった。

(63) 翌一九日の始業点呼にも、円谷は、一分遅参し、呼名に対しても小声で返答をし、点呼後の体操をしなかった。

(64) 同月二三日の始業点呼において、円谷が一分遅参し、呼名に対して返答しなかったが、区長の伝達中「団交でなんと言ったんだ。」、「団交守れ。」等と発言して点呼を妨害し、また、点呼後の体操をしなかったことは、前(二)(110)に記載したとおりである。

(65) 翌二四日の始業点呼に際しても、円谷は、一分遅参し、呼名に対し小声で返答したこと、右点呼において円谷が区長の点呼の厳正な実施についての注意中に「馬鹿言ってんでねぇー。」等と発言し、点呼を妨害し、点呼後の体操をしなかったことは、前(二)(111)に記載したとおりである。

(66) 翌二五日の始業点呼にも、円谷は、一分遅参し、呼名に対し返答せず、出務表の置き場所について区長が伝達したのに対し、円谷らが「団交でどうなっているんだ。」等と抗議の発言をして点呼を妨害したこと及び点呼後の体操をしなかったことは、前(二)(112)に記載したとおりである。

(67) 同月二八日、円谷は、四分遅参し、点呼終了後体操をしないで検修員室に戻り、自席で新聞を読んでいたが、区長らが体操するよう指導したのに従わなかったことは、前(二)(114)〈1〉に記載したとおりである。

(68) 翌二九日の始業点呼にも、円谷は、一分遅参し、呼名に対し返答をせずに「していっぺ。なんだ。」と発言し、検修助役が作業の指示をしているとき「目付が悪い。」等と言いがかりをつけ、同助役が増収活動に協力するよう伝達したのに対し「頑張らないぞ。」等と発言をして点呼を妨害した。その後区長の出務表の取扱いについての伝達中にも、同人は、「間違っていること言うな。団交開け。」と発言し、これを契機に遠藤(一)、上遠野は、ともども「一方的にやるな。二階においたらいいべ。」と大声で騒ぎ、上遠野は「人間の言葉を使うな。」と、佐藤(武)は「適当なことやってんな。」と、田谷も「団交守れ。」等と発言し、点呼を妨害した。また、円谷は点呼後の体操もしなかった。

(69) 翌三〇日の始業点呼に際しても、円谷は、一分遅参し、呼名に対しても小声で返答した。ハンプ仕業班所属の職員でも日勤々務となった者は、本区の検修庫における点呼に出席することとなっていたので、当日これに該当する勤務となっていた飯田を呼名したところ、円谷は「飯田はハンプ出勤だべ。」と抗議したが、これを境にして、橋本、遠藤(一)らが口々に「否認をやめろ。」と騒ぎ出し、木村も「二階で点呼をやれ。」と野次をとばして妨害したので点呼場は一時騒然となった。

(70) 翌三一日の始業点呼にも、円谷は、一分遅参し、呼名に対し「返事してっぞ。」と答え、橋本は「いやがらせやめろ。」、上遠野は「しゃしゃとしている。」、佐藤(浩)は「います。」、木村、鈴木は小声で返事する等、真面目な返事をしない者が多かったので、首席助役が正しい返事をするよう注意すると、飯田は「二階でやれ。」は反撥した。首席助役が前日の脱線復旧訓練にふれて、保護具着用の励行を促し、不着用の場合の傷害については、公傷扱いの面で不利となると伝達したところ、円谷は、この扱いに反対である旨の「うまくね。」と大声で叫んだ。首席助役が点呼妨害をするなと注意したのに対し、橋本は「点呼妨害でねえ。嘘つけ。この。」と抗議し、これに同調した上遠野も「詰所でやれ。なにが安全対策だ。」等と騒ぎたて、点呼は中断した。また、円谷は、点呼後の体操をしなかった。

(71) 翌一一月一日の始業点呼に際し、円谷は、一分遅参し、呼名に対し「オー。」との返事をした。右点呼において首席助役が勤務の厳正について伝達していたところ、円谷は「団交守れ。」等と、上遠野は「だめだこの。もさもさしてんな。」と、田谷は「八時三〇分出勤だべ。」と、遠藤(一)も「そんなのだめだぞ。八時三〇分出勤だぞ。」等と野次の発言をして点呼を妨害した。円谷は、点呼後の体操もしなかった。

(72) 翌二日の始業点呼にも、円谷は、一分遅れて出席したが、その席上、区長が『運転事故防止及び保護具着用方について』伝達中、円谷は「指導が悪いからだべ。指導やれ。」と発言したが、これをきっかけに、遠藤(一)、田谷、高橋(敏)、上遠野が口々に、「ぐずぐず言ってんな。」「規定が改悪されっから事故おきんだ。」、「安全帽でなんで処分されんだ。」等と発言し、点呼は妨害された。円谷は、点呼後の体操をしなかった。

(73) 同月五日の始業点呼に際しても、円谷は、一分遅参し、呼名に対して、「来てます。」と不規則な返答をし、点呼後の体操をしなかった。

(74) 翌六日の始業点呼において、円谷は、呼名に対し返答をしなかったが、同点呼中に、同人が「なんだかんだ言ってんな。新潟局の話やねのか。」等と発言し、点呼を妨害し、同人が体操をしないで検修員室に戻ったので、体操をするよう指導のため同室に行った区長らに対し「人間性のない管理者。最低だ。」等と暴言を吐いて、その指導に反抗したことは、前(一)(29)〈1〉に記載したとおりである。

(75) 翌七日の始業点呼にも、円谷は、一分遅参し、呼名に対し、「返事してっぺ。」、「これが返事だ。」と発言し、再度呼名されても同様の発言を繰り返し、これに同調した高橋(敏)も「これが返事だ。」、「わがやったらいいべ。」と発言した。その席上首席助役が手待時間に組合情報を読まないように注意したのに対し、黒羽は「どこでもやっている。」と反撥した。さらに区長が余剰人員の調整について伝達しているとき、円谷は、大声で「新潟局の二重払い話をしないのか。」と発言したが、これをきっかけに遠藤(一)は「返事をしてっぺ。」、「耳が悪いんだべ。」、「新潟局の話ねのか。」等と、高橋(敏)も「新潟の話ねいのか。」と大声をあげて点呼を妨害した。また、区長が直営店舗の件について話をすると、佐藤(武)は「やるなと地元の業者からクレームがついていっぺ」等と発言し、点呼を妨害した。また、円谷は点呼後の体操をしなかった。

(76) 翌八日の始業点呼に際し、円谷は、一分遅参したが、その点呼に出席した仙鉄局運用車両課の黒沢補佐の挨拶中、「汚職の話でもしてみろ。」とかん高い声で暴言を吐き、点呼を妨害したことは間(一)(30)に記載したとおりである。また、点呼後の体操をしなかった。

(77) 同月一一日の始業点呼にも、円谷は、一分遅参し、点呼に対し小声で返答したが、呼名中、上遠野の返事が聞えなかったので、当直助役が同人を三回呼名したところ、円谷は「返事してっぺ。」と抗議の発言をした。この発言をきっかけに、上遠野らが口々に「返事してっぺ。」、「軍隊でねえのに。」と騒ぎだし、点呼は一時中断された。そして右点呼において検修助役が職場の美化運動について伝達中、高橋(敏)は「床面油だらけでなにが美化運動だ。」と発言し、区長が増収活動と職場レクについて話をしていると、円谷は「義理だべ。」と、田谷も「義理で行ったんだべ。」と発言して、点呼を妨害した。また、円谷は、点呼後の体操をしなかった。

(78) 同月一三日の始業点呼にも、円谷は、一分遅参し、点呼後の体操をしなかった。

(79) 翌一四日の始業点呼にも、円谷は、一分遅参し、呼名に対し小声で返答をし、その席上首席助役が点呼に遅れないように注意すると、同人は「八時三〇分までに来ている。」と抗議の発言をし、さらに同助役が冬場に向かっての傷害事故防止の注意をすると、高橋(敏)は「平和に向かってなんだ。」と野次り、点呼を妨害した。また、円谷は点呼後の体操をしなかった。

(80) 翌一五日の始業点呼にも、円谷は、一分遅参し、呼名に対し小声で返答した。そして、区長が連絡事項の伝達中、円谷は「八時三〇分の点呼について団交やれ。」と騒ぎたて、これに同調した飯田、高橋(敏)や周囲の国労所属の職員も騒ぎ、点呼場が騒然となり、点呼が妨害された。円谷は、点呼後の体操をしなかった。

(81) 同月一八日の始業点呼にも、円谷は、一分遅参し、区長の訓示中に「代弁だべ。」等と発言し、点呼を妨害したことは前(一)(36)に記載したとおりであり、同人は、点呼後の体操もしなかった。

(82) 翌一九日の始業点呼にも、円谷は、一分遅参し、区長が一階工具室を改造して記録室として使用する旨を伝達中、「汚くて入れない。」等と発言して、点呼を妨害したことは前(二)(129)に記載したとおりである。また、点呼後の体操をしなかった。

(83) 翌二〇日の始業点呼にも、円谷は、一分遅参し、呼名について故意に低い声で返答し、区長が訓示中、「区長の人徳だべ。」、「団交やりなさい。」等の発言をして、点呼を妨害した。そして、点呼後の体操をしなかった。

(84) 翌二一日の始業点呼にも、円谷は、一分遅参し、首席助役が同月二三日ボイラー煙突取替工事に伴い駐車場の使用が不能となる旨を伝達中、「寒いぞ。寒いぞ。」と大声で騒ぎ立て、これに同調した上遠野も「寒いぞ。暖房早く通せ。」等と、高橋(敏)も「寒いぞ。暖房通せ。」と叫び、点呼を妨害した。また、円谷は、点呼後の体操をしなかった。

(85) 翌二二日も円谷は、始業点呼に一分遅れて、飯田、木村とともに、他の国労所属の一団の職員の先頭にたって出席したが、呼名に対し聞きとれないような低い声で返事をしたため、点呼執行者は再三呼名した。呼名中に円谷は、「寒いぞ。」と発言して点呼を妨害したのみならず、区長が余剰人員対策について伝達中「そんなことでうまくねえ。」と発言し、点呼を妨害したことは前(一)(40)〈1〉に記載したとおりである。また、点呼後の体操をしなかった。

(86)〈1〉 同月二五日の始業点呼にも、円谷は、一分遅参し、呼名に対し返答をしなかったが、右点呼において区長が連絡事項を伝達中、大声で「団交やれ、団交。」と発言し、点呼を妨害したことは前(一)(41)〈1〉に記載したとおりである。また、点呼後の体操をしなかった。

〈2〉 同日午後五時からの終業点呼において、円谷は、首席助役に対し「労働条件の変更だべ。団交やれ。」と激しく抗議したことは前(一)(41)〈2〉に記載したとおりである。

(87) 翌二六日の始業点呼にも、円谷は、一分遅参し、点呼執行者に聞えないような返事をし、点呼に出席していなかった橋本及び上遠野の代弁をしたが、点呼終了後体操をしないで検修員室に戻った円谷は、体操をするよう指導のため同室に来た区長に対し、鈴木の交番について「一交に入りたくないのになんで入れるんだ。」等と抗議した(前(一)(42)参照)。

(88) 翌二七日の始業点呼にも、円谷は、一分遅参し、呼名に対して返答せず、点呼後の体操をせずに検修員室に戻り、体操の指導のため同室に赴いた区長に対し「新田は、外注にいっても勤まんねいわ。」と暴言を吐いたことは前(一)(43)に記載のとおりである。

(89) 翌二八日の始業点呼にも、円谷は、一分遅参し、呼名に対し返答せず、点呼執行者は三回も呼名しなければならなかった。右点呼において、区長が目にごみが入った職員の傷害事故対策について訓示中、円谷は「適当なこと言うな。」と暴言を吐き、これをきっかけに遠藤(一)は「誰がけがさせるんだ。」と、高橋(敏)も「目にごみを入れるとはなんだ。わざわざ入れるわけではないぞ。」等と妨害発言を誘発して点呼を妨害した。

点呼終了後、体操をしない国労所属の職員約二二名の先頭に立って二階検修員室に戻った円谷は、職員に体操するよう指導のため同室に行った区長に対し「体操をやらせたいのなら団交で決めろ。」と発言し、さらに区長に近づき「区長の悪党。団交でやれ。」等と大声で抗議を繰り返し、区長の体操の指導に従わなかった。

(90) 翌二九日の始業点呼にも、円谷は、一分遅参し、呼名に対し返答をしなかったが、区長の訓示中、「なに言っている。」等点呼を妨害する発言をしたことは前(一)(44)〈1〉に記載したとおりである。また、円谷は、点呼終了後体操もしないで検修員室に戻ったが、同室に赴いた区長らが同室の放映中のテレビを消すよう注意したところ、「首都圏の情報をとるんだぞ。」と反撥し、抗議を続け、体操をしなかった。

(91) 翌三〇日の始業点呼にも、円谷は、飯田とともに一分遅れて、国労所属の職員八名の先頭に立って出席したが、右点呼において区長が職場内の落書きについて、注意したのに対し「一方的にやるのは違法だべ。」と大声で発言し、点呼を妨害したことは、前(一)(45)に記載したとおりである。また、円谷は、呼名に対しては返事をせず、点呼終了後の体操もしなかった。

(92) 同年一二月二日の始業点呼に際しても、円谷は、一分遅参し、呼名に対し「オー。」と低い声で返答した。そして区長が点呼に遅れないよう注意すると、同人は「どこに書いてあるんだ。」、「点呼の変更は団交でやるべきだ。」と抗議の発言をし、点呼を妨害した。点呼終了後円谷は、体操をしないで検修員室に戻ったが、体操をするよう指導のため同室に行った区長らに対し「機関区では古峯参拝団体客を九〇名とったのに、郡客区長はなにやってんだ。」等と、高橋(敏)は「職場を残すため頑張ると言って、ハンプサービスがなくなるとはなんだ。」等と暴言を吐き、体操の指導に従わなかった。

(93) 翌三日の始業点呼にも、円谷は、一分遅参し、呼名に対し低音で「オー。」と返答したが、首席助役が点呼の遅れ及び点呼妨害について注意したのに対し、円谷が「差別やめろ。」等と発言して点呼を妨害したことは、前(一)(47)に記載したとおりである。また、円谷は点呼後の体操をしなかった。

(94) 翌四日の始業点呼にも、円谷は、一分遅参し、呼名に対し聞き取れないような小さい声で返答し、点呼後の体操をしなかった。

(95) 翌五日の始業点呼に際しても、円谷は、一分遅参し、呼名に対し返答をせず、当日点呼に出席していた仙鉄局運転車両部総務課の本間補佐が国鉄の現況について説明中、「局はひまな人がいんな。」、「とんでもねぇー中身だぞ。」、「おめら団交の経過を守れ。」等と暴言を吐き、これをきっかけに、上遠野が「四人のうち三人やめろって言うのか。」と佐藤(正)が「おめえら先にやったらいいべ。」等と発言して点呼を妨害したが、さらに点呼に出席していた同局総務部労働課の鈴木係長が職場規律等について話をしている途中、宗形は「あたりめーだ。」と妨害発言をし、他の職員も口々に騒ぎだし、点呼は中断した。

点呼終了後、円谷らの国労所属の職員は、体操をしないで検修員室に戻ったが、体操を指導のため同室に行った区長らに対し、円谷は「おめら、下にばっかり強くゆって、上に何も言えねーんだべ。」、「犬畜生とおんなじだ。上にシッポばかり振りやがって。」等と暴言を吐き、近も「要ちゃん湯沸いたから茶飲むべ。こだやつらかまってらんにい。」と発言し、体操の指導に従わなかった。

(96) 翌六日の始業点呼にも、円谷は、一分遅参し、区長が呼名に対する返答について注意していると、「団交やれ。団交。」、「はっきり返事してっぺ。」等と発言し、これをきっかけに、遠藤(一)は「している。」、「鵜沢がどうした。」、「ちゃんと呼ばねどわかんねべ。」等と騒ぎだし、首席助役が勤務時間の厳正等について伝達中、上遠野は「八時三〇分出勤だぞ。」、「ハンプに行って寝ころんでみろ。」、「安全靴、安全帽をしていると怪我しないのか。」等と妨害発言をし、区長が年休申込み等について伝達中、高橋(敏)は「ワッペンしたからなんだ。」「かけろ合理化。」等と、佐藤(武)は「心配しんな、とって後で報告しろ。」、「どうせ来年三月なくなるんだ。」、「会社駄目になると幹部がだめになる。」等と田谷は、「年休なんか申し込んでないべ。」、「ふざけんなよ、それから。」「嘘つくな。」等と、藤田は「俺は労働課の鈴木だ。」等と口々に大きな声で騒いだ。

点呼終了後、円谷らは体操をしないで検修員室に戻ったので、体操の指導のため同室に赴いた区長らに対し、佐藤(武)は「新田区長はおとなしくすれば残れると言ったべ。」、高橋(敏)は「お前ら、なにもできないくせに否認ばかりしているな。」、「えり正さないのは、おめいの方だ。」、「まだいじめらっちんのか鈴木に。」と、橋本は「区長は俺らのためになにをやった。」、「職場規律是正をしたことが職場を騒がせた。」と、円谷は「誰がやったんだ。」、「職場を騒がせるのは管理者が悪い。」、「体操やらせたいのなら団交をやれ。」等と、遠藤(一)は「我が都合悪いのはなにも言わない。」と、上遠野は「鈴木にやらっちんのか。」等と口々に暴言を吐き、また、円谷は体操の指導に従わなかった。

(97) 同月九日の始業点呼にも、円谷は、一分遅参し、呼名に対して返答をしなかったが、呼名の返答について注意されると「聞えぬなら二階でやれ。」と、田谷は「上遠野運検係の年休取消せ。」等と発言し、点呼を妨害し、また、円谷は点呼後の体操をしなかった。

(98) 翌一〇日の始業点呼の際に、円谷は、呼名に対し返事をせず、点呼後の体操をしなかった。

(99) 翌一一日の始業点呼の際にも、円谷は、一分遅参し、呼名に対し返答を拒否し、点呼後の体操をしなかった。

(100) 翌一二日の始業点呼にも、円谷は、一分遅参し、呼名に対し返答しなかったが、点呼終了後検修員室において、体操を指導するため同室に赴いた区長に対し「年休で休めとは労基法違反だべ。」、「違法行為やっていんな。」と騒ぎたて体操をしなかったことは、前(一)(54)に記載したとおりである。

(101)〈1〉 翌一三日の始業点呼に際しても、円谷は、一分遅参し、呼名に対し返事をしなかった。右点呼の席上高橋(敏)の年休処理に関して、円谷は「八時三〇分前に来て否認はなんだ。違法だべ。」、「出てきて年休とはなんだ。」と繰り返し抗議したことは、前(一)(51)に記載したとおりである。また、同原告は点呼後の体操をしなかった。

〈2〉 同日の午後五時からの検修員室で行われた終業点呼終了直後、円谷は区長に近づき、年休の取扱いについて「なんだと思ってんだ。人間扱いしろ。人間以下だべ。」、「さっさとやめて行け。」等と大声で怒鳴り、これに同調した高橋(敏)が、総務助役に対し「人の生活破壊して余計なこと言うな。」と激しく詰めより、佐藤(武)も区長に対し「馬鹿早くやめろ。」等と暴言を吐いた。

(102) 同月一六日の始業点呼に際し、円谷は、一分遅参したが、その点呼の席上区長に対し「労働条件変更の団交をやれ。」と発言し、点呼を妨害したことは、前(一)(53)〈1〉に記載したとおりである。また、同人は、点呼後の体操をしなかった。

(103) 翌一七日の始業点呼にも、円谷は、一分遅参したが、その席上区長が年休申込簿について説明している最中に、円谷は「余計なこと言ってんな。」、「団交やったのか。」と繰り返し抗議し、これに同調した上遠野も「区長威張っていんな。」、「違法行為すんな。」と、佐藤(正)も「団交やったのか。」等と暴言を吐き、点呼を妨害した。また、円谷は点呼後の体操をしなかった。

(104) 翌一八日の始業点呼にも、円谷は、一分遅参し、点呼の席上「寒いぞ。」、「点呼場所の変更は団交でやれ。」、「労働条件の変更だべ。」、「差別されておめえらの言うこと聞いていられるか。団交やれ。」等と暴言を吐き、また、仙鉄局の伊藤運転車両部長の訓示中「盛工はなんでなくなった。」等と発言し、点呼を妨害したことは、前(二)(149)に記載したとおりである。また、円谷は点呼後の体操をしなかった。

(105) 翌一九日の始業点呼にも、円谷は一分遅参し、首席助役の指示事項の伝達中「聞えねえぞ。」と発言し、これに同調した佐藤(武)、橋本が妨害の発言をし点呼を妨害した。また、円谷は点呼後の体操をしなかった。

(106) 翌二〇日の始業点呼に際しても、円谷は、一分遅れて出席し、呼名に対して返事を拒否したが、首席助役が勤務時間中の体操をしない者については否認扱いとすると伝達したところ、円谷は「団交やれ。」と大声で叫び、高橋(敏)も「なんで否認なんだ。」と抗議の発言をして点呼を妨害した。また、円谷は点呼後の体操をしなかった。

3 原告らの過去の懲戒処分歴

(一) 原告 飯田敏夫

(1) 昭和四四年一〇月九日 戒告

昭和四二年六月三日、勤務体制改悪反対闘争に参加したため。

(2) 昭和四七年一一月一日 停職一月間

昭和四六年一〇月四日から昭和四七年七月三一日までの間、郡山客貨車区において暴力行為を繰り返し、その他、数多くの職場規律を乱す行為があった。

(3) 昭和四八年九月一九日 訓告

昭和四八年春闘、四八・四・二七欠務

(4) 昭和四九年四月六日 厳重注意

四八・九・二〇労働欠務

(5) 昭和五〇年六月四日 訓告

昭和五〇年春闘、五〇・五・八~一〇欠務、ビラ貼り

(6) 昭和五一年三月二九日 厳重注意

昭和五〇年スト権スト、五〇・一一・二六~一二・三

(7) 昭和五二年四月二日 訓告

昭和五一年春闘、五一・四・二〇欠務

(8) 昭和五二年九月一〇日 厳重注意

昭和五二年春闘、五二・三・二〇、四・五欠務

(9) 昭和五三年一〇月一三日 厳重注意

昭和五三年春闘、五三・四・二五欠務

(10) 昭和五六年二月一日 戒告

昭和五五年春闘指導責任五五・四・一六欠務

(11) 昭和五七年三月三一日 戒告

五六・五・一二、五・二〇、五・二八及び六・一九組合看板掲出

(12) 昭和五七年九月一八日 訓告

昭和五六年秋闘、五六・一一・二五欠務、昭和五七年春闘

(13) 昭和五八年三月三〇日 減給三月間

昭和五七年四月から七月まで一〇分の一 郡山客貨車支区において、再三にわたり、管理者に対し暴力的言動等により職場規律を乱した。

(14) 昭和五八年一一月二四日 厳重注意

東北鉄道学園内において、ワッペン取り外し指示に従わず、学園内の規律を乱した。

(15) 昭和五九年二月一日 戒告

五七・一二・一六人勧、仲裁即時完全実施闘争指導責任

(16) 昭和五九年八月四日 停職一月間

昭和五七年八月から九月まで郡山客貨車支区において、管理者に対し再三にわたる業務妨害等により職場規律を乱した。

(17) 昭和六〇年九月一三日 訓告

昭和六〇年四月一日以降ワッペン着用

(18) 昭和六一年二月一五日 免職本件

(二) 原告 木村隆志

(1) 昭和五三年一〇月一三日 厳重注意

昭和五三年春闘、五三・四・二五欠務

(2) 昭和五五年五月三一日 厳重注意

昭和五四、五五年春闘、五五・四・一六欠務

(3) 昭和五七年三月三一日 戒告

五六・五・一二、五・一四、五・二〇、六・二及び六・一〇組合看板掲出

(4) 昭和五八年三月二六日 厳重注意

五七・一二・一六欠務

(5) 昭和五九年八月一日 停職一月間

昭和五七年八月から五八年二月まで、郡山客貨車区郡山支区において、管理者に対し再三にわたり業務妨害等により職場規律を乱した。

(6) 昭和六〇年五月一六日 厳重注意

昭和六〇年五月一四日~一六日、管理者の再三の指示にもかかわらず、勤務開始時刻になっても私服のままで就労しなかった。

(7) 昭和六〇年九月一三日 訓告

昭和六〇年四月一日以降ワッペン着用

(8) 昭和六一年二月一五日 免職本件

(三) 原告 円谷寛

(1) 昭和四三年五月一一日 訓告

四三・三・二闘争

(2) 昭和四七年一一月一日 減給六月間一〇分の一

昭和四六年一〇月二六日から昭和四七年六月三〇日までの間、郡山客貨車区において管理者の制止をきかず、暴力的行為等数多くの職場規律を乱す行為があった。

(3) 昭和四八年一月三一日 戒告

四六・七・六勤務中の客検に対し暴行。

(4) 昭和四九年四月六日 訓告

四八・九・二〇欠務

(5) 昭和四九年一〇月一日 減給一月間一〇分の一

四七・九・一九ビラ貼り四八・四・二七闘争欠務

(6) 昭和五〇年一〇月一三日 戒告

四八・一一・二〇~五〇・五・一〇闘争

(7) 昭和五一年一〇月一日 戒告

スト権スト五〇・一一・二六~一二・三

(8) 昭和五二年一〇月一日 戒告

五一・四・二〇欠務

(9) 昭和五三年一〇月一三日 訓告

昭和五二年春闘、五二・三・三〇、四・五欠務

(10) 昭和五六年二月一日 訓告

昭和五四、五五年春闘、五五・四・一六欠務

(11) 昭和五八年三月三〇日 戒告

五七・七・一二~二九まで郡山客貨車支区において、再三にわたり管理者に対し暴力的言動により職場規律を乱した。

(12) 昭和五九年八月一日 停職三月間

五七・八~五八・六まで郡山客貨車支区において、管理者に対し再三にわたる業務妨害等により職場規律を乱した。

(13) 昭和六〇年九月一三日 訓告

昭和六〇年四月一日以降ワッペン着用

(14) 昭和六一年二月一五日 免職本件

四 抗弁に対する認否

抗弁事実のうち、

1 1の(一)、(二)については認める。

2 各原告の非違行為について

(一) 原告飯田の非違行為

(1) 首席助役が、その主張する日時場所において、上遠野に対し、交検票の文字書換作業をさせたことは認めるが、その理由についての被告の主張は争う。

飯田が、首席助役に対し、正規作業たる貨車検修作業に就かせることを求めたことは認めるが、暴言を吐いたとする点は否認する。

飯田が、区の労安委員会の委員であること及び安全帽を着用していなかったことは認めるが、安全帽をかぶらないことが非違行為であるとする点は否認する。全く危険のない作業で着用する必要はなかった。

(2) 飯田が、被告主張の日時場所において、首席助役から検修庫内の安全ラインを白ペンキで塗って補修するよう指示されたことは認めるが、安全ラインを外部委託していたことはある。暴言を吐いたとする点は否認する。

(3) 飯田が、被告主張の日時場所において、貨車交換票の文字ペンキ塗りつぶし書換え作業に従事していたことは認めるが、投げやりな作業をしていたとか、交検票を使いものにならないようにしていたとすること、暴言を吐き作業指示に従わなかったとすることは否認する。

(4)〈1〉 飯田が、被告主張の日時場所において、首席助役に対し、同日開催予定の労安委員会委員である佐藤(正)が、同日当月本務である交検班から機動班に担務替したことについて、従来のやり方と違っていたのでこれを問い正したことはあるが、暴言を吐いたことはない。その余は争う。

〈2〉 飯田が、被告主張の日時に電気試験室にいたことは認めるが、サボっていたとすること、首席助役の指示に従わなかったとすること、暴言を吐いたとすることは否認する。

(5) 飯田が、被告主張の日時場所における点呼にあたり、阿部の点呼執行の仕方について意見を述べたことは認めるが、その余は否認する。

(6)〈1〉 飯田及び円谷が、被告主張の日時の点呼に際し、同原告らのハンプ貨車仕業への一方的変更について、その理由及びハンプでの就業期間を問うたことは認めるが、反抗とか、威圧して抗議したとの点は否認する。かえって区長が飯田は体当たりをなし、威圧していたところである。

〈2〉 区の国労所属の職員がかねてより検修室の自席机の上に、国労のスローガン等を記載したジュース空缶等を立てていたことは認めるが、何ら業務遂行に支障あるわけでもなく、職員が小銭を入れていたことを知りながら、管理者は、職員の面前にて缶を足でつぶしたり、ごみ箱にそのまま捨ててしまうなどの行為に対して抗議したものであり、原告らにおいて暴言といわれるべきものではない。

〈3〉 区長に自分のハンプへの業務変更についてその理由、ハンプの業務期間について問い正したことは認めるが、威圧的な抗議を繰り返したとの点は否認する。

(7) 飯田が、被告主張の日時頃、電話にて首席助役に対し、飯田がハンプ仕業を同意しているとされていることが誤りであることを指摘したことは認めるが、やゆしたとか、抗議したとか、首席助役の業務を妨害したとかは否認する。

(8) 被告主張の日時場所における点呼において、管理者が写真撮影をせんとしたため、原告らが、これに抗議したことは認めるが、点呼にあたり起立して点呼を行うことについて起立しないままでいたということはない。このことで繰り返し激しい抗議行動を繰り返してきたという状況にはなく、点呼の目的が達せられないということもない。

(9) 被告主張の日時場所における点呼の際、当日も写真撮影をしたので、これに抗議する発言をしたことは認めるが、その余は否認する。

(10) 飯田は、当日非休であり、被告主張の日時場所における点呼に際し、退職者の記念品代金を集めに職場にきて、点呼終了を待つため机に座っていたが、休みであるにもかかわらず、区長は起立を求めにきて、他の助役から休みである旨注意を受けたところ、同区長は、「詰所から出て行け」と怒鳴り、飯田に体当たりしてきた。勤務していた職員は、区長のこの暴行を目撃して抗議したところ、さらに、区長は、飯田の右手をひっぱり、耳元に「出ていけ」と一〇回位怒鳴りながら体当たりを繰り返し、立った同人にさらに体当たりをしながら机に押しつけて、足で同人の急所をけりあげた。

区長は、抗議する職員に「いま文句を言ったヤツの名前書いておけ」と助役に命じ、国労の要求、スローガン等を記載した前記空罐を一個一個足でふみつぶした。

かかる区長ら管理者の行為があったため、点呼場は騒然となったものであり、飯田が点呼場にいたことについての被告の主張は、同人に対しての管理者の敵意を明らかにするものであるこそすれ、同人に暴行を加えて退室させる理由となるものではない。飯田の在室により点呼の目的が達せられないことはない。暴言を吐いたとか、職場の規律が著しく乱れたなどとの主張は否認する。

(11) 被告主張の日時は、昼休みであり休憩時間であるが、区長は、朝の始業点呼の際、「文句があるなら昼休みにこい」と言うので、原告ら職員二〇名は、事務室に赴いたものである。国労仙台地本山田組織部長も同行したものである。原告らは、前日の区長による飯田に対する暴力行為について事実を述べ、区長の弁明を求めるため事務室に行ったものである。区長らが、退室を求めたのにこれに応じないというものでなく、分会長である近と前記山田が話し合うことで合意し、話合いが行われているのである。原告らの言動が暴言たることは否認する。

(12) 同日原告が非番であること、被告主張の始業点呼の際、藤田の席に着席していたことは認めるが、点呼の目的が達せられない状態ではなく、それにもかかわらず、区長は二〇数回「出て行け。」と飯田に怒鳴り、自らその点呼を中断させたものである。

(13) 飯田が非番であったこと、被告主張の日時場所での点呼の際に、同人が松田車検係の机に私服で着席していたことは認める。

高橋(敏)、上遠野、佐藤(正)が、退室要求に抗議したことは認めるが、点呼の執行が不能となったことはない。上遠野が写真撮影したことは認める。区長の「派遣企業リスト」等の伝達に対し、佐藤(正)が暴言を吐いたとする点は否認する。

首席助役は、高橋(敏)、上遠野のかぶっている「国労」、「首切反対」と書いてある制帽をとりあげ、取り去った際、同人らはこれに抗議しているが、暴言を吐いていない。飯田は発言をしていない。

(14) 飯田が同日非番であり、被告主張の日時場所の点呼の際、在席していたことは認める。区長には退室を求められたが、点呼妨害の意図も、監視していたこともない。

(15) 被告主張の事実は、休憩時間中に、一方的な点呼場所変更に対する分会の意見を申し入れたものであり、わずか三分の話し合いに退去命令を出した、というものである。

飯田、円谷がハンプ仕業現場から区長室に来たといっても同じ構内でのことであり、休憩時間中のことである。

(16) 被告主張の点呼に遅参したとの点は争う。

高橋(敏)、佐藤(正)、田谷がその器具を所持していたことは認める。飯田は、当日非番であったが、点呼場所の一方的変更、点呼時間の一方的繰り上げを当局が行ったことから、管理者から職員に対する暴行、職員に対する事件のデッチ上げもありうると考え同室していた。

ジュースの空缶に国労組合のスローガン等が記載されていたことは認めるが、これに応じないことは、非違行為にあたらない。

(17) 被告主張の日時ころ、飯田が、首席助役に対し、管理者が国労の組合掲示板をとりはずしてしまったことに抗議したことはあるが、暴言を吐いたとする点は否認し、安全帽を着用しないことについて、安全帽を所持していないことを述べたことはあるが、反抗したとする旨は否認する。

(18) 被告主張の日時に、飯田が、組合活動のひとつとしてワッペンを着用し、これのとりはずしを首席助役から求められ、これを拒否したことはある。

(19) 被告主張の日時場所において、手待時間中である飯田が、同じ手待時間中である国労組合員相沢に対し、組合の闘争指令に基づき着用を求めたものであり、強要したものではなく、また、首席助役に対し不法な抗議をしたとする点は否認する。

(20) 被告主張の日時場所において、首席助役との間でテレビのスイッチを消したり入れたりしたことがあったことは認める。飯田は手待時間中であり、この時間は、詰所で待機し、そこにある雑誌、テレビなどを見ていることが許容されていたものである。仕事に影響するわけではない。

飯田が、ワッペンを着けていたこと、首席より取外しを言われ、これを同人が拒否したことは認める。暴言を吐いたことは否認する。

(21) 被告主張の日時場所において、飯田が弁当を食べ始めたときに、首席助役より中止されたことは認め、その余は否認する。

飯田は、一一時四五分に貨車押し作業に従事した全員が、その仕事を終了したのち詰所に戻り、昼食時間一一時五五分までの間、手、顔などを洗って、弁当を食べ始めたものである。昼食時間前というので賃金カットされる旨通告されている。

(22) 被告主張の日時場所に、首席助役が区長とともに来たことは認め、その余は否認する。同人らは処分の通告に来たものである。飯田は安全帽を所持していないので、ここにない旨発言した。

(23) 被告主張の日時場所において、飯田が、原稿書きの組合活動をしたことは否認する。高橋(敏)が入浴したこと、同人が提出した年休カードについて間違いを確認されたこと、飯田に対し、首席助役が欠勤扱いを通告したこと、作業終了後、帰宅前に入浴することについて、管理者に対し、意見を述べたこと、組合活動をしたとした首席助役の指摘にその事実はない旨発言したこと、管理者が同人らのあとをつけてきたことを指摘したことは認める。

(24) 被告主張の日時場所において、飯田が、大竹助役から矢部の指導方を求められたことは認めるが、その余は否認する。

(25)〈1〉 飯田が、国労分会ニュースを配布したこと、注意されたが笑いながら配布を続けたことは否認し、その余は認める。

〈2〉 被告の主張は否認する。

午前一〇時二〇分以前についての主張については、脱線復旧作業が最も危険を伴うものとすること、佐藤(浩)の肩に手を掛け制止したとすること、飯田が、国労所属の職員に耳打ちして回ったとすること、本田が安全帽をコンクリートの床にたたきつけたとすることは否認し、その余は認める。

午前一〇時二〇分以降についての主張については、区長が佐藤(浩)を貨車から離れるよう注意したとすること、飯田が食ってかかったとすること、一斉に大声で罵声をあびせ訓練の実施を妨げたとすること、検修助役が懸命に説得にまわったとすることは否認し、その余は認める。その余の主張は争う。

(26) 被告主張の日時場所において、総務助役が国労所属の職員の机上の組合情報を集めていたこと、飯田が非番であったことは認め、上遠野が「馬鹿野郎」と上半身裸で抗議したことは否認する。

蛇石助役は、何人かの机の上の組合ニュースを集めていたので、飯田が何をしているのかと問うと、机の上に置くなと言ってきたので、自分で片付けるから返すように申し出たところ、同助役は「いや返せません。これは持って行きます。」と小脇にかかえて逃げ回るように行こうとしたので、飯田、上遠野、遠藤(一)は「それではドロボーと同じだ」と指摘したものである。

(27)〈1〉 被告主張の日時場所に宗形がいたことは認め、上遠野、黒羽、佐藤(武)、田谷が、宗形の件で暴言を吐いたとの点は否認する。宗形は、午前一一時三〇分に作業を終え、午前一一時四五分からの貨車押し作業で手待中のところ、検修助役が宗形に「何してんだ。早く仕事をやれ。」と先輩職員に対する言葉にあるまじき言動をとったので、これに抗議したものである。宗形はかかる検修助役の言動にかかわらず作業についた。

検修助役と上遠野との身体接触の経過は否認する。同人が同助役の前に立ちはだかったのではなく、先行して階段を上がっていた同助役が振り返り、下から来た同人に階段を降りながら体当たりしてきたものである。これについて暴力を振るったことを指摘して抗議した。

飯田が、検修助役を脅迫し、総務助役に暴言を吐いたとすることは否認する。

〈2〉 飯田らは、検修員室において、午前中の作業を終了し、昼食時間に間がない時に弁当を食べ始めたことは認める。原告らが暴言を吐いたとすることは否認する。

(28) 被告主張の日時場所において、国鉄体操に参加しなかったことは認めるが、その余は否認する。点呼に遅参した点は争う。

(29)〈1〉 被告主張の日時場所における点呼において、飯田が返事をしなかったとすること、伝達する区長に背を向けた、とすることは否認する。原告らは、午前八時三一分に検修庫に行ったこと、区長の伝達に対し異議があることを発言したこと、新潟の管理者の汚職事件について指摘したこと、国鉄体操をしなかったことは認める。

点呼終了後に、同原告らが検修庫から検修員室に上がったこと、同室において原告らが、管理者のやり方に意見を述べたことは認めるが、暴言を吐いたとすることは否認する。

〈2〉 被告主張の日時場所で、原告らが昼食を始めたことは認める。

原告らは、午前中の貨車押し作業を終了して、詰所に戻り昼食時間一一時五五分までの間、手、顔を洗って弁当を食べ始めたものである。

(30) 被告主張の日時の点呼において、遅参したとすることは争い、「出勤しています。」と発言したことは認める。右点呼における、区長、黒沢補佐の国鉄の分割・民営化の発言に対し、原告らが意見を述べたことは認めるが、わめきちらしたとか、混乱状態になったとかすることは否認する。

(31) 被告主張の日時の点呼において、遅参したとの点は争い、点呼が早すぎることを指摘したことは認める。区長の休み申込みとその扱いについての伝達において、公休日が確定しない前に年休付与することは、おかしい旨指摘したことは認める。点呼妨害であるとすることは否認する。

(32) 被告の主張は争う。

(33) 被告主張の日時における点呼に遅参したことは争う。国鉄体操をしなかったこと、点呼摘発メモをとっていたことは認める。呼名に対し「ハイ。」と返事をしたが「声が小さい。ハッキリ返事せよ。」と言われたことは認める。

(34) 被告主張の日時における点呼に遅参したことは争い、反抗したとすることは否認し、その余は認める。

(35)〈1〉 被告主張の日時における点呼に遅参したことは争い、揚足とりの発言を繰り返して点呼を妨害したこと、「なに暴れていんだ。」とやゆしたとすることは否認し、その余は認める。但し、点呼に対し「ハイ。」と返事をしたが「声が小さい。」と二度呼名されたので、少し大きい声で「ハイ。」と返事はしたが、「けたはずれに高い声で」との記述については否認する。

〈2〉 被告主張の日時に、遠藤(一)が保護具を着用していなかったこと、首席助役が同人に貨車の検修作業を外し、雑作業を指示したこと、木村、遠藤(一)がこれに意見を述べたことは認め、その余は否認する。

飯田が、首席助役のかかるやり方に対し、いやがらせ作業であることを指摘したことは認め、その余は否認する。

(36) 被告主張の日時における点呼に遅参したとすることは争い、点呼場が騒然となったこと、点呼が中断したことは否認する。区長の余剰人員についての発言に、原告らが不当である旨指摘したことは認める。

(37) 「ハイ。」と返事はしたが、「声が小さい。」と指摘されたことは認めるが、明確ではなかったとする点については否認する。遅参については争う。

(38)〈1〉 被告主張の日時の点呼において、遅参したとの点は否認し、「職制の動向メモ。」を作成したことは認める。呼名に対しては「ハイ。」と返事をしており、明確な返事でないことについては否認する。

〈2〉 被告主張の日時に、緩急車内に飯田他数名がいたこと、ストーブで暖をとっていたこと、検修助役が来て作業が早く終わったのだなと話しかけたことは認める。飯田らが暴言を吐いたこと、田谷が検修助役が車外に出ることを妨害する態度を示したこと、飯田らが一〇分間就業しなかったことは否認する。

検修庫内の温度が九度くらいであり、寒いことから車内暖房について同助役に意見を述べたものであり、飯田は手待時間中のことであり、不就業を言われるものではない。

〈3〉 被告主張の日時の場所に、飯田が腰を下ろして、掲記の者らと話をしていたことは認めるが、その余は否認する。この場所は貨車は動くことがなく、また、検修助役の注意にはこれに従って立ち上がっている。非違行為にあたるべきものではない。

〈4〉 飯田が、指示に従わずこれを拒否したこと、暴言を吐いたとすることは否認し、その余は認める。

検修助役は、手待中の職員中、飯田にだけ執拗にペンキ掃除を指示し、なぜ同人だけがせねばならないのか理由も示されないものであった。そのねらい打ち的やり方に原告らは抗議したものである。かかるやり方をしているにもかかわらず、右助役は一一時四五分まで否認する旨通告している。

(39) 被告主張の日時における点呼に遅参したことは争い、他の職員をけしかけたとすることは否認する。夏用バッジを着用していたことは認める。点呼における返事につき、「かん高い声とふざけた声」については否認する。何回も呼名されるので、大きい声で返事をしたのである。

(40)〈1〉 飯田が遅参したことは争い、飯田と円谷が点呼を妨害したとすることは否認する。ふざせた返事はしていない。区長の伝達の発言に対し、かかる発言をしたことは認める。

〈2〉 被告主張の日時の昼休み時間に、区長に、公休、非休、年休の取り扱いに関し、出勤者全員で区長に交渉に行ったこと、区長が二階検修員室で話合いを持つことにしたこと、検修員室で区長が話ができないとして席を立とうとしたこと、上遠野が分会情報を区長に示したこと、区長らが同室を引き上げてしまったことは認めるが、原告らが暴言を吐いたとすることは否認する。

職員の勤務予定表作成にあたり、労使間で永い間行われてきた公休、非休申込みを、管理者が労使間の話し合いもないままに、すべて一方的に年休申込み扱いにすることにしようとしたために、交渉を持とうとしたものである。区長は、このことに話し合いを持つような態度を示しつつ、これを次々に反古にしたため騒然となったものである。

(41)〈1〉 飯田が遅参したことは争い、木村が呼名に返事しなかったこと、区長の伝達が全然聞えず、点呼が妨害されたことは否認する。

検修庫が七度くらいで寒いことからその対処方を求めたこと、手待時間中検修員室への入室禁止の区長発言に異議を述べたことはある。

〈2〉 飯田が、被告主張の日時に首席助役に電話し、その一二月分の勤務割予定表につき、その旨の意見を述べたことは認めるが、「馬鹿野郎。」とは言っていない。一二月一五日以降については労使間の協定により特休優先が約束されている。

終了点呼時の首席助役の説明に対し、原告らがその誤りを指摘したことは認めるが、抗議というものではない。

飯田が、首席助役に近づいたことは認めるが、点呼終了後のことである。原告らは、公休、非休、年休、特休についての説明をするために首席助役と話をしたものであり、首席助役の上着のポケットに一二月の勤務予定表を入れたことは認めるが、身の危険を感じさせるようなことはしておらず、近が進路を邪魔したということはない。

(42) 飯田が遅参したことは争う。体操しなかったことは認める。鈴木がハンプ仕業に行かないことを申し出ていたが、区長は個人面談を通告したのに対し、同人が「どうせ仕業にやるんだべ。」と発言したことは認めるが、その余は否認する。

(43) 飯田が遅参したとすることは争い、その余の主張事実はいずれも否認する。

(44)〈1〉 飯田の遅参は争い、呼名に対する返事についての主張は否認する。区長の伝達中に対し、これを妨害したとすることも否認する。「何が職場なくなるだ。」と発言したことは認め、点呼を妨害したとすることは否認する。

〈2〉 被告主張の日時場所に、上遠野の机の上に「分割・民営反対」と書いた紙が置いてあったこと、首席助役に対し、飯田が何をしているのか尋ねたこと、同人が首席助役に弁当を注文にきたと答えたことは認めるが、その余は否認する。

首席助役が、上遠野の机の引き出しを開いていたところに飯田が入室し、何をしているのかと問うと、何かを隠していたので見せるように言ったが、同助役は見せる必要がないと答えた。言葉のやりとりだけで、被告主張のように飯田が紙バサミをとろうとしたとか、紙バサミが床に落ちたとかいう事実はない。

(45) 飯田が遅参したとすることは争い、飯田、円谷が点呼を妨害したとすること、飯田が作業指示に反対する暴言を吐いたこと、橋本が業務を妨害したことはいずれも否認する。呼名に対しては「ハイ。」と返事をしているし、「明確な返事をしなかった。」とする点を否認する。

(46)〈1〉 争う。

〈2〉 抗議を繰り返したとすることは否認し、その余は認める。非違行為であるとすることは争う。

(47) 遅参したとすることは争い、呼名に返事をしなかったこと、点呼を妨害したとすることは否認する。当日、飯田が「首切り反対だな。四人に三人いんなくなるんだ。」と発言したこと、原告円谷が「差別やめろ。」と発言したことは認める。

但し、右各発言は、区長の雇用不安をあおるような発言に対しなされたものである。

(48) 体操をしなかったことは認めるが、遅参したとすることは争い、呼名に返事しなかったとすること、暴言を吐いたとすることは否認する。

(49)〈1〉 飯田が遅参したとすることは争い、飯田の発言は否認する。同人は「区長だって俺達の前に立っていっぱい。」と言ったにすぎない。

〈2〉 飯田が暴言を吐いたとする点は否認し、その余は認める。

多くの職員が、年休を申し込んでいない日に、管理者が交番表に年休を一方的にいれたことの取消しを求め、労基法の本を読んで聞いてもらおうとしたもので、年休について労働者の権利たることを主張したものである。

〈3〉 抗議したとすることは否認し、その余は認める。

(50) 飯田が遅参したとすることは争い、原告らが点呼を妨害したとすること、騒ぎたてたとすることは否認する。呼名に対し、「ハイ。」と返事をしたが、管理者が「ハッキリ返事せよ。」と言ったのである。

非休・公休の申込みはしたが、年休申込みをしていない高橋(敏)に年休取り扱いをする管理者のやり方に原告らは発言し、是正方を求めたことは認める。高橋(敏)は、年休の申込みはしていない旨管理者にすでに通知しているにもかかわらず、かかる処置がとられたものである。

飯田が体操をしなかったこと、検修員室において、原告らが年休取消しに応じない区長の考えに、労基法違反であることを指摘したことは認めるが、飯田が「新田は再就職のことを考えろ。」と発言したことは否認する。遠藤(一)、上遠野が作業開始ベルが鳴っても作業場に行かなかったことは非違行為にあたらない。掲記の者らが作業場に行かなかったことは認める。作業に影響は与えていない。

(51) 点呼において、飯田が「一二日高橋君の年休とは何か。」と質問したこと、「区長も否認である。」旨発言したこと、円谷、橋本が出てきて、年休になるのはどういうことかと質問したことは認め、その余は否認する。飯田の遅参については争う。

点呼終了後、飯田が体操をしなかったことは認めるが、区長、総務助役に原告らが暴言を吐いたことは否認する。

(52) 飯田が遅参したとすることは争い、矢部の名前を呼んだとすること、点呼を妨害したとすること、呼名について反抗したとすることは否認する。原告は矢部の名前を呼ばなかったので、その旨指摘したにすぎない。

点呼における首席助役、区長の各伝達に対し、原告らは各発言をしたが、特に区長の年休申込みの伝達については、区長自らが点呼の中断を宣言したことから、点呼の中断をしたのなら発言するとして発言したものである。他の原告らの発言も年休取扱いについての意見を述べたものである。区長は、飯田を指導者ときめつけたが、同人はこれを認めたことはなく、原告らが管理者に暴言を吐き、点呼を妨害したとすることは否認する。

(53)〈1〉 飯田が遅参したとすることは争い、「出勤簿を改ざんしてなんだ。」と発言したこと、点呼を妨害したことは否認し、その余は認める。

〈2〉 飯田が、首席助役に暖房のことで暴言を吐いたとすること、「この亀。」、「くそ亀。」といったことは否認する。

昼休み時間間もないのに、食事、休憩をする検修員室に暖房を通さないので、「寒いから暖房を通すように」求めたものである。

(二) 原告木村の非違行為

(1) 被告主張の日時場所における点呼において、管理者が写真撮影をせんとしたため、木村もこれに対し、「勝手に人の写真を撮るな。」等と抗議したことは認めるが、その余は否認する。

(2) 点呼の際、当日も写真撮影をしたので、それに対し抗議の発言をしたことは認めるが、その余は否認する。

(3) 木村が、区長に対し、「暴力区長。区長は暴力を振るっていいのか。」等と発言したことは認めるが、その余は否認する。騒然となった経緯等は、飯田の認否(前(一)(10))で述べたとおりである。

(4) 制帽に、「国労」、「首切反対」との記載があったことは認めるが、その余は否認する。区長が、高橋(敏)の作業帽を実力で奪った際、「返せ。」と発言したにすぎない。

(5) 前段はほぼ認める。(私服で出席したのは、着替えも労働時間であるという考えに従って行動したにすぎない。)後段のうち、八時四二分に着替えを終了し、戻ったこと、高橋(敏)が写真撮影したことは認め、その余は否認する。点呼に際し、区長が、「私服の人は就業を認めない。着替えるまで賃金カットだ。早く着替えねえど賃金カットの時間が長くなるぞ。」等と発言したため、木村は、着替えの時間が必要なので、八時三〇分には作業できない旨の発言をしたにすぎない。

なお、八時三〇分から八時四二分まで賃金カットを通告された。

(6) 認める。着替えは、就業規則上義務づけられていたのであり、従前は、八時四〇分点呼であったため、八時三〇分から着替えることができたものであるが、一方的変更により、八時三〇分点呼となったが、分会員の多くは、着替えも労働時間であるとの考えに立って、私服で点呼に出席したものである。なお、八時三〇分から八時四二分まで賃金カットを通告された。

(7) 点呼場に出席したのが八時三二分との点、着替えて出席したのが八時三九分から八時四〇分との点、就労意思が確認できたのが八時五〇分との点は否認し、その余は認める。

原告らが右のような行動を行った理由は、前記(6)のとおりである。

(8) 点呼を中止した点、八時三八分点呼を再度開始したとの点、検修員室の利用についての主張はいずれも否認し、その余は認める。八時五〇分作業開始で、待機のため検修員室に行ったにすぎない。

(9) 点呼に遅れたとの点は争い、小声で返答したとの点は否認する。その余は認める。

(10) 原告らがしゃがんだこと及び体操をしないとの点は認め、その余は否認する。原告が呼名に対し「います。」と返答したことにより、返事も聞え、かつ、顔を見て出勤を確認しているのに、区長は「返事ははっきりしろ。欠務か。」等と執拗に通告したため、原告は「います。見たらわかる。」旨発言したに過ぎない。

(11) しゃがんだということ、体操をしなかったという点は認め、点呼を中断させたとの点は争う。

(12)ないし(24)、(26)、(30)、(31)、(34)、(35)、(37)ないし(39)、(42)、(43) 点呼場(衝立)の外にしゃがんだこと、点呼場の外に立ったこと及び体操をしなかったとの点は認める。また、小声で返答したとの点は否認し、「出てます。」と返答したとの点は認める。

(25)、(27)ないし(29)、(32)、(36)、(40)、(41)、(44)〈1〉一分遅参したとの点は争い、点呼場の外に立ったこと、体操をしなかった点については認める。また、遅れて小声で返答したこと、呼名に対し「いる。」と返答したことは否認する。

(33) 録音機を持ち込んだこと、点呼場の外に立ったこと、体操をしなかったとの点は認め、呼名に対し遅れて返答したとの点は否認する。

(44)〈2〉 暴言を吐いたとの点は否認し、その余は認める。

(45)、(47)〈1〉 国労のワッペンを着用したことは認め、一分遅参したとの点は争う。体操をしなかったとの点は認め、小声で返答したとの点については否認する。

(46) 一分遅参したとの点は争い、体操をしなかったことは認める。小声で返答したとの点は否認する。返答はしている。

(47)〈2〉 検修員室にいたこと、ワッペンを着用していたこと、外すよう注意したこと、「反独占、反自民」ないし、「国労」と書いたこと、消すように注意したことは認め、その余は否認する。

(48)、(49)ないし(53)〈1〉 ワッペンを着用したこと、体操をしなかったことは認め、遅参については争う。呼名に対し遅れて返答したこと、小さい声で返答したとの点は否認する。

(53)〈2〉 否認する「一一時五二分ころ食事をし、三分賃金カットの通告を受けている。)。

(54)〈1〉 ワッペンを着用していたこと、体操をしなかったことは認め、呼名に対し、小声で返答したとの点は否認する。

〈2〉 にらみつけたとの点は否認し、その余は認める。

(55)〈1〉 ワッペンを着用したこと、体操をしなかったことは認め、呼名に対し、小声で返答したとの点は否認する。

〈2〉 否認(一一時五二分ころ食事をし、三分賃金カットの通告を受けている。)。

(56)ないし(59) ワッペンを着用したこと、体操をしなかったことは認め、遅参したとの点は争い、呼名に対し小さい声で返答したこと、または返答しないとの点は否認する。

(60)〈1〉 ワッペンを着用していたこと、体操をしなかったことは認め、遅参したとの点は争い、点呼伝達の際「チンピラ区長。」と発言した点及び返事を全くしなかったことは否認する。

〈2〉 認める。

(61) ワッペンを着用していたことは認め、遅参したとの点は争う。その余は否認する(八月一日に違法ストの話はなかった。)。

(62) ワッペン着用していたこと、体操をしなかったことは認め、遅参したとの点は争い、呼名に対し小さい声で返答したとの点は否認する。

(63)ないし(65) 遅参したとの点は争い、体操をしなかったことは認め、その余は否認する。

(66) 遅参したとの点は争い、体操をしなかったことは認め、呼名に対し聞きとれないような返事をしたり、大声でふざけた返事をしたとの点は否認する。

柳沼首席助役が、上遠野、遠藤(一)に対し、公傷を理由に仕事を外し、イヤガラセ的な作業指示をした際、当時、窓際のタオル掛けに赤タオルを掛けておくと、当局が持ち去ることが相次いだので、「赤タオルをドロボーすんな。赤タオルを返せ。」等と抗議したに過ぎない。

(71)ないし(74)〈1〉 遅参したとの点は争い、体操をしなかったことは認め、呼名に対し小さい声で返答したこと、遅れて小さい声で返事したとの点は否認する。

(74)〈2〉 東北鉄道整備株式会社の社員が、水洗い作業に従事していたことは認めるが、その余は否認する。

八月二七日に仙鉄局の職員が、職場巡視をするということで、検修七番線西側白線の水洗いを前記社員に行わせたが、七番ピット内に水が溜り、油と混じりヌルヌルの状態だったので、木村が、柳沼助役に対し、「…………。滑って危ない。やめてくれ。」と申し入れたところ、同人は「注意してやればいいんだ…………」等と述べるのみなので、木村は「掃除をするなら仕事が終わってからか、貨車を入れないでやるべきだ。」、「管理者は、安全を確保する義務がある。」等と言ったところ、同助役は「仕事のことでオメエらに指図される必要はない。いいがら黙って仕事しろ、余計なごと言ってんな。抗議だな。否認すっつおう。」等と暴言を吐いたのである。

(75)〈1〉 遅参したとの点は争う。チャイムが早くなったこと、体操をしなかったことは認め、点呼が八時三〇分に開始された点、仕事をしなかったこと、暴言を吐き点呼が中断ないし遅れた点はいずれも否認する。呼名に対し聞きとれないような低い、かつ小さい声で返事をしたとの点は否認する。

〈2〉 同時刻ころ、長椅子に座って、机のうえに脚を上げ休んでいたこと、区長が注意したことは認め、その余は否認する。

区長の注意に対し、「自分の仕事は終わった。疲れている。」等と答えたにすぎない。

(76) 前段。遅参したとの点は争い、体操をしなかったことは認め、暴言を吐いて点呼を妨害したとの点は否認する。

呼名に対し聞きとれないような返事をし、暴言を吐いて点呼を妨害したとの点は否認する。

管理者が小さい声で伝達することもままあり、当日の点呼執行者の呼名も小さくよく聞き取れないのに、原告らにばかり大きい声で返事をするよう指示したため、「大きな声でないのはあんただべ。」と指摘したものである。

後段のうち、体操をしなかったことは認め、暴言を吐いて点呼を妨害したとの点は否認する。

区長が、「一四時からの入れ換え手待ちを利用し、安全についての教育訓練をやる。」と一方的に指示したのに対し、多くの組合員が「組合無視だ。」等と申し入れたにすぎない。

(77)〈1〉 遅参したとの点は争い、体操をしなかったことは認め、呼名に対し返答しなかったとの点は否認する。

〈2〉 同時刻ころ、花火をしたことは認め、その余は否認する。

仕事終了後、日陰にいた際、古い花火二~三本に火をつけすぐ止めたものである。

(78)ないし(81)〈1〉 遅参したとの点は争い、体操をしなかったことは認め、その余は否認する。

(81)〈2〉 否認する(一一時五三分ころ食事し、「否認しんだからいいべ。」と述べたことはあり、二分間否認の通告を受けた。)。

(82) 前段。遅参したとの点は争い、呼名に対し返事をしなかったとの点は否認する。

後段のうち、体操をしなかったことは認め、騒ぎ出し騒然となったとの点は否認する。

区長は、余剰人員の活用と言いながら、具体的には「仙台希望の人、ラーメン作りのうまい人。」等と言ったので、木村は、労働者に責任のない合理化を茶化して言ったので、自分で行ったらどうだという趣旨の発言をしたに過ぎない。

(83) 遅参したとの点は争い、体操をしなかったことは認め、呼名に対し「オー。」と返答したとの点は否認する。

(84)〈1〉 遅参したとの点は争い、体操をしなかったことは認め、その余は否認する。

〈2〉 認める。

〈3〉 上半身裸だったことは認め、その余は否認する。

(85) 遅参したとの点は争い、その余は認める。

(86)〈1〉 遅参したとの点は争い、体操をしなかったことは認め、呼名に対し小声で返答したとの点は否認する。

〈2〉 食事をしたこと、制止したこと、中断したことは認め、その余は否認する。

(87)、(88)〈1〉 遅参したとの点は争い、体操をしなかったことは認め、その余は否認する。

〈2〉 認める。

(89)ないし(95) 遅参したとの点は争い、体操をしなかったことは認める。呼名に対し小さい声で返答したとの点は否認する。

(96) 遅参したとの点は争い、体操をしなかったことは認める。呼名に対し小さい声で返事したとの点は否認し、点呼中笑ったことは認め、点呼を妨害したとの点は否認する。

点呼の際、区長が他人の安全帽を間違えて着用していたため、多数の人が思わずふき出して(笑った)しまった。また、近、上遠野も区長に対して、他人のヘルメットを着用している旨指摘すると、区長は「上遠野くやしかったらヘルメットをかぶれ。供述書書いて検修作業やってみろ。」「今までのオメエの履歴書持って行っても使ってくれるような所めっけろ。」等と暴言を吐いた。

(97)〈1〉 遅参したとの点は争う。呼名に対し小さい声で返答したとの点は否認し、区長の訓示中、発言したことは認め、点呼を妨害したとの点は否認する。

後段、体操をしなかったことは認め、その余は否認する。

点呼の際、区長が「国鉄改革と職員の意識の改革について」の訓示中で「改革は答申通り進む。九万人の余剰人員をタダで養って行くわけにはいかない。新しい会社に行くのもしかり。個人の履歴書を持って行く時、処分、処分ではどうしようもない。」等と、国会においても正式に決定されていない国鉄「分割・民営化」の話や、合理化によって生み出された余剰人員の話、さらにはおよそ訓示としてふさわしくない履歴書云々の伝達を行うなどしたため、木村は、来年定年退職する区長に対して、区長は辞めるのだから人の心配をするなと発言したものである。

〈2〉 認める。

(98) 遅参したとの点は争い、その余は認める。

(99)〈1〉 遅参したとの点は争い、体操をしないで自席で新聞を読んでいたことは認め、呼名に対し小さい声で返答したとの点は否認する。

〈2〉 木村がいたことは認め、その余は否認する。

(100)〈1〉 遅参したとの点は争い、体操をしなかったことは認め、小さい声で返事したとの点は否認する。

〈2〉 認める。

(101)ないし、(104) 遅参したとの点は争い、体操をしなかったこと、スト参加の誤処分に抗議したことは認め、呼名に対し小さい声で返答したこと、低い声で返答したとの点は否認する。

(105)〈1〉 遅参したとの点は争い、体操をしなかったことは認め、呼名に対し小さい声で返答したとの点は否認する。

〈2〉 否認する。

七番線と八番線の間の落書きについて、鵜沢助役が遠藤(一)に対し「落書き消せ。業務命令だ。」、「やんねんなら賃カツだ。」と高圧的態度で指示し、やむなくペンキを塗り出すと「白線からはみ出ねようにペンキ塗れ。」と足で指示したので、組合員らが「足で指示するとは、何だ。」、「手本を示せ。」、「監視労働すんな。」等と申し入れた。一一時二五分ころ、区長が来て「ここにいるのは全員賃カツだ。黙ってここから出るまで賃金カットだ。」等と強圧的労務指示した。

〈3〉 認める。

(106)〈1〉 一分遅参したとの点は争い、体操をしなかったことは認める。

〈2〉 食事をしたこと、制止したこと、「自分の弁当食って何が悪い。」と言ったことは認め、その余は否認する。

(107)〈1〉 遅参したとの点は争い、体操をしなかったことは認め、呼名に対し小さい声で返答したとの点は否認する。

〈2〉 食事をとったこと、制止されたことは認め、その余は否認する。

(108) 遅参したとの点は争い、体操をしなかったことは認め、呼名に対し小さい声で返答したとの点は否認する。

(109)〈1〉 遅参したとの点は争い、体操をしなかったことは認め、呼名に対し返答をしなかったとの点は否認する。

〈2〉 C'組を作り、検修一〇番で交検を実施する旨伝達したことは認め、暴言を吐き、点呼を妨害したとの点は、否認する。九・一〇番線については、ピットが浅いが、従来国鉄は交検線でなく、修繕線なので、ピットは浅くてもかまわないとし、照明、生命綱もいらないと団交で確認していたのを、一方的に無視し、変更したことに対し、正当な申入れを行ったことはある。

(110) 遅参したとの点は争い、団交を守れと発言したことは認め、点呼を妨害したとの点は否認する。

鵜沢助役及び区長がC'組を編成し、検修一〇番線において交番検査を実施する旨伝達を行ったため、原告ら国労組合員が、団交交渉確認のA、B、C組の三組による二七両体制が基本であり、しかも検修一〇番線については修繕線であるので、団交確認を守るよう、またC'組による検修一〇番線における交番検査を実施するのであれば、団交を開催し、労使で協議し合意をしてもらい実施するよう、正当な申し入れを行ったことはある。

(111) 「八時三〇分まで出勤し毎回否認されるのはおかしい。」と述べたことは認め、遅参したとの点は争い、暴言を吐いて点呼を妨害したとの点、就業規則をたたきつけ、怒鳴ったとの点及び呼名に対し小さい声で返事をしたとの点は否認する。

(112) 遅参したとの点は争い、呼名に対し返事をしないとの点は否認する。後段、体操をしないで新聞を読んでいたことは認め、「なにこの。」と発言したことは否認する。

(113) 遅参したとの点は争い、体操をしなかったことは認め、返事をしなかったこと、点呼を妨害したとの点は否認する。

(114)〈1〉 遅参したとの点は争い、点呼を妨害したとの点は否認し、体操をしなかったことは認め、呼名に対し返事をしないとの点は否認する。

〈2〉 同記載の日時場所に入室したことは認め、区長が暴力を振るったことに対し、正当な抗議をしたことは認め、その余は否認する。

(115) 遅参したとの点は争い、体操をしなかったことは認め、その余は否認する。

〈2〉 区長が佐藤(浩)、阿部を作業からはずしたこと、木村が交検班に属していたことは認め、その余は否認する。

(116) 遅参したとの点は争い、体操をしなかったことは認め、その余は否認する。

(117) 遅参したとの点は争い、体操をしなかったことは認め、その余は否認する。

〈2〉 午前中の作業終了後、昼食時間に間がないときに食事を開始したことは認め、暴言を吐いたとする点は否認する。

(118)、(119) 認める。

(120)〈1〉 遅参したとの点は争い、体操をしなかったことは認め、呼名に対し返事をしなかったこと、区長に背を向けたとの点は否認する。

〈2〉 午前中の作業終了後、昼食時間に間がないときに食事を開始したことは認める。

(121)〈1〉 遅参したとの点は争い、体操をしなかったことは認め、呼名に対し小さい声で返事したとの点は否認する。

〈2〉 午前中の作業終了後、昼食時間に間がないときに食事を開始したことは認める。

(122) 遅参したとの点は争い、体操をしなかったことは認め、呼名妨害したとの点及び呼名に対し小さい声で返事したとの点は否認する。

(123) 遅参したとの点は争い、その余は認める。

(124)、(125) 遅参したとの点は争い、体操をしなかったことは認め、その余は否認する。

(126)〈1〉 遅参したとの点は争い、体操をしなかったことは認め、揚足とりの発言を繰り返して点呼を妨害したこと及び呼名に対し明確に返答をせず、点呼執行者に背中を向けて立ったとの点は否認する。

〈2〉 遠藤(一)が保護具を着用していなかったこと、首席助役が同人に貨車の検修作業を外し、雑作業を指示したこと、木村らがこれに意見を述べたことは認め、暴言を吐いたこと等その余は否認する。

(127) 遅参したとの点は争い、体操をしなかったことは認め、返答しなかった点及び点呼を妨害したとの点は否認する。

従前、休暇について前月の二〇日までに、公休、非休を定め計画年休ということで「休み申込み簿」に記入していたのを、一方的に「年休申込み簿」に変更してきたのに対し、正当な主張をしたことはある。

(128) 遅参したとの点は争い、体操をしなかったことは認め、返答しなかったとの点は否認する。

(129) 遅参したとの点は争い、体操をしなかったことは認め、騒いで点呼を妨害したとの点は否認する。点呼執行者に背中を向け、呼名に対し返答しなかったとの点は否認し、横一列に並んだとの点は認める。

(130)〈1〉 遅参したとの点は争い、体操をしなかったこと、横一列に並んだとの点は認め、点呼執行者に対し横向きになり、呼名に対し返答しなかったとの点は否認する。

〈2〉 他の原告らと話をしていたことは認めるが、その余は否認する。

〈3〉 午前中の作業終了後、昼食時間に間がないときに食事を開始したこと、注意され食事を中止したことは認め、その余は否認する。

(131)〈1〉 遅参したとの点は争い、体操をしなかったことは認め、呼名に対し返事をせず、点呼執行者に対し横向きになったとの点は否認する。

〈2〉 前(40)〈2〉記載と同様である。

(132)〈1〉 遅参したとの点は争い、体操をしなかったことは認め、その余は否認する。

〈2〉 午前中の作業終了後、昼食時間に間がないときに食事を開始したことは認め、その余は否認する。

(五分間就労していないとして賃金カットの通告を受けている。)

(133)〈1〉、〈2〉 前(41)〈1〉、〈2〉の認否と同一である。

(134)〈1〉 遅参したとの点は争い、体操をしなかったことは認め、その余は否認する。

〈2〉 所定の作業終了後の手待時間を利用して、スパイクタイヤを普通タイヤに交換したこと、助役が注意したことは認め、その余は否認する。

(135) 遅参したとの点は争い、体操をしなかったことは認め、その余は否認する。

(136) 認める。

(137)ないし(141)〈1〉 遅参したとの点は争い、体操をしなかったことは認め、その余は否認する。

(141)〈2〉 激しく抗議し、同助役の業務を妨害したとの点は否認する。柳沼助役が、高橋(敏)らに対し、「高橋君と上遠野君、区長に年休返上の理由書いて出せ。」と話しかけてきたので、同人らは書いて出す理由を聞いた際、公休非休の申込みなのか年休の申込みなのか、年休カードと年休申込み簿との関係などについて話がなされたにすぎない。

(142)ないし(144)〈1〉 遅参したとの点は争い、体操をしなかったことは認め、その余は否認する。

(144)〈2〉 否認する。

原告らは、申し込んでいない(請求していない)年休が、一二月勤務予定表に入っていたため、年休を返上する旨申し入れたにすぎない。

(145)ないし(148) 遅参したとの点は争い体操をしなかったことは認め、その余は否認する。

(149) 遅参したとの点は争い、体操をしなかったことは認め、返答しないこと、暴言を吐いて点呼を妨害した点は否認する。

当日の朝の点呼に、仙台鉄道管理局伊藤運転車両部長が立ち会うというので、分会としては、点呼時間・場所の変更は、労働条件の変更であるので、団交でやるべきだとの理由に基づき、出席者のほとんどが、

「(点呼時間・場所の変更は)団交でやれ。」

と申し入れた際、当局とやり取りがあったこと、又、区長のアンケート調査の実施の伝達や総務課長の昭和六二年四月に向かっての分割民営の話に対し、未だ国会で充分審議すらなされていないのに、あたかも既に決まったかの前提で話をしたので「どこで決まったのか、国会で決まったのか。」と質問をしたものである。

(150)〈1〉 遅参したとの点は争い、体操をしなかったことは認め、その余は否認する。

〈2〉 「寒いので、暖房を送ってくれ。」という趣旨の発言をしたことは認め、その余は否認する。

当日、上回り検査担当で、しかもコキ車両三両だったため、所定の作業が早く終わり、九番線での交検作業は一四時四〇分からだったので、待機していたものである。尚、外は寒く、当局は一方的に暖房を行う庫の温度を当時下げていた。

(三) 原告円谷の非違行為

(1) 安全帽を着用しなかった点は認め、暴言を吐いたとの点は否認する。

(2) 上遠野が、書換作業に従事していたことは認め、その余は否認する。上遠野の公傷が治っても同人を正規の作業につけず、いやがらせ的雑作業にのみ従事させていたので、その点を問いただしたにすぎない。

(3) 円谷らが、区長の点呼の方法について意見を述べたことは認めるが、その余は否認する。

当日区長は返事をしているにもかかわらず、「返事の聞こえぬ奴は欠勤扱いにしろ。」とか、「区長に抗議した奴は処分だ。」、「ちょっとでもいったら点呼妨害だ。」等と、暴言を吐いたのに対し、それを指摘したことはある。

(4)〈1〉 前(一)(6)〈1〉記載の認否と同一である。

〈2〉 前(一)(6)〈2〉記載の認否と同一である。

(5) ワッペンを着用していたこと、取り外すよう注意されたことは認め、その余は否認する。

検修員室でのワッペン着用は全く業務に支障ないもので、正当な組合活動であるので、首席助役の行為に対し、組合活動への干渉を止めるように通常の声で申し入れたにすぎない。

(6) 前(一)(8)記載の認否と同一である。

(7) 前(一)(10)記載の認否と同一である。

(8) 前(一)(11)記載の認否と同一である。

(9) 前(一)(15)記載の認否と同一である。

(10) 否認する。

首席助役に対し、円谷が八月交番について従前の確認、慣行と異なるやりかたをしたことを指摘したのに、同助役が、「交番の指定は管理運営事項だ。」として、労働条件を一方的に変更することにまともな返答をしないことから、円谷は、「何でも無条件で当局の言うままというのではまるでドレイのような扱いではないのか。」「今までの労使慣行を全く無視したデタラメな交番ではないか。」と発言したものである。職務妨害・職場秩序を乱すことはしていない。

(11) 前段は前(一)(20)記載の認否と同一である。

後段は否認する。手待時間に新聞を切り抜いていたにすぎない。

(12)、(13) ワッペン着用は認め、遅参したとの点は争い、小声で返事したとの点は否認する。

(14) 遅参したとの点は争い、その余は認める。

(15) 遅参したとの点は争い、体操をしなかったことは認め、暴言に同調して呼名を妨害したとの点及び小声で返事をしたとの点は否認する。

(16) 体操をしなかったことは認め、その余は否認する。

(17)、(18) 認める。

(19) 遅参したとの点は争い、その余は認める。

(20) 遅参したとの点は争う。

(21)、(22) 認める

(23)、(24) 遅参したとの点は争い、その余は認める。

(25) 遅参したとの点は争い、体操をしなかったことは認め、その余は否認する。

(26) 遅参したとの点は争い、その余は認める。

(27) 遅参したとの点は争い、体操をしなかったことは認め、その余は否認する。

(28) 前(二)(75)〈1〉記載の認否と同一である。

(29) 前(二)(76)記載の認否と同一である。

(30) 遅参したとの点は争い、体操をしなかったことは認め、その余は否認する。

区長が、業務上の傷害を全て本人の責任に転嫁する発言をしたので、それに対し「安全帽・安全靴とばかりいうんでない。」等という趣旨の申し入れをしたにすぎない。

(31) 遅参したとの点は争い、点呼を妨害したこと、分会情報を読んだこと、発言し反発したこと、暴言を吐いて点呼を妨害したこと及び小声で返事をしたことは否認する。

(32) 遅参したとの点は争い、その余は認める。

(33) 遅参したとの点は争い、体操をしなかったことは認め、小声で返事をしたことは否認する。

(34) 遅参したとの点は争い、その余は認める。

(35) 遅参したとの点は争い、体操をしなかったことは認め、その余は否認する。

(36) 遅参したとの点は争い、体操をしなかったことは認め、その余は否認する。

当日も区長は、点呼に際し、「返事しろ。聞こえるように返事しろ。」と怒鳴りながら、点呼に遅れないよう八時三〇分までここに来るように等と指示した際、点呼時間・場所の変更は一方的にできない旨を申し入れたものである。

(37) 遅参したとの点は争い、体操をしなかったことは認め、その余は否認する。

(38) 遅参したとの点は争い、体操をしなかったことは認め、小声で返答したとの点は否認する。

誰かが笑ったところ、首席助役が「笑った人がいるが、点呼妨害だ。」といったので、誰かが「それはひどい。」と言ったにすぎない。

(39)、(40) 遅参したとの点は争い、体操をしなかったことは認め、小声で返答したとの点は否認する。

(41) 前段のうち、遅参したとの点は争い、体操をしなかったことは認め、点呼を妨害したとの点は否認する。

区長が点呼に際し、国労に対する敵意に満ちた不当労働行為的発言(「処分がぶら下がっている。」等)を言ったのに対し、不当労働行為であるとして、組合介入するなという趣旨の申し入れをしたにすぎない。

(41) 後段のうち、体操をしなかったこと、同趣旨の発言をしたことは認めるが、暴言だとの点は否認する。

(42) 遅参したとの点は争い、その余は否認する。

(43)ないし(47) 遅参したとの点は争い、体操をしなかったことは認め、小声で返答したとの点は否認する。(46)のひそひそ話は、朝の挨拶を交わしたにすぎない。

(48) 遅参したとの点は争い、区長に対し抗議を繰り返したとの点及び小声で返答したとの点は否認する。

(49) 遅参したとの点は争い、体操をしなかったことは認め、小声で返答したとの点は否認する。

(50) 遅参したとの点は争い、体操をしなかったことは認め、大声で抗議を繰り返したとの点及び小声で返答したとの点は否認する。

区長が「体操ヤレ。」と強要したので、区長に対し、体操やらせるなら団交で決めてからにしてくれという趣旨の申し入れはしたことはある。

(51) 遅参したとの点は争い、体操をしなかったこと、国労バッジを外すよう介入したことは認め、暴言を吐いたこと、そのために騒然としたことは否認する。

区長らが、国労バッジを取り外すような不当な介入したことに対し、法を守れという趣旨の発言をしたことはあり、さらに、同区長の発言の中で「お前らは、どうせ新会社は無理だ(=国鉄清算事業団行きで、三年後は解雇だ。)」等と、選別的暴言を吐いたのに対し、組合員から不当な発言だということで、申し入れがあったのである。

(52) 遅参したとの点は争い、体操をしなかったことは認め、小声で返答したとの点は否認する。

(53) 遅参したとの点は争い、体操をしなかったこと、録音機を持ち込んだこと、それに対し組合活動だとして注意されたことは認め、暴言を吐いた、大声で繰り返し暴言を吐いた等の点及び小声で返答したとの点は否認する。

当局が、返事をしているのに聞こえないとか等と事実を歪曲したりして点呼妨害を理由に処分をちらつかせたりするので、分会として点呼の状況がデッチ上げられないように、自衛のため録音機を持ち込んだが、なんら業務に支障をきたしていないのであるから、右のような状況下では、むしろ正当な行為であるのに、これを組合活動として処分の理由にしようとしたので、組合員から、なんで組合活動なんだ等の発言がなされる状況であった。

又、検修員室で区長らが体操を始めたが、体に触れるとデッチ上げされるので、円谷は、体操は下でやったらどうだという趣旨の発言をしたにすぎない。

(54) 遅参したとの点は争い、体操をしなかったことは認め、叫んだため点呼が中断したとの点及び小声で返答したとの点は否認する。

一方的に点呼場所等の変更をした上で、賃金カットをするので、それに対し、八時三〇分まで来ているとか賃カツするなよ等の申し入れがなされたにすぎない。

(55) 遅参したとの点は争い、体操をしなかったことは認め、暴言を吐いたとの点及び小声で返答したとの点は否認する。

尚、区長が組合員へ恫喝するような発言をした際、佐藤(浩)がそのことを指摘したところ、区長が笑ってごまかそうとしたので、円谷が笑ってごまかすなという趣旨の発言をしたことはある。

(56) 前段について

遅参したとの点は争い、点呼を妨害したとの点は否認する。

首席助役が、日頃分割民営化のため、派遣等を指示しておきながら、老眼のため伝達指示文すらなかなか読めない状況だったので、円谷は、他人に辞めることを勧めるより、自ら後進に道を譲ったらどうだという趣旨の発言をしたにすぎない。

後段について

体操をしなかったことは認めるが、激しい口調で抗議をしたとの点は否認する。

体操の不当な強要に対し、労働条件の一方的変更だから団交で決めるようにとの申し入れを行ったにすぎない。

(57) 遅参したとの点は争い、体操をしなかったことは認め、「なにいってんだバカ」等と暴言を吐いたとの点及び小声で返答したとの点は否認する。

(58) 遅参したとの点は争い、体操をしなかったことは認め、小声で返答したとの点は否認する。

(59) 遅参したとの点は争い、体操をしなかったことは認め、点呼妨害をしたとの点及び小声で返答したとの点は否認する。

区長が、点呼に際し、差別はどんどんやる趣旨の発言をし、検査長の発令をしたが、年功で二〇年近い差があり、能力的にみても問題がないのに、先輩の組合員が検査長に発令されなかったことに対し、同趣旨の申し入れをしたことはある。

又、出勤しているのに否認扱いしたことについて、正当な申し入れをしたことはある。

(60) 遅参したとの点は争い、その余は認める。

(61) 遅参したとの点は争い、体操をしなかったことは認め、点呼妨害をしたとの点は否認する。

従前、職場レクリェーションについては、分会と相談しながら行ってきた経緯を無視し、分会はもちろん職員とも全く相談なく一方的に職場レクリェーションの説明をしたので、分会長や円谷が、一方的だとして同趣旨の申し入れをしたことはある。

(62) 遅参したとの点は争い、その余は認める。

(63) 遅参したとの点は争い、体操をしなかったことは認め、小声で返答したとの点は否認する。

(64) 前(二)(110)記載の認否と同一である。

(65) 前(二)(111)記載の認否と同一である。

(66) 前(二)(112)記載の認否と同一である。

(67) 前(二)(114)記載の認否と同一である。

(68) 遅参したとの点は争い、体操をしなかったことは認め、「頑張らないぞ。」等と発言して、点呼を妨害したとの点及び返答をしなかったとの点は否認する。

返答をしているのに、何度も名を呼ぶので、返答をしているだろうという趣旨の発言をしたこと、区長が一一月一日より一方的に出務表の置き場所を変更する旨指示したので、一方的にするなという趣旨の発言をしたにすぎない。

(69) 遅参したとの点は争い、ハンプ勤務の飯田を点呼したことは認め、野次をとばして点呼を妨害したとの点及び小声で返答したとの点は否認する。

従前、慣行としてハンプ仕業班所属の職員については、ハンプ出勤し、同所で着替えをしてから本区の点呼に出ろと指示したのに、一方的に八時三〇分までに着替えをして本区の点呼に出うと指示したので、その不当なことを指摘し、否認するなと申し入れたものである。

(70) 遅参したとの点は争い、体操をしなかったこと、不着用の場合公傷扱いで不利になる旨の話をしたことは認め、点呼妨害をしたとの点は否認する。返答としているのにわざと二度名前を呼んだので「返事しています」と答えたにすぎない。

(71) 遅参したとの点は争い、体操をしなかったことは認め、点呼妨害をしたとの点は否認し、呼名の返事が「オー」となった点は認める。

当日より出勤表の捺印場所が一方的に変更されたことに対し、団体交渉で行うように円谷他組合員が申し入れたにすぎない。

(72) 遅参したとの点は争い、体操をしなかったことは認め、点呼妨害をしたとの点は否認し、点呼で「指導が悪いからだべ。指導をやれ。」と言ったとの点は認める。

区長が、点呼において安全帽を着用しない人は、近く処分が出るとか、点呼や入浴問題で厳しく責任を追求する等とか、職場規律の強化によって事故が防止できる等と、組合に対する挑発的発言がなされたのに対し、区長の右のような姿勢に対し不当である旨の申し入れをおこなったものである。

(73) 遅参したとの点は争い、体操をしなかったこと及び呼名の返事を「来てます。」と発言したことは認める。

(74) 前(一)(29)〈1〉記載の認否と同一である。

(75) 遅参したとの点は争い、体操をしなかったことは認め、点呼妨害をしたとの点は否認する。

返事をしても何回も呼ぶので「返事してっぺ。」と発言した点は認める。

(76) 前 (一)(30)記載の認否と同一である。

(77) 遅参したとの点は争い、体操をしなかったことは認め、点呼妨害したとの点及び小声で返事をしたとの点は否認する。上遠野が返事をしているのに三回も呼んだので「返事してっぺ。」と発言したことは認める。

返事をしているのに繰り返して点呼するので、返事している旨申し入れたものである。

又、増収活動として現実に当局が断れないところに集中していることについて、そのような方法はおかしいのではないかという趣旨で発言したのである。

(78) 遅参したとの点は争い、その余は認める。

(79) 遅参したとの点は争い、体操をしなかったこと、八時三〇分まで来ている旨述べたことは認めるが、点呼妨害をしたとの点及び小声で返答したとの点は否認する。

(80) 遅参したとの点は争い、体操をしなかったことは認め、点呼妨害をしたとの点及び小声で返答したとの点は否認する。

(81) 前(一)(36)記載の認否と同一である。

(82) 前(二)(129)記載の認否と同一である。

(83) 遅参したとの点は争い、体操をしなかったことは認め、点呼妨害をしたとの点及び小声で返答したとの点は否認する。

区長の組合を無視した一方的指示に対し、団交を開いてやるべきでないかという趣旨の発言をしたのである。

(84) 遅参したとの点は争い、体操をしなかったことは認め、点呼妨害をしたとの点及び小声で返答したとの点は否認する。

尚、外での点呼が寒いので、暖房を早く通してもらいたい旨話したのである。

(85) 前(一)(40)〈1〉記載の認否と同一である。

(86)〈1〉 前(一)(41)〈1〉記載の認否と同一である。

〈2〉 前(一)(41)〈2〉記載の認否と同一である。

(87) 遅参したとの点は争い、小声で返答したとの点は否認する。

橋本(守)、上遠野は当時出務表に捺印中であったので、「きています。」と返答をしたのである。

又、交番の変更が、従前の慣行を無視してなされていたので、他に希望者がいるのに何故鈴木(康)を入れるのかと話しかけたのである。

(88) 前(一)(43)記載の認否と同一である。

(89) 前段について

遅参したとの点は争い、返答しなかったこと、点呼妨害をしたとの点は否認する。

区長は一貫して傷害事故は本人の不注意が原因であるとする発言をしていたが、当日も目にゴミを入れた人がいる等と本人の不注意で目にゴミを入れたかのような発言をしたので、訓示として不適切なので、その点を指摘したのである。

後段について

体操をするなら団交で決めてからにすべきだとの発言をしたことは認めるが、「区長の悪党。」等と大声で発言したとの点は否認する。

(90) 前段について

前(一)(44)〈1〉記載の認否と同一である。

後段について

体操をしなかったことは認め、その余は否認する。

(91) 前段について

前(一)(45)記載の認否と同一である。

後段について

返答をしなかった点は否認し、その余は認める。

(92) 遅参したとの点は争い、体操をしなかったことは認め、点呼妨害をしたとの点は否認し、返答の件は「オー」という返事をしたことは認めるが低くはない。

区長がハンプからの引っ越しについて、従前認めていた時間を一方的に認めず、八時三〇分に間に合うように指示したので、団体交渉でやるべきだという趣旨の申し入れをし、又、区長に対し、誘客をあまりしていないこと等について、普通の会話としてしたものである。

(93) 前(一)(47)記載の認否と同一である。体操をしなかったことは認める。

(94) 遅参したとの点は争い、体操をしなかったことは認め、小声で返答したとの点は否認する。

(95) 前段について

遅参したとの点は争い、返答をしなかった点及び暴言を吐いて点呼妨害をした点は否認する。

本間補佐らが、国会で未だ審議すら充分行われていないのに、国鉄の分割民営化を既定の前提として話をしたので、その不当性を指摘したにすぎない。

後段について

区長が分会長らに対し、暴言を吐いたので、話し合いの中でそれを指摘し、反論したことはある。

(96) 前段について

遅参したとの点は争い、妨害発言との点は否認する。

区長が、「勤務予定表の申し込みは年休だけだ。」とか、「千葉の過激派とうちの職場にいるのとは同じ考えだ。」等と言ったので、それに対し、その不当性を指摘し、団交でやるべきである等の発言がなされたものである。

後段について

暴言を吐いたとの点は否認し、体操をしなかったことは認める。

区長からの話に対し、体操をやるなら団交で決めてやるべきであるとか、職場が騒がしいのは、管理者が団交もやらず、一方的にやるのが悪いのではないか等という会話をしたのである。

(97) 遅参したとの点は争い、体操をしなかったことは認め、返答をしなかった点及び点呼妨害をしたとの点は否認する。

返事をしても、何回も呼ぶので、外でなく従来どおり二階でやったらいいだろうという趣旨の発言をしたのである。

(98) 返答しなかった点は否認し、その余は認める。

(99) 遅参したとの点は争い、返答をしなかった点は否認し、その余は認める。

(100) 前(一)(50)記載の認否と同一である。返答をしなかった点は否認する。

(101)〈1〉 前(一)(51)記載の認否と同一である。返答をしなかった点は否認する。

〈2〉 「馬鹿」等の点を除き、発言の大筋は認めるが、大声で怒鳴ったとの点及び暴言との点は否認する。前記年休強要に対する正当な申し入れである。

(102) 前(一)(53)〈1〉記載の認否と同一である。体操をしなかったことは認める。

(103) 遅参したとの点は争い、体操をしなかったことは認め、暴言を吐き、点呼を妨害をしたとの点は否認する。

年休申し込みについて、再々言われたり、従前の取り扱いを否定し、公休等確定以前の年休権行使を強要するので、それに対し、団交でやるべきであること、法律違反であること等を組合員が指摘したものである。

(104) 前(二)(149)記載の認否と同一である。体操をしなかったことは認める。

(105) 遅参したとの点は争い、聞こえないとの趣旨の発言をしたこと及び体操をしなかったことは認め、その余は否認する。

(106) 遅参したとの点は争い、体操をしなかったことは認め、返答をしなかった点及び大声で叫び、点呼を妨害をしたとの点は否認する。

団交なしで作業ダイヤの変更を指示し、体操をしないものを否認する旨指示したのに対し、団交でやるべきだと申し入れ、何故否認するのかと質問したものである。

3 懲戒処分歴の主張に対する認否

(一) 原告飯田

(1)から(18)までの各懲戒処分を受けたことは認める。但し、(12)、(13)、(16)、(18)記載の各処分事由はいずれも存しないものであった。

(二) 原告木村

(1)から(8)までの各懲戒処分を受けたことは認める。但し、(5)、(6)、(8)記載の各処分事由はいずれも存しないものであった。

(三) 原告円谷

(1)から(14)までの各懲戒処分を受けたことは認める。但し、(2)、(3)、(11)、(12)、(14)記載の各処分事由はいずれも存しないものであった。

五 原告らの主張

1 本件解雇処分の背景と不当労働行為

(一)本件解雇に至るまでの国労攻撃

(1) 第二臨時行政調査会発足と「ヤミ・カラ」キャンペーン、「職場規律の確立」に名を借りた組合活動攻撃

昭和五六年三月一六日第二臨時行政調査会(以下「第二臨調」という。)が設定された。その発足と同時に国鉄の「職場規律の乱れ」、「労使慣行の改善」が叫ばれ始め、同年一二月からマスコミを使った「ヤミ・カラ」キャンペーンが展開された。

具体例として、「時間内入浴」、「ヤミ手当」、「ブラ勤」、「突発休・ポカ休」等が取り上げられ、国鉄の膨大な赤字は、この「職場規律の乱れ」、「働かない国鉄職員」にその原因があるとの宣伝が大々的に展開された。しかし、「時間内入浴」、「ヤミ手当と称するもの」、「ブラ勤」、「突発休・ポカ休と称されるもの」についても、その実態をみれば国鉄における作業ダイヤ、勤務形態の特殊性に起因するもので、職場の実際の作業の中で長い年月をかけて作り出されたきた合理的慣行である。

このキャンペーンには二つの特徴があった。

第一は、これまで長年にわたり行われてきた職場の実態、作業の実態、あるいは慣行を「ヤミ・カラ」、「悪慣行」として、その実態を見ず、その果たしてきた真の役割をことさら無視していること。

第二に、その「批判」の視点が民間の専制的職場支配体制のなかにおける労使関係、あるいは労基法・労働安全衛生法の定める「最低基準」を実際上は「最高基準」としていること。

そして、国鉄労働者が非難されるべき問題などはほとんどないと言ってよいこれらの職場の慣行が、国鉄の赤字の原因であるかのようにキャンペーンされるのである。

かかる「ヤミ・カラ」キャンペーンの開始と時を同じくして、これらの「ヤミ・カラ」、「悪慣行」の是正のためには「職場規律確立」が急務であるとして、「職場規律の確立」に名を借りた国労攻撃がいち早くかつ系統的に開始されるのである。これは、主なものをみれば次にみるように、政府・自民党、国鉄当局一体となって推し進められたものであった。

イ 昭和五七年二月五日、国鉄総裁が運輸大臣指示をうけて、「職場規律の総点検及び是正について」通達。

ロ 昭和五七年四月一六日、自民党国鉄基本問題調査会交通部会「管理者経営権及び職場規律確立」に関する提言。

ハ 昭和五七年四月二三日、国鉄当局、四八五三一ケ所を対象とした「総点検の結果報告及び今後の改善の進め方について」を運輸大臣に提出。

ニ 昭和五七年七月一五日、国鉄当局、ブルートレイン検査係に支払われていた乗務旅費は「ヤミ手当」であるとして、国労・全動労組合員一五五人に返還訴訟提起。

ホ 同年七月一九日、国鉄当局、「現場協議に関する協約」の改訂案提出、一一月三〇日までまとまらなければ破棄提案(一一月三〇日、国労と交渉決裂、無協約、動労、鉄労、全施労は妥結)。

ヘ 同年七月三〇日、第二臨調、第三次答申(基本答申)、国鉄の七分割・民営化、「悪慣行の是正、要員の徹底的合理化」などを言明。

ト 同年九月二四日、政府、臨調答申をうけて行革大綱を閣議決定。国鉄を五年以内に事業再建の全体構想を設定し、実現をはかるとする。

同時に「緊急一〇項目」を閣議決定し、職場規律の確立と称する組合活動の規制、地方線の整理促進などを決定。

(2) 現場協議制の失効と「職場規律確立」

昭和四三年に公労委の仲裁により労使の協定として発足した現場協議制は、職場の労働条件や仕事の進め方、環境条件などについて平和的に話し合い解決する制度として一四年にわたって機能してきたものである。それも、すでに制度化される以前において現場で行われてきたものの制度であった。

その中で、国労組合員は、自らの職場の問題を自らの頭で考え、自らの力で解決する場として、労働者としての自覚を高め、組合活動を活発で民主的なものにする重要な場であった。

当局は、分割・民営化を進めるにあたり、当時約七割の組織率をもっていた国労の弱体を図り、「職場規律の乱れの原因は現場協議制にある」と言いがかりをつけて、国労と当局との交渉を通じ国鉄労働者の権利と利益を守っていくための重要な場である「現場協議制」を奪ったのである。現協を業務命令の伝達機関に変えようとしたものである。

国労として、従来の慣行あるいは現場協議で確立した事項を順守することを求めたが、当局はこれを一方的に破棄し、業務命令による処分を背景にその意を強行していった。

(3) 国鉄再建監理委員会の発足と「余剰人員」に名を借りた国労攻撃

国労組合員に対する攻撃は、「職場規律の確立」の名による処分とともにさらにエスカレートし、「余剰人員」創出による雇用不安を利用して行われ、昭和五七年七月、動労が機関区検修旅費手当問題で「返還」の方針をきめて変質していった後は、主に国労組合員に集中的に攻撃が加えられていった。

イ 昭和五八年六月一〇日、国鉄再建監理委員会が発足した「第二臨調は同年三月一五日解散)が、国鉄当局は、貨物経営改善計画の発表(五八・一・二四)、二万八九〇〇人削減計画(五八・六・六)、五九・二ダイア改正において、一九八四年度首で二万四五〇〇人が「余剰人員」(過員)になる旨発表していく。そして、昭和五九年五月には三五万人体制を目標として「経営改善計画」の最終年度にあたる昭和六〇年度計画の変更を組合に提案し、三二万人体制として赤字ローカル線廃止促進などをしていた。

昭和五九年六月五日国鉄当局は、昭和五九年度要員計画と「余剰人員対策」を発表した。これによれば、五九年度首で二万四五〇〇人、六〇年度首で二万八〇〇〇~三万人が「余剰人員」となり、その対策として退職制度、休職制度の変更、派遣の実施のいわゆる「三項目」が検討中とされ、同年七月一〇日には組合にこの「三項目」の具体策として「余剰人員調整策」が提案されるのである。

昭和五九年八月一〇日監理委員会は「日本国有鉄道の経営する事業の運営の改善のために緊急に講ずべき措置の基本的実施方針(第二次)について」(いわゆる第二次緊急提言)を政府に提出する。分割・民営化の方向を再建の具体策として検討する必要を示し、私鉄なみ生産性と要員、地方ローカル線廃止などを国鉄に求めたものである。

昭和五九年一〇月九日国鉄当局は、余剰人員調整を「三項目」につき妥結しなければ「雇用安定協約を破棄する。」ことを主張してきた。この協定は合理化により余剰人員が出た場合にも、それをもって解雇することはしない、という労働者にとっての身分保証をする協定であった。これの破棄とセットで「三項目」の妥結を図るという強行策である。同月一〇日には、国鉄当局は「三項目」の団交打切りを通告、一方的実施に踏み切るのである。動労、鉄労、全施労とは妥結されたが、国労とは妥結されない状況であった。

ロ 国鉄内の労働組合は、昭和五七年二月「国鉄改革共闘委員会」を総評、新産別、国労、動労、全施労、全動労で発足。同年三月九日、国労、動労、全施労、全動労で「国鉄再建問題四組合共闘会議」を設置した。国労は国鉄「分割・民営」に反対し、現場協議の破棄への抗議、更建監理委員会設置反対、要員合理化反対、職場規律問題など一貫して政府・自民党・国鉄の方向に異をとなえてきた。昭和五九年五月には国鉄「分割・民営」化反対五〇〇〇万署名運動を提起し(六一・三・一〇、この結果三五一二万五八五七人の反対署名)、「三項目」提案も拒否し、さらには「余剰人員」(過員)問題についても実態調査をするなど、国鉄当局の根拠のないやり方を批判してきた。

ハ かかる雇用不安の創出を行う中で、国労組合員に対する集中的攻撃が行われたのである。

とりわけ、分割・民営化に反対する国労がワッペン闘争を行ったことに対しては、国鉄当局は徹底した攻撃を加えた。

ワッペンをつけている国労組合員に対しては、点呼のたびにワッペン外しを強要し、仕事中も職制がとり囲んで外すことを強要、ワッペン着用者への処分、警告書交付などを行ったのである。それにもかかわらずワッペンを外さない組合員に対しては、一方的に勤務につかせない、雑用をさせるなどの攻撃を行い、大量処分を行ってきた。

組合活動にとって重要な役割を果たす組合掲示板、組合掲示物に対する攻撃、分会幹部の配転、「過員センター」への組合活動家の配属、昇給等の差別攻撃が行われた。しかも当局は公然とこれを行ってきたのである。

そして、「職場規律確立」の名の下に「業務命令」を乱発し、職場の専制支配を推し進めた。大規模な「氏名札」着用の強要などである。その外にも一切の質問も相談も許さない一方的な作業内容の指示、命令など職場のファッショ的支配を目指すものであった。

呼名に対し「ハイ。」と返事せず「出勤です。」、「作業します。」と返事したことに賃金カットしたことは、当局自らが行き過ぎと認めるほどのことまでしている。かかる国労組合員に対する「余剰人員」(過員)化は、この後、勤務成績すなわち、業務命令に従わない、組合活動をしていることを処分の理由に、集中的に人材活用センターに送り込むところとなるのである。(昭和六一年七月設置)。

(4) 本件解雇処分当時の「職場規律」の是正

右のとおり、本件解雇処分当時の昭和六〇年代、国労及びその組合員に対する攻撃は、不当労働行為のデパートと化していたのである。第八次職場規律総点検結果が、仙鉄局から昭和六〇年一一月五日付で報告されている。第七次で未是正の多い郡山客貨車区については重点的に取り組んだこと、その結果おおむね是正されたと特に報告している。そして、点呼の乱れについては二〇ケ所の無返事箇所があり、郡山客貨車区は意図的質問がある、公休・非休の申込みがある、落書等があるなどが他の職場とともに記載されている。郡山客貨車区では、この間点呼表に示されるとおり国労組合員のみのチェック体制をとり、本件で「非違行為」とされた国労組合員の行為を管理者総動員でチェックしてきたのである。国労組合員たる原告らが、その「職場規律の是正」攻撃の中で、狙われてきたものであることはすでに明らかである。

(二) 本件解雇当時及び以後の国労攻撃

(1) 国労排除、敵視の労務制作は国鉄分割・民営化に向けエスカレートする。

昭和六〇年七月二六日国鉄監理委員会は、前述のとおり「国鉄改革に関する意見―鉄道の未来を拓くために」(最終意見)を政府に提出する。同年一〇月一一日に国鉄関連法案の国会提出が閣議決定される。監理委員会亀井委員長は、国鉄分割にこだわった理由として、「国労と動労を解体しなければダメだ。戦後の労働運動史の終えんを国鉄分割によって目指す。」とのホンネを何度か語った、と報ぜられている。

国鉄の分割に消極的だった仁杉総裁が突如更迭された後の杉浦総裁は、昭和六〇年七月四日、「再建実施推進本部」を設置し、国鉄分割・民営化の先取りと国労攻撃を推進するにいたる。国鉄労働者の三分の一以上を失職させることを意味する監理委員会の最終意見を受けて、進路アンケートを実施し、「余剰人員」の発生、国鉄分割・民営化を既定の前提として、公的部門、関連企業、一般企業、分割民営後の新会社等のうちから就職希望を問うのである。当時、国鉄分割・民営化に反対の方針を表明し、五〇〇〇万人署名等を進めていた国労の組合員にとって「踏み絵」でしかない。そのアンケート聴取も事実上強制させられるのであり、国労組合員に対する嫌がらせである。

同年八月六日杉浦国鉄総裁は、鉄労第一八回全国大会に歴代総裁として始めて来賓として労働組合大会に出席するところとなる。

以下、国労の排除、敵視の労務政策がとられたものを概略すれば次のとおりである。

イ 昭和六〇年九月一一日、国鉄当局は、四月以来の国労の「分割・民営化」反対ワッペン着用参加者五万九二〇〇人に処分(戒告、訓告、厳重注意)。本件原告らも処分されている。

ロ 昭和六〇年一〇月五日、国鉄再建監理委員会答申抗議スト(八・五)、年金改悪反対スト(三・一九)等に停職三ケ月一四人を含む総数六万四三八七人余の大量処分、うち国労六万四一二六人。

ハ 昭和六〇年一一月三〇日、国労に対し、雇用安定協約の継続締結拒否、動労、鉄労、全施労とは継続締結。

本人の意思に反する免職及び降職は行わないとする配置転換に関する協定三項の削除についても一方的に通告し、これに反対する国労とは、この協定も一二月一日より失効。鉄労は、これを国労攻撃に宣伝。

ニ 昭和六〇年一二月一一日、全職員を対象に進路アンケート実施。国労組合員に対する強制、「踏み絵」の実施。

ホ 昭和六一年一月一三日、「労使共同宣言」(第一次)の同意の要請、スト権を否定し、労働組合運動を停止して分割・民営化に協力等を求める。国労は拒否。動労、鉄労、全施労は同意。

〈昭和六一年二月二八日、政府、国鉄分割・民営化関連五法案閣議決定〉

ヘ 昭和六一年二月一五日、原告ら懲戒解雇を受ける。

本件解雇後も新会社発足に至るまで、国労敵視の労務政策、国労に対する不当労働行為は続けられた。それは、杉浦総裁の諸会合での発言内容、国鉄職場実態調査報告書、人材活用センター設置と国労組合員への差別、新会社への採用差別、配属差別を見れば明らかであり、さらに、新会社に移行した後も、国労に対する不当労働行為は継続しているのである。

2 「区」における不当労働行為の実態

(一) はじめに

国鉄当局は、「区」における国労の活動に対し、警戒、対策を怠りなく行ってきたことは、ここを重点職場と位置づけ、いわゆるマル生闘争以来、活発な組合活動をなしてきたところとして、注目してきたことに端的に示されている。かかる国鉄当局と国労との間に対立的緊張があることは、いわば当然のことであるが、今日問題となっている関係は、かってマル生闘争があったものの、それをはるかに超える不当労働行為攻撃である。そして、それは、分割・民営化をした今日、「分会」に一人の国労組合員もいなくなるという事態にいたる苛裂をきわめたものであった。いわば、労働組合の組織そのものをかけたものであった。しかも、その攻撃の内容は、個々の労働慣行や権利・義務を問題にするにとどまらず、これを根こそぎひっくり返し、かつこれに抵抗する者の雇用安定協約そのものをおびやかす、新会社に行けるか行けないかという脅迫状況の下に展開されたものである。労働者に対し、生きるか死ぬかの問題をつきつけて、労働組合そのものの変質、消滅をねらうものであった。かってなかった未曽有のものといわなければならない。

本件は、昭和六〇年代の「区」における労使間紛争を問うものであるが、国鉄当局によって展開された不当労働行為全体を問う中で、この時期のことをみなければならない。

以下、「分会」の活動内容と国鉄当局による分会への不当労働行為攻撃の実態について略述することとする。

(二) 「分会」の活動

「分会」は、国労全体の中でも高い組織率をもって活動してきた。全体的に七〇パーセント台の国労組織率の中で、マル生の一時期をのぞき昭和五九年まで七〇~九〇パーセントの組織率であった。

その活動は福島県下に及び、高い信頼を得てきたところである。

上部組織の国労仙台地方本部の指示、指令に基づき、労働者の権利を守る労働組合活動は、国鉄当局による処分、脱退工作、合理化攻撃等に対応して展開され、また、現場協議制の充実を通じて国労組合員だけでなく、国鉄に働く労働者の地位向上のため闘われてきたものである。

(三) 国鉄当局の「分会」への攻撃

(1) 昭和五〇年までの特徴的攻撃

この時期はマル生攻撃があり、国労脱退工作、組織介入、処分など、後に磯崎国鉄総裁が陳謝する不当労働行為が行われたところである。その攻撃の苛裂さも歴史に残る闘いとして位置づけられる。

そして、高齢者に対する退職強要、現場協議制の実施をめぐる対立、昇給差別などが繰り返されるが、最終的には国鉄当局においてその非を認め、国労敵視の労務管理を改めることが確認されたところである。

(2) 昭和五一年から同五六年までの特徴的攻撃

当初、良好な労使関係が維持されるが、昭和五五年ころより現場協議制を無視した業務命令や権利・慣行無視の労務政策がとられてきた。

そして、昭和五六年、仙台鉄道管理局は、福島駅での組合員掲示板の一方的撤去、現場協議の手待時間中の傍聴禁止、年休否認などの攻撃が加えられ、指令に基づき提出した「二百二億円スト損害賠償反対」の立看板がとりのぞかれ、処分をうける事態となってきた。

(3) 分割・民営化攻撃

昭和五六年三月臨調発足とともに、いわゆる「ヤミ・カラ」キャンペーン、「職場規律の是正」攻撃が展開されたことは、前述の全体の状況と同じである。

これまで当局も認め、汚染を伴う職場として必要もあった入浴が、一方的に禁止され、これに反対する国労組合員に対し、大量の賃金カットを行ってきた。

現場協議制も失効させられ、当局との現場での協議、交渉の場がなくなり、ワッペン着用、ステッカー、組合掲示板、組合ロッカー、氏名札の着用、点呼、体操の問題がとりあげられ、勤務成績に反映させてきた。

ワッペン着用闘争に対する徹底した処分と昇給カットがなされ、組合掲示板の一方的撤去も行われた。かかる状況下で本件が発生したところである。

以下、年代ごとにその攻撃の特徴内容を略述する。

イ 「職場規律の是正」攻撃

昭和五七年四月一九日、当局は三三項目にわたる「是正」を示し、業務命令でこれを執行するとして、職場の作業実態から長年にわたり労使双方が認め合った慣行、確認を「是正」する攻撃をかけてきた。「悪慣行」など協議する気もない、とする態度であり、現場協議制廃止(昭和五七年一一月末)後は、労使の交渉、話合いはまったくその形骸すらなく、疑問を解明する場もなくなってしまうありさまであった。正に当局の一方的な業務命令とそれに対する服従の関係をつくり上げるところである。

「時間内入浴」についても同じ客貨車区本区ではこれを認めていながら、支区ではだめというものであり、また、管理者を大量に動員して浴場の入口前にピケをはり、ドアに鍵をかけ、上半身裸になっただけで、入浴する意思があったとして賃金カットしてくる始末である。

昭和五八年には、夏用バッジ、ワッペン着用を理由に労安委員会の開催を拒否し、ガス爆発事故の発生に対処するための右委員会の開催も、労働組合活動だとして、その開催をしない発言をするのである。昭和五八年六月、助役がポスター撤去に際し、左手を負傷したとして診断書をとり、原告円谷を「暴力」事件としてデッチ上げ策動をしたのも、組合活動家をねらいうちにした組合つぶしの動きである。

公傷者に対し、労災扱いにしようとしない「ケガと弁当は自分もち」として意識改革攻撃がかけられ、雑務につけるという嫌がらせも行われた。

昭和五九年には、組合ロッカーの撤去、苦情処理委員会の形骸化、赤タオル事件、過員のレッテル貼り、起立点呼、氏名札の強要、組合活動に対する介入(分会役員の自宅に電話をかけて、家族にまで組合活動をやめることを説得する、国労組合員を“腐れみかん”呼ばわりする等)、年休への介入攻撃が行われる。

昭和六〇年にも組合掲示板の撤去、組合活動家の配置換え、雇用不安をあおる発言の繰り返し、公傷者に対するみせしめ作業、国労バッジ外せの介入、など枚挙にいとまがない。

ロ 処分と暴言・暴力行為による威嚇

この間、組合役員、活動家をねらい打ちにした処分が繰り返しされてきた。

昭和五七年には減給、戒告等、昇給カット、延伸の処分が行われる。時間内入浴禁止への抗議行動、ストライキ参加など、指示・命令にもとづく組合活動に対してである。

昭和五八年にも組合活動として行ったものに対するものであり、(勤務外の自動車洗いは、これまで問題にされていない)、停職処分を含むものであった。

昭和五九年にも昇給カットが大量に出される。これも組合活動として行われたものに対するものであり、役員、組合活動家が中心である。

昭和六〇年にも賃金カット、昇給カット等が組合活動として行った行為に対しなされる。

日常的な暴言、組合活動への介入、発言にいたっては枚挙にいとまがない。それもまた、点呼表、処分の実態、組合掲示板、ロッカーの撤去等にみられるのと同様、国労組合員に専ら向けられたものである。“職場に馬鹿がいると職場がなくなる”(新田助役)、“組合の力を弱めるために内部から分裂させる”(小針助役)、“文句があるなら裁判に出ろ”“職場規律を乱す人は、何んぼ仕事やっても何にもならない”“不良職員は派遣に行けない”“職制に抵抗することが違法なんだ”“体操やるのが目的でねえ、職場規律なんだ”など管理者の発言は、感情的・威嚇的・脅迫的に行っているのである。

さらに、昭和六〇年には一一件の管理者の国労組合員に対する暴力事件が発生しているという驚くべき事情である。暴力事件が職場内に横行し、しかもそれが管理者によって行われ、その対象は国労組合員である。

(四) 以上の事情からみれば、郡山客貨車区管理者が、国労の組合を嫌悪し、その職場から排除するため、ありとあらゆる手段を使って攻撃をかけてきた実態は明らかであり、本件処分後、一人の国労組合員がいなくなるまで攻撃しつづけたのである。人材活用センターの設置、採用差別(上遠野ら五名は福島県地方労働委員会において救済された)により、これが貫徹されたものであることを付言する。

3 懲戒処分事由の不存在(「非違行為」不該当)

(一) 本件「非違行為」の分類

本件において、原告ら三名に対し、被告が主張する「非違行為」は、昭和六〇年四月から一二月までの期間に及び、その各原告に対する数は、多数にわたるが、これらは次のように分類することができる。

類型Ⅰ 始業点呼にあたり出席の遅れ、返事、私服での出席、点呼に際し、しゃがむ、点呼場外に立つ等点呼妨害と称するもの

類型Ⅱ 始業点呼中の発言、抗議、暴言、点呼監視などと称して点呼妨害としているもの

類型Ⅲ 体操について指示に従わない、と称し、この時間帯において抗議、暴言、検修員室無断入室した等としているもの

類型Ⅳ 早めしに対して注意したり、注意に対し抗議したりしたと称するもの

類型Ⅴ その他1 ワッペン、夏用バッジ着用、落書、ジュース罐落書、集団抗議入室、分会情報配布、読み、メモ活動、録音機・写真機持込み、赤タオル提出、等時間内組合活動をしたと称し、これに対する抗議等をしたというもの

2 年休変更、担務変更、保護具着用指示などに抗議等をしたというもの

3 公傷者や国労組合への雑作業指示、管理者の暴力行為に対し、抗議等をしたとするもの

4 脱線復旧訓練時に関するもの

5 暖房、外出簿、私物返還、電話抗議、その他抗議、暴言、業務妨害、作業指示違反と称するもの

この類型によって原告三名について、その数を整理すると次のとおりである。

原告飯田について、類型Ⅰが二八、Ⅱが二七、Ⅲが一〇、Ⅳが四、Ⅴが四三であり、総数一一二事由。

原告木村について、類型Ⅰが一三八、Ⅱが二一、Ⅲが一四〇、Ⅳが一八、Ⅴが三九であり、総数三五六事由。

原告円谷について、類型Ⅰが九一、Ⅱが五二、Ⅲが九〇、Ⅳが〇、Ⅴが一四であり、総数二四七事由。

右のごとく分類したのは、次の理由による。

類型Ⅰは、管理者が始業点呼の乱れを是正すると称して、これまで行われてきた点呼方法、時間、場所を一方的に変更してきたことに対する原告ら国労組合員が、国労の上部団体の指示・指令に基づきこれに消極的に抵抗したものである。

類型Ⅱは、右点呼内容の一方的変更、並びに管理者の点呼時の伝達に対し、原告ら国労組合員の発言や行為を抗議、暴言、点呼監視と称し、これらにより点呼が妨害されたとしているものである。また、点呼時間に限定された間のことである。

類型Ⅲ、Ⅳは、体操と早飯という単純な行為である。これもまた時間的に限定された間のことである。

類型Ⅴは、その他として、種々のものを含むが、小分類をしてみると、時間内組合活動としているもの、労働条件にかかわる事項につき、これを一方的に業務命令違反としているもの、管理者の嫌がらせ、暴力に対応するもの、脱線復旧訓練という特殊なもの、その他のものを含んでいる。個々的に検討する必要があるものである。

以下、各類型毎に原告らの各行為が「非違行為」に該当するか否か検討する。

(二) 類型Ⅰの行為

(1) 点呼の経緯

被告の主張によれば、点呼は〈1〉公私の区切り、〈2〉出退勤の確認、〈3〉職員の健康状態の把握、〈4〉服装の整正、〈5〉作業指示・作業実績の報告、〈6〉局報・公報の伝達、〈7〉次の勤務の確認及びその作業指示等のために行うとされる。

しかし、点呼そのものについて就業規則上、明確な規定はない。

そして、点呼の方法は検修員室において起立して挨拶し、その後着席して管理者が呼名するものとされてきた。これまで返事が大きいとか小さいとかは問題にされてきたことはなかったし、しかも、起立して礼をすることもなく、着席のまま呼名による点呼も行われて、昭和五九年一月まではこのような状態であった。

それ以後「職場起立の是正」として、一方的に大きな声で「ハイ」ということ、立席すること、等が要求されてくるのである。

(2) 起立、返事について

被告は、原告らが点呼に際し、一回で起立しない、返事の仕方が望ましくない、背を向けたりする、として、これを非違行為としているが、立席点呼については、労使で協議されることもなく、やむを得ず仙台地方本部の闘争指令に基づき、その抵抗闘争として行われていたものである。原告らは、点呼執行者の面前におり、しかも、点呼に対し、応答しているものであるから、管理者が期待する声の高低、音質、言葉がなかったからと管理者が主観的に判断し、かつ、それがその意にそわなかった、としても点呼の目的は十分達しているのである。返事をする者に対し、返事が気に入るまで呼名し、あるいはその態度が気に入るまで呼名し続けることこそ、返事をする者に、精神的な屈辱感、服従意識を強いるものであり、不当というべきである。

一回目で起立しなくても二回目には起立しているのであり、また呼名に対し返事はしており、さらに、これまで問題にもされてこなかった点呼執行者に直接対面要求は、これを要求する管理者側に、「点呼の厳正」を焦るあまり、職員に対し、過度の屈辱感、服従感を強いるものであり、不当なやり方である。点呼が業務遂行上必要であるとしても、本件は、その必要をはるかに超えて「起立のための起立」、ことさらな人格無視にまで及んでいる。それを一方的に原告ら職員の「非違行為」とすることはできない。いずれも「非違行為」に該当しないものである。

(3) 点呼場所変更、点呼と体操時間の入替えについて

管理者は、昭和六〇年五月一日に、点呼場所を検修庫一階に移し、出勤者は作業できる服装で出席することを求め、五月六日の点呼で五月九日から実施する旨通告してきた。さらに、五月九日には、五月一三日から点呼と体操を入れ替え、午前八時三〇分から点呼を開始し、作業服に着替えて出席することを求めた。

その理由は「職場規律」という。

原告らは、国労仙台地方本部と協議し、その指令に基づきその対応を行った。

すなわち、私服での出席とその中止(五月一四日より五月一八日まで)、検修員室で出勤簿に捺印したうえ、作業服に着替え八時三〇分の始業時のチャイムと同時に検修庫に行く行動(五月一九日から一二月二一日まで)である。

右行為は、本件客貨車区が検査、修繕の作業を行う、いわゆる汚染職場であり、その作業服の着替えは義務づけられていたこと、この着替えは出勤後の勤務時間内に行われることが作業ダイヤにも明記される等、長年にわたる労使の慣行として定着し、その合理的理由も存したことに対し、出勤即点呼とし、着替えは勤務時間外で行う措置をとったことに起因している。しかも、かかる勤務時間内の着替えは他の職場でも行われていた。

右事情からすれば、客貨車区における労働者が、勤務時間内に作業服に着替えることは法的な権利ないし合理的な利益といえるのであり、これを合理的な理由もなく奪うことは違法である。被告は、「職場規律上」の必要をいうのであるが、それが具体的にどのようなものであるか明らかにしていない。原告ら客貨車区の職員は、これを従来、体操の時間帯において行ってきたことが許容されてきたのであり、後述のように体操は各人の任意たるものであるから、これを理由にこの着替えを禁止し、勤務時間外に行うことを強制することは理由がない。

従って、勤務時間内に着替えすることを禁止した処置は違法という他なく、原告らが、その撤回を求め、これに抵抗すること自体何ら非違行為というべきものではない。

原告らのこの撤回ないし抵抗行動の方法の相当性が問題となるが、管理者は、この禁止措置について、合理的な説明をせず、協議する場も設けずに実施し、この禁止措置をとらなければ他に方法がない、というものでもなく、さらに点呼は、本来就業規律上も明記されていない単に確認作業を行うにすぎず、また、この作業が従来のやり方では達成できず、禁止措置後この方法によって、点呼による確認がより改善されたというものでもない。従って、管理者のこの禁止措置は、その実施するためのやり方においても、改善する必要性についても業務上の必要はないのに等しい。他方、職員は、仮に一~三分とはいえ、着替えという業務に必要な時間として保障され、賃金の支払われる時間を失う具体的な不利益を伴うものである。かかる不利益を甘受すべき具体的理由もないのであるから、これに抗議、その抵抗する行動も、右時間に見合い、かつ、点呼の実施を妨げず、実作業に影響がない範囲のものであれば、非違行為には該当しないところである。

点呼に私服により出席したのは、管理者の勤務時間内着替え禁止に対応するものであり、私服による出席により点呼確認を不能にしたり、実作業に影響を及ぼしたものでもなく、着替え時間を奪った違法な措置に対し、その不利益を回避する方法として許される範囲の行動である。

また、検修員室において、着替え及び出勤簿に捺印したうえ、八時三〇分のチャイムと同時に検修庫に行く行動(一~二分遅参としているもの)も、その遅参の時間が、着替え時間に見合う範囲のものであり、点呼における確認、作業伝達に特段の支障を及ぼしたわけでもなく、管理者の勤務時間内着替え禁止措置の違法に比し職場管理上の不利益が上回るというものではないから、原告らの不利益回避及び抗議としての行動として許される範囲の行動である。

非違行為の中に原告らが点呼時にしゃがむ、点呼場(白線を引いたりして点呼時に立つ場所を指定)外に立つ行為を指摘しているが、それ自体が、なぜ非違行為となるのか、単に見栄が悪いとか、気に入らない、とかいうのみでは非違行為ということはできず、それを強制することが労働者の人格を傷つける「規律のための規律」というにすぎない。

(4) 以上のとおり、被告が原告らの非違行為とする類型Ⅰの行為は、いずれも非違行為に該当しない。被告において、管理者の行った措置に対する原告らの行為について非違行為たる点呼妨害であったとするなら、点呼執行において、原告らが享受していた勤務時間内に着替える利益を奪うに足る点呼妨害是正の具体的業務上の理由が必要であるが、「職場規律」、「厳正な執行」、「規律拒否をなくし」、「点呼監視を防ぐ」ために点呼場所を検修庫に変更したとはいうものの、点呼と体操の入替えは、右の事情に加え、国鉄体操をよりよく実施するため、と説明している。渋々起立するとか、二回目に起立する、点呼監視がある、というのは前記原告ら職員の利益を奪うことを許容する事情とはなりえないし、任意であり、自主的である国鉄体操を実施するためというのも説得力に乏しい。

(三) 類型Ⅱの行為

(1) 点呼中の発言等の経過

これまで点呼において管理者の作業指示、発言に対し、職員が質問を発し、これに管理者が答えることが行われてきたことは、被告も認めるところである。また点呼の際、その場に非勤務者が入室していても、何ら支障なく、これまで点呼が執行されてきたことも事実である。被告は、点呼中の質問には「節度が要請されるのは点呼の性質上当然」とか「質問に名を借りて、業務を妨害することを意図する行為」をなすこと、「点呼状況を監視する」意図で非勤務日に入室することを非違行為であると主張するところである。

従って、点呼中の発言等、非勤務者の入室がこれでなされてきたことは、まず、経過として確認されるところである。

また、被告は、点呼の作業指示は定型的であり、質問する必要はない、とか「一般的な情報の伝達」について質問と称して点呼妨害した、と主張する。

しかし、本件で問題となっているのは、このような定型的な作業指示とか「一般的な情報」の伝達とかいった類のものでないことを念頭におく必要があり、管理者も自認するとおり、従来の職場の慣行や労使の協定・確認を、管理者側において、業務命令・指示で一方的に変更し、これを貫徹するというやり方を意図し、実行していったのである。それは現場協議制の廃止後、「現場において、これまでのような協議または話合いなどは一切なくなります。」として業務指示、意見の交換などは、これを否定し、職場規律の確立のためには「単なる力と理論では容易に是正し得ない」ので、「職員としての意識よりも組合としての意識が先行している者を正常な状態に戻すこと」が意図されていたのである。

(2) 原告らの点呼中の発言等について

イ 原告飯田

前述のとおり、この類型Ⅱの原告飯田の「非違行為」は二七行為が被告によって主張されている。中には、(6)〈1〉、(30)、(53)〈1〉のように全く事実と反するものも含まれている。また、呼名に対し、その出席を確認し得るのに管理者の気に入るような返事がないとして、何回も呼名し、それを返事していることを発言とすることもある。しかし、区長等の点呼時の発言が「定型的な作業指示」とか「一般的情報伝達」とかではなく、一方的に写真を撮り始める((8))、「飯田が指導者だな。ちゃんと返事しろ、点呼欠席、仕事からはずせ。」((9))、結婚式に出席した区長が余剰人員の話をしたこと((29))、年休取扱いについて管理者の一方的取扱いを伝達する((31)、(50))、「分割・民営化は、効率化のためにやる、不良職員を職場からなくす、それから仕事につけない職員も」と挑発的発言をする((33))、パワムと区長がいったことのまちがいを指摘する((35)〈1〉)、「分割・民営化しかない、余剰人員は……」((36))、「不良職員は派遣に行けない。」((40)〈1〉)、庫内温度七度という寒い検修庫での点呼を行う((41)〈4〉)、家庭の事情が悪く泊まり勤務が困難である職員をハンプに配置替えする((42))、「油を、わざとこぼす人がいる。」とデマをいう((43))、過激派と同列にみて「うちの職場にいるのと同じだ。」((44)〈1〉)、落書きを国労組合員がやったとして雑作業をさせる伝達をする((45))、雇用不安をあおる発言をする((47))、等々、区長ら管理者の不穏当、不当労働行為的、不合理な取扱い発言に対応してなされているのである。

また、点呼時に非勤務日であるのに入室していたこと((10)、(12)、(13)、(14)、(16))についても、点呼監視を目的したものでもなく、静かに座っているだけである。この在室を点呼監視と憶測する管理者がいたずらに退室をこだわり、あるいは実力で排除するために事がこじれてしまうだけである。

とくに四月二四日の新田区長の原告飯田に対する暴行は、無抵抗の者に対し、強引に右手を引っ張る、耳元で大声で「出て行け。」と怒鳴る、腹部で体当たりする、追いかけてきて急所を蹴る等の区長の行為は、本件全体を通じての区長ら管理者の行為、態度の象徴的出来事であり、銘記しておかなければならない。さらに、かかる自らの行為については、点呼表にも記載せず、本件懲戒処分にあたって仙鉄局へも報告していない。

以上のとおり、原告飯田についての類型Ⅱの被告の「非違行為」の主張は、いずれも「非違行為」にはあたらない。

ロ 原告木村

前述のとおり、この類型Ⅱの原告木村の「非違行為」は二一行為が被告によって主張されている。しかし、そのいずれもが、区長らの不穏当、不合理、不当労働行為的発言をきっかけにしてなされたり、点呼執行のやり方が不当なためになされたものである。「定型的作業指示」とか「一般的情報伝達」とかではない。一方的に写真を撮る((1)、(2))、区長が原告飯田に暴行を振るう、((3))、返事はしているのに「返事ははっきりしろ、欠務」と執拗に「ハイ」を天井に抜けるような返事を要求する((10))、区長が体当たり等の暴行を振るう、生活設計を無視した一方的配転をさせる((60)〈1〉)、また国会で決まっていないときからこれを前提に、組合の反対行動に介入する、雇用不安をあおる((61))、管理者が始業チャイム時間を誤ったのでこれを指摘する((75)〈1〉)、作業ダイヤにない作業を入れてくる((76))、国労組合員を余剰人員呼ばわりして「ラーメン作りのうまい人」の話をする((82))、誤って区長が他の助役の安全帽をかぶっていたので指摘する、上遠野を侮辱する((96))、「改革は、答申通り進む、九万人の余剰人員をタダで養っていくわけにはいかない、新しい会社に行くのもしかり、個人の履歴書持って行く時処分、処分でどうしようもない。」と雇用不安をあおる((97)〈1〉)、団交確認を無視し、話合いもすることなく修繕線での交検作業を一方的に指示する((110)、(112))、列車掛廃止の情報がある中で、これに説明を加えないで列車掛の実習訓練の伝達をする((113))、年休取扱いについて職員の言い分は聞かず一方的に強行実施を伝達する((122)、(127))、区長の「パワム」発言があり、誤りを指摘する((126)〈1〉)、「電修室での手待ちは認めない。」と汚れた場所での手待ちを伝達する((129))、寒い検修庫での点呼を行う((133)〈1〉)、国会で決まっていない分割・民営化の伝達をする((149))、等職員の発言ないしは抗議を誘発することが管理者によってなされているのである。一切の発言は点呼妨害とみなすとして、これを封じようとする管理者側にこそ、本件紛争の原因があるというべきである。

以上のとおり、原告木村についての類型Ⅱの被告の「非違行為」の主張は、いずれも「非違行為」にあたらない。

ハ 原告円谷

原告円谷の類型Ⅱの被告主張の行為は、五二である。すでに原告飯田、同木村と重なる部分も多いが、主張事実のおかしいもの((15))、どのような経過での発言かわからないもの((36))、管理者の一方的な点呼のやり方や従来の確認とちがう作業指示((59)、(68)、(80)、(92)、(106))、分割・民営を前提の余剰人員発言、年休取扱い発言((101))、一方的担務変更とくにハンプへは、現協で確認されていたことを無視していたこと((87))、等に対する発言であり、不穏当、不合理、不当労働行為的発言に対応するものである。

被告は、その多くを発言している「団交経緯守れ」との原告円谷の発言について、とくに、修繕線による交検作業指示、点呼場所の変更と、点呼と体操時間の入替えについて、主張している。しかし、これにとどまるものではない。それは、従来の慣行、労使の協定、確認を一方的に変更した当局のやり方全てにいえることである。修繕線で交検業務をしない、とすることは、被告も自認することであり、これまで労使で確認され、そのようにしてきたのである。安全対策、構造上の問題、作業体制など大きな問題と、変更を伴うかかる業務について、労使の協議の場を設けることは、当然のことであり、団交開け、経緯を守れという発言こそ自然である。点呼場所、時間の問題は前述したとおりである。

“野次をとばした”((38))などという具体性のないことまで非違行為としてチェックし、死亡事故について具体的な分析をすることなく安全具の話をする((40))など、管理者の自らの非をかえりみない態度に職員の発言が誘発されるとみられるのである。

以上のとおり、類型Ⅱについて原告円谷に非違行為はない。

(四) 類型Ⅲ

(1) 体操の経過

国鉄の体操が、古くから何ら強制・強要されることもなく自発的に行われてきたことは事実である。体操をするかしないか、体操をどの程度するか、この時間帯で着替えをするか、も何らの規制を受けていない。着替えについては、前述のとおり出勤即点呼以前はこの時間帯でなされ、五九・二ダイヤ改正時においてもこの時間帯に着替えすることが認められてきたのである。本件処分直前になって体操の強制が始まった。被告の主張でも昭和六〇年一二月二〇日から体操しない職員について「否認」扱いしたとするところである。被告の主張によっても自主的であるはずの体操が、なぜ「非違行為」となるのか、その根拠は明確でない。僅かに就業規則第八六、八七条を引用するが、安全管理基準規定からも、かかる強制する、あるいは「非違行為」となしうるという規則はでてこず、いずれも任意に、自主的に職員が体操すれば足りるものであるし、実際そのように運用してきたものである。被告は、その根拠につき「指示に違背」するとも主張する。いわゆる「業務命令」のことをいうのか否か明らかではないが、業務命令に対する労働者の服従義務については、さまざまな限界があり、その命令すべてに無条件に服従する義務を負うわけではないことはいうまでもない。このことは点呼のやり方のところでも触れたことである。まして体操については、右のごとき経過と規則規定の仕方からみても、これに服従し、強制される性質のものではない。まして、「レクリエーション的要素」のある「健康保持」と「体力増進」という個々の職員それぞれに自ら判断して体調を整えてよい事柄なのである。かかる事柄についてまで奴隷のごとく服従しなければならないとすることは、全く問題にならない議論である。ちなみに「第八次職場規律総点検結果」にも体操の項はなく、業務命令の項にも「区」はない。

従って、「体操をしなかった」ことを非違行為とすることはありえないところである。

(2) 体操時間帯での発言行為について

区長らは、検修員室に体操指導として赴き、そこにいる原告ら国労組合員に対し、いわゆる「指導」を行い、点呼伝達時の発言やできごとの尾を引くような話がなされている。検修員室への入室禁止措置をしている、というが、それは組合活動をする、と称しての禁止であり、それ自体不当なものであるが、業務上の必要からみると、従前からここに職員の机もあり、実作業の始まる前の待機場所として利用されてきたことからすれば、入室を非難することはできない。

(3) 以上のとおりであるので、この類型Ⅲで非違行為とされるべき行為はない。

(五) 類型Ⅳ

(1) 早めしの経過

これまで国鉄本社、仙台鉄道管理局、そして「区」、そして職場規律の総点検において、是正項目として指摘されていないことからすれば、全国の国鉄の現場で、あるいは公企業、私企業を問わず、実作業が終わり昼食の時間帯にわずかに間のある時間に昼食をとりはじめたことはなかったとか、とりはじめたので「非違行為」とされたとかあったのであろうか。しかも、実作業が終わり、昼食休憩時間に少し間のある時間に弁当を食べ始めることなど日常茶飯事のことである。職場の建物を離れて外に出る、建物内の食堂に行くことさえ日常的である。次の仕事に備えるため早目に昼食をとっておくこともある。かかる行為が、実作業をさぼり、これに影響を与えた、というのならいざ知らず、昼食時間にならなければ、弁当の箱をとってもいけないということなど、常識にも反し、かつ、「規律のための規律」、「管理のための管理」以外の何ものでもない。

被告は、「一一時五五分から」昼食をとるよう指導してきた、その指導、注意に従わず、これを無視し、反抗することが「非違行為」という。要するに、指導、指示に従わないというのである。ここにいわれている早めしなど、いわば常識の範囲内、社会的に黙認され、あるいは許容されている事柄について、命令に服従させることを求めること自体不合理、不必要なことである。

(2) 原告らの早めしについて

原告飯田について四回、原告木村について一八回、原告円谷について〇である。食べるのを継続したのも、その場でやめたのもある。

その態様は、いずれも前述の社会的にも、国鉄の職場内において黙認ないし問題にもされない範囲のものであり、いずれも「非違行為」にあたらない。

(六) 類型Ⅴの行為

(1) 類型Ⅴの小分類

この類型に属する原告らの行為を五つに小分類したことも前述のとおりである。

〈1〉 時間内組合活動であると称されているもの

〈2〉 年休、担務指定変更、保護具着用など労働条件に関する事項につき抗議、指示違反と称するもの

〈3〉 雑作業指示などの嫌がらせ、管理者の暴行に抗議したもの

〈4〉 脱線復旧訓練に関するもの

〈5〉 暖房、外出簿、私物返還、電話抗議、その他

原告ら各人につき〈4〉を除き(原告飯田、木村)、これを分類すると以下のとおりである。

イ 原告飯田

〈1〉は一四件であるが、ワッペン、バッジ関係四件、集団抗議入室三件、ジュース罐の件二件、メモ、情報紙関係四件、制帽落書き関係一件

〈2〉は九件で、うち年休関係三件、安全具三件、担務変更関係三件

〈3〉は七件で、交検票、安全ライン等の雑作業

〈5〉は一三件

である。

ロ 原告木村

〈1〉は二三件で、ワッペン、バッジ関係一五件、集団抗議入室二件、録音機持込み三件、メモ、制帽落書き各一件、その他(ダブリがある。)

〈2〉は五件で、年休抗議四件、修繕線使用抗議一件

〈3〉は二件で、いずれも他人の雑作業に対する抗議

〈5〉は一〇件

である。

ハ 原告円谷

〈1〉は九件で、ワッペン関係四件、集団抗議入室二件、ジュース罐一件、その他二件

〈2〉は四件で、年休二件、安全具、担務変更各一件

〈3〉は一件で、他人の雑作業に対する抗議

〈5〉は一件で、外出簿の件である。

以下各論毎に主張する。

(2) 小分類〈1〉について

イ ワッペン、夏用バッジの着用、制帽落書き

一般に労働組合によるワッペン着用戦術は、闘争中における組合員の団結意識確認と高揚、要求事項の相互確認、要求実現に向けての使用者への圧力等さまざまな目的でなされる。国労が行ってきたワッペン闘争は、当局が国鉄の分割・民営化実施のために行ってきた国労の弱体化、国労組合員の職場からの排除攻撃を集中的に行っている中でこれをはねかえし、分割・民営を阻止しうる力量を備えた強固な組織を構築せんとするものである。当局のワッペン着用者に対する執拗な攻撃は、乗客やその他顧客に対する配慮というものではなく、国労そのものの弱体化、国労組合員に対する処分のためになされたものである。

本件のごとく、乗客、顧客と全く接触する機会のない職場にも連日のごとくワッペン取外しを命じている。ワッペン闘争の中止は、当局への屈伏・団結の弱体化と受け取られかねない国労にとっては、死活にかかわるものであった。そのため当局のワッペン取外しの執拗さは、国労組合員の身体にまで手をかける事態になっていくのである。

「職場専念義務」とは一体何なのか、労働者が勤務時間中に定められた労務の遂行のために全力を集中すべき義務を労働契約上負う趣旨であることは当然としても、その労務提供と抵触する行為を行ってはならない、逆に言えば、労務提供と抵触しないかぎり、就業時間中といえども労働者は自由をもつことを意味している。ワッペンは、一旦着けてしまえば、後はいかなる身体的動作も必要としないのである。ワッペン着用により、着用者自身、同僚労働者の精神的集中を阻害するとは、常識的にみても考えられない。これをいうものは詭弁という他ない。労務提供に関係ない事項について業務命令を発することはできないことは当然であり、労務提供に全く影響ないワッペン着用に対し、取外しの業務命令をなす根拠はない。かかることはバッジについても同様である。組合の所属を明らかにするにすぎず、何ら労務提供に支障はない。夏用バッジにのみ取外しを指示するが、一般の国労バッジや他の組合員のバッジにはしないのであり、その大きさを問題にするが詭弁であり、この取扱いに差を生ずることの合理的根拠もないのである。

労働者は、一般市民と同じく市民的自由として服装の自由を有しているのであって、この自由は労務提供にとって必要性が認められる合理的範囲内の制約があるにすぎない。この必要性をこえた過度の規制は、公序良俗違反(民法九〇条)である。国鉄の制服を着用する、作業服を着ることが義務づけられるのは、職員と乗客その他の第三者との識別、作業の内容からであろうが、その識別を不能ないし困難にしたり、作業に支障がある程の装飾物ならいざ知らず、バッジ、ワッペンが、その服装の規定に実質的に抵触するものとは到底いえない。国鉄の労働者が赤い羽根を着けていて、それを禁止されたり、取外しを命ぜられ、その違反者を処分したなどということがあったであろうか。

また、ワッペン、バッジの着用が、乗客その他顧客に不快感を与えるであろうか。国鉄と同種の交通産業をみても、私鉄のほか航空産業においてさえ実施されている。憲法の団結権保障の意義を正しく認識した健全な常識があれば、かかる不快感を感じるとは考えられない。まして本件においては、顧客に接することのまずない職場である。

従って、ワッペン、夏用バッジを着用することは、正当な組合活動であり、これの取外しを執拗に求めることは不当労働行為である。ワッペン、夏用バッジの着用は非違行為にはあたらない。

この理は、制帽に国労の所属、国労のスローガンを書くことにも同様である。なお、右バッジ、ワッペンの取外し、落書きの注意をなしたことについて原告らが発言しているが、暴言といわれる発言はしておらず、違法な管理者の行為に対する抗議にとどまるものである。

ロ 集団抗議入室とするもの

原告飯田については、区長の暴力への抗議と謝罪を求めるため、仙台地方本部の役員とともに区長室に行ったこと(区長が対応する気があれば、話合いは行われ、事実そのようにされた。)((11))、勤務時間内の着替え時間を合理的理由もなく奪ったことについての説明と中止の要求((15))、国労組合員のハンプへの配置換え、年休取扱いについての交渉要求((40)〈2〉)であり、区長にあらかじめ拒否する意思があり、誠実に対応しようとしないがためにトラブルが発生したものである。

原告木村については、検修一〇番線での交検を中止するよう求めたところ、これに対し、区長が行った者をこずいたり、押したり、また助役が写真を撮る((114)〈2〉)、原告飯田と同じく、ハンプ換えと年休取扱いの交渉要求に対し、話合いをすると約束しておきながら、結局これを拒否した((131)〈2〉)ものである。

原告円谷の(8)、(9)は、原告飯田の(11)、(15)と同じである。

これらについてみれば、区長ら管理者側に、初めから国労の申入れには応じないとの態度があり、他方、原告らの要求は、いずれもその労働条件にかかわるものであったことからみれば、集団であるからといって拒否したのではなく、国労の要求は拒否する、業務命令は無制限に服従させるとの意図の下に行われたものという他ない。区長の原告飯田に対する暴行の件では、話合いに応じていることからもこのことが裏付けられる。また、かかる話合いが区長の対応についてもたれたことまで非違行為とすること自体不自然である。

かかる事情からすれば、これらもまた非違行為にはあたらず、混乱が生じたのは区長ら管理者に起因するものである。かかる事態が生ずるのも、現場協議制が廃止され、労使の話合いが行われない職場を作出した結果である。区長は、個人面談なら話合いに応ずるというが、個人的な事柄でもなく、また人数を制限すれば会ったこともあるのに、かかる処置もとらないまま拒否してしまうことからみれば、個人なら会うというのは、口実にすぎない。

ハ ジュース罐立て

ジュースの空罐に国労のスローガンを記載し、自分の机の上に置く行為は、組合員の闘争指令に基づく行動であるが、私物を自己の机に置くこと自体は整理されているかどうかは別にして問題とされているものではない。これに組合のスローガンを記載することが問題とされているところである。ワッペンのところでも述べたように、ここでも整理整頓が問題なのではなく、国労の弱体化に向けられたものである。単に置くに過ぎない程度は、使用者が組合活動のために企業施設を利用させる受忍義務の範囲内のことがらである。従って、その撤去を求めることは不当労働行為である。撤去の業務命令の根拠もない。

従って、原告らがこれに抗議し、発言することも、またこれをふみつぶした、あるいは持ち去る管理者の行為を非難することも、その原因が管理者側にある以上、非違行為にはあたらない。

ニ メモ、情報配布、読み上げ、録音機持込み等

右行為も組合活動であるとして非違行為とされているものである。

しかし、原告らの右行為をみれば、かかる事実のないものもあり、仮にあったとしても、ごく些細な事である。業務に支障のあるようなメモとか組合情報に関する行為をしたわけでもない。録音機については、管理者の乱暴な行為に対する将来の証拠化をしているものにすぎないものである。いずれも「非違行為」とは評価しえないものである。赤タオル(木村(66))にいたっては、机上にひろげたものではなく、汗をふくとかのために置いたものであり、管理者の異常な感情的行為という他ない。

(3) 小分類〈2〉について

内容的にみれば、担務変更、安全具着用、年休取扱い、修繕線での交検に関するものである。原告らが、管理者において一方的に従前の労使の確認や慣行に反するやり方をなし、これに対し意見をいうのは当然のことである。

担務替えについてみると、原告飯田については(4)〈1〉、(6)〈3〉、(42)が問題となっているが、行為自体をみてもなぜ非違行為なのか判然としない。「このカメ。」などとは発言しておらず、また飯田自身のハンプへの担務変更については、新田証人自身「職場規律のため」といい、不当労働行為そのものである。また、原告円谷の(10)にしても、自らの郡山工場派出への指定に質問をしたにすぎないのである。「何でも無条件で当局の言うままにというのでは、まるでドレイのような扱いではないか。」と発言するのも当然である。

安全具についても、原告飯田にしても、同円谷にしても、自らの判断により着用すべき場合は着用しているのであり、画一的に着用することが逆に作業に支障を及ぼす場合もあるのである。一律画一的に着用しなかったからといって、そのときの具体的支障をいうことなく指示違反とすることは、「規律のための規律」である。かかる事情の下でなされた、着用をしなかった行為を非違行為ということはできない。

年休の取扱いについては、労使の考え方に違いがあるところである。原告らの考え方、言い分が全くおかしいのであればともかく、そうではない。年休が確定したからといって、これを職員の方で、事前に取り消すことは問題なく、また業務に支障がないのであるから、休みを強要することはおかしいことであり、また、年休の申込みを、公休・非休が確定していない段階ですることは、労働者にとってみれば休む機会を失うおそれもあり、自らの生活計画を立てられないことにもなるのである。労働者のかかる要求を一方的に聞き入れず、管理者側で決めたとおりにやれ、というのは不合理である。いずれも管理者側にトラブルの原因があり、原告らの行為を非違行為とすることはできない。

原告木村において、区長に対し、就業規則をその面前に叩きつけた、とする((111))ことについては、認否欄に記載のとおりであり、コピーにして、薄い冊子である就業規則により身の危険を感ずることもない。

修繕線における交検作業を行わないとの確認が存したことは被告も自認するところであり、前述のとおり、労働安全上、ピットの構造上、また仕事の仕方上で問題のあるまま強行することは問題があり、団交確認守れというのは当然である(木村(109)〈2〉)。

(4) 小分類〈3〉について

いずれも公傷者への雑作業指示に関わるものであるが、これは管理者による嫌がらせ、見せしめの意図によるものである。

原告飯田についてみれば、かかる事情は存したとしても、いずれも仕事は正当になされており((1)、(2)、(3)、(4)〈2〉)、また、嫌がらせ、不当労働行為的な雑作業指示に抗議((35)〈2〉、(38)〈4〉、(45))したものであり、原告木村については上遠野、遠藤(一)に対する雑作業指示が、足でするとか、みんなの目の前でさせるとか人格を無視するようなやり方に抗議したものである((105)〈2〉、(126)〈2〉)。原告円谷は、上遠野に対する雑作業指示に対し、早く本来の作業につけるべきことを述べたものである((2))。

同じ仲間として、すでに本来の仕事もできる状態にある上遠野、遠藤(一)をいつまでも雑作業につけている管理者に対し発言したもので、管理者の非人間的、人格を無視した行為に責任があり、原告に非違行為があったものとみることはできない。

(5) 小分類〈5〉について

管理者側においてとった措置が抗議の対象となったり、また各原告より意見が出されてもしかるべきものであった。

また原告らの作業中の行為について、タバコを吸っていたとか、たまたま見つけた花火で遊んだとか、足を机にあげたとか、暖をとっていたことなどは、いずれも些細な出来事であり、上着をつけずに終業点呼に出たことがなぜ非違行為となるのか不明である。

寒さに対する要求をだすこと自体も問題とはなりえない。

外出簿記載にしても、休憩時間内に、同じ構内にいるのであるから、従来から書くこともしていなかったものであり、原告飯田と同円谷をねらいうちにしたような指摘である。

以上のように、これらの行為は非違行為ではない。

(6) 脱線復旧訓練について

イ 右訓練に際し、原告飯田が非違行為を行ったという被告の主張は、「国労所属の職員を煽動して訓練に従事する職員に安全帽・安全靴を着用させなかったこと」である。

そして、右主張をする具体的事実として

○ 九時一七分ころ、橋本の「区長暴力を振るった」との声を聞いて、原告飯田は、他の付近にいた国労の職員に耳打ちし、これによって駒木根、本田らが安全帽を脱いだこと。

○ 一〇時二三分ころ、原告飯田が国労組合員一〇名の先頭に立って、佐藤(浩)の作業を外したこと、賃金カットすることに食ってかかったこと、をきっかけに騒然となり訓練の実施が妨げられたこと(一〇時四〇分まで。)右主張の内容は、原告飯田は抗議の指導者である、とするものである。

ロ しかし、本件の混乱が発生した発端となったのは、区長が佐藤(浩)に対し、暴力を振るったことがきっかけになっているところである。

佐藤(浩)が、自分の判断で安全帽をかぶらないでこの訓練作業に就こうとしたころ、区長はまず賃金カットすることを通告し、なおも仕事に就こうとして貨車の下に潜り込もうとした佐藤(浩)の肩に手をかけたのである。

その直後、橋本が「区長、暴力振るった。」か「区長、暴力振るうな。」の発言がある。

その際の区長の行為がどのようなものであったか、少なくとも橋本にとって暴力と見られるものであったことは、右とっさの発言から認められる。区長は「制止しようとした」、「触れた」という供述をしている。橋本からすれば、引きずり出す行為である。

そこで、原告飯田が九時一七分ころ、「耳打ちしてまわり」国労組合員のヘルメットを脱がせた、というのである。

しかし、これは事実無根である。仮にかかる行為があり、コンクリートの床に叩きつけた、というのであれば、それから一時間もの間、行動も双方から起こらないはずがない。ヘルメット未着用のまま一時間も、管理者の目の前で、しかもヘルメットを叩きつけるという激しい行為が行われたのである。激しい口論があって当然の状況である。

そして、約一時間後に国労組合員から申し入れがあった。この一〇時過ぎにというのは、一〇時から手待時間があり近分会長を中心に話合いを持つ機会があったからである。

区長への申入れは宗形が行うことになり、一〇時二三分頃宗形より賃金カットをやめるようおだやかに申し入れたのである。

この点について、被告及び区長は、原告飯田が先頭になって区長のところに寄ってきて取り囲み、飯田が抗議し食ってかかってきた、という。

しかし、この点、区長は、「誰が一番先に来たか明確ではございませんけれど」、「宗形さんが先に来たかもしれない。」と言うのである。

原告飯田が、この混乱のきっかけを作ったという被告の主張はここでも崩れてしまうものである。

その後の会話をみると、区長らは誰が責任者かをこだわっている。ビデオテープの音声でも「何の立場だ」と言っている。ビデオテープの音声は、原告提出の反訳によると、九分から始まり一九分頃に仕事に就く様子がうかがわれる。これが被告主張の一〇時三五分だとすると(「三五分ない」の新田の声も聞こえる)、一〇時二五分頃より声が入っていることになる。

区長は、一〇時二三分国鉄労働組合員がやってきてから一〇時三五分までの間に、区長が管理者を招集して協議し、鵜沢助役が個々人に安全帽、安全靴の着用を説得した旨陳述している。

しかし、かかる状況は、右ビデオテープからはうかがえない。むしろ協議などはないし、鵜沢助役も柳沢助役も、「何の立場だ。」仕事に就こうという原告飯田に「だめだ飯田君、いくら言ったてだめなんだ。」としゃべっている。

作業についた後も、一五分ぐらい過ぎてから、ビデオテープの音声には、「暴力やめろ。」の声が入っている。橋本は「さわんな。」、「何やってんだ。」という。原告飯田は、ビデオテープを見る前にその陳述書を書いているが、区長と柳沢助役が佐藤(浩)につきまとって暴力をふるっていたことを記している。そこに記された抗議が、右ビデオテープの音声によって裏付けられている。

ハ 以上のとおり、原告飯田について、被告の主張する非違行為は事実無根であり、むしろ、区長らの創造により事実が作られた疑いが強い。

従って、仮に訓練が遅れ、所定の作業が行えなかったとしても(かかる証明も本件ではない。)、これは区長ら管理者の行為に起因しているところでもある。

区長が暴力を振るっている、あるいは、どうしても作業に就かせようとせず賃金カットする、というのを黙って見ていればよいのではないか、との議論は、あまりにも非人間的対応である。

ニ 原告木村についても、右申入れに参加した、との点で非違行為とされているが、これも否定されるところである。

4 本件解雇処分は以下の理由により無効である。

(一) 本件解雇処分は不当労働行為であり、無効である。

(1) はじめに

被告が原告らを懲戒解雇にしたことは、同人らが国労組合員であること及び活発な組合活動をしたこと(同人らはいずれも組合役員又はその経験者である。)を嫌悪し被告から排除したものであって、それにより、同人らは経済的及び精神的不利益を受け、また、これによって国労が受けた組織的動揺も少なくないものであるから、労働組合法第七条第一号及び同第三号に該当する不当労働行為であることは、以下に述べることにより明らかである。

以下、原告らについて

〈1〉 いずれも勤務成績において、問題がなかったこと。

〈2〉 いずれも国労の役員、活動家であったこと。

〈3〉 懲戒処分の決定的動機が不当労働行為にあること。

〈4〉 解雇等によって、国労への組識的影響があったこと。

等を明らかにする。

(2) 原告らの勤務実績

原告らは、国鉄に採用されて以来、車両検修係等として真面目に働いてきたのであって、仕事上は全く問題ないばかりではなく、他の職員に比較しても優れてこそいれ劣っていなかったのであり、公共輸送機関としての国鉄の仕事に誇りを持ち、それぞれが使命感を持って勤務してきたのである。

イ 原告飯田は、昭和三八年四月大井工場に試用員(準職員)として国鉄に入社し、昭和三八年六月には職員になり、同四五年七月四日「区」に勤務し、以後「区」の車両係、車両検修係、運転検修係として従事してきた。

そして、国鉄当局の分割・民営化を前にした国労攻撃により、昭和六一年二月本件解雇処分を受けたのである。原告飯田は、国鉄マンの誇りを持って真面目に働いてきており、仕事上のミスで処分されたことはなく、かえって組合役員であるが故に仕事は人並み以上に行っており、勤務成績については何ら問題もなく勤務してきたのである。

ロ 原告木村は、昭和五二年に高校卒業後、同年四月国鉄に入社した。入社後「区」の準職員構内整備係、昭和五二年一〇月一日職員構内整備係になり、その後同「区」車両検修係、運転検修係として勤務してきた。

そして、国鉄当局の分割・民営化を前にした国労攻撃により、昭和六一年二月本件解雇の処分をうけたのである。原告木村は、希望して国鉄に入り、国鉄マンの誇りを持って業務に従事してきたもので、仕事上のミスで処分されたことはなく、他の職員に比して、勝るとも劣らない勤務成績だったのである。

ハ 原告円谷は、昭和三八年九月国鉄仙台鉄道教習所初等科へ入所し、同年一〇月「区」に臨時雇用員として採用され、同区の整備係、車両係、車両検修係、車両検査係(試験合格後昭和五七年一月より)として従事してきた。

そして、国鉄当局の分割・民営化を前にした国労攻撃により、昭和六一年二月本件解雇の処分をうけたのである。原告円谷は、国鉄マンとしての誇りを持って仕事を行っていたのであり、仕事上のミスで処分されたことはなく、その勤務成績も他の職員と比較しても全く劣っていなかったのである。

(3) 同人らの組合活動

イ 原告飯田は、昭和四〇年国労に加入し、大井工場でも分会青年部長、同執行委員を歴任し、「区」でも分会書記次長、郡山地区分会連絡協議会(以下「郡連協」という。)常任幹事、分会書記長(七期)を歴任し、「分会」の中心的活動家として、また、地域の活動家としても活躍してきた。特に当局の「公傷隠し」への反対や、職場規律是正攻撃などに分会書記長として先頭に立って取り組んできた。

ロ 原告木村は、国労郡山地区青年部常任委員、国労福島県支部青年部常任委員、分会青年部副部長、国労福島県支部青年部書記長、同青年部長等を歴任し、分会青年部のみならず、県内青年部の中心的活動家であった。職場規律是正攻撃の中で青年部の中心として先頭に立って取り組んできたのである。

ハ 原告円谷は、分会青年部副部長、分会青年部長、国労福島県支部青年部長、国労青年部中央委員、国労仙台地本青年部副部長を経た後、分会書記長を九期にわたり歴任し、本件懲戒処分時には分会役員ではなかったが、依然として分会の中心的活動家であった。国鉄当局の国労攻撃に対し、従前の交渉経験を生かし、先頭に立って取り組んできたものである。

(4) 原告らに対する処分の決定的動機が不当労働行為にあることについて。

イ そもそも、本件処分がいかにしてなされたかを見るならば、既に詳しく述べたとおり、当時は、国鉄の分割・民営化に向けての国鉄当局による異常な国労攻撃、「職場規律の確立」に名を借りた職場専制支配があり、それによる国鉄労働者、なかんづく国労組合員に対する権利侵害は目を覆うばかりのものがあったのである。当局の攻撃がそのようなものである以上、国鉄労働者がそれに抗議をするのは当たり前のことであり、とりわけその先頭に立ったのは国労の役員を始めとする国労の活動家であった。そして、その結果として当局によってなされたのが、「業務命令違反」等に籍(ママ)口した重い処分の乱発であり、しかもそれは、それまでには全く問題にされないような行為、正当な組合活動と評価されるような行為をも対象として、かつ、特に組織率の高い分会の積極的な活動に対しては、それまでには全く考えられないような重い処分をして強行されたのである。

以上本件処分について詳述する。

被告の処分事由の具体的な主張を前述のとおり、類型的に分類すれば、

類型Ⅰ 点呼にあたり出席の遅れ、返事、私服での出席、点呼に際し、しゃがむ、点呼場外に立つ等妨害と称するもの

類型Ⅱ 点呼中の発言、抗議、暴言、点呼監視等と称し点呼妨害としたもの

類型Ⅲ 体操について指示に従わないと称しているもの(抗議等含む)

類型Ⅳ 早昼食に対し注意したり、注意に対し抗議したりしたと称しているもの

類型Ⅴ ワッペン着用等の時間内組合活動、年休変更等への抗議、脱線復旧訓練、公傷者への雑作業指示等への抗議、暴行への抗議、その他暴言等、作業指示違反と称するもの

右類型に従い、これを各原告ごとに整理すると、次のとおりである。

原告飯田について、類型Ⅰが二八、Ⅱが二七、Ⅲが一〇、Ⅳが四、Ⅴが四三であり、総数一一二事由。

原告木村について、類型Ⅰが一三八、Ⅱが二一、Ⅲが一四〇、Ⅳが一八、Ⅴが三九であり、総数三五六事由。

原告円谷について、類型Ⅰが九一、Ⅱが五二、Ⅲが九〇、Ⅳが〇、Ⅴが一四であり、総数二四七事由。

これらについての事実上及び法律上の問題点は既に指摘したとおりであり、いずれも処分事由となしえないことは前述のとおりである。加えてこの当時の分会と当局との労使関係、国鉄当局の国労弾圧の意図(不当労働行為意思)、本件処分が他の職場における処分状況に比較すると極めて重く、いわば原告らへの見せしめ的処分であること等を考慮すると、不当労働行為であることは明らかである。以下〈1〉当時の労使関係及び分会の闘い、〈2〉当局の不当労働行為意思について、〈3〉見せしめ的処分であることについて詳述する。

〈1〉 当時の労使関係と分会の闘い

昭和六〇年代における国鉄当局と国労との関係については、前述したとおりであり、まさに国鉄当局は、分割民営にむけてそれに反対する国労に対し、職場規律の確立と称し既存の権利・慣行を一方的に剥奪しながら、それに反対して闘う国労組合員に対し、賃金カット・昇給昇格差別・懲戒処分等を乱発したりする等の不当な攻撃を行っていた状況であったが、分会における状況も同様であった。

昭和五七年一二月現場協議に関する協約が失効してから、現場では全く分会と当局との交渉は行われなくなり、さらに当局は、昭和五八年七月頃よりワッペン着用を理由に、労安委員会の実質的開催を拒否したり、組合ロッカーを実力で撤去したりする等の攻撃を行い、これに対し分会も可能な限りの抵抗闘争を行った。これに対し当局は、分会役員を中心に、昇給昇格差別や懲戒処分等を乱発し、職場は荒廃していったのである。さらに昭和六〇年四月頃より、以前にも増して組合敵視の労務管理が強化され、点呼への区長立合い、カメラを持込み挑発、組合掲示板の詰所から廊下への一方的移動、記帳室とハンプ仕業詰所の組合掲示板の一方的撤去、原告飯田と同円谷に対する現場協議確認事項を無視したハンプ仕業(貨物列車の仕業検査)への強制配転攻撃(一九八五年五月)が行われた。

同年五月一日、原告飯田・同円谷の活動家をハンプへ排除した当局は、「点呼の厳正な執行」の掲示を貼り出すとともに、五月九日から一方的に点呼場所をそれまで二階詰所(各自の机)で行っていたものを、一階検修庫奥に変更する旨の掲示を行った。分会は、地本の指示・指令に基づき、一方的な点呼場所の変更には応じられないとして、同年五月一一日申入れを行ったが、当局は、その受領すらしないという状況であった。さらに当局は、五月一三日から八時三〇分出勤即点呼を行うので、作業衣に着替えて一階検修庫奥で点呼することを指示した。

これに対し、分会は、地本の指示・指令に基づき、「着替えは就業規則上義務づけられており、作業上も必要である以上、着替えは労働時間である」との考えに基づき、仙台地方本部の指導により、八時三〇分のチャイムが鳴ってから詰所を出て点呼場に向かう抵抗を、五月一三日から全員で始めるとともに、五月一四日からは全員で私服のまま点呼に出席するなどの抵抗闘争を行った。これに対し当局は、「私服での点呼出席は就労の意思がないとみなす」と賃金カット攻撃を行う一方、五月一七日、私服での就労を理由に私服で点呼に参加した国労組合員三二名全員に対し、「厳重注意」の処分を行った。分会は、無用な混乱を避けると同時に長期抵抗の闘いを組織するため、仙台地方本部の指導のもと、私服での点呼出席については五月一八日までとした。後日、この間の賃金カットについては返還請求するとともに、八時三〇分前の着替え強要は違法な時間外労働であるとの抗議をした。その後は八時三〇分のチャイムが鳴ってから詰所を出て点呼場に向かう闘争(したがって、当局からすると毎日一ないし二分の遅刻)を全体で確認しながら、地本の中止命令が出る一二月二一日まで行ったものである。この間、点呼の中で当局に対し「団交確認を守るように」等の指摘をしたり、昼休みに当局へ申入れを行ったりした。当局は一一月に飯田、八月に円谷をハンプより戻す一方、佐藤(正)と高橋(敏)をハンプに強制配転させ、闘いを抑えこもうとしたので、この点について申入れを行ったが、当局は右申入書の受領すら拒否した。また、この間デッチ上げも策動された。

しかし、役員三名、元役員一名を職場から排除しても貨車検修における闘いは継続していったし、デッチ上げも不発に終わり、被告は前記の理由で大量かつ苛酷な処分を、翌一九八六年一月三一日に通告し、異例の早さで弁明・弁護を行い、二月一五日に発令した。三名の懲戒免職を含む職場闘争では全国でも過去に例がないというほど苛酷なものであった。その内訳は訴状記載のとおりである。

かえって、当局による暴言暴力事件は日常的に行われ、一九八五年四月から一二月までの間に一一件も発生し、公傷隠しや国労分会公傷者へのいやがらせ等、当局の不当な行為は枚挙にいとまがないほどである。

以上のように、処分事由とされた行為のうち点呼に関する件、抗議行動等(類型Ⅰ、Ⅱ及びⅤのうちワッペン着用等)は、仙台地本の指示・指令に基づく行為ないし分会役員ないし組合活動家としての職場活動を理由とするものであることは明らかである。そして、その他の早飯・体操・安全帽不着用等(類型Ⅲ、Ⅳ及びⅤの一部)を含め、いずれも「規律のための規律」、「秩序のための秩序」というものが大半であり、結局どのような不合理なことでも当局の意向に服従することを労働者に求め、これに服従しないことは、「業務妨害」、口答えすることは「暴言」という、非常識な「常識」が国鉄当局内部では行われていたことを示している。

〈2〉 当局の不当労働行為意思について

本件処分当時、いかに国鉄当局が、分割民営化に反対していた国労に対し、不当労働行為意思をもっていたかは、前記―本件解雇処分の背景と不当労働行為の項―で指摘した各事実により明らかであり、そしてそれはその後のJRになってからも引き継がれたのである。

各地の地方労働委員会、中央労働委員会での多くの救済命令では、国鉄時代における国鉄総裁をはじめとする国鉄幹部の発言や指示文書、他労組への賛美、そして国労への誹謗、非難、人材活用センターへの国労組合員の差別的収容や国労組合員への不利益配属の諸事実、新会社発足以降におけるJR各社の代表者や会社幹部、管理職にみられる反国労の言動や国労への敵意、差別政策の表明等をいずれも認定し、国鉄・JR各社の不当労働行為意思を認定している。

〈3〉 見せしめ的処分であること

当時の労使関係は既に詳述のとおりであり、本件懲戒処分の事由となった大半は他の職場でも既得権を守る闘い、あるいは専制的職場支配への抵抗闘争として行われていたのである。

しかし、本件のように免職三名を含む大量処分は全国的にみてもほとんど存在しておらず、その処分の重さ、処分者の数からみても極めて異常であった。

仙台地本管内でも、同様の抵抗闘争がなされたことは明らかであるが、当局の作成した書類によっても昭和六〇年九月当時例えば、点呼が正常に行えていない職場が二一にもなっていることが報告されている。次に処分についてであるが、いずれも国労仙台地本組合員ら一一名が、人材活用センターへの配属について効力停止の仮処分申請事件で、同事件債権者佐藤勝については、〈1〉昭和六〇年四月より昭和六一年三月まで一年間安全帽・安全靴をつけない、〈2〉昭和六一年五月になっても点呼で返事をしなかったり、「耳鼻科に行ってこい」と暴言を吐いた、等の行為が指摘されているが、同人に対しての処分は〈1〉〈2〉を理由とするものはなく、ワッペン着用等で訓告戒告処分を受けているにすぎない。昭和六一年五月の点呼は、本件処分後であり、しかも、同人は地本の指示に従って返事をしないのにである。同様に同佐藤孝志についても〈1〉立席拒否、点呼に返事しない、〈2〉安全帽未着用、暴言等の行為があっても、〈1〉〈2〉では処分されておらずワッペン着用等で訓告戒告処分を受けているにすぎない。

他の九名についても、ほぼ同様である。これら一一名の者はいずれも国労組合員ではあるが、その処分(処分されていないのが大半)と比較してみても、本件解雇者らへの処分がいかに苛酷なものであるかは明らかである。そして、この処分を契機に仙台鉄道管理局内の職場の国労の抵抗闘争は弱まっていったのである。このことは、本件解雇処分を含む大量処分の目的が、郡山地区の中心的分会である「分会」の解体と分会役員活動家への不当な見せしめ的処分であったことも、明らかにしているのである。

(5) 本件解雇を含む大量処分による国労への影響について

本件と類似した職場闘争が全国的になされている中で、体操や早飯等まで含む理由で大量かつ苛酷な処分がなされたのであるから当然であるが、国労の職場闘争へ影響を与えかつ、国労の組織そのものに対しても影響を与えたものであった。

具体的に分会における職場状況をみると、本件処分後職場闘争が下火になると、点呼について言えば、一層命令と服従の関係が強化され、まさに軍隊的点呼(返事が悪いと半日も返事を強要される等)が行われるようになり、早飯について言えば、弁当を机の上に置くことすら禁止するとか、体操についても体操のやり方が悪いと叱責するとか、異常な職場と化していき、少しでも抵抗する者について言えば、前述した人材活用センターへ送り込む等の差別が露骨に行われていったのである。

また、分会の組織率についてみても本件処分後次第に減少し、前記人材活用センターの差別、昇給昇格差別、さらに採用差別をちらつかせての脱退強要等により一層減少し、JR東日本発足時正規の作業に従事する国労組合員はわずかに一名にすらなってしまい、当局の目的は貫徹されたのである。

(二) 本件解雇処分は解雇権の濫用であり、無効である。

(1) 司法審査の可能性と判断基準

懲戒事由の有無、懲戒処分をなすべきであったかどうか、選択された懲戒処分が懲戒事由に照らして合理的であり均衡を失していないかどうかは、当該秩序の管理者でなければ適切な判断ができないというほどの、特殊な専門技術的な能力を必要とするものではない。そして判断に必要な資料は、訴訟当事者の攻防を通じて法廷に露出させることが十分に期待できるのである。このような手続に基づく中立的な第三者機関として裁判所の司法判断が、対立当事者の一方であり、かつ労働者に対して優越的、支配的地位にある使用者の一方的判断に基づく懲戒処分より公平、適正でありうることは異論の余地がないのである。

懲戒が使用者の優越的、支配的地位に基づくものであることは否定できないところであるから、そこには厳しい限界を求められなければならない。このような裁量権の限界を画する基準としては、比例原則、平等原則、事実誤認、目的違反、動機の不正などの実態的基準と、さらに適正手続の要請、裁量基準の公正な定立などの手続的基準があるところである。そして、本件は懲戒免職処分の事案であり、右処分が労働者の労働契約上の地位を失わしめるという他の処分とは異なった重大な結果を招来するものであるから、右処分の選択に当たっては特に慎重な配慮を要することは明らかであって、この点は最高裁判所も明言するところである。

従って、免職処分にあたっては、外部に表れた態様の他その所為の原因、動機、状況、結果等の他特に慎重な配慮を要することはいうまでもない。

その意味では本件のような集団的労使関係においては、特に正常な労使関係であったか否か、使用者側の対応に不当な点はないか、職場の紛争を解決すべき団体交渉が正常に機能していたのか、当局の不当労働行為意思の有無等についても当然考慮されなければならないのである。

(2) 本件各処分は被告がその懲戒権を濫用して行ったもので、違法であって無効である。

イ はじめに

被告は戦後国労が、職場の民主化の柱として営々として築きあげてきた職場慣行を守り抜くために闘われてきた職場闘争に対する報復として、原告ら客貨車区分会員らに対し、免職原告三名、停職取下前原告九名、減給同九名、戒告同四名(その他訓告八名)という、国鉄史上にも職場闘争を理由とする処分としては類例をみない大量かつ苛酷な処分を行った。

本件闘争の発端となった、従来の慣行を無視し非人間的な命令と服従の関係の点呼の実施そのものの狙いが、国労の組織と団結を破壊し、ひいては分割民営化を促進するところにあったことは既に前述してきたとおりであるが、この大量かつ苛酷な処分は端的に懲戒権を濫用してなされた、国労の闘う組織の破壊とみせしめのためのものであったことは明らかである。

本件処分が、被告がその懲戒権を濫用したものであることは、既に前述した処分事由の大半が存在していないことの外に左記諸事実、事情を考慮すれば一層明らかである。

ロ 当時の労使関係は正常に機能していないどころか、当局は一貫して国労攻撃の不当労働行為意思を有していたこと。

当時の労使関係については、既に詳述したとおりであるが、

〈1〉 国鉄当局は一貫して国労攻撃の不当労働行為意思を有して、「職場規律の確立」に名を借りた攻撃を行い、本件職場でも正にそのような意図をうけて管理者が点呼方法の変更等を実施したこと。

〈2〉 そうであるがゆえに、例えば分会の点呼方法変更についての申入れについても、その受領すらせず、真摯に対応するどころか申入れしたこと自体を抗議と称して対応したり、小声での返事に対する大声での返答を強要する等管理者側の対応は極めて不当であること。

〈3〉 職場の紛争を解決すべき団体交渉は、昭和五七年一二月から現場協議制が廃止されたことを理由に、かって現場協議導入前に行われていた職場交渉も行われず、また、労安委員会すらワッペン着用を理由に実質的審議を拒否する等正常に機能していなかったこと。

〈4〉 かえって、国労組合員に多い「公傷者」へのいやがらせとしかいえない雑作業の長期間従事や、国労組合員の年休取得へのいやがらせ、管理者の原告飯田への暴力事件等が行われていたこと。

等が認められ、極めて異常な職場実態にあったことは、本件処分の効力を考えるにあたり、当然考慮されなければならない。

ハ 処分類型上考慮されるべき事項について

〈1〉 点呼等に関する職場闘争(類型Ⅰ、Ⅱに関する)

本件処分については、前述したように各原告につき五つの類型に分けることができるが、そのうち点呼に関する類型Ⅰ、Ⅱだけで、原告飯田が総数一一二事由中五五、原告木村が総数三五六事由中一五九、原告円谷が総数二四七事由中一四三といずれも約半数を占める。

結局点呼に関する職場闘争に関するものが、原告三名とも半数をこえているのである。そこで、まず当時の点呼に関する「分会」の職場闘争について検討する。

点呼に関しては既述のとおり、もともと、各職場によってその方法等が異なっており、勤務関係上全く行われていない職場もあったが、多くの職場では前日からの引継ぎや、当日の作業日程を指示する等のため、作業ダイヤに明示され実施されており、具体的は方法は各職場毎に形成されてきたものであるが、その後「君付け闘争」等が行われ、多くの職場でそれまで呼び捨てだったのが改められる等の前進がみられた。また、現場協議実施後は各職場毎に現場協議等を通して、代表点呼、着席点呼等合理的な方法に改善されてきたものである。

点呼における紛争の経過は既に詳述したとおりであるが、当局の対応をみると、

四月二二日、点呼時に区長出席し写真撮影を強行。

四月二四日には、点呼時にたまたまおとなしく着席していた非番の原告飯田へ、異常としかいいようがない攻撃や暴力的行為がなされたこと。

五月九日の点呼方法の変更にあたっては、分会の申入書の受領すら拒否し、右申入れを抗議として扱う等全く話合いによる解決を当初より放棄し、強行的に行おうとしたこと。

五月一三日の出勤即点呼への変更については、判例上、就業規則上も多大な問題がありそれを指摘されてもとりあわず、私服による出席者へは、就労する意思がないから否認するという強硬な態度に終始したこと。

小声で返事をした者に対しては、軍隊的に大声での返事を強要し「出席しています。」等の返事に対しても「ハイ。」の大声での返事を強要したこと。

点呼で、当局が故意に国労組合員を刺激する話(例えば、いまだ国会で可決されていないのに分割民営を前提の話)等をあえて行ったこと。

等が認められる。

一方分会は、当局の点呼場所の変更(昭和六〇年五月九日)及び出勤時即点呼(昭和六〇年五月一三日)について、分会は前述のように地本の指示・指令に基づき、点呼場所の変更については交渉申入れを行ったが、当局は右申入書すら受取らなかった。また出勤即点呼に対しても地本の指示・指令のもとに、類型Ⅰに該当する、

a 五月一三日より八時三〇分のチャイムが鳴ってから詰所を出て点呼場へ向かう抵抗

b 五月一四日より五月一八日まで着替えは労働時間であるとして私服で点呼に出席する抵抗

の各闘争を行った。又、原告らは個々の点呼において、類型Ⅰの消極的抵抗(小声で返事する、しゃがむ、二度目で返事する。)や、当局の不当な発言に対して、類型Ⅱの団交守れとか、国会で決まっていないべ等の発言をしたが、これらの抵抗闘争のうち右bについていえば、前述のとおり判例上も当局の業務指示そのものが違法であり、従う必要のないことを明示しており、何ら違法性はないが、仮に法律上問題があるとしても右類型Ⅰ、Ⅱに該当する行為は、a、b及び個々の点呼における右抵抗も、いずれも前述のように当局の不当な対応があって行われたものであり、職場闘争の手段としては争議権を法律上不当に制限されて、団交権も正常に機能せず、かえって前記の如き不当な対応に終始している当局の姿勢からすればやむをえない範囲内のものであり、いずれも処分の効力を考えるにあたり、当然考慮されるべきである。

〈2〉 類型Ⅲに関して

類型Ⅲは、体操について指示に従わないと称しているもので、結局体操しなかったことであるが、原告飯田が一〇、原告木村が一四〇、原告円谷が九〇指摘されている。

そこで以下この点について検討する。体操そのものは、本来業務と直接的関連はなく、かえって各人の健康保持のためのものであり、憲法第二八条との関連もあり強制すべきものでない。

当局は、前記点呼の厳正化との関連の中で体操についても、その時間の変更等について分会と協議することもなく、かつ命令と服従の関係強化の一方法として、監視下における体操の強制・強要を行うとしたものであることは明らかであった。かかる状況下で、体操は強制・強要されるものでないとして、その指示に従わなかったとしても消極的抵抗としてやむをえない範囲のものである。

さらに、以下の点も考慮すべきである。

それは、昭和五七年から同六一年にかけて国鉄が行った職場闘争等を理由とする免職処分の中で、類型Ⅲに関する事実は非違行為として一切主張されていないということである。このことは、被処分者が体操していたからでなく、被処分者の大半もしていなかったのであるが、そもそも他では体操しないことは、処分事由にできないと判断していたことを示しているというべきである。

また、このことは仙台鉄道管理局が昭和六一年三月作成した「職場規律の確認等について」中、第八次職場規律総点検結果についてという見出し中の、総点検すべき四五項目のなかに体操の記載がないことからもうかがえるのである。また、本社や仙台鉄道管局内では、体操は定められていてもほとんどしない実情であったことも考慮すべきである。

結局、類型Ⅲは当局自身他の理由のみで本件処分の有効性に自信がなく、いわば付け足したものであることを考慮すべきである。

〈3〉 類型Ⅳについて

類型Ⅳは原告らの早昼食について、注意しても指示に従わなかったり、抗議したと称しているもので、原告飯田が四、原告木村が一八(原告円谷は〇)指摘されている。

しかし、昼食は「区」において、従来、昼休み前の手待時間でも慣行として当局の助役も含めて食事を開始していたことは前述のとおりである。

当局は、特に国労組合員でなかんずく若い中心的活動家に対して、いやがらせ的に集中的に早めしの監視、注意を行ってきたのである。従って、同じように早めしをしても注意もせず、一方早めしの時間分を否認までされる者もいれば、原告木村のように若い労働者は「否認したのだから食べて何が悪い。」として抗議をするのもあたり前であり、また、早めしによって業務上何ら支障がないことも明らかである。さらに、以下の点も考慮すべきである。

第一に、前記類型Ⅲと同様に本類型Ⅳも前記昭和五七年~六一年までの免職処分の中で非違行為として一切主張されていないことである。このことは、被処分者らが早めしをしていなかったからでなく、早めしをしていたが、そもそも早めしは処分事由にできないと判断していたことを示しているというべきである。

また、このことは、類型Ⅲと同様に仙台鉄道管理局作成の前記総点検すべき四五項目中に早めしの記載はないのであり、かえって右書面中には昼食時間の取り扱いに関する組合との交渉経過等の記載はあるが、その欄にも早めしのことは全く指摘されていないのである。

また、本社や、仙台鉄道管理局では、社員食堂では昼食時間前に並ぶなど、いわゆる早めしは日常的になされていたのであるから、現場のみに厳格な適用をすることは不公平のそしりを免れない。

結局、類型Ⅳも類型Ⅲを同様、当局自身他の理由のみで本件処分の有効性に自信がなく、いわば付け足したものであることを考慮すべきである。

〈4〉 安全帽着用について

類型Ⅴに該当する安全帽着用については、前述のように昭和四三年九月二〇日懸案事項の処理に関する了解事項第三項において「保護具の着用については、問題の性質上労使の円満な処理が望ましいので、その扱い方を含め十分対応機関で協議する」と整理された。その後昭和四九年八月にヘルメット色別問題で交渉がなされたが、いずれにせよ「指導する」としているが、強制しないというものであった。

現に「職場規律の確立」に名を借りた攻撃がなされる以前は、職場の中でも安全帽等を着用しないで作業に従事しても特に問題はなかった。また、一方JR東日本になった後ですら、例えばサービス班では安全帽をかぶらず作業しても問題にされない。このことは、「安全帽等着用」といっても、まさに国労組合員に対する命令と服従の関係確立に主眼があったことを示しているものであり、そうであったことを知っていたが故に原告らは、「当局の、分会の改善要求を無視しあたかも安全帽等をかぶれば事故防止できるかの如き姿勢」に対する抗議の意味もこめて、労安法上必要とされる場合を除き着用しなかったのであり、前記職場実態下においては職場闘争の手段としてはやむをえない範囲内のものである。

〈5〉 安全帽以外の類型Ⅴについて

類型Ⅴには安全帽を含め原告飯田が四三、原告木村が三九、原告円谷が一四指摘されている。

さらに右非違法行為を子細に検討してみると、

a ワッペン着用への当局の介入への抗議に関する件

b 時間内組合活動と指摘されたことへの抗議に関する件

c 当局の年休に関する不当な扱いの抗議に関する件

d 従前と違う担務者に関する抗議に関する件

e 脱線復旧訓練に関する件

f 公傷者や国労組合員への雑作業指示への抗議に関する件

g 暴力行為への抗議の申入れに関する件

h 暖房についての申入れに関する件

i 当局が撤去した私物等の返還要求に関する件

j その他

に分けることができる。

右のうち脱線復旧訓練の件を除くと、いずれもまず、現場協議が行われ正常な労使関係が存在していたなら、現場協議で話し合われたであろう問題が殆んであることに留意すべきである。

次にその殆どが、当局側の不当なあるいは現場での話合いなしによる強行が原因で、いわば原告側が攻撃を受けたことに対する消極的抵抗の形になっていることである。

aについて。これは正に職場の組合活動に関するもので、判例上いくつかの問題点はあるが、来客もなく、対外的に全く見えない職場でのワッペン着用であり、組合役員としては、むしろ、抗議申入れするべき立場にある以上、やむをえないところである(このことのみによる処分の係争事件は、戒告処分であることをも留意されるべきである。)。

bについて。前述のとおり、事実関係について争いがあるが、メモについて言えば、当時いまだ分割民営に関する法律が制定されていないのに、制定されることを前提に区長は国労攻撃の発言を繰り返し行っており、かかる発言をメモしておくことは、右のような事情の下ではやむを得ないものである。

cについて。年休の取扱いの変更の不当性については前述したとおりであるが、当局の違法・不当な措置に対し、組合員の権利を擁護するため、分会役員として抗議の申入れをしたり、点呼においてその根拠を尋ねたりするのは、労使の団交が正常になされていない状況ではやむを得ないものである。

dについても、労安委員会の開催にあたり、従前交検班の者が出席した場合に勤務時間中に終了すると班編成上事実上勤務解放されていたのをやめるため、当日交検班の者を機動班に担務替えしたものであるが、これも本来事前に分会に申入れする等全くせず、一方的に行ったために生じたものであり、また、ハンプへの移動も現場協議での本人の意思の尊重や、従前の移動の方法と全く異なることを一方的に行ったものであり、しかも、まさに原告飯田と同円谷はその組合活動を嫌悪して配転したというのであるから、これに抗議したり根拠を尋ねたりするのもやむを得ないものというべきであり、かかる事情も十分考慮されるべきである。

eについて。前述したとおり、脱線復旧訓練そのものについては全く影響を与えておらず、混乱した原因は、当局の安全帽への差別的取扱いや、区長の暴力行為にあったのであり、原告らはいずれも近分会長のもとで一致して行動したものであり、かえって原告飯田は事態の紛争を最小限にするため、若手の組合員に対し、早期就労を説得したりしているのである。

fの公傷者へのいやがらせは、後の人材活用センターのはしりみたいなもので、「公傷」が完治しても正規の仕事に従事させないというもので、国労組合員の職場でのケガを「公傷」扱いにすべきであるとの姿勢への弾圧、見せしめ、極めて不当な措置であり、これに対し、労働者として当局の「いやがらせ」に対し、口頭でその不当性を主張したにすぎないことを考慮すべきである。

gについては、当然の行為である。なるほど、就業時間中に行っている例もいくつかあるが、それはいずれも、暴力が行われたその場でなされているのであり、かかる行為は就労時間中と言えども、一時的なものであれば緊急行為として許されるべきものであり、また、翌日等に昼休み時間に分会として抗議申入れをしているのもあるが、これもまた、組合としてはむしろ当然の行為であり、多少の言葉のいきすぎがあったとしても、相手方の行為との比較でやむを得ないものであり、かかる点も考慮されるべきである。

hについて。暖房についても、従来庫内での温度が一定の温度(一五℃以下)になると庫のなかに暖房をとおしていたのに、分会との交渉は勿論、組合員らに何らの説明もせず、右取扱いの変更を当局が行ったのに対し、自然発生的に抗議したものであり、これもやむを得ないものである。

iについては、当時の労使関係のもとで、机の上に貯金箱を置き、これに「分割民営反対」等と書いていたのであるが、右行為の適法性の問題を一応おくとして、分割民営による不採用が国労の不当労働行為であると各地の地労委で判断されていることからすると、何ら業務に支障がないのに、当局が、一方的にかつ、中の「お金」があることを知りながら、それを含めて撤去したことに対し、抗議の申入れをするのも、やむを得ないというべきで、かかる事情も考慮させるべきである(組合情報についても同様である。)。

ニ 本件処分の苛酷性

〈1〉 本件処分の苛酷性を検討するにあたり、本件処分の特質の一つである非違行為の数の多さを指摘せざるを得ない。

前記の如く、原告飯田について一一二事由、原告木村について三五六事由、原告円谷については二四七事由であり、この時期の他の解雇処分と比較してもその数の多さは特異である。

しかし、このことは、原告三名についても決定的解雇理由が存しないことを逆にあらわしているのである。前記のように昭和五七年~六一年の間の解雇事件はその大半が暴力行為を伴うか(事実無根が多いが)、あるいは、特に解雇すべき中心的非違行為を主張しているものである。一方、本件では他の解雇事件では全く主張されていない体操とか、早めしまで非違行為として主張され、数の多さで勝負するかの如くであるが、これは、他の解雇事件と比較して暴力事件を伴わず、当時どこの職場でも見られた職場の抵抗闘争のみを処分事由としたため、「数の多さ」をいわないと、被告内部ですら、「やりすぎ」じゃないかとの批判が生じかねないからだったのである。

したがって、本件処分が解雇権の濫用にあたるかを判断するにあたり、非違行為の数の多さを問題にすべきではないのである。

かえって、他の職場闘争を理由とする懲戒処分にあたり、問題にすらされなかった事由が、数の多さを問題にするため、取り上げられていることを考慮すべきなのである。

〈2〉 次に本件で非違行為とされた職場闘争が当時全国各地でおこなわれていたのに、原告らが、大量かつ苛酷な処分を受けたことも考慮されるべきである。

本件と類似する職場闘争は、当時全国各地で行われていたのであり、「分会」のみが特異な職場闘争を行ったものではない。

昭和六〇年当時の国労と国鉄当局との労使関係は前述したとおりであり、当時全国各地で「職場規律確立」に名を借りた国労攻撃が行われており、その内容や時期は若干の差はあるにしても、例えば、時間内入浴の禁止、現場協議制の廃止による現場交渉の否定、ワッペン闘争への大量処分、業務命令の乱発による処分専制支配等実施されていたのである。具体的に点呼、安全帽等について言えば、全国各地で当局は、点呼の厳正執行を含め、四五項目もの職場点検活動等を実施していた。九州門司地本下では当局が点呼で「出勤です。」等と答えた組合員の賃金カットすると言う暴挙まで行った。

これに対し、国労も様々な闘争を指令したり、仙台地本では国会議員等による調査活動等も行われた。その結果、各分会において職場闘争が行われており、「分会」職場闘争もその一環でしかなかったのである。さらに、当時同様の職場闘争がなされていたことは、当局の資料よりも明らかである。

〈3〉 この点について仙台地本管内の実情をみるに、「分会」と同様の職場闘争、職場実態にあり、本件において当局が非違行為とする事由が存する場合においても、免職処分がなされたのは本件だけであり、その他はほとんど処分がなされていない(仙台地方裁判所昭和六二年ヨ第三〇号、配転効力停止処分事件の当局提出資料参照)か、なされても、戒告等の原告らに比較して極めて軽い処分しかなされていないことを考慮すべきである。さらに本件処分は処分事由との比較で重すぎるのみならず、他の処分されなかった者との比較でも重すぎ、二重の意味で苛酷な処分である。

a 従前の処分との比較

昭和五六年以前一〇年間に職場闘争が存在したにもかかわらず、職場闘争を理由とする免職処分はストライキを理由とする幹部処分を除けば、存在しなかった。この間、早めしや体操しないこと等は全く問題にされていないのである。

一方、昭和五七年以降は業務妨害等を理由とする免職処分が激増した。(なお、大半が係争中であるが、判決がなされたものは一件を除き解雇権濫用で勝訴している。)。その中でも、暴力行為を伴わない単なる業務妨害等を理由とする処分としては、大量かつ苛酷な処分であった。

b 「区」の被処分者との比較

本件解雇と同じ理由で、停職処分にされた上遠野らと比較してみると、非違行為の数の上では、それほど違いはなく単に数のみでは、かえって例えば上遠野や高橋(敏)より原告飯田のほうが少ないことも考慮すべきである。

数の比較のみでなく、その処分事由の内容を比較しても、特に原告ら三名のみを免職にすべき理由はない。

停職者のうち、被告らの主張によりその処分事由が明確にされている。

佐藤正則 (停職一二箇月)

高橋敏夫 (停職一二箇月)

上遠野武 (停職一二箇月)

田谷良一 (停職一〇箇月)

について、その処分事由を原告三名について分類したものと同一基準によって分類すると別表記載のようになる。これをまとめると、次のとおりである。

〈省略〉

処分類型の内容はいずれも類似しているが、原告らと右停職処分者らとの処分事由並びにその数を比較して一方を免職処分、他方を停職処分にすべき特段の事由は存しないことは明白である。

かえって、記述のとおり処分の数のみでいうならば原告飯田と前記停職処分者四名の誰よりも数は少なく、原告円谷も停職処分者のうち高橋(敏)、上遠野、田谷よりも少なく原告木村も同じ上遠野、田谷よりは少ないのである。

次に、原告ら三名について前歴として停職処分を受けていることを考慮したとする点については、停職処分者の中にも前歴として原告らと同一の事由で停職処分を受けている佐藤(正)が存するのである。そこで、右佐藤(正)と原告らとをこの観点からさらに検討する。

佐藤(正)は、昭和四五年四月国鉄に入社し、「区」に勤務した。入社後直ちに国労に加入し、昭和五〇年から同五五年まで分会青年部書記長、昭和五五年から同六一年まで分会書記次長、昭和六一年から同六二年まで分会書記長であった。本件処分以前の処分歴としては、

昭和五七年三月三一日 戒告

二〇二億円のスト損賠撤回の横断幕看板掲出

昭和五八年三月三〇日 減給一〇分の一・三か月

時間内入浴等「是正」反対闘争

昭和五九年八月一日 停職一か月

昭和五七年八月以降の「是正」措置に対する抗議等

である。

そこで、原告三名の前歴との比較であるが、昭和四〇年代はいわゆるマル正闘争による前歴が主なので、これについては既に歴史的評価もなされているので、一応五〇年以降の処分歴をみると、次のようになる。

(原告 飯田)

昭和五〇年六月四日 訓告

昭和五〇年春闘、五〇・五・八~一〇欠務、ビラ貼り

昭和五一年三月二九日 厳重注意

昭和五〇年スト権スト、五〇・一一・二六~一二・三

昭和五二年四月二日 訓告

昭和五一年春闘、五一・四・二〇欠務

昭和五二年九月一〇日 厳重注意

昭和五二年春闘、五二・三・二〇、四・五欠務

昭和五三年一〇月一三日 厳重注意

昭和五三年春闘、五三・四・二五欠務

昭和五六年二月一日 戒告

昭和五五年春闘指導責任五五・四・一六欠務

昭和五七年三月三一日 戒告

五六・五・一二、五・二〇、五・二八及び六・一九組合看板掲出

昭和五七年九月一八日 訓告

昭和五六年秋闘、五六・一一・二五欠務、昭和五七年春闘

昭和五八年三月三〇日

減給三か月一〇分の一

昭和五七年四月から七月までの郡山客貨車支区において、再三にわたり、管理者に対し暴力的言動等により職場規律を乱した。

昭和五八年一一月二四日 厳重注意

東北鉄道学園内において、ワッペン取外し指示に従わず、学園内の規律を乱した。

昭和五九年二月一日 戒告

五七・一二・一六人勧、仲裁即時完全実施闘争指導責任

昭和五九年八月四日 停職一か月間

昭和五七年八月から九月まで郡山客貨車支区において、管理者に対して再三にわたる業務妨害により職場規律を乱した。

昭和六〇年九月一三日 訓告

昭和六〇年四月一日以降ワッペン着用

(原告 木村)

昭和五三年一〇月一三日 厳重注意

昭和五三年春闘、五三・四・二五欠務

昭和五五年五月三一日 厳重注意

昭和五四、五五年春闘、五五・四・一六欠務

昭和五七年三月三一日 戒告

五六・五・一二、五・一四、五・二〇、六・二及び六・一〇組合看板掲出

昭和五八年三月二六日 厳重注意

五七・一二・一六欠務

昭和五九年八月一日 停職一か月間

昭和五七年八月から五八年二月まで、郡山客貨車区郡山支区において、管理者に対し再三にわたり業務妨害等により職場規律を乱した。

昭和六〇年五月一六日 厳重注意

昭和六〇年五月一四日~一六日、管理者の再三の指示にもかかわらず、勤務開始時刻になっても私服のままで就労しなかった。

昭和六〇年九月一三日 訓告

昭和六〇年四月一日以降ワッペン着用

(原告 円谷)

昭和五〇年一〇月一三日 戒告

四八・一一・二〇~五〇・五・一〇闘争

昭和五一年一〇月一日 戒告

スト権スト五〇・一一・二六~一二・三

昭和五二年一〇月一日 戒告

五一・四・二〇欠務

昭和五三年一〇月一三日 訓告

昭和五二年春闘、五二・三・三〇、四・五欠務

昭和五六年二月一日 訓告

昭和五四、五五年春闘、五五・四・一六欠務

昭和五八年三月三〇日 戒告

五七・七・一二~二九まで郡山客貨車支区において、再三にわたり管理者に対し暴力的言動により職場規律を乱した。

昭和五九年八月一日 停職一か月間

五七・八~五八・六まで郡山客貨車支区において、管理者に対し再三にわたる業務妨害等により職場規律を乱した。

昭和六〇年九月一三日 訓告

昭和六〇年四月一日以降ワッペン着用

しかし、右三名とも右処分事由中、ストライキ参加による処分(ストライキ参加も幹部責任が大半で、したがって佐藤(正)について処分がないのは、同人が組合役員になったのが遅かったからである。)を除外すると、原告ら三名と佐藤(正)とはそれほどの差異がないことが明らかである。ストライキ等は、反復繰り返しても処分は重くなっておらず、組合幹部の地位によって処分の軽重が決定されていたことは明らかである。

また、本件非違行為とされるうち、かなりの部分が仙台地本の指示指令によるものであることは既述のとおりであるが、右佐藤(正)との比較で原告ら三名について闘争の指導責任を問題にしているとすれば、かえって闘争の最高責任者である分会長近について、同人の処分事由の明細は明らかにされていないが、少なくとも原告飯田、同円谷との比較で言えば、近はハンプに行かなかったのであるから、点呼妨害等の数は多いことが推定できるにもかかわらず、停職六か月の処分であることからしても右のような主張は採用できないことは明らかである。

してみると、右佐藤(正)との比較においても、原告らの前歴を考慮したとしても、前述の諸事情を考慮すれば免職は重きに失するものである。

また、原告らの右停職処分たる前歴は、いわゆる時間内入浴闘争に関するもので、時間内入浴そのものが、従来合理的理由による慣行であるのに、これを労使の交渉も行わず、一方的に禁止する当局に対し、分会役員として地本の指示指令に基づく反対闘争であり、従ってこれに対し、停職処分にすること自体極めて不当であるが(前歴として評価すべきでない。)、一応その点をおくとしても、全国的にみれば、同種の処分理由により停職処分がなされていても、次の処分も解雇処分とせず停職処分とした例が、いくつか報告されているところであり、本件にあたっても、前歴を考慮しても、なお、前記諸事情を考慮すれば、解雇は重きに失するといえる。

六 被告の主張

(原告らの非違行為について)

1 原告らが連日のように各種の非違行為を行ったことは明らかである。

原告らは、本件処分が国鉄の国鉄労働組合に対する不当労働行為であると縷々主張するけれども、国鉄は、専ら原告らの非違行為に着目して右処分を発令したものである。

2 点呼の執行について

(一) 点呼は、執務時間内の業務の一環として、日常の業務を円滑かつ効果的に遂行することを目的として、国鉄の職場においては、古くから実施されている慣行であり、〈1〉公私の区切り、〈2〉出退勤の確認、〈3〉職員の健康状態の把握、〈4〉服装の整正、〈5〉作業指示、作業実績の報告、〈6〉局報、公報の伝達、〈7〉次の勤務の確認及びその作業内容の指示等のために行われる。

このような目的のために行われる点呼は、厳正に実施されることが要請されることは当然である。

国鉄当時、多数の職種や職場があり、勤務体制も異なるので、点呼の方法は、その職場の実情に応じて各職場について管理者が定めている。

(二) 「区」においては、かつては検修員室とは別に講習室に出勤した職員を集合させ、点呼を執行していたが、職員の希望を入れて検修員室(詰所)で点呼を行うようになった。午前八時三〇分から国鉄体操をした後、同八時四〇分から点呼として、起立して挨拶したあと、職員を着席させて点呼執行者(管理者)が各職員を呼名し、その後情報及び作業指示を伝達する方法で実施してきたが、原告らも主張するように、昭和五九年五月ごろの赤タオル事件、同年一二月検修員室に持ち込まれた組合のロッカー撤去の件等、国鉄が職場規律の厳正を提唱するようになると、特に国労組合員はこれに反発し、職員の中には起立することを拒否したり、呼名に対し執行者に背中を向けたり、返事をしなかったりし、また、点呼中に新聞を読む者が続出し、これを注意すると、抗議の発言をしたり、また、非勤務の国労組合の指導者が点呼中の検修員室に在室(これ自体、不可解なことである。)したりして整然とした点呼の執行が不可能となった。そこで、区長は、昭和六〇年五月一日、このような事態に警告を発し、整然とした点呼ができないのなら、点呼場所を変更せざるを得ない旨予告したが、事態は改善されなかった。

そこで、区長は、同月九日、点呼場所を検修庫一〇番線奥に変更し、起立した状態で点呼を行うこととした。ところが、国労所属の職員は、点呼場所の変更に反発して九日の点呼に出頭しなかった。

従前、八時三〇分から音楽を流して行っている国労体操も参加する者が少ないこと及び点呼の終わった後、その場で国鉄体操をして、その終了後直ちに作業に就くことが望ましい勤務体制であると考え、同月一三日から、点呼と体操の時間を入替え、八時三〇分から点呼を開始することとし、作業服に着えて、点呼場に出頭することとしたところ、国労所属の職員は、右措置に反発し、私服で点呼に出頭したり、故意に一~三分遅れて点呼場に出頭するという事態は、五月一九日から同年一二月二〇日ごろまで続いた。

(三) 前述のように、点呼場の変更は、点呼の際の立席を拒否する職場の状況を是正するために行ったのであるが、点呼場を移動後は、起立を求めて整然とした点呼を要請する区長らの期待に反し、国労所属の職員の中には、点呼の指定場所外に出頭し、点呼中、しゃがみこみ、点呼執行者が指定場所に起立を求めても応じなかった。

点呼の前述の目的からすると、管理者の呼名に対しては、明確に返答すべきことは、社会常識上当然のことである。点呼執行者が「ハイ。」という返事を指示することは、何ら被点呼者の人格権を侵害するという筋合のものではなく、「精神的屈辱感」、「服従意識」を強いるなどとは無縁なことであり、このような発想法について、国鉄は社会的な指弾を受けたのである。しかるに、国労所属の職員は、返事をしなかったり、聞き取り難い小声で返事をしたり、故意に間延びした返事をしたりした。しかも、同じ職員が、日々違った態様の返事をしているのであって、このため、点呼執行者は、確認せざるを得ないため、点呼時間は延び、真摯に点呼を受けている他の職員に迷惑をかけることにもなったのである。

さらに、点呼中に故意にその進行を妨げる意図でされる抗議や暴言が繰り返し行われた。呼名に対する返事に注意すると、これに反発する発言をしたり、特に、当時の国鉄のおかれた状況について説明伝達をすると、猛烈に抗議をしたりして、円滑な点呼の執行を妨害したのである。

もちろん、作業指示について、点呼の際に質問することを禁ずるものではないが、「区」における作業は定型的なものであって、質問する必要はないのが実情であり、当時の国鉄と国労の間の労働協約によれば、仙台鉄道管理局と国労仙台地本が団体交渉単位であったのである。

(四) このような点呼の状況は、原告ら三名に代表される国労のリーダーが参加したり、あるいは監視したときに顕著であり、そうでないときは、円滑に点呼が実施されていたことによって明らかである。

原告らは、このような事態の招来は、「区」の管理者が、勤務時間内に作業服に着替えることの「法的権利ないし合理的利益」を奪うという違法行為に起因し、その撤回を求めて抵抗することは非違行為に該らないと主張するようである。

しかし、前日のように、点呼場所及び点呼時間の変更を余儀無くされたのは、職場規律の乱れがひどかったのを是正するためのものであったのであるが、作業服に着替える時間を労働時間内とする協約も存在しないのであるから、就業時間の開始である点呼に際し、単純な作業服の着用を要求することをもって違法視されるいわれはない。まして、当時、国鉄再建監理委員会をはじめ、社会一般から国鉄の職場規律の乱れや生産性の低さが指摘されていたのであるから、管理者のとった措置は当然のことである。遅参した職員に対する「否認」の処理についても、苦情処理手続きがとられていないことからも判るように、原告らの行動は、国鉄に対する闘争体制にあった組合活動の一環としてされたものと解される。

3 国鉄体操について

(一) 国鉄の体操は、職員の健康増進、業務能率の向上及び傷害事故の防止を図る目的で、古くから(明確でないが、仙鉄局では、昭和一〇年五月ごろ実施されていた記述が存在する。)実施されてきたところであるが、一時はレクリエーション的な要素もあった。しかし、昭和三〇年代後半になってモータリゼーション等の発達により、全般的に職員の体力減退に起因する労働災害が多発したこともあって、国鉄は、昭和四五年、業務の一環として職員に体操をするよう指示しているところである。

すなわち、国鉄は、国鉄体操の実施については、厚生業務管理規定第一五条八号(昭和三九・四・一総裁達第一六二号)の規定を受けて、安全管理基準規程第二三条(昭和四五・八・二〇職達第二六号)を定め、国鉄体操の実施に関する標準(昭和四五・一二職保第八六〇号)を制定している。これを受けて仙鉄局は、仙台鉄道管理局安全管理基準規程(昭和四五・三仙局達第七〇号)で、「箇所長は、国鉄体操を積極的に実施し、所属職員の体力増進に努めなければならない。国鉄体操の実施標準は別に定める。」(第一八条、昭和六〇年四・一改正)とし、これを受けて、仙鉄局国鉄体操の実施に関する標準(昭和四六・四仙総保第八八七号)を定めて、各職場で、国鉄体操を実施させている。

また、日本国有鉄道就業規則第八六条、同第八七条の規程に基づき、昭和六〇年一二月二〇日から、体操をしない職員については、「否認」扱いとすることによって、その実効化を期している。

「区」でも勤務時間内に一斉に国鉄体操を実施してきており、これを怠る者は、指示に違背することであり、当然に不当労働行為に該当する。

(二) 前述の体操の趣旨から、職員の体調に合わせた体操をさせることは当然のことであり、「区」においても、職員の申出があった場合には、体調に合うような体操を行って差し支えない旨指導している。

4 早めしについて

職場規律の厳正な確立がいわれるようになって、職員が勤務時間中の食事を摂ることを禁じ、再三にわたって注意してきたが、原告らは、右注意を無視して、休憩時間になる前に食事をしたのであって、そのため否認されたとしても、非違行為でなくなるものではない。

5 時間内組合活動について

(一) ワッペン、夏用バッジの着用、制帽落書き

勤務時間内の組合活動が許容されるものでないことは、明らかである。

ところで、原告らも自認するように、ワッペン等を組合活動の一環として服装の整正に関する就業規則に違反して着用し、取り外すようにとの注意を無視し、着用を続けたものであるから、非違行為にあたることは当然のことであり、本件処分当時、全国的にワッペン等の着用による多数の処分がされていたのである。

(二) 集団抗議入室

昭和五七年一一月、それまで、各現業箇所で行われきた現場協議制度が本来の目的を逸脱し、組合活動化したことを理由に現協制度に関する国鉄と国労の協約は終了した。その後は、団体交渉単位である局・地本間において、労使の交渉がもたれた。もちろん、現場においては、管理者と職員との個人面談の機会を設けて、職員の苦情等を聞いてきたのであるが、本件で非違行為とされたのは、組合員が集団で管理者の制止を聞かず区長室に乱入し、口々に抗議の発言をした事例であって、非違行為に当たることは当然である。

(三) ジュース罐立て

ジュースの空罐に組合のスローガンを記載し、検修員室の自己の机上に置くことは、組合の宣伝活動として組合活動であることは明らかであり、原告らは、この空罐に小銭を入れておき、これを回収、廃棄する管理者を泥棒よばわりして職場規律を乱したものである。

(四) メモ、録音機持込み、情報配付・読み上げ等

勤務時間中に管理者の言動をメモし、あるいは、点呼場に録音機を持込んで管理者の発言を録音し、組合の主張の材料にすることは、組合の情報活動であって、組合活動である。

また、手待時間を利用して検修員室に組合員が集まり、組合情報を配付したり、情報を読み上げて伝達することも組合活動である。

6 担務変更、安全具の着用、年休の取扱い、一〇番線での交検に対する抗議について

安全具の着用については、規程上、検修職場では義務づけられているのであるから、同職場に働く職員は着用すべきであり、また、一旦確定した年休を取り消すには、それなりの理由の説明を求めることとした管理者の運用のやり方は、多数の職員が働いている職場については合理的な方法であるし、担務の変更は、管理事項として管理者が決定できる事柄である。

また、一〇番線での交検の実施は、当時「区」には、団体交渉で定められた標準両数を消化するのに必要な人員をはるかに超える職員が配置されており、かつ、交番検査を待つ滞留車両が、郡山地区に多数存在したのであるから、交番検査を早めるために一〇番線を使用して、作業上危険を伴わないコキ車等の交番検査をしたことは不合理ではない。

このように、管理者がした施策について、原告らが節度を超えて執拗に抗議したのであって、これが違法行為というのである。

7 公傷者に対する作業指示等の抗議行動について

上遠野、遠藤(一)は、他の職員と比べて公傷の回数が多かったが、当時、本来の検修作業に従事するに必要な要員を超える職員の配置があったので、右両名に雑作業を指示したものであるが、原告らは、このことについて、管理者に対し強く抗議したものである。

8 脱線復旧訓練について

「区」においては、脱線復旧訓練は、重要な訓練であって、高度の技術を要するとともに、危険度の高い作業でもある。この訓練にあたっては、管理者は、再三にわたって参加者に安全具を着用するように指示したのであるが、参加者のひとりである佐藤(浩)が安全帽を着用せず、区長らの制止を振り切って訓練用貨車の下に入ろうとしたので、区長が同人の肩を持って止めようとしたところ、付近にいた橋本が、「区長、暴力振るった。」と発言し、これを聞いて、当時交番検査業務に従事していた原告飯田が、その場に来て、国労組合員らに話しかけたところ、その付近にいた国労組合員らは、安全帽を脱いでしまった。

また、区長が安全帽を着用しなかった前記佐藤(浩)を作業から外し、賃金をカットすると告げたところ、原告飯田、同木村は、他の組合員約一〇名とともに区長に喰ってかかり、付近が騒然となり、訓練の実施を妨げたのであって、重大な非違行為である。

9 その他の職場規律違反の行為について

原告らが、作業中タバコを吸ったことがあること、花火で遊んでいたことがあること、手待時間に足を机に上げたり、暖急車内でストーブで暖をとっていたり、自車のタイヤを取り替えたりしていたことは自認しているところであるが、原告らは、いずれも些細なことであると言うけれども、このような事情が重なって職場規律は乱れたのである。

なお、終業点呼は、その日の作業の終了を確認し、挨拶をするものであるから、整正した服装による出席を求めることは、当然のことである。また、仕業検査職場においては、緊急の作業の必要が生ずることがあるから、連絡先を把握できるよう外出簿への記入を求めることは当然であり、原告飯田、同円谷は、この指示に従わなかったのである。

10 原告木村が、昭和五七年一〇月二四日、就業規則を区長の面前の机上に叩きつけたことについて

同日の始業点呼に、原告木村は、国労所属の職員らとともに一団となって一分間遅参し、小声で返答するなどして点呼を妨害したが、その終了後、体操の指示に従わず検修員室に戻ったので、体操の指導のために検修員室に赴き、同室中央部の西端にある机(同室で点呼を行っていた当時、点呼執行者が使用していた)の前に立っていたところ、原告木村は出務表の否認の記載について、区長に対し、八時三〇分までに出勤し、毎日否認されるのはおかしい等と抗議の発言をしていたが、自席を立ち、同室の西側面に設置されている業務用掲示板の下に吊り下げてある国鉄の就業規則の冊子を取り外して、区長の右側で右冊子を持った右手を振り上げ、区長の面前の机のうえに叩きつけ、「それを読んでみろ。」と暴力的な行動をしたのである。

(本件処分の正当性について)

1 本件処分と不当労働行為

原告らは、本件処分が不当労働行為であって無効であると主張する。労働組合法に規定する不当労働行為の概念と私法上の雇用契約の関係については、かねて議論の存するところであって、不当労働行為であるからといって、懲戒解雇が直ちに無効となるものではない。

国鉄は、第一で述べたように、原告らの多数回にわたる非違行為に着目し、これを理由に、本件処分をしたものであるから、不当労働行為の有無を論ずる余地はない(まして、本件処分後の事象に関する原告らの主張は論外である。)。

2 本件処分が処分権の濫用にあたらないこと

(一) 国鉄法第三一条第一項は、被告の職員が懲戒事由に該当した場合に懲戒権者である被告の総裁は、懲戒処分として、免職・停職・減給又は戒告の処分をすることができる旨を規定しているが、懲戒事由に該たる所為をした職員に対し、総裁が右の処分のうち、どの処分を選択すべきであるかについては、その具体的基準を定めた法律の規定はなく、また、被告の業務上の規範である就業規則にも具体的基準の定めはない。

ところで、懲戒権者がどの処分を選択するかを決定するにあたっては、懲戒事由に該当すると認められる所為の外部に表れた態様のほか、右所為の原因・動機・状況・結果等を考慮すべきことはもちろん、さらに当該職員のその前後における態度・懲戒処分等の処分歴・社会的環境・選択する処分が他の職員及び社会に与える影響等諸般の事情を総合考慮したうえで、被告の企業秩序の維持・確保という見地から考えて相当と判断した処分を選択すべきであるが、どの処分を選択するのが相当であるかの判断は、前述のように、かなり広い範囲の事情を総合したうえでされるものであり、しかも、前述のように処分選択の具体的基準が定められていないことを考えると、右の判断については懲戒権者の裁量が認められているというべきである。したがって、懲戒権者が裁量に基づいてした懲戒処分は、それが著しく合理性を欠き、社会常識上とうてい是認できない場合を除き、これが無効となることはないのである(最高裁昭和四九年二月二八日判決民集二八巻一号六六頁)。

しかし、前述のように裁量に際し、考慮すべき事項は広範にわたるのみならず、これらの事項については懲戒権者が平素から部内の事情について精通したうえ、職員の指揮・監督をしているのであるから、懲戒処分が懲戒権の濫用にあたるかどうかを判断するに当たっては、裁判所は、当該懲戒処分が社会通念上是認できないほど合理性を欠くかどうかの観点からすべきであって、自ら懲戒権者と同一の立場に立って選択した処分と実際にされた処分とを比較して濫用の有無を決してはならないとされているのである。(最高裁昭和五二年一二月二〇日判決民集三一巻七号一一〇一頁・最高裁同月同日判決同巻同号一二二五頁参照)。

(二) 被告は、従前国家がその行政機関を通じて直接に経営してきた国有鉄道事業を中心とする事業を引き継いで経営し、その能率的な運営によりこれを発展させ、もって公共の福祉を増進することを目的として設立された公法上の法人(国鉄法第一条)で、その資本金は、全額政府の出資によるものであり、その事業の規模が全国的かつ広範囲にわたるものであって、それ事態「きわめて高度の公共性を有する」ものであるが、このような「公共の利益と密接な関係を有する事業の運営を目的とする企業体においては、その事業の運営内容のみならず、更に広くその事業のあり方自体が社会的な批判の対象とされるのであって、その事業の円滑な運営の確保と並んで、その廉潔性の保持が社会から要請ないし期待されているのである。」から、このような社会からの評価に即応してその企業体の職員に対しては、公務員と同様に「一般私企業の従業員と比較して、より広い、かつより厳しい規制がなされうる合理的な理由がある。」とされているのである(最高裁昭和四九年二月二八日判決民集二八巻一号六六頁)。

しかも、公知のように、国鉄は、多額の負債を負い、多額の財政的支援のもとに経営されていたが、昭和五六年ごろから、政府、臨時行政調査会を始め、言論界等の世論から、国鉄の職場規律の乱れが厳しく指摘されるところとなった。国鉄は、昭和五七年三月ごろ以来、職場の実情を総点検し、職場規律の是正に努めてきたところであるが、原告らは、これに協力しないばかりか、反抗的行動にでて、勤務時間内入浴や点呼の妨害行動を繰り返し行った。

(1) 原告飯田は、既に〈1〉昭和四七年一一月一日、停職一月間という処分を受けたが、その処分理由は、昭和四六年一〇月四日から同四七年七月三一日までの間、「区」において暴力行為を繰り返し、その他多くの職場規律を乱す行為があったとするものである。また、〈2〉昭和五八年三月三〇日には、減給三月間一〇分の一の処分を受けたが、この理由は、昭和五七年四月から七月まで、「区」郡山支区において、再三にわたり管理者に対する暴力的言動等により、職場規律を乱したというものであり、さらに、〈3〉昭和五九年八月四日には、昭和五七年八月から九月まで、「区」郡山支区において、管理者に対し、再三にわたる業務妨害等により、職場規律を乱したとの理由で停職一月間の処分を受けていたのであって、本件事案と同種の非違行為を繰り返し、前述の処分によっても反省することなく、本事案に及んだものである。

原告飯田は、既に述べたとおり、多数回にわたって、いわゆる労働処分を受けていることからも分かるように、国労の「分会」のリーダーとして、同分会所属の組合員を原告木村、同円谷とともに指導、煽動して非違行為を行わせたのである。

(2) 原告木村も、昭和五九年八月一日、停職一月間の懲戒処分を受けているが、その理由は、昭和五七年八月から昭和五八年二月まで、「区」郡山支区において、管理者に対し、再三にわたり業務妨害等により職場規律を乱したというものであって、本件事案同種の事案について処分されているのに反省しないで、前述の非違行為を繰り返しているのである。

同原告は、既に述べたように多数回のいわゆる労働処分を受けているが、国労「区」分会の青年部のリーダーとして、原告飯田らとともに、同分会所属の組合員を指導・煽動して非違行為を行わせていたのである。

(3) 原告円谷は、既に〈1〉昭和四七年一一月一日に、昭和四六年一〇月二六日から昭和四七年六月三〇日までの間、「区」において管理者の制止を聞かず、暴力的行為等数多くの職場規律を乱す行為があったとして、減給六月間一〇分の一の懲戒処分を受けたが、〈2〉昭和五八年三月三〇日にも、昭和五七年七月一二日から同月二九日までの間に「区」郡山支区において再三にわたり管理者に対し、暴力的言動により職場規律を乱したとして戒告処分を受けたが、さらに〈3〉昭和五九年八月一日停職三月間の処分を受けているが、この処分は、本件事案と同種の昭和五七年八月から昭和五八年六月まで、「区」郡山支区において、管理者に対し、再三にわたる業務妨害等により職場規律を乱したというものであったが、なんら反省することなく、本件非違行為に及んでいるのである。

同原告は、その組合経歴が示すように、昭和六〇年には役職についていなかったものの、国労「区」分会の実質的なリーダーであり、他の分会員に率先して非違行為を行ったものである。

なお、同原告は、国鉄在職中から、自宅所在の農民組合の役員に就任していたこと、昭和六二年四月から、鏡石町町議会議員に就任していることは明らかである。

そうだとすると、同原告は、国鉄当時において職務専念義務に違反するとともに、町議会議員に就任することにより、国鉄清算事業団に復帰するとしても、その在職中は、休職となることも考慮されなければならない。

このように、原告らは、本件事案と同種の非違行為を繰り返し、懲戒処分を受けても反省せず、本件事案も長期間にわたる反復行為であって、かかる職員を企業外に排除することは、やむを得ないところである。

(三) 原告らは、本件処分が特別に苛酷である旨主張するようであるが、前述のように、本件処分がされた昭和六〇年前後には、膨大な借金経営をしていた国鉄は、社会の厳しい批判にさらされており、とりわけ生産性の低さと職場規律の乱れについては強く指摘されていたのである。このような社会情勢にあったため、国鉄は、経営合理化を推進するとともに、職場規律の確立について大いに努力したのであるが、一部の職員は、既得権の侵害であると称して反発し、当時進行していた国鉄の分割・民営化論議とあいまって、職員が混乱したのである。

本件処分とほぼ同時期に、国鉄仙台鉄道管理局内において、助役に対する暴力行為をした理由で、福島駅及び喜多方駅の駅員(いずれも国労組合員)に対する懲戒免職処分が、また、本件事案と類似する管理者に対する抗議等による業務妨害等を理由とする仙台第一運転所の職員(元動労組合員)に対する懲戒処分(一名は懲戒免職、一名は停職一二月)がされている。

これらの懲戒処分については、いずれもその処分が無効であるとして、提訴されたが、福島駅及び喜多方駅の職員については、その後、訴えが取り下げられ、仙台第一運転所事件については、本訴に先行した地位保全の仮処分事件は却下されたが、本訴は現在仙台地方裁判所に係属中である。

前述の最高裁判所が指摘するように、懲戒処分権者としては、非違行為の内容はもちろん、そのもたらす社会的影響及びその効果等についても十分な考慮をして裁量すべきであるところ、本件処分は、このような社会情勢のもとにおいて行われ、また、この処分によって、連日のように混乱しており、労使問題が難しいとして、いわゆる重点職場に指定されていた「区」の正常化に効果があったことを考慮するならば、本件処分が処分権の濫用にあたると評価されるべきものではないと考える。

第三 証拠(略)

理由

一 当事者

被告は、日本国有鉄道法に基づいて設立された公共企業体であった日本国有鉄道を原告主張の経緯によりその地位を承継したものであること、原告らは国鉄との間に雇用契約を締結し、昭和六〇年二月当時「区」に勤務し、国労組合員として「分会」に所属していた者であることは当事者間に争いがない。

また、原告らの各本人尋問の結果によると、原告らは、昭和六一年二月当時原告ら主張の職名及び組合役職の地位にあったことが認められる。

二 本件処分の発令

国鉄は、仙台鉄道管理局長菊地功を国鉄総裁代理として、昭和六一年二月一五日、原告らに対し、日本国有鉄道法三一条に基づく懲戒処分として本件処分をなし原告らとの労働契約関係を否認していること、その理由は、「昭和六〇年四月以降、「区」において、管理者の再三の注意指示にもかかわらず、管理者に対する業務妨害等職員としてあるまじき行為を繰り返し行ったことは著しく不都合であった。」というものであることは当事者間に争いがない。

三 本件処分事由の検討

国鉄は、本件処分の基礎となる非違行為として、原告飯田については昭和六〇年四月三日から同年一二月一六日までの間の五三項目を、同木村については、同年四月二二日から同年一二月二〇日までの間の一五〇項目を、同円谷については、同年四月五日から同年一二月二〇日までの間の一〇六項目を主張している。

一項目につき三原告らが相互に関連し合うものもあるが、子細に検討すると、一項目の中に数個の非違事実が含まれているものもあり、要するに八か月にわたる間の多種多様の非違事実が主張されていることが明らかである。これらの非違事実につきその存在を認めるもの、否認するもの、外形的事実は認めるもののその評価を争うもの等原告らの対応は様々であるが、当裁判所としては、個々の非違行為の存否、評価の検討はもとより必要かつ重要と考えるが、これらの非違行為が何故長期にわたり多数継続的に、また、突発的に存在したと主張されるのかを理解するためには、本件各行為に至る労使関係の検討を避けて通ることができないと考えるので、まずその点から始めることとする。

(証拠略)を総合すると以下の事実を認めることができる。

1 本件処分に至る労使関係(国鉄改革の経緯)

(一) 国鉄は巨額の累積債務を抱え、経営が危機的状況に陥り、その健全化が国家的緊急課題となったところ、昭和五五年一二月日本国有鉄道経営再建促進特別措置法が制定された。

同五六年三月第二次臨時行政調査会(以下「臨調」という)が発足し、臨調は、国鉄再建のための抜本的対策が必要である旨指摘し、国鉄の分割民営化を基本とする「行政改革に関する第三次答申―基本答申―」(以下、「臨調答申」という)を翌年七月三〇日に政府に提出した。

この答申には、国鉄再建のため、五年以内に国鉄の事業を分割し、民営化するとの抜本案のほか、職場規律の確立について緊急にとるべき措置として後記の職場におけるヤミ協定及び悪慣行を全面的に是正し、現場協議制度を本来の趣旨に則った制度に改めるとともに、職員の非違行為に対しての厳正な処分、職務専念義務の徹底等人事管理の強化をはかることが必要である等一一項目に関する提言が含まれていた。

(二) 昭和五六年暮れから同五七年一月頃にかけて国鉄の職場規律の乱れ(ヤミ慣行、ヤミ協定、現場協議の乱れ)の実態がマスコミで問題にされたことを契機として、同年二月四日運輸大臣から国鉄総裁に対し、右悪慣行について実態調査を行うなど総点検を実施し、その調査結果に基づき厳正な措置を講じる旨の指示がなされ、これを受けて同総裁は、翌五日全国の各鉄道管理局長等に対し「職場規律の総点検及び是正について」と題する通達を発し、職場総点検の実施、悪慣行の是正、現場協議制度の見直し、業務管理の適正措置を講ずることを命じた。

また、同年七月国鉄は、同四三年以降実施してきた現場協議協約が適正に機能していないとして、その改訂案を国労をはじめ各組合に提示したが、国鉄と国労の交渉は決裂し、同年一二月以降現場協議協約については無協約状態に陥った。その後国鉄は、国労との間で十分な協議を経ることなく、職場規律の確立に向けて労務管理の強化を図り、国労との間で形成されてきた慣行(その当否はともかく)を(一方的)に破棄し、時間内入浴の規制・禁止、組合バッジやワッペン着用禁止、立席呼名点呼の実施、点呼場所、点呼開始時間の変更、組合掲示板・掲示物の撤去等職場内での組合活動の規制を行う等総点検を行うとともに、これに違反する者に免職処分等の制裁をもって職場規律の乱れを是正しようとした。

これに対して分割民営化に終始反対してきた国労本部は、永年職場で確立していた慣行を無視した業務命令であるとして、国鉄当局と激しく対立し、時間内入浴、ワッペン着用、点呼拒否等の闘争で対抗し、双方の関係は激化の一途を辿った。

(三) 前記臨調答申を受けた政府は、同年九月二四日行政改革の大綱を定め、職場規律の確立など一〇項目の緊急対策を決定した。そして同五八年五月「日本国有鉄道の経営する事業の再建の推進に関する臨時措置法(いわゆる国鉄再建監理委員会設置法)を成立させ、監理委員会は翌五九年八月職場規律の是正、私鉄なみの経営効率化、赤字ローカル線の廃止などを含む「日本国有鉄道の経営する事業の運営の改善のために緊急に講ずべき措置の基本的実施方針について」(いわゆる第二次緊急提言)を政府に提出し、その後続々と余剰人員対策、私鉄なみの生産性と要員、地方交通線の廃止、旅客部門を六地域に分割、貨物部門の独立、新幹線の扱い等を含む意見を提出した。

(四) 国鉄は昭和五九年七月余剰人員の調整策として、退職制度の見直し、職員の申し出による休職の扱い、職員の派遣に関する取扱いなど調整三項目を提案したが、国労はその受諾を拒否した。しかし、同六〇年四月国鉄と国労との間で一たん妥結したものの、国鉄は調整三項目の協定内容に非協力的であるとして協約の継続を拒否し、同年一二月一日以降同協約については無協約状態になった。

(五) 政府は、昭和六〇年七月監理委員会の意見を最大限に尊重する旨を、同年一〇月「国鉄改革のための基本的方針について」を、同年一二月「国鉄余剰人員雇用対策の基本方針について」をそれぞれ閣議で決定した。

(六) 政府は、昭和六一年五月と同年一一月にかけ、いわゆる国鉄の改革に関する九法を成立させ、同六二年二月国鉄は、設置委員会の新会社への採用内定に基づき、職員に対し採用通知書を交付し、同年四月一日日本国有鉄道改革法に基づき、国鉄が行っていた業務の大部分を受け継ぐ新会社が発足した。

2 原告らが所属していた客貨車区の状況

原告らが所属していた客貨車区は、昭和四三年に実施された車両検査修繕システム合理化闘争において、その拠点の一つに指定されて以来、労使の対立が激化して次第に職場が荒廃し、国鉄当局は、昭和五三年から五六年にかけ、常時仙台鉄道管理局内の重点職場の一つとして把えてきた。すなわち仙台地本は現場協議制度を通して組合の指導を強めようとし、当局は仙鉄局を通しての管理強化を強め、次第に労使の対立が尖鋭化するに至った。前記のとおり、昭和五七年三月運輸大臣から国鉄総裁宛職場総点検の指示があり、これを受けて総点検が行われたが、郡山客車区は全国でもワースト三に入る程の荒廃職場であると報告されていた。

区長は、現場協議の席上、組合に対し職場規律のため三三項目にわたる是正事項を提示した。その大多数のものが職場慣行として長年是認されこれに従ってきたものであっただけに組合側はこれに強く反発の姿勢を示した。大部分の項目は是正されたものの、時間内入浴、早昼食(早めし)、点呼時における暴言、安全帽・安全靴の着用励行といった問題が是正されず、これらにつき集団的な闘争を繰り返した。

一方、機構上の合理化も着実に進められ、また、分割民営化に伴う「余剰人員」の名のもとの大量解雇が取りざたされるようになり、昭和五九年二月の貨物合理化に伴う「過員」の出現、同六〇年三月のダイヤ改正の際には、本区、支区を統合し、三〇名余の人員削減を行うなど労使の対立はとみに険悪化するに至り、また、同年五月には、分会書記長であった原告飯田、前書記長であった原告円谷をハンプ仕事へ担務換えさせる等、いわゆる組合のリーダー格と目される者を実質的に職場から分析、排除する政策をとった。前記組合の闘争は各般の分野に及んだ。昭和五七年七月には、時間内入浴の規制・禁止をめぐる闘争が行われ、当局は風呂場にピケを張ったり、賃金カットをもって臨んだ。

本件処分事由との関連で述べると以下のとおりである。

(一) 国労バッジ、ワッペン

昭和五七年から同五八年秋頃にかけて、当局は国労バッジ・ワッペン着用問題に言及し、その取り外しを要求したが、組合はこれに抵抗した。

(二) 点呼の厳正化

昭和五九年頃から、当局は起立しての点呼・呼名に対する大声での返事を要求するに至った。これに対して組合側は、軍隊式の点呼様式であると反発し、執拗にこれに抵抗した。

(三) 職場内組合活動の規制

昭和五九年一二月、当局は、組合詰所内に置いてあった個人の組合資料、国労と記載してあるウチワ等を持ち出すという挙に出た。その後も組合詰所に出入りし、闘争用のタオル(赤タオル)、闘争資金カンパ用のジュースの空き缶等に言及し、これらの撤去を命じた。

(四) 早昼食(早めし)

「区」では、概ね午前一一時五〇分頃作業終了のベルが鳴り、その後手洗い等を済ませた後いわゆる手待時間となり、午前一一時五五分の休憩時間が始まる前に昼食をとる者がいても長年の間これをとやかく言及することなく黙認してきたという歴史的事実があった。その背景には一つには午前の仕事が早く片付いた場合いわゆる手待時間となり、この間を利用して昼食に当てたということであり、一つにはいつ起こるかわからない緊急事態に備えて早めに食事を済ませておくという配慮があった。もとより右を通じ早めといってもせいぜい一〇分内外に自己規制はしてきた。

当局は、この慣行を是正対象とするようになり、これが中止勧告に対し、「現認されたのだから食べてもよいだろう」とか、「自分の弁当なんだ」等と抵抗しこれを受け入れない者に対しは賃金カットで臨むこともあった。

(五) 点呼時刻・場所の変更、国鉄体操の実施状況

従来「区」では、午前八時三〇分に出勤し、出勤表に捺印し、体操(国鉄体操といわれるもの)を行い、引き続き午前八時四〇分から貨車検修庫二階詰所で点呼を行い、当日の作業指示を与え、同五〇分から作業に就くことになっていた。右の体操は職員の健康増進、能率向上等の目的でなされているもので、当初レクリェーション的要素もあったが、昭和四五年頃からは業務の一環に組み入れられるに至り、厚生業務管理規定にのっとり、国鉄体操の実施に関する標準が制定されていた。仙鉄局においても仙台鉄道管理局安全管理基準規定の中で、「箇所長は、国鉄体操を積極的に実施し、所属職員の体力増進につとめなければならない」と定め、仙鉄局国鉄体操の実施に関する標準を定め、各職場で国鉄体操を実施させる態勢を整えてきた。

しかるに、この体操への参加は、長年の間強制的なものではなく、むしろ自主的なものとして運用され、これに参加しない者は、この間を利用して作業着への着替えをするなど、実質的に作業準備にあてていたが(なお、昭和四七年以前には作業ダイヤの中に更衣時間が正規に設けられていた)、当局は事実上右のような運用を黙認し(なお当局は昭和五九年二月のダイヤ改正の際、八時三〇分から一〇分間の体操の時間を着替えにあててよいとの説明をしたことがある)、せいぜい八時四〇分以降になっても着替えを済ませていない者に対し否認(賃金カット)通告することがあるくらいであった。

ところで、昭和六〇年四月当時の点呼状況は、以下のようなものであった。

すなわち、点呼は区二階の検修員室において、点呼執行者である当直助役の点呼開始の合図に伴い、全員起立し呼名を受けその後に着席する、という順序で行われていたものであるが、このころになると一部の職員の中には起立をしない、注意を受けてしぶしぶ立ち上がる、呼名に対しては「オー」、「ウン」、「イル」等と答えたり、口を開けて返事をした形だけを作る者が現れ、また、点呼者に背を向けて拒絶の態度を示す者がでてきた。ここに至って当局は、昭和六〇年五月一日「点呼の厳正な執行について」という標題の下に、最近一部職員の中に厳正な点呼の執行に抗議の態度を示す者があり、これが是正されない以上点呼場所を一階検修庫内へ移す、又出勤者は全員作業のできる服装で出席することになる旨区長名で掲示したが、組合員はこれに応じなかった。このため同月九日から点呼場所を区二階の検修員室から一階検修庫内に変更し、さらに同日の点呼終了後、当局は同月一三日からは、点呼開始時刻を午前八時三〇分とし、八時四〇分から再び検修員室に戻って体操を行うこととしその内容を入れ替える旨、また同日の如く点呼に欠席する者があれば、就労の意志がないものとして欠務となり、これを指導した職員は重大な責任を負うことになる旨区長名で警告し掲示した。当局側は、このように変更しても始業開始、退庁、休憩等に時刻自体なんら変らないので労働条件の変更にはならないとの立場を堅持した。

これに対して組合側は、変更案によると従来慣行として黙認されてきた着替え時間が実質的に奪われる、すなわち賃金の対象とされていない午前八時三〇分以前の出勤が義務付けられるとし、また、作業服に着替えるための時間を奪うのは違法であるとする昭和五九年一〇月の東京高裁判例の趣旨を援用してこれに反発し、当初着替えをせず私服のまま点呼に臨んだが、同月一五日には区長名によるこれに対する注意がなされた。その後仙台地本の指令に基づき同時刻になってから二階詰所から一階点呼場へ向かうという戦術をとり、その結果一ないし数分の遅参状況が慢性化したうえ、点呼そのものに対する抵抗・妨害(小声による返事、横を向く、しゃがみ込む、暴言を吐く等)をなし、また点呼後の体操に意識的に参加しない(その背景には、昭和五七年に時間内入浴時間を取り上げられたことへの抵抗の意味もあった)という戦術をとった。

その後も当局は、職場規律の是正についての警告を続け、同年一二月一三日には「呼名に返事をしなさい」、「保護具未着用」、「点呼中暴言をはく」、「体操をしない」といった点が未だ改善されていないとし、一二月二〇日以降指示に従わず体操をしない者については「否認」扱いする旨区長名で通告した。

(六) 安全靴・安全帽の着用について

国鉄においては、職場環境に応じて職員等に対し、保護具を貸与又は共用させなければならず、職員等はこれを必ず使用しなければならないとされていた。そして車両検修作業に従事する者には、保護靴・保護手袋・保護帽子が貸与されていた。しかしこれら保護具は、重くてかえって疲労する、熱さで蒸れる、これらを着用することによって全ての事故から守られることはないといった見解等からこれを着用しない者があり、また労働安全法で危険箇所と定められているところでは着用するが、その外の場合には着用しないという者もいた。原告飯田、同木村は安全帽・安全靴共に着用しないことが多く、原告円谷は安全帽を着用するが、安全靴を着用しないことの多い者であった。

3 当局の対応

当局は、原告ら組合員による集団的な面会申入れ、抗議はもとよりあらゆる質問には一切応じないという態度を堅持した。当局(区長)には団体交渉をする権限はない、ということを前提とするものであった。ただし、個人による相談(個人面談という)又は紳士的な方法で且つ区長の権限内で処理できる事項には応ずるという姿勢を示した。しかし、現実には個人面談においても親身になって相談に乗ろうとせず、制度として無いに等しい状況であった。この結果点呼時あるいは作業時間内の発言をことごとく不当な抗議として把え、誰がどのような立場で発言をしたものか(すなわち個人としてのものか、組合員としてのものか)、騒ぎを扇動したかを探索し、これを確定した上、メモ等に基づき逐一これを記録にとどめ(膨大な「点呼状況表」(〈証拠略〉)がその代表的なものであり、そのチェック対象者はほとんど大部分国労に所属する職員に限られていた。)、管理職総動員で労務管理の基礎資料を作成するという挙に出た。さらに定期的に展開される労安委員会においても、開催に先立ち、労働者側代表者が組合(国労)バッジ等を着用している限り会合を開くことができない、或いは開催しても審議に入ることはできないとして、これにのみを理由として会の開催を拒否することがあった(なお組合は郡山労働基準監督署長に対し当局が労安委員会を開催するよう行政指導を求める申告をしたことがあった。)。特に労働者にとって最も利害関係のあると思われる事項(例えば点呼時刻・場所の変更に伴う更衣時間の有無等についての質問)については、仙鉄局の指示による、と答えるのみで、通達の掲示或いは場内アナウンスでの機戒的な伝達で事足りるとする態度を示した。総じて当局の態度は厳格且つ硬直であるばかりでなく、職員の諸要求を封ずるのに有形力を行使したのではないかと疑われる場面或いは発言に穏当を欠くと思われるものが出現し(原告らの暴言とされるものの背景には、このような事態が契機となったと認められるものが多数存する)、これがまた原告らを刺激するところとなり、新たな抗議・紛争の対象となるといった具合に相互に悪循環を生む結果となった。

昭和五八年ころから同六二年ころにかけて国鉄における組合別組織人員の流れを見るに、全般的に国労組合員数の減少が顕著であるが、「分会」においてもその例にもれず、昭和五八年六月当時国労組合員一四〇名(組合有資格者一八五名)であったものが、同五九年には一一四名(有資格者一四八名)、同六〇年には六三名(九二名)、同六一年には六二名(八九名)、同六二年には九名(三九名)と減少した。ここに国鉄の分割・民営化に最後迄抵抗を示した国労に対する当局の姿勢が顕著にうかがえる。昭和六一年二月一五日、仙台鉄道管理局は「分会」に所属する三三名に対し大量の懲戒処分を発令した。その内訳は、原告ら三名を免職、その他停職九名、減給九名、戒告四名、訓告八名であった。原告ら三名は雇用契約上の権利の確認と賃金支払いを、停職、減給、戒告の二二名は処分無効確認と減額賃金の支払いを求めて訴えを提起したのが本件であるが、右二二名はその後訴えを取り下げた。

4 原告らの非違行為とされる事実の存否について

(一) 原告飯田

抗弁2(一)(1)(以下、本項においては、「抗弁2(一)」を「同」と略し、単に原告とあるは、原告飯田を示す。)

証人蛇石敏夫の証言により真正に成立したものと認められる乙第二三号証(以下「点呼状況表」という。)、証人柳沼亀吉の証言及びこれにより真正に作成されたと認められる(証拠略)(以下併せて「柳沼供述」という。)によれば、主張事実を一応認めることができる。これについて原告は、上遠野を検修作業に就かせることを求めたことは認めるが、これは当局の公傷扱い者に対する見せしめの言動に抗議したものであり、また、安全帽をかぶらなかったのは、危険性のない仕事で不必要と考えたからだと供述する。

同(2)

原告が首席助役から安全ラインの補修作業を命ぜられたことは争いなく、点呼状況表及び柳沼供述によれば、原告が被告主張の発言をしたことを認めることができる。原告が作業指示に従わなかったのは、この作業が外部委託になっていると考えたからであるとのことであるが、外部委託であることを裏付ける証拠は見あたらない。

同(3)

原告が貨車交検票のペンキ塗りつぶし書換作業に従事したことは争いがない(もっとも塗りつぶしの対象は、郡山区の表示ではなく長町区の表示である。)。点呼状況表及び柳沼供述によれば、この際の原告の言動を認めることができる。これによると、原告の意図はともかく、結果的には不完全・不完備な作業に終わったものと認められる。

同(4)〈1〉

原告が佐藤(正)の勤務について「なぜ本務を外したのか。」と発言したことは争いない。点呼状況表及び柳沼供述によれば、原告が席上「このカメ」と発言したことが認められ、これらの状況からすると、原告の右発言は単なる質問の域を出て一つの抗議発言とみるのが相当である。

同(4)〈2〉

原告が当日電気試験室にいたことは争いない。柳沼供述によれば、原告の発言を認めることができる。

同(5)

点呼状況表及び柳沼供述によれば、当日の原告の行動を認めることができる。原告は点呼執行の仕方について意見を述べたまでとするが、そのような域に止まっているものとは認められない。

同(6)〈1〉

被告が、その主張の日時の点呼に際し原告及び原告円谷のハンプ貨車仕業への変更を通告したこと、これに対して原告らがその理由及び期間を問うたことは争いない(なお、原告は、その陳述書においては、変更通知がなされたのは当日午前一一時三五分頃であると述べている。)。証人新田彌の証言及びこれにより真正に成立したと認められる乙第一、第二号証(以下併せて「新田供述」という。)によると、原告及び原告円谷の各発言が認められる。しかし、原告のハンプ仕業への担務替えは、前記のとおり、当局において原告を職場の規律を乱すリーダーと考え、「区」から担務替えを行ったものであり(原告円谷についても程度の差はあれ同様である。)、これを肌で感じとった原告らがこのような発言をなすに至ったものと認められる。

同(6)〈2〉

原告らが、かねてから検修室の自席机上に、国労のスローガンを記載したジュース空缶等を立てていたことは争いない。また、前記のとおり当局においてこれに言及しこれを片付けるよう指導していたのであるが、新田供述によれば、原告らの言動及びその後の状況を認めることができる。なお当局においてもこれらのジュース空缶の中に小銭がはいっていることがあることも知ってはいたが、「ドロボー」つまりこれを窃取しようとの意図があったとは認められず、その意味では的を外れた言いがかり的な発言で穏当を欠くが、その真意は組合干渉に対する抗議行動と認められる。

同(6)〈3〉

原告が、区長にハンプ担務変更についてその理由及び期間を問いただしたことは争いない。新田供述によれば、その声を荒げての抗議と受けとれるものであったが、その発言の根源は前記(6)〈1〉記載と同様であり担務変更という職場の変更に伴う不安の念から出たものと認められる。

同(7)

原告が、主張の日時ころ、首席助役にハンプ仕業に担務替えすることについて電話をしたことは争いない。柳沼供述によると、原告が主張の内容の言辞を発したことが認められる。

同(8)

原告が、主張の日時・場所における点呼に際し、当局側が写真撮影をしようとしたため、これに抗議したことは争いない。柳沼供述によれば、この席上原告らは被告主張のごとき言動をとったことが認められる。当局は点呼の状況を是正するための方策を検討するためにカメラを持ち込んだもので、当日は結局点呼が妨害された。

同(9)

点呼状況表及び柳沼供述によれば、主張のごとき当日の原告らの全体的な言動を認めることができる。もっとも、原告の固有の発言内容は定かではない。昨日の当局側のカメラ持ち込みに対する抗議行動と認められるが、組合側も当日カメラを持ち込んでいた。

同(10)

当日原告は非休であったが、被告主張の日時・場所で行われた始業点呼の際に、在室していたこと、助役の起立の呼びかけにも応じないので区長が起立を命じたこと、非休であることを知って退席を求めたことは争いがない。もともと非休であるはずの者が職場に出ていること自体不自然であるが、原告飯田本人尋問(第一回)の結果によると、従前このような例が皆無であったものではなく、これに対し当局側は特段問題とすることがなかった、という経緯がある。

同(11)

被告主張の日時・場所に原告、原告円谷ら職員約二〇名の者が赴いたこと、国労仙台地本山田組織部長も同行したことは争いない。新田供述及び柳沼供述を総合すれば、右原告両名の、被告主張にかかる言動があったことを認めることができる。なお、原告らの右言動は、点呼時における区長の「文句があるなら昼休みに来い」との言辞に呼応してなされたものと認められる。

同(12)

同日、原告が非番であったこと、点呼の際藤田の席に着席していたことは争いない。点呼状況表及び新田供述によれば、区長の退室する旨の指示に応じなかったことが認められる。もっとも室内が騒然とし点呼が中断したのは、区長の発言があまりにも強かったので周囲の者らが騒いだものと認められる。

同(13)

原告が非番であったこと、点呼の際に同人が松田の席に私服で着席していたことは争いない。点呼状況表及び新田供述によると、「この新田」との発言を除く主張のごとき当日の原告の言動を認めることができる(なお、原告は当日は発言していない旨主張するが「帽子かぶんなくともよいのか、かぶんないぞ。」との発言があったことが認められる。)。

同(14)

原告が当日非番であり、点呼の際在室していたこと、区長から退室を求められたことは争いない。点呼状況表及び柳沼供述によると、主張のごとき発言があったことが認められるが、点呼の状況を監視していたとまで認定することはできない。

同(15)

原告飯田の本人尋問の結果(第一回)及び(証拠略)によると、当日、原告らに主張のごとき言動があったことが認められる。

同(16)

点呼状況表及び蛇石供述によれば、当日の主張にかかる原告らの言動を認めることができる。

同(17)

原告が首席助役に対し、管理者が国労の組合掲示板を取り外したとして抗議したことは争いない。柳沼供述によれば、当日の原告の言動を認めることができる。原告は、助役が「派遣」を勧めたが、希望しないので、そんなに勧めるのなら管理者の方から先に行ったら良いという気持から発言したという。

同(18)

原告が、組合活動の一つとしてワッペンを着用し、これの取り外しを首席助役から求められたが、これを拒否したことは争いがない。柳沼供述によると主張のような原告の言辞があったことが認められる。

同(19)

原告が、国労組合員である相沢に対しワッペン着用を求めたことは争いない。柳沼供述によれば、右の際における原告の言動を認めることができる(なお、原告も陳述書において「ワッペン着用するように説得するのは分会書記長の役割だ。組合に介入するな。」と発言したことを認めている。)

同(20)

当日、原告と首席助役との間でテレビのスイッチを消したり入れたりしたことのあったこと、原告がワッペンを着用しておったところ首席助役から取り外しを命ぜられたが同人がこれを拒否したことは争いがない。柳沼供述によると、右の際における原告の言動を認めることができる。なお、原告がテレビのスイッチを入れようとしたのはハンプは二四時間勤務であるうえ、たまたま手待時間であったためニュースを見ようとしたこと、発言部分は、柳沼助役がその際国鉄の赤字状況のもと一致協力を語りかけたことに触発されてのものと認められる。

同(21)

原告が当日主張の日時・場所において弁当を食べ始めたこと、首席助役から中止する旨注意を受けたことは争いない。その経緯については、前記「早めし」の項で述べたと同一である。柳沼供述によれば、その際原告が主張にかかる発言をしたことが認められる。

同(22)

当日、区長と首席助役がハンプ仕業詰所に来たこと、原告が「安全帽はここにない。」と発言したことは争いない。柳沼供述によれば、原告がその際主張にかかる発言をしたことが認められる。なお原告の発言は、区長が原告に対し、派遣に行くには考え方を変えなければならないと語ったことに触発されてなされたものである。

同(23)

高橋が入浴したこと、同人が提出した年休カードについて間違いを確認されたこと、原告に対し首席助役が欠勤扱いの通告をしたこと、作業終了後帰宅前に入浴することについて意見を述べたこと(原告の陳述書によれば、「仕事で汚れた体を、風呂にはいってきれいにする当然だし、入浴も労働時間の一部だべ。」と述べている。)、管理者が原告のあとをつけてきたことを指摘したことは争いがない。柳沼供述によれば、その余の主張事実を認めることができる。

同(24)

当日、原告が大竹助役から矢部の指導方を求められたことは争いない。証人蛇石敏夫の証言により真正に成立したと認められる(証拠略)によると、主張にかかる原告のその余の発言を認めることができる。

同(25)〈1〉

原告が、当日の貨車脱線復旧訓練日の日勤機動班に担務指定されたことは争いない。点呼状況表及び柳沼供述によれば、主張にかかる原告の行動を認めることができる。

同(25)〈2〉

当日脱線復旧訓練が行われ、原告は日勤の機動班に担務指定されたこと、右訓練の内容が主張のとおりのものであること(ただし、これがもっとも危険を伴うものであるという評価については争いがある。)、訓練に先立ち検修助役が安全帽、安全靴の着用方を指示したが、これを受け入れない佐藤(浩)、阿部に対し、これでは作業に従事できないから賃金カットになる旨注意したこと、原告が労安委員であること等は争いがない。右当事者間に争いのない事実に新田供述、蛇石証言、原告飯田本人尋問(第一回)の結果、(証拠略)、ビデオテープの検証の結果を総合すると、主張にかかる原告らの言動(「先頭になって区長に近づいて」との部分を除く。)を全て認めることができる。

同(26)

当日、総務助役が国労所属の職員の机上の組合情報を集めていたこと、原告が非番であったことは争いがない。蛇石供述によればその余の事実を認めることができる。原告も陳述書において蛇石助役に対し組合情報を「返せ」とか「組合財産を持ってぐな、ドロボーだべ。」と発言したこと認めているが、同助役が机上に組合のものを置かないようにと注意しながら、これを持ち去ろうとしたためこのような発言になったものである。

同(27)〈1〉

証人蛇石敏夫の証言により真正に成立したと認められる(証拠略)によれば、主張にかかる原告の言動を認めることができる。なお、原告は陳述書において「蛇石助役はドロボーしてんなよ。」と発言したことを認めているが、その経緯は管理者の態度が横暴と感じとられたことに起因する。

同(27)〈2〉

原告が、当日早昼食をとったことは争いない。蛇石供述によると、主張にかかるその際の原告らの言動を認めることができる。

同(28)

原告が、体操に参加しなかったことは争いない。点呼情況表によれば、原告の主張にかかる当日の行動を認めることができる。

同(29)〈1〉

原告らが、八時三一分に検修庫に行ったこと、区長の伝達に対して異議があることを発言したこと、新潟の管理者の汚職事件について指摘したこと、国鉄体操をしなかったことは争いがない。点呼状況表及び蛇石供述によれば、主張にかかる原告らのその余の言動を認めることができる。原告は陳述書の中で、区長に対し、「あんたは体操の時間何をやったんだ。」「伸一の結婚式に余剰人員の話ってねえべ。」と発言したことを認めている。

同(29)〈2〉

同日原告らが早昼食をとったことは争いない。

同(30)

原告が、呼名に対し「出勤してます。」と返答したことは争いない。点呼状況表及び柳沼供述によると、主張にかかる原告のその余の言動を認めることができる。なお、原告は陳述書において「国鉄職員の再就職という話はねえべー、馬鹿にしてんな。」と発言したことを認めているが、いまだ分割・民営化の問題が国会で成立していない段階で当局側が再就職について不安を煽るような話をしたので思い余って発言したというものである。

同(31)

原告が、点呼が早すぎることを指摘したこと、公休日が確定しない前に年休を付与することはおかしい旨指摘したことは争いない。点呼状況表及び柳沼供述によると、原告の主張にかかるその余の言動を認めることができる。

同(32)

原告が、主張の日時に点呼に遅参したことは争いがない。

同(33)

原告が、体操に参加しなかったこと、点検摘発メモをとっていたことは争いがない。点呼状況表及び蛇石供述によると、主張にかかる原告の当日の言動を認めることができる。

同(34)

原告が、体操に参加しなかったことは争いない。点呼状況表及び蛇石供述によれば、主張にかかる原告のその余の言動を認めることができる。

同(35)〈1〉

原告が、体操に参加しなかったことは争いがない。点呼状況表及び柳沼供述によれば、主張にかかる原告のその余の言動を認めることができる。

同(35)〈2〉

遠藤が保護具を着用していなかったこと、首席助役が同人に貨車の検修作業を外し、雑作業を指示したこと、原告木村、遠藤がこれに意見を述べたこと、原告が首席助役に嫌がらせ作業であると指摘したことは争いがない。柳沼供述によれば、主張にかかる原告の発言を認めることができる。なお原告は陳述書において、柳沼助役に対し「なんで嫌がらせすんだ、職場に来てまでいじめんなよ。」と発言したことを認めているが、これは同じ国労組合員である遠藤、上遠野らが公傷扱いとなり、全治診断書を提出した後も検修作業から外され雑作業を命ぜられていたことに対する公憤から出たものである。

同(36)

区長の余剰人員についての発言に原告らが不当である旨発言したことは争いない。点呼状況表及び蛇石供述によれば、主張にかかる原告の言動を認めることができる。

同(37)

点呼状況表によれば、主張にかかる事実を認めることができる。

同(38)〈1〉

原告が、「職制の動向メモ」を作成したことは争いない。点呼状況表、蛇石供述及び(証拠略)によれば、主張にかかるその余の原告の言動を認めることができる。

同(38)〈2〉

当日原告らが緩急車内でストーブで暖をとっていたことは争いない。蛇石供述及び(証拠略)によると主張にかかる原告の言動を認めることができる。これらの言動は、従来労使の口頭確認で庫内温度が一五度以下の時は暖房を通すことになっていたものの、この頃になると「節約」と称して段々通さなくなったことに対する抗議の意味を込めてのものである。

同(38)〈3〉

原告が、レールの上に腰を下ろし、黒羽、田谷らと話をしていたことは争いない。(証拠略)によれば、主張にかかるその余の原告の挙動を認めることができる。

同(38)〈4〉

(証拠略)によれば、主張にかかる原告らの言動を認めることができる。しかし、鵜沢検修助役が原告にペンキ掃除を命じたのは、ペンキが検修線にこぼれており、見た感じでは故意にこぼしたと思われたからというものであり、原告にだけこれを命じた根拠は定かではない。

同(39)

原告が、夏用バッジを着用していたことは争いない。点呼状況表及び柳沼供述によると、主張にかかる原告のその余の言動を認めることができる。

同(40)〈1〉

点呼状況表及び蛇石供述によると、主張にかかる原告らの言動を認めることができる。

同(40)〈2〉

当日昼休み時間内に、公休、非休、年休の取扱いに関し、出勤者全員で区長に交渉に行ったこと、区長が二階検修員室で話し合いを持つことにしたこと、同所で区長が話ができないとして席を立とうとしたこと、上遠野が分会情報を区長に示したこと、区長が同室を引上げてしまったことは争いない。新田供述によれば、主張にかかる原告のその余の言動を認めることができる。

同(41)〈1〉

点呼状況表及び蛇石供述によれば、主張にかかる原告三名らの言動を認めることができる。

同(41)〈2〉

原告が、首席助役に電話し、一二月分の勤務割当表につき意見を述べたこと、首席助役の説明に対し意見を述べたこと、同人の上着のポケットに一二月分の勤務割当表を入れたことは争いない。原告が電話で首席助役に対し、「馬鹿野郎」と発言したこと及びその余の主張にかかる事実を認めるに足る証拠はない。

同(42)

原告が体操に参加しなかったこと、鈴木がハンプ仕業に行かないことを申し出たこと、区長が個人面談を通告したのに対し、原告が「どうせ仕業にやるんだべ。」と発言したことは争いがない。点呼状況表及び新田供述によれば、主張にかかる原告らのその余の言動を認めることができる。なお、原告は、陳述書において「区長は言っていることと、やっていること違うべ。」と発言したことを認めている。これらは区長が個人面談に応じるとは言うものの、硬直した態度をとることへの公憤からでたものである。

同(43)

原告が、体操に参加しなかったことは争いない。点呼状況表及び柳沼供述によれば、主張にかかる原告のその余の言動を認めることができる。なお、原告は陳述書の中で「落書きされるようなことはすんな。」と発言したことを認めているが、いずれも硬直していると見える当局への抗議からでたものと認められる。

同(44)〈1〉

原告が「何が職場なくなるだ。」と発言したことは争いない。点呼状況表及び柳沼供述によれば、主張にかかるその余の原告らの言動を認めることができる。区長の成田闘争の過激派の中に国鉄職員が含まれていたとする発言に触発されたものである。

同(44)〈2〉

上遠野の机の上に「分割・民営化反対」と書かれた紙が置かれていたこと、首席助役に対し原告が「何をしているのか」と尋ねたこと、同人が首席助役に弁当を注文に来たと答えたことは争いがない。柳沼供述によれば、主張にかかる原告のその余の外形的言動はこれを認めることができる。しかし、当局が組合情報を収集するに急なる余り、職員の机の引き出しまで物色した疑いがなくはなく、原告の言動はこれに対する抗議と解する余地がある。

同(45)

点呼状況表及び蛇石供述によれば、主張にかかる原告らの言動を認めることができる。なお、原告は陳述書の中で「そんなの昨日聞いた。」と発言したことを認めている。当日の発言は、国労の主張に沿う落書きの消去作業を命ぜられたことに抵抗を感じたこと、本来の職務の範囲に含まれるのかといった疑問から出たものと認められる。

同(46)〈1〉

点呼状況表によれば、主張にかかる原告の行動を認めることができる。

同(46)〈2〉

原告が、安全帽、安全靴を着用していなかったこと、着用する旨の指示に応じなかったことは争いがない。証人蛇石敏夫の証言により真正に成立したと認められる(証拠略)によれば、主張にかかる原告のその余の言動を認めることができる。ゴム長靴は貸与品であるが、冬期間はこれを着用していても注意されたことがなかったこと、ピット線内の清掃は、原則として月一回行うことが労使間で確認されていたのに、昭和六〇年にはこれが行われていないのでこのような発言になったと認められる。

同(47)

原告が、当日、「首切り反対だな。四人に三人いんなくなるんだ。」と発言したことは争いない。点呼状況表及び蛇石供述によれば、主張にかかる原告らのその余の言動を認めることができる。原告らの分割・民営化への不安が率直な形で出現したものと認められる。

同(48)

原告が、当日、体操に参加しなかったことは争いない。点呼状況表及び蛇石供述によれば、主張にかかる原告のその余の言動を認めことができる。

同(49)〈1〉

点呼状況表によれば、主張にかかる原告の言動を認めることができる。

同(49)〈2〉

柳沼供述によれば、主張にかかる原告の言動を認めることができる。原告は陳述書の中で「年休は俺の権利だからいつ使おうと自由だ。」と発言したことを認めているが、これは原告が年休を申し込んでいないのに、年休が指定されたことに抗議したものである。

同(49)〈3〉

原告が、主張の発言をしたことは争いない。柳沼供述によると一種の抗議と認められる。

同(50)

高橋の年休の問題で原告らが是正を求める発言をしたこと、体操に参加しなかったこと、ベルが鳴っても作業場に行かなかったことは争いない。点呼状況表及び新田供述によれば、主張にかかる原告らのその余の言動を認めることができる。なお、原告が作業開始ベルに応ぜず抗議していた時間は午前八時五一分から同五四分までの間である。

同(51)

点呼において、原告飯田が、「一二日高橋君の年休とは何か。」と発言したこと、「区長も否認である。」旨発言したこと、体操に参加しなかったことは争いがない。点呼状況表及び柳沼供述によれば、主張にかかるその余の言動を認めることができる。

同(52)

点呼状況表及び蛇石供述によれば、主張にかかる原告らの言動を認めることができる。

同(53)〈1〉

点呼状況表及び蛇石供述によれば、主張にかかる原告及び原告円谷の言動を認めることができる。

同(53)〈2〉

柳沼供述によれば、主張にかかる原告の言動を認めることができる。

(二) 原告木村

抗弁2(二)(1)(以下本項においては、「抗弁2(二)」を同と略し、単に原告とあるは原告木村を示す。)

原告が「勝手に人の写真を撮るな。」と発言したことは争いない。その余は原告飯田の(8)と同様である。

同(2)

原告が、当局の写真撮影に対し抗議の発言をしたことは争いない。しかし、その内容は定かではない。その余は原告飯田の(9)と同様である。

同(3)

原告が区長に対し、「暴力区長、区長は暴力を振るっていいのか。」と発言したことは争いない。その余は原告飯田の(10)と同様である。

同(4)

制帽に「国労」「首切り反対」と書かれていたことは争いない。点呼状況表によれば、原告が「八時五〇分から八時五三分まで仕事をせず抗議をしていた」とされるが、その具体的内容は定かでない。

同(5)

原告が私服で点呼に出席したこと、午前八時四二分に着替えを終了し戻ったこと、「着替えの時間が必要なので八時三〇分には作業できない」旨発言したことは争いない。点呼状況表及び新田、柳沼供述によれば、被告主張にかかる原告の言動を認めることができる。

同(6)

争いがない。

同(7)ないし(45)〈1〉

点呼状況表及び柳沼供述によれば、被告主張にかかる原告等の言動を認めることができる。なお、体操に参加しなかったこと及びワッペンを着用していたことは争いない。これは前記のとおり、前記当局の点呼開始時刻、点呼場所の変更に抗議して、集団的な闘争の一環として行われたものである。

同(44)〈2〉

新田供述によれば、主張にかかる原告の言動を認めることができる。

同(46)ないし(47)〈1〉

点呼状況表によれば、主張にかかる原告の行動を認めることができる。その経緯は右同(7)ないし同(44)〈1〉に記載したと同様である。

同(47)〈2〉

研修員室にいてワッペンを着用しており、これを外すよう注意されたこと、盛夏用作業衣に「反独、反自民」「国労」等と記載されていたことは争いない。その余の主張にかかる原告らの言動については、蛇石供述によってこれを認めることができる。

同(48)ないし(53)〈1〉

右同(45)ないし(47)〈1〉欄と同様である。

同(53)〈2〉

柳沼供述によれば、主張にかかる原告の言動を認めることができる。

同(54)〈1〉

右同(45)ないし(47)〈1〉欄と同様である。

同(54)〈2〉

ワッペンを着用したまま作業をしたことは争いない。その余の原告らの言動については、柳沼供述によってこれを認めることができる。

同(55)〈1〉

右同(45)ないし(47)〈1〉欄と同様である。

同(55)〈2〉

柳沼供述によれば、原告の行動を認定することができる。

同(56)ないし(59)

右同(45)ないし(47)〈1〉欄と同様である。

同(60)〈1〉

ワッペンを着用していたこと、体操に参加しなかったことは争いない。点呼状況表及び柳沼供述によれば、その余の主張にかかる原告らの言動を認めることができる。

同(60)〈2〉

争いがない。

同(61)

原告がワッペンを着用していたことは争いない。点呼状況表及び柳沼供述によれば、主張にかかる原告らの言動を認めることができる。

同(62)ないし(65)

右同(45)ないし(47)〈1〉欄と同様である。

同(66)

体操に参加しなかった点は争いない。点呼状況表及び柳沼供述によれば、主張にかかる原告らの言動を認めることができる。

同(67)

争いない。

同(68)ないし(70)〈1〉

右同(45)ないし(47)〈1〉欄と同様である。

同(70)〈2〉

争いない。

同(71)ないし(74)〈1〉

右同(45)ないし(47)〈1〉欄と同様である。

同(74)〈2〉

東北鉄道整備株式会社の社員が水洗い作業に従事していたことは争いない。柳沼供述によれば、その余の主張にかかる原告らの言動を認めることができる。

同(75)〈1〉

当日のチャイムが早く鳴ったこと、体操に参加しなかったことは争いない。点呼状況表によれば、主張にかかる原告らのその余の言動を認めることができる。

同(75)〈2〉

同時刻ころ、長椅子に坐って机の上に足を上げ、休んでいたこと、区長がこれに対し注意したことは争いない。新田供述によれば、主張にかかる原告のその余の言動を認めることができる。なお、原告は陳述書の中において「疲れている。自分の仕事は終った。」旨発言したことは認めている。

同(76)

原告が体操に参加しなかったことは争いない。点呼状況表、新田、柳沼各供述を総合すると、主張にかかる原告らのその余の言動を認めることができる。

当日の入れ替え手待時間に教育訓練を行うとする指示が作業ダイヤを無視するものとの抗議行動の一環である。

同(77)〈1〉

右同(45)ないし(47)〈1〉欄と同様である。

同(77)〈2〉

同時刻ころ、原告らが花火に火を付けたことは争いない。原告は陳述書の中で助役に注意されたのでやめた旨認めている。

同(78)ないし(81)〈1〉

右同(45)ないし(47)〈1〉欄と同様である。

同(81)〈2〉

早昼食をとったことは争いない。蛇石供述によれば、主張にかかるその余の原告らの言動を認めることができる。

同(82)

原告が体操に参加しなかったことは争いない。点呼状況表及び柳沼供述によれば、主張にかかる原告らのその余の言動を認めることができる。右言動は、区長が「直営店舗職員」の募集について業務伝達中、これに関連して「ラーメン作りのうまい人」等と発言したことが合理化を茶かしたと捉えてなされたものである。

同(83)、(84)〈1〉

右同(45)ないし(47)〈1〉欄と同様である。

同(84)〈2〉

争いがない。

同(84)〈3〉

原告らが上半身裸で着席していたことは争いない。柳沼供述によれば、主張にかかる原告のその余の言動を認めることができる。

同(85)、(86)〈1〉

右同(45)ないし(47)〈1〉欄と同様である。

同(86)〈2〉

原告が早昼食をとっていたところ、助役の注意によりこれを中断したことは争いない。(証拠略)によれば、主張にかかる原告のその余の行動を認めることができる。

同(87)、(88)〈1〉

右同(45)ないし(47)〈1〉欄と同様である。

同(88)〈2〉

争いがない。

同(89)ないし(95)

右同(45)ないし(47)〈1〉欄と同様である。

同(96)

原告が体操に参加しなかったこと、点呼中笑ったことは争いがない。点呼状況表によれば、主張にかかる原告らのその余の言動を認めることができる。

同(97)〈1〉

原告が体操に参加しなかったこと、区長の訓示中「区長は辞めるのだから人の心配をするな。」と発言したことは争いない。点呼状況表及び柳沼供述によれば、主張にかかる原告らのその余の言動を認めることができる。

同(97)〈2〉

争いがない。

同(98)、(99)〈1〉

右同(45)ないし(47)〈1〉欄と同様である。なお、(99)〈1〉につき原告が新聞を読んでいた点も争いがない。

同(99)〈2〉

原告が現場にいたことは争いない。原告は陳述書の中で、遠藤らに「何やってんの。」と聞いたことはある旨主張しているが、点呼状況表によると原告が抗議したことは認めるができるものの、その発言内容は定かでない。

同(100)〈1〉

右同(45)ないし(47)〈1〉欄と同様である。

同(100)〈2〉

争いがない。

同(101)ないし(104)

右同(45)ないし(47)〈1〉欄と同様である。なお、(104)については、スト参加の誤処分に対し抗議したことは争いがなく、また、原告が就労しなかったのは、午前八時五〇分から同五三分までの間である。

同(105)〈1〉

右同(45)ないし(47)〈1〉欄と同様である。

同(105)〈2〉

柳沼供述によれば、主張にかかる原告らの言動を認めることができる。原告は陳述書の中で「足は指示しないで手本を示すように」、「監視労働をやめるよう」発言したことを認めている。

同(105)〈3〉

争いがない。

同(106)〈1〉、(107)〈1〉

右同(45)ないし(47)〈1〉欄と同様である。

同(106)〈2〉、(107)〈2〉

早昼食をとったこと、総務助役の制止に対し「自分の弁当を食って何が悪い。」と発言したことは争いがない。蛇石供述によれば、原告のその余の言動を認めることができる。

同(108)、(109)〈1〉

右同(45)ないし(47)〈1〉欄と同様である。

同(109)〈2〉

C'組をつくり検修一〇番で交検を実施する旨の伝達がなされたことは争いがない。当局は従来九・一〇番線は交検線ではなく、修繕線であると言明したにもかかわらず、これに反する指示をしたための抗議行動である。

原告自身、団交確認守れという趣旨の発言をしたことはその陳述書において認めているが、主張にかかる原告らのその余の発言については、これを認めるに足る証拠がない。

同(110)

原告が「団交守れ」と発言したことは争いない。点呼状況表及び蛇石供述によれば、主張にかかる原告らのその余の言動を認めることができる。

同(111)

原告が「八時三〇分まで出勤し毎日否認されるのはおかしい。」と発言したことは争いない。点呼状況表及び蛇石供述によれば、主張にかかる前段部分の事実を認めることができる。

後段につき、原告は就業規則の冊子を取り外して「区長のすぐ手前まで行き、就業規則を持った右手を区長の顔の高さまで振り上げ、これを区長の面前の机の上にたたきつけ」たとされており、点呼状況表には原告が「区長に就業規則読んでみろと区長の前に規則をたたきつけた」と主張に沿う事実が記載されている。一方、新田はその陳述書の中で「この時、何かが私の背後から右の耳元をかすめて机上に「ダーン」という大きな音を立てて落ちました。背後からだったので、私は危ないと感じ、とっさに身を反らせました。私の目の前に落ちたものは、B5版大の白い冊子で、見ると私の背後にいつの間にか木村運検係が立っていて、私をにらみつけておりました。机の上で大きな音がしたのは、木村運検係が、就業規則の冊子を私の耳元をかすめる位置から振りおろし、机にたたきつけたための音でしたが、このたたきつけた勢いで机の左脇上に置いた四、五十枚の業務日誌の綴りがめくり上がりました。」と述べ、同人は当法廷においても概ね右陳述書同様の証言をしている。

このように原告の行動態様につき被告の主張するところと証拠にそごが認められるところ、原告は本人尋問において、原告は区長の斜め右後の掲示板にぶら下がっていた就業規則の書かれている冊子を取り下ろし、これを区長の右手脇の方から「何と書いてあるの。」と言いながらこれを区長の面前に差し出し、区長の机の上にトンと落としたと陳述している。このように被告提出の証拠相互間はもとより、原告の陳述との間で大きなそごが認められる。少なくとも、原告が右のような発言をしながら就業規則の冊子を区長に示したことは認められるところであるが、面前にたたきつけたとまでは到底認めがたく、また、右背後か右斜め後かはさほど重要なことではなく、また、たたきつけたかどうかも受け取る側の主観によって大きく左右されるところであって(特に労使間の興奮状況の中にあっては、誇張された表現が用いられることが少なからず存することは、経験が教えるところである。)、原告の発言と冊子を示したとする限度の認定をするほかない。

同(112)

原告が体操をしないで新聞を読んでいたことは争いない。点呼状況表及び蛇石供述によれば、主張にかかる原告らの言動を認めることができる。

同(113)

原告が体操に参加しなかったことは争いない。点呼状況表及び蛇石供述によれば、主張にかかる原告らのその余の言動を認めることができる。

同(114)〈1〉

原告が体操に参加しなかったことは争いない。点呼状況表及び蛇石供述によれば、主張にかかるその余の原告らの言動を認めることができる。なお、原告は陳述書の中で「点呼は詰所の中でやるべきである」旨発言したことを認めている。

同(114)〈2〉

原告らが区長室に入室したことに争いはない。蛇石供述によれば、主張にかかる原告らのその余の言動を認めることができる。

同(115)〈1〉

右同(45)ないし(47)〈1〉欄と同様である。

同(115)〈2〉

原告の陳述書によれば、原告は当日交検班に担務指定され、本件脱線復旧訓練に参加したことが認められるが、「その勤務時間の午前一〇時二三分から四〇分まで飯田らとともに区長を取り囲み、抗議して前記訓練を混乱させた」との主張は具体性を欠き、また、これを認めるに足りる証拠はない。(もっとも、原告本人尋問の結果によると、区長の「賃金カットをする。」旨の発言に抗議したことが認められる。)

同(116)、(117)〈1〉

右同(45)ないし(47)〈1〉欄と同様である。

同(117)〈2〉

早昼食をしたことは争いない。蛇石供述によれば、主張にかかる原告らのその余の言動を認めることができる。

同(118)、(119)

争いがない。

同(120)〈1〉

右同(45)ないし(47)〈1〉欄と同様である。

同(120)〈2〉

早昼食をとったことは争いない。蛇石供述によれば、原告のその余の行動を認めることができる。

同(121)〈1〉

右同(45)ないし(47)〈1〉欄と同様である。

同(121)〈2〉

原告が早昼食をとったことは争いない。

同(122)ないし(126)〈1〉

右同(45)ないし(47)〈1〉欄と同様である。

同(126)〈2〉

柳沼供述によれば、主張にかかる原告らの言動を認めることができる。

同(127)

原告が体操に参加しなかったことは争いない。点呼状況表及び蛇石供述によれば、主張にかかる原告らの言動を認めることができる。

同(128)

右同(45)ないし(47)〈1〉欄と同様である。

同(129)

体操に参加しなかったこと、点呼において横一列に並んだ点は争いない。柳沼供述によれば、主張にかかる原告らの言動を認めることができる。

同(130)〈1〉

体操に参加しなかったこと、横一列に並んだことは争いがない。点呼状況表及び(証拠略)によれば、主張にかかる原告らのその余の言動を認めることができる。

同(130)〈2〉

緩急車内で雑談をしていたことは争いない。しかし、原告の具体的発言内容は定かでない。

同(130)〈3〉

早昼食をとったところ、注意され、中止したことは争いない。蛇石供述によれば、主張にかかる原告の発言を認めることができる。

同(131)〈1〉

体操に参加しなかったことは争いない。点呼状況表及び蛇石供述によれば、主張にかかるその余の原告の言動を認めることができる。

同(132)〈2〉

原告飯田についての前記(40)〈2〉の認定と同様である。なお、原告は、陳述書において「鵜沢助役はチンピラか。卑怯者。」と発言したことを認めている。

同(132)〈1〉

右同(45)ないし(47)〈1〉欄と同様である。

同(132)〈2〉

早昼食をとったことは争いない。柳沼供述によれば、主張にかかる原告のその余の言動を認めることができる。

同(133)〈1〉

右同(45)ないし(47)〈1〉欄と同様である。

同(133)〈2〉

原告が、首席助役の説明に対し意見を述べたことは争いない。主張にかかるその余の事実を認めるに足る証拠はない。

同(134)〈1〉

原告が体操に参加しなかったことは争いない。点呼状況表及び蛇石供述によれば、主張にかかる原告のその余の行動を認めることができる(ただし、お茶を飲んでいたとする証拠はない。)。

同(134)〈2〉

スパイクタイヤを普通タイヤに交換したこと及び助役が注意したことは争いがない。柳沼供述によれば、主張にかかる原告のその余の言動を認めることができる。なお、首席助役が現認したのは、午後三時ころであり、三時四五分から五八分までの間否認扱いとした。

同(135)

右同(45)ないし(47)〈1〉欄と同様である。

同(136)

争いがない。

同(137)ないし(141)〈1〉

右同(45)ないし(47)〈1〉欄と同様である。

同(141)〈2〉

柳沼供述によれば、主張にかかる原告らの言動を認めることができる。

同(142)ないし(144)〈1〉

原告が体操に参加しなかったことは争いない。点呼状況表及び蛇石供述によれば、主張にかかる原告のその余の言動をいずれも認めることができる。

同(144)〈2〉

原告らが申し込んでいない年休が、一二月勤務予定表に入っていたため、年休を返上する旨申し入れた事実は争いない。その際の主張にかかる言語・態度等は、柳沼供述によってこれを認めることができる。

同(145)ないし(148)

右同(45)ないし(47)〈1〉欄と同様である。

同(149)

原告が体操に参加しなかったことは争いない。点呼状況表及び蛇石供述によれば、主張にかかる原告らのその余の言動を認めることができる。

同(150)〈1〉

右同(45)ないし(47)〈1〉欄と同様である。

同(150)〈2〉

原告が、「寒いので暖房を送ってくれ。」という趣旨の発言をしたことは争いない。柳沼供述によれば、主張にかかる原告のその余の言動を認めることができる。

(三) 原告円谷

抗弁2(三)〈1〉(以下、本項においては、「抗弁2(三)」を「同」と略し、単に原告とあるは原告円谷を示す。)

原告が安全帽を着用していなかったことは争いない。点呼状況表及び柳沼供述によれば、主張にかかる原告のその余の言動を認めることができる。なお、原告は、陳述書において「新田区長の人間性のないところで働いていないで出向でもしたら。」と発言したことを認めている。

同(2)

上遠野が書換作業に従事していたことは争いない。点呼状況表及び柳沼供述によれば、主張にかかる原告のその余の言動を認めることができる。なお、原告は陳述書の中で「なぜいつまでも差別を続けるのか。早く本来の作業につけるべきである。」旨発言したことを認めている。

同(3)

点呼状況表及び柳沼供述によれば、主張にかかる原告らの言動を認めることができる。

同(4)〈1〉

原告飯田についての(6)〈1〉の認定と同様である。

同(4)〈2〉

原告飯田についての(6)〈2〉の認定と同様である。

同(5)

原告がワッペンを着用していたこと、助役がその取り外しを命じたことは争いがない。点呼状況表及び柳沼供述によれば、主張にかかる原告のその余の言動を認めることができる。

同(6)

原告飯田の(8)の認定と同様である。

同(7)

原告飯田の(10)記載の認定と同様である。

同(8)

原告飯田の(11)記載の認定と同様である。

同(9)

原告飯田の(15)記載の認定と同様である。

同(10)

原告が首席助役と八月分交番について話し合ったことは争いない。柳沼供述によれば、主張にかかるその余の原告の言動を認めることができる。なお、原告は、陳述書の中で「何でも無条件で当局の言うままというのでは奴隷のような扱いではないのか。」、「今までの労使慣行を全く無視したデタラメな交番ではないのか。」と発言したことを認めている。

同(11)

原告が新聞記事を切り抜いていたことは争いない。柳沼供述によれば、主張にかかる原告のその余の行動を認めることができる。

同(12)ないし(16)

ワッペンを着用していたこと、体操に参加しなかったことはいずれも争いがない。点呼状況表によれば、主張にかかる原告のその余の言動を認めることができる。

同(17)、(18)

いずれも争いがない。

同(19)、(20)

右同(12)ないし(16)と同様である。

同(21)、(22)

いずれも争いがない。

同(23)ないし(27)

右同(12)ないし(16)と同様である。

同(28)

当日チャイムが早く鳴ったこことは争いない。点呼状況表及び新田供述によれば、主張にかかる原告の発言を認めることができる。

同(29)

原告木村の(76)の認定と同様である。

同(30)

体操に参加しなかったこと、「安全帽、安全靴とばかり言うんでない。」と発言したことは争いない。点呼状況表及び柳沼供述によれば、主張にかかる原告らのその余の言動を認めることができる。

同(31)

点呼状況表及び柳沼供述によれば、主張にかかる原告らの言動を認めることができる。

同(32)

体操に参加しなかったことは争いない。点呼状況表によれば、主張にかかるその余の原告の行動を認めることができる。

同(33)ないし(35)

右同(12)ないし(16)と同様である。

同(36)

体操に参加しなかったこと、「点呼時刻、点呼場所の変更は一方的にできない。」旨の発言をしたことは争いがない。点呼状況表及び柳沼供述によれば主張にかかる原告らのその余の言動を認めることができる。

同(37)

右同(12)ないし(16)と同様である。

同(38)

体操に参加しなかったことは争いない。点呼状況表及び柳沼供述によれば、主張にかかる原告らのその余の言動を認めることができる。

同(39)

右同(12)ないし(16)と同様である。

同(40)

右同(38)と同様である。

同(41)

体操に参加しなかったこと、主張にかかる発言と同趣旨の発言をしたことは争いがない。点呼状況表及び柳沼供述によれば、主張にかかる原告らのその余の言動を認めることができる。

同(42)

点呼状況表によれば、主張にかかる原告の行動を認めることができる。

同(43)ないし(47)

右同(12)ないし(16)と同様である。

同(48)

区長に対し同趣旨の発言をしたことは争いない。点呼状況表及び蛇石供述によれば、主張にかかる原告らのその余の言動を認めることができる。

同(49)

右同(12)ないし(16)と同様である。

同(50)

体操に参加しなかったこと、主張と同趣旨の発言をしたことは争いない。点呼状況表及び柳沼供述によれば、主張にかかるその余の原告らの言動を認めることができる。

同(51)

体操に参加しなかったこと、区長が国労バッジを外すように注意したことは争いない。点呼状況表及び蛇石供述によれば、主張にかかる原告らの言動を認めることができる。(ただし、原告について「点呼の場所を一方的に変更し、局の言うことばかり気にして。」との発言は認められない。)。

同(52)

右同(12)ないし(16)と同様である。

同(53)

原告が体操に参加しなかったこと、録音機を持ち込んだこと、これに対し区長が注意しこと、原告が「体操は下でやれ。」と発言したことは争いがない。点呼状況表及び柳沼供述によれば、その余の主張にかかる原告らの言動を認めることができる。

同(54)

原告が体操に参加しなかったことは争いない。点呼状況表及び(証拠略)によれば、主張にかかる原告らのその余の言動を認めることができる。

同(55)

原告が体操に参加しなかったこと、区長に対し「笑ってごまかすな。」という趣旨の発言をしたことは争いない。点呼状況表によれば、主張にかかる原告らのその余の言動を認めることができる。

同(56)

原告が体操に参加しなかったこと、「他人に辞めることを勧めるより、自ら後進に道を譲ったらどうか。体操を行うことは労働条件の一方的変更だから団交で決めるように。」との趣旨の発言をしたことは争いない。点呼状況表及び柳沼供述によれば、主張にかかる原告らのその余の言動を認めることができる。

同(57)、(58)

右同(12)ないし(16)と同様である。

同(59)

原告が体操に参加しなかったこと、先輩組合員が検査長に発令されなかったことに対する抗議の趣旨の発言をしたことは争いない。点呼状況表及び蛇石供述によれば、主張にかかる原告らの言動を認めることができる。

同(60)ないし(63)

右同(12)ないし(16)と同様である。

同(64)ないし(67)

原告が体操に参加しなかったことはいずれも争いない。点呼状況表及び蛇石供述によれば、主張にかかる原告のその余の言動を認めることができる。

同(68)

原告が体操に参加しなかったことは争いない。点呼状況表及び柳沼供述によれば、主張にかかる原告らのその余の言動を認めることができる。なお、原告は陳述書において「返事しているよ。」、「目付きが悪い。」、「間違っている。労働条件だ、団交開け。」と発言したことを認めている。

同(69)

ハンプ勤務の原告飯田を点呼したことは争いない。点呼状況表及び柳沼供述によれば、主張にかかる原告の言動を認めることができる。なお、原告は、陳述書において「飯田君はハンプ勤務だべ。」と発言したことを認めている。

同(70)

原告が体操に参加しなかったこと、返事をしている旨発言したことは争いない。点呼状況表及び柳沼供述によれば、主張にかかる原告らのその余の言動を認めることができる。なお、原告は、陳述書で保護具不着用の場合の傷害事故は公傷扱いにならないとの説明に際し、反対する趣旨で「うまくね。」と発言したことを認めている。

同(71)

原告が体操に参加しなかったこと、「オー」という返事をしたこと、「団交を守れ。」という趣旨の発言をしたことは争いない。点呼状況表及び蛇石供述によれば、主張にかかる原告らのその余の言動を認めることができる。

同(72)

原告が体操に参加しなかったこと、「指導が悪いからだべ。指導をやれ。」と発言したことは争いない。点呼状況表及び蛇石供述によれば、主張にかかる原告らのその余の言動を認めることができる。

同(73)

原告が体操に参加しなかったこと、「来てます。」という返事をしたことは争いない。点呼状況表によれば、主張にかかる原告のその余の言動を認めることができる。

同(74)

原告飯田の(29)〈1〉の認定と同様である。なお、原告は、陳述書において「人間性のない管理者だ。」とする趣旨の発言をしたことを認めている。

同(75)

原告が体操に参加しなかったこと、「返事してっぺ。」「これが返事だ。」と発言したことは争いない。点呼状況表及び蛇石供述によると、主張にかかる原告らのその余の言動を認めることができる。

同(76)

原告が体操に参加しなかったことは争いない。点呼状況表及び柳沼供述によれば、主張にかかる原告の言動を認めることができる。なお、原告飯田の(30)の認定欄を参照。

同(77)

原告が体操に参加しなかったこと、「返事してっぺ」と発言したことは争いない。点呼状況表及び蛇石供述によれば、主張にかかる原告らのその余の言動を認めることができる。なお、原告は陳述書で「義理だべ。」と発言したことを認めている。

同(78)

原告が体操に参加しなかったことは争いない。点呼状況表によれば、その余の事実を認めることができる。

同(79)

原告が体操に参加しなかったこと、「八時三〇分までに来ている」旨発言したことは争いない。点呼状況表及び蛇石供述によれば、主張にかかる原告らのその余の言動を認めることができる。

同(80)

原告が体操に参加しなかったことは争いない。点呼状況表及び柳沼供述によれば、主張にかかる原告らのその余の言動を認めることができる。

同(81)

原告飯田の(36)の認定と同様である。なお、原告は、陳述書において、「代弁だべ。」と発言したことを認めている。

同(82)

原告木村の(129)の認定と同様である。

同(83)

原告が体操に参加しなかったこと、「団交を開いてやるべきではないか。」という趣旨の発言をしたことは争いない。点呼状況表によれば、主張にかかる原告のその余の言動を認めることができる。なお、原告は、陳述書において、「人徳だべ。」と発言したことを認めている。

同(84)

原告が体操に参加しなかったことは争いない。点呼状況表及び柳沼供述によれば、主張にかかる原告らのその余の言動を認めることができる。なお、原告は、陳述書において寒くなっても暖房を通さないので「寒いなあ。」と発言したことを認めている。

同(85)

原告飯田の(40)〈1〉の認定と同様である。

同(86)〈1〉

原告飯田の(41)〈1〉の認定と同様である。

同(86)〈2〉

原告木村の(133)〈2〉の認定と同様である。

同(87)

橋本(守)、上遠野が出勤表に捺印中であったため、「来ています。」と代わって返事をしたことは争いない。点呼状況表及び蛇石供述によれば、主張にかかる原告のその余の言動を認めることができる。

同(88)

原告飯田の(43)の認定と同様である。なお、原告の正確な発言は「新田は外注に行ったら勤まんねわ。」というものである。

同(89)

原告が、「体操をするなら団交で決めてからにすべきだ。」との趣旨の発言をしたことは争いない。点呼状況表及び柳沼供述によれば、主張にかかる原告らのその余の言動を認めることができる。なお、原告は陳述書において「適当なことを言うな。」と発言したことを認めている。

同(90)

前段

原告飯田の(44)〈1〉と同様である。なお、原告は、陳述書において「なに言ってる。」と発言したことを認めている。

後段

原告が体操に参加しなかったことは争いない。柳沼供述によれば、主張にかかる趣旨の発言を原告がしたことが認められる。なお、原告は、陳述書において「情報収集だものいいでしょう。」と発言したことを認めている。

同(91)

前段

原告飯田の(45)の認定と同様である。なお、原告は、陳述書において「一方的にやるのは違法だべ。」と発言したことを認めている。

後段

原告が体操に参加しなかったことは争いない。点呼状況表によれば、主張にかかるその余の原告の行動を認めることができる。

同(92)

原告が体操に参加しなかったこと、「オー」という返事をしたことは争いない。点呼状況表及び蛇石供述によれば、主張にかかる原告らのその余の言動を認めることができる。なお、原告は、陳述書で「どこに書いてある。」、「点呼の変更は団交でやるべき。」、「機関区では古峰山参拝九〇人とったのに郡客区長は。」と発言したことを認めている。

同(93)

原告が体操に参加しなかったことは争いない。点呼状況表及び蛇石供述によれば、主張にかかる原告らのその余の言動を認めることができる。

同(94)

原告が体操に参加しなかったことは争いない。点呼状況表によれば、主張にかかる原告のその余の言動を認めることができる。

同(95)

点呼状況表及び蛇石供述によれば、主張にかかる原告らの言動を認めることができる。なお、原告は、陳述書において「下ばかりいじめるな。」と発言したことを認めている。

同(96)

原告が体操に参加しなかったこと、団交をやるべきだとの趣旨を発言をしたことは争いない。点呼状況表及び蛇石供述によれば、主張にかかる原告らのその余の言動を認めることができる。

同(97)

原告が体操に参加しなかったこと、返事をしても何回も呼ぶので「外でなく従来どおり二階でやったらいいだろう。」という趣旨の発言をしたことは争いない。点呼状況表及び蛇石供述によれば、主張にかかる原告らのその余の言動を認めることができる。

同(98)、(99)

原告が体操に参加しなかったことは争いない。点呼状況表によれば、主張にかかる原告のその余の行動をいずれも認めることができる。

同(100)

原告飯田の(50)の認定と同様である。なお、原告は、陳述書において主張にかかる発言をしたことを認めている。

同(101)〈1〉

原告飯田の(51)の認定と同様である。点呼状況表及び柳沼供述によれば、主張にかかる原告の言動を認めることができる。なお、原告は、陳述書において主張にかかる趣旨の発言をしたことを認めている。

同(101)〈2〉

原告が、主張にかかる原告の発言部分と大筋において同旨の発言をしたことは争いない。

同(102)

原告が体操に参加しなかったことは争いない。原告飯田の(53)〈1〉の認定と同様である。

同(103)

原告が体操に参加しなかったこと、団交をやるべきだとの趣旨の発言をしたことは争いない。点呼状況表及び蛇石供述によれば、主張にかかる原告のその余の言動を認めることができる。

同(104)

原告が体操に参加しなかったことは争いない。原告木村(109)の認定と同様である。なお、原告は、陳述書において主張と同旨の発言をしたことを認めている。

同(105)

原告が体操に参加しなかったこと、「聞こえない。」との趣旨の発言をしたことは争いがない。点呼状況表によれば、主張にかかる原告らのその余の言動を認めることができる。

同(106)

原告が体操に参加しなかったことは争いない。点呼状況表及び柳沼供述によれば、主張にかかる原告のその余の言動を認めることができる。

四 懲戒事由存否の判断

原告らの懲戒処分を基礎づけるとされる非違行為は、昭和六〇年四月から同年一二月にかけての種々雑多で且つ多数のものが主張され、相互に関連しあうもの、全く脈絡のない単発的と認められるもの、関係者も出入りがある等してこれを分類することは困難であるが、差し当たり原告らの提唱する分類を参考にして検討することとする。

これによると

類型Ⅰ

始業点呼に際しての出席の遅れ(遅参)、返事(しない又は聞き取れないような小声)、私服での出席、しゃがむ、点呼場外に立つ等主として身体的動作による点呼妨害とされるもの

類型Ⅱ

始業点呼中の発言、抗議、暴言、点呼監視等主として口頭発言による点呼妨害とされるもの

類型Ⅲ

体操をしない又はするようにとの指示に従わないもの、この関連及び時間帯における抗議、暴言、検修員室無断入室等が問題とされるもの

類型Ⅳ

早昼食をとったり、これに対する注意に対する抗議をしたとされるもの

類型Ⅴ

1 ワッペン、夏用組合バッジ着用、落書、ジュース缶落書、集団抗議入室、分会情報配布、これを読むこと、メモ活動、録音機、写真機の持ち込み、赤タオル掲出等の時間内組合活動をしたとされるもの及びこれに伴う注意に対する抗議が問題とされるもの

2 保護具不着用又はこれを注意したことに対する抗議が問題とされるもの

3 脱線復旧訓練に関するもの

4 暖房、外出簿、私物返還、電話抗議、その他の抗議・暴言(年休変更・担務変更・管理者の暴力行為に対するもの・その他)、業務妨害、作業指示違反に関するもの

5 その他

に分類して検討することとする。

ところで、原告らの本件において主張されている非違行為の存否及びその評価を論ずる前提として、原告らの懲戒処分の前歴をみると、原告らは、いずれも昭和六〇年九月一三日に、同年四月一日以降のワッペン着用の件で訓告処分を受けていることが明らかである(この点は、当事者間で争いがない。)。右処分は、同年四月一日以降すくなくても同年九月一二日に至る間のワッペン着用が処分の対象となったと推認されるところ、そうであるならば、原告らの本件非違行為の一つとして主張されているワッペンの自己着用は、すでに一度処分されていることとなる。民事上の懲戒処分の分野に刑事上の二重処罰の禁止の原則が類進適用されるか否かは一つ問題であるが、一個の行為を二度以上にわたって不利益に取り扱ってはならないとすることは近代法の一般原則というべきであるから、右原則は民事上の分野にも推し及ぼされるものと考えられる。

従って、ワッペンの自己着用の事実(飯田の(18)、(20)、木村の(45)、(47)〈1〉、(48)、(49)、(54)〈1〉、(54)〈2〉、(55)〈1〉、(56)ないし(60)〈1〉、(61)、(62)、円谷の(5)、(7)、(12)、(13)の各事由に含まれている。)は、既に処分を経たものであり、本件の評価の対象とする非違行為からは除外されるべきものである。

次に、原告木村に関し、同原告は昭和六〇年五月一四日から一六日にかけて管理者の再三の指示にかかわらず勤務開始時刻になっても私服のままで就労しなかった、ということで厳重注意処分を受けている(この点も、当事者間に争いがない。)が、右事実も本件において非違行為として主張されている(木村の(5)ないし(7)の私服での点呼及び遅参がこれに含まれよう。)が、前述と同様の理由で本件の評価の対象とする非違行為から排除するのが相当である。

類型Ⅰ

ア 遅参

原告らの点呼への遅参は、前記2(五)で認定のとおり、昭和六〇年五月、当局が点呼開始時刻を午前八時三〇分、体操開始時刻を同四〇分と変更したことに端を発し、これに抵抗する戦術の結果として発生したものである。

点呼・体操に引き続いて直ちに現場で就労するのであるから、作業着に着替えて点呼に臨むべきであることはもとより当然のことである。

しかし、前記で認定のとおり以前には制度的に更衣時間が保証されていた時代もあったうえ、右の変更措置により点呼に先立つ体操時間を着替え時間にあてるという従来慣行的に認められてきたものが、なんらの代償的措置なく奪われるに至ったことについて、職員の間で不満の声が起こったことは当然であるともいえる。

もとより、右のような慣行が必ずしも正当なものとはいい難い面があるにせよ、長年これに慣れ親しんできた慣行を是正するには、経過措置として相応の方法と時間が必要であったと認められる。

ところで、原告ら職員は、日本国有鉄道就業規則第六条、職員服務規定(管理規定)等により制服の着用が義務づけられているうえ、当局は客貨車区の作業は、貨車の下に潜ったりすることがあるので、油やほこりで汚れることもあり、そのため作業衣に着替えることは、作業に不可欠な行為と考えているところ(証人新田彌の昭和六二年九月一〇日の証言参照)、原告飯田、同木村の供述(各第二回)によれば、原告ら職員の着替えには少なくとも四、五分の時間を要するものであったことが認められる。してみれば、作業衣に着替えたうえで、八時三〇分の点呼に臨むには、理論的には、少なくても四、五分の更衣時間を制度的に認める必要があったといえるものであり、これを単に労働条件には変更がないとして一蹴し去ることはできないというべきである。

原告らの点呼への遅参時間は右四、五分を超えるものは無く(原告円谷の昭和六〇年一〇月二八日の四分遅参が最長で、大多数が一分前後の遅参である。)、原告らの供述によれば、当時八時三〇分までに着替えを済ませ待機し、八時三〇分に点呼場へ向け出発するという戦術をとったため、一ないし数分遅れるという結果になったことが認められるが、それにせよ、八時三〇分出勤が動かせない以上、これから起算して本来認められて然るべき更衣時間の範囲内での点呼への参加である以上、これを遅参であると評価すべきものではない。これをもって非違行為と解することは困難というべきである。

なるほど、当局は、点呼時間と体操時間の変更について、掲示、場内アナウンス、点呼時における指示等によって、職員に周知徹底を図るべく努力したことは認められるが、これに関する抗議・質疑等を一切受け付けないというという態度を堅持したことなど、一方的、高圧的に八時三〇分出勤即点呼の措置(着替えたうえでの)をとったものであって、右当局の努力があったからといって、原告らの点呼への参加の遅れが、即非違行為との評価をうけてもやむを得ないとまではいい難い。

このような観点からすると、

原告飯田の(28)、(29)〈1〉、(30)ないし(35)〈1〉、(36)ないし(38)〈1〉、(39)、(40)〈1〉、(41)〈1〉、(42)ないし(44)〈1〉、(45)、(46)〈1〉、(47)ないし(49)〈1〉、(50)ないし(53)〈1〉

原告木村の(8)、(9)、(25)、(27)ないし(29)、(32)、(36)、(40)、(41)、(44)〈1〉、(45)ないし(47)〈1〉、(48)ないし(53)〈1〉、(56)、(58)ないし(60)〈1〉、(61)ないし(66)、(70)〈1〉、(71)ないし(73)、(75)〈1〉、(76)、(77)〈1〉、(78)ないし(81)〈1〉、(82)ないし(84)〈1〉、(85)、(86)〈1〉、(87)、(88)〈1〉、(89)、(90)、(93)ないし(97)〈1〉、(98)、(99)〈1〉、(100)〈1〉、(101)〈1〉、(104)及び(105)〈1〉、(106)〈1〉、(107)〈1〉、(108)、(109)〈1〉、(110)ないし(114)〈1〉、(115)〈1〉、(116)、(117)〈1〉、(120)〈1〉、(121)〈1〉、(122)ないし(126)〈1〉、(127)ないし(130)〈1〉、(131)ないし(135)の各〈1〉、(137)ないし(141)〈1〉、(142)ないし(144)〈1〉、(145)ないし(150)〈1〉

原告円谷の(12)ないし(15)、(19)、(20)、(23)ないし(28)、(30)ないし(73)、(75)ないし(86)〈1〉、(87)ないし(97)、(99)ないし(101)〈1〉、(102)ないし(106)のうち、点呼への遅参部分は非違行為と評価しないこととする(飯田について二六個、木村については九〇個、円谷については八三個の遅参すべてが、非違行為から除外されることになる。)。

イ 返事、私服出席、しゃがむ、点呼場外起立

点呼に関しては、就業規則上明確な規定は見当たらず、その方法について労使間で協議されたことはなかったと認められるが、被告の主張によれば、点呼は、1公私の区切り、2出退勤の確認、3職員の健康状態の把握、4服装の整正、5作業指示、作業実績の報告、6局報・公報の伝達、7次の勤務の確認及びその作業指示等の目的でなされているという。

そのようなものであるならば、極めて重要なものであり、厳正に執行されなければならないことは言うまでもない。

しかし、その方式については、当初は起立して挨拶し、その後着席して管理者が呼名していたが、次第に起立することもなく、着席のまま呼名されるようになってきたものであって、返事の大小については従来特段問題とされるようなこともなかったものである。

しかるに、当局は「職場規律の是正」の一環として起立して大きい声で返事をすることを要求し始め、これに抵抗する動きに対する打開策として点呼場所を「起立を拒むもの」に対しては起立を求めることで紛糾する二階の検修員室から、机と椅子が無いため座ることのできない一階の検修庫に変更した経緯が存する。

ところで、呼名及び返答は、当日の出勤状況を確実に把握する為の重要な手続きといえるものであるから、呼名に対しては自己の存在が認識し得る程度の社会的に相当と認められる声の高低・音量で返答すべきことは当然であるとともに、それで必要にして十分であるものといえる。むしろ、そのようなことを巡って紛争を生じた事態そのものの異常性を是正しようと多大な労力を傾注しなければならない職場であったことが問題であって、「職場規律の是正」がいわれたことは、この事態そのものからある程度は肯認しうるものである。

本件では小声で返答をしたことについて争いがあるところであるが、点呼執行者において返答が聞き取れたとして問題としないもの、聞きとれなかったとして再度呼名し、返答を促したりしているものがあることからすると、返答が聞き取れたか否かはある程度点呼執行者の主観に依拠せざるを得ない。点呼執行者が気に入るまでの返答を要求したのであれば論外であるが、点呼執行者において聞き取れなかったとすれば、返答がなかったものとして取り扱う外ない。

ところで、原告らの小声による返答は、いずれも肉体的・生来的な小声といったものでなく、点呼そのものが軍隊的なものであるとの認識に立ち、それに抵抗・反発する目的でなされていることが明らかである。また、点呼場所においてしゃがんだり、点呼場外に(横一列になる等)出る等の行為は、病気その他やむを得ない事情があればともかく、必要最小限の規律(秩序)を敢えて破っているものと解さざるを得ない。すなわち、前記の点呼目的の重要性、現場職員に要求される緊密な連携作業等を考慮するならば、この程度の規律は必要最小限度の要請である。なるほど、前記のとおり点呼にはその方式が定められておらず、そのため点呼時にいるべき場所の定めがないので、点呼執行者に返答をする必要はなく、点呼執行者において被執行者が認識し得るならばそれで点呼の目的を達しているとか、それに引き続く伝達・指示の聴取が可能な場所にいればよいとかいった考え方もあろうが、前記の点呼の目的、この種の行事における一般に日本の社会内で採られている方式等に鑑みると、自ずから常識的な方式は定まってくるというべく、かつまたそのようにすることが特段の苦痛を強いるものではないというべきである。

原告らの、点呼時におけるしゃがんだり、点呼場(はっきりと定められていたわけではないにせよ)外に横一列に起立する行為は、前記の小声で返答をする行為と同様、点呼そのものに対する抵抗戦術としてなされ、現場における上司の指示に従わない姿勢を示すことを通じて、当局に対する抵抗の姿勢を示すといったことで行われていたことは明らかである。

但し、私服での点呼への出席は、一方的に着替えの時間を奪われたことに対する抗議行動の一環として行われたもの、すなわち、着替時間がない以上はこうせざるを得ないという趣旨の抗議行動と認められ、現象的には服務規律違反ということになろうが、前記数分間の点呼への遅参で考察した趣旨及び既に処分がなされていることから、本件では不問にすべきことは前記のとおりである。

以上の観点から原告らの類型Ⅰの内の掲記の各行為を検討すると、

原告飯田の(8)、(9)、(28)、(29)〈1〉、(33)、(35)〈1〉、(37)、(38)、(39)〈1〉、(40)〈1〉、(41)〈1〉、(44)〈1〉、(45)、(47)ないし(49)〈1〉、(50)ないし(52)

原告木村の(2)、(9)ないし(37)、(45)ないし(47)〈1〉、(49)、(50)、(52)、(53)〈1〉、(54)〈1〉、(55)〈1〉、(56)ないし(60)〈1〉、(61)ないし(66)、(68)、(69)、(71)ないし(74)〈1〉、(75)〈1〉、(76)、(77)〈1〉、(78)、(80)、(82)ないし(84)〈1〉、(86)〈1〉、(87)、(88)〈1〉、(89)ないし(91)、(93)ないし(97)〈1〉、(99)〈1〉、(100)〈1〉、(101)ないし(105)〈1〉、(107)〈1〉、(108)、(109)〈1〉、(111)ないし(114)〈1〉、(115)〈1〉、(116)、(117)〈1〉、(120)〈1〉、(121)〈1〉、(122)、(124)ないし(126)〈1〉、(127)ないし(130)〈1〉、(131)〈1〉、(132)〈1〉、(133)〈1〉、(134)〈1〉、(135)、(137)ないし(141)〈1〉、(142)、(144)〈1〉、(145)ないし(147)、(149)、(150)〈1〉、

原告円谷の(12)、(13)、(15)、(16)、(25)、(27)、(28)、(30)、(31)、(33)、(35)、ないし(38)、(40)、(42)、ないし(59)〈1〉、(63)ないし(66)、(68)ないし(71)、(74)、(75)、(77)、(79)、(80)、(83)、(85)、(86)〈1〉、(87)ないし(90)、(92)ないし(95)、(97)ないし(101)〈1〉、(106)

にみられる小声での返事あるいは返事の拒否、点呼場外起立等の行為は懲戒処分を基礎付ける非違行為に該当するというべきである。

(なお、原告木村の(30)「出勤してます。」との発言および原告円谷の(73)「来てます。」との発言は、社会通念上、返答として妥当性を欠くものとまでは認められない。)

以上、類型Ⅰをまとめると、飯田には一九個、木村には一一六個、円谷には六五個の非違行為が存することになるが、遅参(飯田の二六個、木村の九〇個、円谷の八三個)については、非違行為にならないことは前述したとおりである。

類型Ⅱ

ア 点呼中の発言、抗議、暴言等

当局は、そもそも始業点呼においては職員が質問をしたり、メモをとらなければならないような事項はなんら存在しないと主張するが、点呼においては、本来の目的である当日の作業日程についての指示説明のみならず、現に当時の情勢に鑑み、職員にとって最も関心のある国鉄の置かれている一般的状況すなわち分割・民営化に関連する説明などが行われていたのであり、これに関連する質問がないわけではなく、また、必要最小限度の質問すら許されないとすることはできないというべきである。すなわち、昭和五七年一二月からは、現場協議制度も機能しなくなり、それ以前に行われていた職場交渉も行われなかったのであり、原告ら現場職員にとっては、点呼時の伝達が唯一の公的情報源であったといってよいであろう。当局は、質問があれば個人面談の形でくるようにと伝え、質疑・情報等の提供を途絶していたものではないと主張するけれども、個人面談といわれるものの実情は前記のとおりであったうえ、原告らを含む大多数の職員にとって、分割・民営化の推移は最早「個人」的な問題のみならず公的な問題になっていたと考えられる。すなわち、個人面談というレベルで解決する域を超えていたものと考えられる。

抗議と称するものも右と同様に考えることができ、相当な手段・方法であれば許容される場合があろう。ただ、抗議という形態は、当局のある具体的な言動に対してなされるものであって、その対象となる具体的言動を検討する必要がある。

分割・民営化を前にしていたずらに雇用不安をあおり、そのためには組合(特に国労)からの脱退をほのめかすように受け取られる言辞に触発され、これに対する抗議発言は状況によっては許されないわけではない。

しかし、いずれにしてもその限界は微妙であるが、動機がどうあれ抽象的価値判断を含んだ相手方人格の誹謗・中傷・罵言の類のものは到底許されないものであるといわなければならない。

以上の観点から原告らの類型Ⅱの各行為を検討する。

原告飯田

(5) 他人の点呼に介入し、前記認定の発言をなしたことは、暴言との評価を受けてもやむを得ない。職務執行の妨害(点呼妨害)と評価されるべきものである。

(6)〈1〉 上司からの担務変更の通告につき「俺がハンプ仕業にゆく理由はなんだ。」との発言は、質問であると同時に抗議の形態をとるもので、職場規律を乱すリーダーと目され、これを排斥するため担務変更をされたと感じ取ったという点で、心情的には理解できないわけではないが、点呼という公的な場で、個人的な問題を発言をしたという面でとらえれば、点呼防害である。

(8) 点呼状況を写真にとろうとする当局側の態度に対し、抗議しようとする心情は理解できないわけではないが、その言動は暴言としかいいようがない。

(9) 発言内容が明確ではなく、非違行為とすることはできない。

(10) 非休の者が始業点呼に同席していることの当否はともかく、前段の発言内容に至っては悪質な暴言と評せざるを得ない。

後段の発言は、発言のみの評価としては、非休にもかかわらず在室している原告に対し、区長がこれを退室せしめようとしてこれを叱責し、体当たりともとれる有形力を加えようとした言動に抵抗してのものと理解しえ、懲戒処分の対象となるものではない。

(14) 非休の者が始業点呼に同席していた前例もあったことであるので、このような抗議の発言になったものと解せられる。発言そのものとしては、懲戒処分の対象となるほどのものではない。

(29)〈1〉 区長が国鉄改革の現状等を伝達した際、同人に対し、同人が国鉄を守るために何をやってきたかを問うたところで意味がないことであって、点呼時において許される質問等の範囲を超えている。点呼妨害のための発言と解されてもやむを得ない。

(30) 前段、中段の発言内容は穏当を欠くものの抗議として許容できる範囲であるといえようが、後段の黒沢課長補佐に対する発言は、上司に対する発言としては許容しがたいもので、暴言としかいいようがない。

(31) 休日の指定については、解釈、運用上問題があったところであり、原告らが釈然としたものを持ち合わせていなかったことは事実である。穏当を欠く部分も認められるが、質問、抗議として許容されるであろう。

(33) 点呼の変更に対する抗議であって、穏当を欠く面が認められるものの、その経緯に照らし許容される範囲にある。

(35)〈1〉 原告の発言は、不謹慎且つ揚足取りのものであって、暴言としか評しようがない。

(36) 改革後の再就職という最も深刻な問題についての伝達の中での発言であり、穏当を欠くが、不安な心情の吐露として評価すべきであり、非違行為とまでは解することはできない。

(40)〈1〉 当時最も関心のあった余剰人員対策についての話がなされていたにせよ、原告の発言は暴言という外ない。

(41)〈1〉 寒冷の中での点呼には同情すべき点があるが、点呼時の発言としては穏当を欠くものといわなければならず、非違行為となる。

(43) 原告の検修助役、首席助役に対する各発言は、動機において了解できないではないが、悪質な暴言としか言いようがない。

(44)〈1〉 区長の発言に問題を感じて抗議の意味で発言したもので、原告の発言自体は非違行為とまでは言えない。

(45) 落書除去が検修作業には含まれないとの前提で作業指示に抗議したもので、穏当を欠くが非違行為とまでは言えない。

(47) 原告の発言は、先行きの雇用不安に対する心境の吐露ともとれないことはないので、暴言とまでは解することはできない。

(49)〈1〉 点呼に関する正当な指示に抗議し、区長に不正常な点呼の責任を転嫁するもので、正当な抗議の域を逸脱し、非違行為と評価される。

(50) 高橋(敏)の年休問題について、抗議の発言をしたもので、その経緯に照らし許容される範囲にある。

(51) 当局の高橋の年休の取り扱いに対する抗議に端を発しているとはいえ、当日の原告の発言は暴言と評すべきである。

(52) 原告の発言中には、部分的には正当な抗議に属するものもあるが、全体的にみると内容・態様において度が過ぎており、その結果二度にわたり点呼を妨害する結果となっているものであって、懲戒処分の対象となるべきものである。

(53)〈1〉 穏当を欠くきらいはあるが、一応正当な抗議の範囲内にあるものと評価しうる。

原告木村

(1) 写真撮影を妨害することが非違行為に該当することは後記のとおりであるが右行為に関連する発言であるので、それとあいまって非違行為と評価すべきものである。

(2) 抗議発言の内容が定かとはいえないので非違行為とすることはできない。

(3) 原告の区長の暴力行為に対する抗議発言は、原告飯田の項で述べたとおり問題とならないが、後段の首席助役に対する発言は暴言と評すべきである。

(4) 原告の発言内容が明確ではないので非違行為とすることはできない。

(5) 点呼方法の変更にたいする抗議であって、穏当を欠くが非違行為と評価すべき発言とはいえない。

(10) 原告の発言内容は、暴言と評価されてもやむを得ない。

(60)〈1〉 原告の区長に対する発言は悪質な暴言である。

(61)〈1〉 原告らの発言は、正当な抗議の域を逸脱し、非違行為と評価されるべきである。

(75)〈1〉 抗議発言の内容が定かとはいえないので非違行為とすることはできない。

(76) 原告の当直助役に対する発言は暴言というべきである。

(82) 区長の発言が合理化を茶化したものととらえ、それに憤りを感じたという点については同情できないではないが、発言内容は不穏当であって、暴言というべきである。

(96) 笑い声をたてることは不謹慎であるが、非違行為とまでは評しえない。

(97)〈1〉 抗議の目的・内容には了解できるものを含むとはいえ、発言態様は暴言と評すべきものである。

(110) 原告の発言は、検修作業の量を従前の合意を破る形で変更しようとしたことに対する抗議であり、態様から見て許容される範囲にある。

(113) 甚だ穏当を欠くものの暴言とまで評価すべきではない。

(114)〈1〉 右と同様である。

(122) 右と同様である。

(126)〈1〉 原告の具体的発言内容は定かでないが、多分に冗談の色合いをもつ揚足取りの発言というべきであり、非違行為とまで解すべきものではないであろう。

(127) 抗議の範囲内に属し、穏当を欠くが非違行為とまですべきものではない。

(129) 抗議内容の変更に対する抗議の一環であって、穏当を欠くが非違行為たる発言とまですべきものではない。

(133)〈1〉 原告の発言は穏当を欠くが非違行為たる発言とまですべきものではない。

(149) 原告の運転車両部長に対する発言は暴言と評価すべきである。

原告円谷

(3) 「区長のファシスト」なる発言は暴言である。

(4)〈1〉 自己の担務変更に対し抗議する趣旨からでた発言であるが、点呼の際の発言としては相当性を欠き、非違行為というべきである。

(6) 抗議としての許容範囲内の発言と解する。

(7) 「暴力区長」なる発言は、区長の暴力行為を疑わしめる行為に対する抗議発言として穏当を欠くものの非違行為とまではいえないとしても、総務助役に対す発言は暴言と評すべきである。

(15) 原告の発言は暴言である。

(28) 原告の発言中「赤字の責任をとってやめろ。」との部分は暴言というべきである。

(29) 原告の抗議しようとする心情には理解できなくないではないが、発言態様としては暴言に属する。

(30) 原告の発言は暴言という外ない。

(36) 原告の発言は穏当を欠くが、抗議・質問の範囲内に入るものと解される。

(38) 原告のとばしたとされる野次の内容が定かでなく、評価の対象が不明であり、非違行為とは言えない。

(40) 原告の発言は、点呼を騒然とさせたきっかけとなった点では問題であるが、発言自体は非違行為となるほどのものではない。

(41) 前段の発言は、穏当を欠くものの抗議の範囲内と認められるが、後段の発言は非違行為の対象となるものと解すべきである。

(53) 原告の発言は暴言である。

(54) 点呼方法の変更に対する抗議の趣旨からでた発言であり、内容的にも非違行為とまではいえない。

(56) 極めて穏当を欠くが、懲戒処分の対象となるほどの非違行為とまではいえない。

(58) 右と同様である。

(59) 右と同様である。

(61) 発言態様に穏当を欠く面がみられるが、抗議の範囲内に入るものと解すべきである。

(64) 右と同様である。

(65) 暴言と評すべきである。

(66) 右(61)と同様である。

(68) 発言は全体として暴言と解される。

(68) 非違行為の対象となる発言とまではいえない。

(70) 保護具着用に反対する趣旨の発言と評さざるを得ず、非違行為の対象たる発言である。

(71) 右(69)と同様である。

(72) 暴言と評すべきである。

(74) 悪質な暴言と評せられる。

(75) 暴言と評すべきである。

(76) 右と同様である。

(77) 発言は全体として暴言と解される。

(79) 許容される抗議の範囲内に入ると解される。

(80) 点呼内容の変更についての許容される抗議の範囲内に入ると解すべきである。

(81) 暴言と評すべきである。

(82) 右と同様である。

(83) 暴言とまで評すべきではない。

(84) 不謹慎な発言と評すべきではあるが、懲戒処分の対象となる非違行為とまで解すべきではない。

(85) 右と同様である(なお、余剰人員対策についての伝達中の発言は、当時の情勢を反映し雇用不安にかられての心情から出たものであって、一概に非難すべきものとはいえない。)

(86)〈1〉 懲戒処分の対象となる程の発言とまでは解せない。

(89) いずれも悪質な暴言と解すべきである。

(90) 右と同様である。

(91) 懲戒処分の対象となる程の発言とまでは解せない。

(92) 穏当を欠くきらいはあるが、正当な抗議の範囲内にあると解される。

(93) 懲戒処分の対象となる程の発言とまでは解せない。

(95) いずれも悪質な暴言と解すべきである。

(96) 原告の発言は穏当を欠くが、点呼方法の変更に対する抗議と解することができ懲戒処分の対象となる程の発言とまでは解せない。

(97) 右と同様である。

(101)〈1〉 右と同様である。

(102) 懲戒処分の対象となる程の発言とまでは解せない。

(103) 穏当を欠くものの右同様である。

(104) 質問、抗議として許される範囲を越えており、非違行為である。

(105)、(106) 右(103)と同様である。

以上を総合整理すると、始業点呼時の口頭発言による点呼妨害として非違行為となるものは、

原告飯田については、(5)、(6)〈1〉、(8)、(10)、(29)〈1〉、(30)、(35)〈1〉、(40)、(41)〈1〉、(43)、(49)〈1〉、(51)、(52)の一三個(主張されている二三個のうち)、

原告木村については、(1)、(3)、(10)、(60)〈1〉、(61)、(76)、(82)、(99)〈1〉、(149)の九個(主張されている二二個のうち)、

原告については円谷については、(3)、(41)、(53)、(65)、(68)、(70)、(72)、(74)ないし(77)、(81)、(82)、(89)、(91)、(95)、(104)の二二個(主張されている五二個のうち)である。

イ 点呼監視

従来、点呼の場所にその日の非勤務者が在室していても、特段これを問題とすることもなく点呼が執行されてきた。確かに非勤務者が在室することは不自然である場合もあるであろうが、従来の扱いは右のとおりであった。ところで、被告は原告飯田の在室の目的を「点呼状況を監視する」ことにあったと主張するが、そのような状況は必ずしも明確とはいえないばかりか、仮にそのような意図があったとしても入室または在室自体は従来の経緯に照らして非違行為とすべきものとは考えられない。点呼の場所は、検修室であったもので、貸与された自己の机がおいてあった場所でもある。

このような観点からするならば、原告飯田が非勤務日に在室のうえ、積極的に点呼を妨害する行為に及んだような事実があるのであればともかくとして、単に在室していることをとらえて、点呼妨害とか点呼執行に支障が生ずるとして、その退室を求めることは行き過ぎの感をまぬがれず、存在を無視して点呼を執行すれば足ることであると考えられる。

原告飯田の(10)、(12)、(13)、(16)、(26)中の非番日の点呼監視目的入室とされる行為は、それ自体としては非違行為にはあたらないと解すべきであり、同原告の類型Ⅱに分類される非違行為は、結局主張されている二七個のうち一三個である。

類型Ⅲ

ア 体操への不参加

国鉄体操の運用実態は、前記2(五)のとおりである。職務内容の一環とされる体操に参加しなかったことは、一見職務命令違反となり非違行為を構成するようにみられないでもない。

しかしながら、体操への不参加はただそれだけを問題とするのではなく、前述の点呼と体操の順序の変更という過程で問題が生じたものであることに留意しなければならない。すなわち、原告らは右の順序変更に伴い、従来更衣時間として利用することを黙認されていた体操の時間が奪われた結果となったこと、また、体操自体長年にわたって自主的参加の形態がとられてきたものが、参加強制の形態に変えられたことに対する抵抗ないし抗議の意思表示といったことから、戦術的に不参加といった行動にでたことが認められる。当局において、従来、何故体操が所期の目的を果たしてこなかったか、という運用面における深甚な反省を行うことなく(従来、国鉄本社や仙鉄局においても体操をすることは規定上は同様であったにかかわらず、ほとんど実行されていなかったのが実情であった。)、そのうえ、今回の点呼と体操の時間の変更措置に伴う更衣時間の消滅に対する手当てを懈怠したままで、区においてはこれを強制参加であるとし(なお、第八次職場規律総点検においても体操の遵守は点検事項とされてはいなかったことに留意する必要がある。)、ひとり体操に参加しない、という不作為現象のみをとりあげて、これを職務命令に違反する行為であるとして懲戒の対象として取り上げることは、筋違いというべきものである。原告らの心情には了とするものがある。

してみれば、すくなくとも体操に参加しなかった職員について「否認」扱いをするという措置がとられるようになった昭和六〇年一二月二〇日以前の体操への不参加(原告らについて主張されているのは、すべてこの期間中のものであることは明らかである。)は、これをもって懲戒処分の対象となる非違行為と目することは困難というべきである。

これを各原告について検討すると

原告飯田については、(28)、(29)〈1〉、(33)ないし(35)〈1〉、(42)、(43)、(48)、(50)、(51)の合計一〇個

原告木村については、(10)ないし(44)〈1〉、(45)ないし(47)〈1〉、(48)ないし(53)〈1〉、(54)〈1〉、(55)〈1〉、(56)ないし(60)〈1〉、(62)ないし(70)〈1〉、(71)ないし(75)〈1〉、(75)〈1〉、(76)、(77)〈1〉、(78)ないし(81)〈1〉、(82)ないし(84)〈1〉、(85)、(86)〈1〉、(87)、(88)〈1〉、(89)ないし(97)〈1〉、(98)、(99)〈1〉、(100)〈1〉、(101)ないし(105)〈1〉、(106)〈1〉、(107)〈1〉、(108)、(109)〈1〉、(110)ないし(114)〈1〉、(115)〈1〉、(116)、(117)〈1〉、(118)ないし(120)〈1〉、(121)〈1〉、(122)ないし(126)〈1〉、(127)ないし(130)〈1〉、(131)〈1〉、(132)〈1〉、(133)〈1〉、(134)〈1〉、(135)ないし(141)〈1〉、(142)ないし(144)〈1〉、(145)ないし(150)〈1〉、の合計一四〇個

原告円谷のついては、(14)ないし(19)、(21)ないし(27)、(29)、(30)、(32)ないし(41)、(43)ないし(68)、(70)ないし(86)、(87)ないし(101)〈1〉、(102)ないし(106)の合計八八個

の各体操不参加は、いずれも懲戒処分の対象となる非違行為を構成するものとは言えない。

イ 体操の時間帯における原告らの抗議、暴言

原告飯田

(29)〈1〉 区長に対する個人攻撃であり、内容的にも暴言と評価すべきである。

(35)〈1〉 原告の発言は暴言である。

(42) 鈴木(康)がハンプに担務変更になったこと、区長の個人面談での硬直した態度への公憤から出た発言であり、その心情はわからない訳ではないが、内容的にも許される範囲を逸脱しており、非違行為というべきである。

(43) 原告の首席助役に対する発言は暴言である。

(48) 右と同様である。

(50) 高橋の年休問題での抗議の一環と考えられるが、「新田は再就職のことを考えろ。」との発言は非違行為と評されてもやむを得ない。

(51) 原告の発言は暴言である。

原告木村

(66) 原告の首席助役に対する発言は暴言というべきである。

(97)〈1〉 原告の検修員室での発言は非違行為とまではいえない。

(110) 右と同様である。

(111) 原告の発言は、点呼方法の変更に対する抗議であって、穏当を欠く嫌いがあるが、行動面でも区長の身に危険を生じさせるという程のものではなく、許容される範囲内にある。

(112) 原告の発言は非違行為というべきである。

(114)〈2〉 右と同様である。

原告円谷

(42) 原告の「区長のおめさんには協力しない。」等の発言は暴言である。

(48) 原告の発言は点呼方法の変更に対する抗議であって、非違行為とまではいえない。

(50) 右と同様である。

(51) 原告の「区長、助役は人間の屑だ。」との発言は悪質な暴言である。

(53) 原告の「おめらみたいな小物でねんだ。」との発言は暴言である。

(55) 原告の発言は、区長が苦笑したことに呼応したものではあるが、その前の佐藤(浩)の区長に対する「あと何か月でやめんだ。」との発言を直接的に受けたもので、暴言と評価されてもやむを得ない。

(56) 原告の発言は、穏当を欠くが懲戒処分の対象となるまでの非違行為とはいえない。

(57) 原告の発言は暴言である。

(59) 原告の発言は穏当を欠くが抗議として許される範囲にある。

(74) 原告の発言は暴言である。

(87) 原告の発言は、鈴木(康)の担務指定について抗議したもので、許容される範囲にある。

(88) 原告の区長に対する発言は暴言である。

(89) 原告の「区長の悪党。」との発言は暴言である。

(90) 原告の発言は、勤務時間中にテレビを視聴していたことを正当化しようとするもので、相当性を欠き非違行為と評されてもやむを得ない。

(92) 原告の発言は、区長があたかも怠慢であるかの如く非難するもので、暴言の類と考えられる。

(95) 原告の「犬畜生と同じだ。」等の発言は悪質な暴言である。

(96) 原告の発言は穏当を欠くが、原告の発言自体は非違行為と評されるまでのものではない。

(100) 原告の発言は年休問題についての抗議であって、許容される範囲にある。

以上を整理すると、

原告飯田については、主張されているすべて((29)〈1〉、(35)〈1〉、(42)、(43)、(48)、(50)、(51)の八個)が

原告木村については、(66)、(112)、(114)〈2〉の三個が(主張されているのは六個)、

原告円谷については、(43)、(51)、(53)、(55)、(56)、(57)、(74)、(88)、(89)、(91)、(92)、(95)の一一個が(主張されているのは一八個)が

非違行為となる。

これに前述した体操をしないとの点を加えて、類型Ⅲ全体としては、

原告飯田につき主張されている一八個のうち八個が、

原告木村につき主張されている一四六個のうち三個が、

原告円谷につき主張されている一〇六個のうち一一個が、

懲戒処分の対象たる非違行為と評価できることになる。

類型Ⅳ

早めし

早昼飯をするに至った経緯は、前記2(四)のとおりである。緊急時に備え、上司から特別の許可でもあればともかく、所定の時刻に至るまで昼食をとることが許されないことはいうまでもない。勤務時間を自己に都合の良い解釈をして、ルーズに運用することが労働者として許されないことは当然であろう。特に全体の奉仕者として、また身分関係が民間企業に比べて安定している公務員及びこれに準ずる公共企業体に勤務する者は、国民の非難を受けないような配慮が求められるところである。

確かに会社・官公署内或いはその食堂等において一般的な昼体みの開始時刻と思われる正午前に昼食をとっている者の姿を見受けることがある。しかし、その者がどのような事情によって早めに食事をとっているかは定かではない。国鉄においても、従前仕事が早く終わったので、早昼飯をとる者がいたものの、せいぜい五分から一〇分前位にとり始めるよう自制しており、特段これが問題とされたことは無かったようである。また、体操同様、職場規律の総点検項目としてとりあげられていなかったことも事実である。しかし、国鉄の昼食時間が他と比較して特別短いものとは思えず、相当な理由がないのに勤務時間内に昼食を取り始めるのであれば、職務懈怠として懲戒処分の対象となることはやむを得ないところであろう。

ところで、原告らについて早昼飯が問題とされているのは、

原告飯田については、(21)、(27)〈2〉、(29)〈2〉、の三回

原告木村については、(53)〈2〉、(55)〈2〉、(60)〈2〉、(70)〈2〉、(81)〈2〉、(84)〈2〉、(86)〈2〉、(88)〈2〉、(97)〈2〉、(104)〈2〉、(105)〈3〉、(106)〈2〉、(107)〈2〉、(117)〈2〉、(120)〈2〉、(121)〈2〉、(130)〈3〉、(132)〈2〉、の一八回

原告円谷については、〇回

である。

そのうち、上司の許可あるいは相当の理由が認められるものは一回もないばかりか、なかには上司から注意を受けて中止した場合もあるが、度重なる注意にもかかわらず継続したものもあり、又その際に暴言を吐いたものもある。

いずれも所定の時刻の五分から一〇分前に昼食を取り始めたものである。

国鉄の職場規律の乱れが指摘を受け、これの是正が言われている最中に、敢えて職場規律を無視するが如き行為を行うとも受け取られかねないかくの如き行為は、自己の置かれている立場を理解しないとも評価されようが、従来の経緯(特に当局の対応等)を考慮するならば、その服務規律違反の程度を考えるうえでは慎重であらねばならない。

類型Ⅴ

ア 時間内組合活動について

国鉄職員が、勤務時間内に組合活動を行うことが許されるのは、特定の委員会委員等の資格に基づき、特定の事項の処理手続に従事する場合に限られている(「職員の組合活動に関する協約」一条以下参照)。

また、職員は、被服類には、別に定めてあるもののほか、腕章、キ章、服飾等を着用してはならないとされ(「制服及び被服類取扱基準規定」一六条参照)、原告らの着用したワッペン、国労の夏用バッジの類がこの規定に抵触することは明らかである。

原告らは、原告らの職場は来客もなく、対外的には全く見えない職場であること、現実に職務に全く支障を与えないこと、組合役員として抗議を申入れをするべき立場の者であること等を力説するが、そうであるからといって、これが適法となるものではない。

この類型で非違行為として主張されているものを整理すると、

原告飯田については(16)、(19)、(23)、(25)〈1〉、(33)、(34)、(38)〈1〉、(以上組合活動)

なお、(18)、(20)にワッペンの自己着用の件が非違行為として挙げられているが、既に処分済につき問題としないことは、前述したとおりである。

原告木村については、(47)〈1〉、(115)〈1〉、(129)、(137)(以上組合活動)(44)〈2〉(以上組合バッジ)

なお、(45)、(47)〈1〉、(47)〈2〉、(48)、(49)、(54)〈1〉、(54)〈2〉、(55)〈1〉、(56)ないし(59)、(60)〈1〉、(61)、(62)にワッペンの自己着用の件が非違行為として挙げられているが、既に処分済みにつき問題としないことは、原告飯田と同様である。

原告円谷については、(11)(組合活動)なお、(5)、(7)、(12)、(13)にワッペンの自己着用の件が非違行為として挙げられているが、既に処分済みにつき問題としないことは、原告飯田と同様である。

問題となる点を検討すると、

原告飯田についての

(16) 組合の主張を記載した紙を貼付したジュースの空き缶を整理しなかったことが問題とされているに過ぎない。時間内の組合活動とまでは認められない。

(19) 勤務時間内の組合活動を是認している点が問題である。組合の書記長であるからといって、当然に許されるものではなく、非違行為と評価すべきである。

(23) 勤務時間内に、国労の「国鉄分割民営化反対五千万人署名運動」の原稿書きをすることは、明らかに組合活動に該当する。

(25)〈1〉 勤務時間内に、国労分会ニュース(組合情報)を配布したり、管理者の注意を無視してこれを読むことは組合活動に該当する。

(33)、(34)、(38)〈1〉 勤務時間内、組合情報に使う目的で点呼摘発メモ或いは「職制の行動メモ」を作成することは組合活動に該当する。

原告木村についての

(47)〈1〉 時間内組合活動を制止されても、これに反抗し、その場の状況を録音機を使って録音する行為は、組合活動に該当する。

(115)〈1〉 勤務時間内に、組合情報を読むことは組合活動に該当すると解すべきである。

(129)、(137) いずれも組合情報のためメモをとる行為と認められ、組合活動に該当する。

原告円谷についての

(11) 勤務時間内に、執務机のうえで国労関係の新聞を切り抜き、スクラップ帳に整理することは組合活動に該当する。

以上を整理すると、この類型で本件懲戒処分の対象となる非違行為と評価されるものは、

原告飯田につき(19)、(23)、(25)〈1〉、(33)、(34)、(38)の六個、

原告木村につき(44)〈2〉、(47)〈1〉、(115)〈1〉、(129)、(137)の五個、

原告円谷につき(11)の一個である。

イ 保護具の不着用

原告飯田について(1)、(17)、(46)〈2〉で問題とされている。

(1)、(17)は自ら安全帽を、(46)〈2〉は安全帽と安全靴を着用していなかったことが問題とされている。

原告は、保護具については、労働安全法に基づき、危険箇所での作業、例えば、高所作業ではヘルメットを、貨車等の下に潜る或いは重いものを持つような場合には安全靴をそれぞれ着用しており、本件で問題となるのは、いずれもそのような場合にあたらないので着用しなかったと主張する。

ところで、保護具の問題については、前記2(六)でも触れたが、保護具は、業務上の危害と傷病を防止し、作業能率の向上をはかることを目的として、職場の業務に応じて貸与又は共用されているものであるところ、貸与又は共用された保護具は、必ず使用しなければならないのであって(「保護具貸与及び共用基準規定」四条参照)職員が自己の判断で業務の内容に応じて保護具を着用したり、しなかったりする等の裁量を入れる余地は無いものといわなければならない。事は人の身体の安全に関するものであって、「職場規律の確立」以前の問題といえよう(原告らの「保護具を着用していれば全ての事故が防げるのか。」などという管理者に対する質問或いは抗議の発言にいたっては、いいがかりとしかいいようがない。)。原告らの見解は独断というべきであって、保護具の不着用及びこれに伴う抗議発言は、服務規律に反するものであって、懲戒処分の対象となる非違行為に該当するといわなければならない。

原告木村については、(9)、(44)〈2〉で問題とされている。

(9)はサンダル履きで点呼に出席したもの、(44)〈2〉は安全帽を着用しなかったものであり、これが懲戒処分の対象となる非違行為と評すべきであることは、原告飯田で述べたとおりである。

原告円谷については、(1)で問題とされている。

同原告は、安全帽の着用について、命令、服従の関係にたつことに抵抗したまでで、自ら必要と判断した仕事に従事するときは着用していた、と主張するが、独自の判断で着用か否かを決すべき問題ではないことは、原告飯田の項で述べたとおりである。

以上のとおりであって、原告らの各行為(原告飯田につき三個、同木村につき二個、同円谷につき一個)は、懲戒処分の対象となる非違行為を構成すると解さざるを得ない。

なお、従来職場の中で安全帽等を着用しないで作業に従事していても特に問題とされなかった、という点について付言するに、確かに「職場規律の確立」が叫ばれだしたころからこの点が強調されるに至っているので、当局の命令・服従関係確立強化の一環として捉える考え方が存在し、そうであるならば、当局は怠慢のそしりを免れないであろう。しかし、保護具着用の問題は、前述のとおり、こと人命に係わる問題であり、何時・どのような方法であれ、これが重要性の強調・励行を図ることは当局の責務であると同時に、これの履行は職員の基本的義務であると考えるべきであり、かくのごときことがらについても、従前の慣行に固執し、その励行を拒み、管理者に対し、暴言をもってむくいるというのは、自己の立場をわきまえないものと言わざるを得ないもので、従来さほど問題とされてこなかったという点は、服務規律違反の程度を考える上で考慮すべき事情となりうるにすぎない。

ウ 脱線復旧訓練に関するもの

この点が問題とされているのは、原告飯田の(25)〈2〉と原告木村の15〈2〉である。

脱線復旧訓練は、不測の列車事故に備え、職員の技術の向上を図る目的で貨車を人為的に脱線させ、これをジャッキ・枕木等を使って横送りに移動させてレール上に戻す訓練作業であり、重量の大きい貨車を二個のジャッキと反対側の車輪で不安定のまま支えているのであるから、それ自体危険性のない作業であるとは到底認めがたいところである。

ただ、現実の脱線を対象とするものではなく、人為的な実験作業であるから、安全性には充分配慮したうえで行われていることも事実である。

当局においては、この訓練を検修部門が担当する作業の中でも、列車の正常運行を確保するための重要なものとして捉え、おおむね年一回実施し、当日は他の班に属する者にも見学・参加を許していたものである。

従って、このような危険性を伴う訓練作業に従事するには、安全帽、安全靴等の保護具を完全に着用し、参加者全員が指揮者の指示に従い、一致協力して対処することが絶対に必要である。

当日は、訓練開始前に保護具着用の指示があったこと、佐藤(浩)が独自の判断で安全帽をかぶらないでこの訓練作業につこうとしたこと、これに対し区長が先ず賃金カットすることを通告したこと、同人が、なおも訓練作業をしようとして貨車の下に潜りこもうとしたことから区長は同人の肩に手をかけて制止しようとしたこと、これに対し橋本が「区長、暴力をふるった。」と発言したこと、等の経過から騒ぎとなったものである。

原告らは、この訓練が混乱した原因は、当局の安全帽への差別的取扱いや、区長の暴力行為にあると主張するが、区長の行為を暴力行為と評価するかどうかはともかく、その前に行われた佐藤(浩)の保護具着用義務不履行の観点がまず非難さるべきであり(保護具着用の重要性は前述のとおりである)、また、この騒ぎに加わって他の職員に対して保護具の不着用を煽るような言動をとった原告飯田の行為もまた同等の非難に値するというべきである。

もっとも、午前一〇時三五分ころに至って、原告飯田が騒ぎに加わっていた国労所属の組合員に「作業につくべ。」と声をかけ、同四〇分ころには平静を取り戻したこと、脱線復旧訓練自体は滞ったり中断したりすることなく整然と執り行われたこと、区長の態度にも威圧的で暴力行為と評されかねない面がないではなかったこと等の処遇選択に重要な要素も存するが、運転事故、傷害事故の各防止、技術向上と職場内教育を実践する場の周辺を混乱に陥れた原告飯田の責任は否定しえず、非違行為と評価すべきである。

なお、原告木村は、当日、区長を取り囲んで抗議をしたとされているが、原告木村本人尋問(第二回)の結果によると、同人は騒ぎの集団の近くにおり、区長の「賃金カットをする。」との発言を聞き、区長や鵜沢助役に対し、何度かそれをしないでくれ、と頼んだというのであって、同僚の経済的制裁に対する嘆願の情にでた行為と認められ、非違行為とまでは評価すべきではない。

エ 業務妨害、就業拒否(作業指示違反を含む)

これが問題とされているのは、

原告飯田については、(2)、(3)、(7)、(35)〈2〉、(38)〈2〉、ないし〈4〉、(45)、(50)

原告木村については、(1)、(4)、(7)、(75)〈2〉、(104)、(112)、(130)〈2〉、(134)〈2〉、(141)〈2〉、(144)〈2〉、(150)〈2〉

原告円谷については、(2)、(5)、(8)、(10)、(11)

である。

これを個別的に検討すると、

原告飯田

(2) ペンキ塗装作業が外部委託となっていないにかかわらず、上司の作業の指示に従わなかったことは就業拒否に該当するが、最終的には作業に就いた点も考慮すべきであろう。

(3) 結果的には交検票を使いものにならないようにしたもので、作業指示に違反したものと評価すべきである。

(7) 勤務中のものに個人的な問題で抗議の電話をかけることは、その者の業務を妨害することは明らかである。しかし、本件においては電話をかけていた時間は定かではない。柳沼供述にみられる会話の状況からすれば、せいぜい一〇分前後の所要時間であったのではないかと推測される。

(35)〈2〉 原告の発言は、動機はどうあれ、遠藤(一)の就業拒否に対する助長・支援に外ならない。

(38)〈2〉 一〇分間の就業拒否にあたることは明らかである。

(38)〈3〉 検修助役の注意に従わなかったことは明らかである。就業そのものの注意ではないにせよ、就業に関連する指示違反であることは明らかである。

(38)〈4〉 前記認定のとおり、鵜沢検修助役が原告にペンキ掃除作業を命じたのは、ペンキを故意に検修線にこぼしたものと思われたからというのであって、特にこれを原告に命ずる根拠に乏しく、正当な作業指示とは認め難い。

(45) 落書の清掃を機動班に命ずる根拠に疑問がある(もっとも、正常な職場であるならば、根拠はいかにといったことを論ずる以前に処理がなされているであろうが)のみならず、原告らが当該落書をなしたとの立証がない以上、正当な作業指示とは認め難いというべきであろう。

(50) 正当な理由もなく作業開始ベルに合わせて作業に就かないのは、就業拒否に外ならない。但し、その間は三分間であって、実質的な支障はほとんど無かったものと推認できる。

原告木村

(1) 職場における組合の活動状況について、一種の証拠保全の目的で区長から写真撮影を命じられた首席助役が、その職務を遂行せんとしている際、その首席助役の職務そのものは(その当否はともかくとして)、庶務職務としての保護を受けるべきであるから、原告の言動は職務妨害であるというべきである。

(4) 就業拒否は明らかであるが、その間は三分である。

(7) 始業時間が午前八時三〇分であるから、更衣時間を考慮しなければ、同時刻から同五〇分までの二〇分間の就業拒否ということになろう。しかし、前記のとおり更衣時間の存在を肯定すれば約一五分間の就業拒否であることとなる。

(75)〈2〉 新田供述によれば、区長が原告の掲記の言動を現認したのは、同日午後一時四三分ころであり、注意のうえ作業につかせたというのであるから、就業しなかった時間は一三分間余ということになる。

(104) 就労しなかったことは明白であって、その時間は三分間である。

(112) 体操に参加せず、その間に新聞をよんでいたのであるから、体操不参加の面で評価すべきで、就労の拒否ということで評価すべきではない。

(130)〈2〉 一〇分間の就業を拒否したことは明らかである。

(134)〈2〉 就業拒否に該当することは明らかである。但し、その間の時間については、当局が否認扱いとした午後三時四五分から同五八分迄の一三分間と考えるべきである。

(141)〈2〉、44〈2〉 原告の言動が首席助役の業務を妨害したことは明らかである。

(150)〈2〉 四〇分間にわたり就業を拒否したことは明らかである。

原告円谷

(2) 事情がどうあれ、原告に他人の業務について干渉する権限は存しない。業務妨害という以外にない。

(5)、(8)、(10) 首席助役、区長の業務を妨害したことは明らかである。

(11) 就業拒否に該当することは明らかであるが、その始期が定かでない。原告飯田の否認の始期である午前一一時二九分から起算すると、その間五分ということになる。

オ その他の抗議・暴言等

抗議・暴言の一般的評価については、前記類型Ⅱで論じたところである。

点呼時及び体操の時間帯におけるものは、既に述べたとおりであるから、ここでは、それ以外の場面における抗議・暴言を検討する。

原告飯田

(1) 公傷者を作業からはずしたことについての義憤から出たにせよ、柳沼首席助役に対し「カメ、カメ」等と呼び捨てにすることは、まさに職場における秩序を全く考慮せず、いたずらに相手に対して屈辱的、侮辱的な言辞を弄しているとしか考えられない。

(2) 「オメーラやったらいいべ。」、「おらやんないぞ。」との言辞は、暴言という外ない。当時ペンキ塗装作業が外部委託と正式に決定していたものではないにかかわらず、作業内容が自己の業務外であると勝手に判断してこれを拒否するが如き言辞を弄したとしか言い様がない。

(3) 「助役一緒にやれ。」、「高い金もらって。」との言辞も右と同様である。助役が仕事を急がせたということが、発言の正当な理由とはならないことは明らかであろう。

(4)〈1〉 「このカメ。」との言辞も右(1)と同様である。

(4)〈2〉 煙草をくわえたまま「こっちにこえ。」との言辞も右(2)と同様である。

(6)〈2〉 区長に対し「区長ドロボーしたべ、机の上の金とって行ったべ、区長ドロボー。」等と繰り返し発言したことは、小銭の入ったジュースの空き缶を片付けられたことに対する抗議の意味をこめた、とのことであるが、もともと、片付けるよう指示されていたにもかかわらず、それを放置し、それを管理者において片付けるや、右の如き言辞を弄することは、発言としては穏当を欠くもので、暴言と認められる。

(6)〈3〉 原告がハンプ仕業に担務変えになったことについて、その理由、目的などを尋ねることは、相当な方法ならば許されようが「俺はハンプに行っても郡客は変わらねえぞ。国労仙台地本にあげる。」という発言に至れば、威圧的な抗議と解さざるを得ない。

(7) 「首席のカメさんかい。大井工場の先輩ですけど俺ハンプ仕業に行くてどこでいった。首席のとこにウィスキー届けたべ。俺にも便宜をはかったらいいべ。」との電話発言は、その目的はハンプ仕業への担務変えの抗議だとしても、その発言内容は極めて穏当を欠き、暴言という外ない。

(15) 集団で区長室に侵入した点は問題であるともいえるが、点呼時刻、場所等の変更にたいする質問、抗議であるとみられ、昼の休憩時間中且つ在室時間も七分から八分のものであること、ハンプ仕業の外出簿の記載をしないで外出しているが、同じ構内の区長室内にいたものであること、区長の面会を拒むかたくなな態度にも起因していること等を総合判断するならば、懲戒処分の対象とまではいえないものと考える。

(17) 「早く管理者は出向しろ。林精機にでもいけ。」との発言は、その背景はどうあれ管理者に対する暴言である。

(18) 抗議の域を超えているもので暴言と評せざるを得ない。

(19) 「首席の大井工場のできそこね野郎。」との発言は暴言と評せられる。

(20) 「一円も働かないで何しに来た。」との発言は暴言である。

(22) 原告の発言は、区長の職員に対する話に触発された面があるにせよ、その表現・内容において極めて悪質な暴言というべきである。

(23) 発言として穏当を欠く面が多いが、全体的に見れば抗議の範疇に入ると思われる。

(24) 多分に冗談めいた面が無いではないが、暴言と評せざるを得ない。

(26) 当局側の態度にも問題はあるにせよ、原告の発言は暴言と評せざるを得ない。

(27)〈1〉 原告の発言は極めて悪質な暴言と評価せざるを得ない。

(35)〈2〉 右同様原告の発言は極めて悪質な暴言と評価せざるを得ない。

(38)〈2〉 寒さの中での作業には同情するにしても、発言としては穏当を欠き、暴言と評せざるを得ない。

(40)〈2〉 公休・非休が確定しないうちに年休の申込をするのはおかしいとの疑問を懐いたにせよ、原告の発言は極めて悪質な暴言と評価せざるを得ない。

(41)〈2〉 一二月の勤務割当における休暇の扱いについて抗議したものであり、穏当は欠くが、非違行為と評価するほどのものではない。

(44)〈2〉 原告の発言は極めて悪質な暴言と評価せざるを得ない。

(46)〈2〉 右同様である。

(49)〈2〉 右同様である。

(53)〈2〉 右同様である。

原告木村

(44)〈2〉 原告の区長に対する発言は暴言である。

(54)〈2〉 原告の首席助役に対する発言は暴言である。

(60)〈1〉 原告の区長に対する発言は、悪質な暴言である。

(75)〈2〉 ピットの清掃を外注に出すという取決めがあったかどうかは定かではないが、原告の発言は、ピットに水が入ることにより作業がしずらくなることを懸念したことから出たものであって、いささか穏当を欠くが、懲戒処分の対象とするまでのものではない。

(75)〈1〉 いかに疲れているとはいえ、勤務時間中このような動作をとりながらの発言は暴言と評すべきである。

(99)〈2〉 原告自身の発言には懲戒処分に値するものは見当たらない。

(104) 原告の抗議の言動は定かではなく、非違行為とすることはできない。

(105)〈2〉 原告の発言は抗議の域を超え暴言と評価すべきのである。当時手持ちの仕事を全部終えていたことは正当理由にならない。

(112) 原告が体操に参加せず新聞を読みながら総務助役に対してなした発言は暴言という外ない。

(114)〈1〉、〈2〉 原告の当日の発言は、いずれも極めて悪質な暴言という外ない。

(126)〈2〉 原告の発言は暴言である。

(130)〈2〉 原告の具体的発言内容は定かではない。

(131)〈2〉 原告の発言は、極めて悪質な暴言という外ない。

(134)〈2〉 右同様である。

(141)〈2〉 原告の発言は、穏当を欠くが抗議の延長であって懲戒処分の対象とする程のものではない。

(144)〈2〉 右同様である。

(150)〈2〉 右同様である。

原告円谷

(1) 原告の発言は悪質な暴言である。

(3) 右同様である。

(4)〈2〉 右同様である。

(9) 原告飯田の前記(15)の判断と同様、懲戒処分の対象とするのは困難である。

以上この類型の非違行為を整理すると、

原告飯田については、主張されている二六個のうち(15)、(23)、(41)〈2〉の三個を除く二三個が、

原告木村については、主張されている一五個のうち(44)〈2〉、(54)〈2〉、(75)〈2〉、(105)、(114)、(126)、(131)〈2〉、(134)〈2〉の八個が、

原告円谷については、主張されている四個のうち三個が

非違行為となる。

カ 集団抗議入室

原告らが集団抗議のため区長室等に入った動機・態様などはさまざまである。その動機の主なものは、当局の高圧的とみえる態度に対する抗議或いは労働条件にかかわるものに対する抗議である。

当局は前記のとおりこれらの集団抗議に対しては正面から対応しようとはせず、わずかに個人面談で対応しようとの態度に出、しかもこれが実効を挙げなかったのであるが、結局は両者の意見交換の齟齬が、かかる事態を招いたものと思われる。

このような次第であるから、原告らのかくの如き行動のうちには、ある程度はやむにやまれぬものがあったともいえる。しかし、目的・意図がそのようなものであったにせよ、入室の時刻・人数・態度等には、自ずから社会的相当性が要求されるところである。

右の相当性の判断に際しては、広い意味での労働紛争の場としての特殊性(当時の国鉄のおかれている立場、原告らの国労組合員としての立場、「区」の置かれていた状況等)を考慮しなければならないものの、その相当性を超えた場合は、職場の秩序を乱すものとして、懲戒処分の対象たるを免れないものと解される。

この観点から原告らの行為を検討すると、

原告飯田

(11) 原告は、原告円谷とともに、仙台地本の組織部長ら約二〇名の者と、昼休みに区長室に入室したものであるが、前記認定のとおり区長の暴力行為を疑わせる行為に対する抗議の中で、区長の「文句があるなら昼休みに来い。」との言辞に触発・呼応してなされたものである。室内における言動も右抗議の範囲内であり、非違行為と解することはできない。

(15) 原告の、原告円谷らとともにした入室の動機は、点呼内容の変更という実質的労働条件の変更に対する抗議であること、当局の面会を拒むかたくなな態度に強く動機づけられていること、昼の休憩時間内で且つ七分から八分間程度の在室であったこと等に徴すると、入室行為自体を非違行為と目することはできない。

(40)〈2〉 原告らが集団で区長室に赴いた動機は、公休・非休が確定しないうちに、年休の申込をするのはおかしいとの疑問からでたものであって、在室した時間は定かでないが、本論に入る前に二階検修員室に移動していることからすると、さ程の在室時間ではなかったものと推認できる。このような次第であれば、本件入室行為自体を非違行為と目するまでには至らない。

原告木村

(114)〈2〉 入室目的・態様双方の面から相当性を超えていると認められ、非違行為と解すべきである。

(131)〈2〉 前記原告飯田(40)〈2〉と同様である。

原告円谷

(8) 前記原告飯田(11)と同様である。

(9) 前記原告飯田(15)と同様である。

従って、この類型において非違行為と目することができるのは、原告木村についての(114)〈2〉だけであり、被告が主張するその余(飯田について三個、木村について一個、円谷について二個)の点は、非違行為として扱うことはできない。

キ その他の非違行為

原告木村について

(77)〈2〉 いかなる理由であれ、勤務時間中に花火遊びをすることが非違行為となることは明白である。

(84)〈3〉 終業点呼に際し、上半身裸で出席するなどということは、非常識も甚だしく、非違行為となることは明らかである。

6 懲戒事由の評価

右で検討したとおり、原告らの非違行為として主張された多数の行為のうち、最小限度非違行為として懲戒処分の対象であるとして取り上げるに足るものは、

類型Ⅰのうち小声(聞き取れないものを含む)による返事、返答拒否、場外起立

類型Ⅱのうち暴言の一部

類型Ⅳのうち早めし

類型Ⅴのうち時間内組合活動、保護具不着用、脱線復旧訓練に関するものの一部業務妨害・就業拒否の一部、集団抗議入室とされるものの一部、その他

である。

本件で多数主張されている点呼出席に際しての遅参、国鉄体操への不参加は非違行為とは評価し得ないものであると考えられる。

そこで、右非違行為と評価される各行為について、これを総合評価をすることとする。

(一) 非違行為が多数である。

すなわち、単に数量の問題として捉えても、前記の分類に従えば(分類の仕方により数は当然変わってくるが)、原告飯田については八三個(主張されている一四二個のうち)、同木村は一七四個(主張されている四三一個のうち)、同円谷は一〇八個(主張されている二九八個のうち)となる。

これら非違行為の数字を見ただけでも、単に単発的なものとして片付けることができない面がある。

この点に関し、原告らは、多数の非違行為を累積し、これを懲戒処分事由とするのが国鉄の従来の伝統であって、逆の見方をすれば懲戒をしたいがために通常は問題とされない些細な行為を非違行為として拾い上げ、その集積を待って無理やりに懲戒処分をなすのであって、非違行為の故に懲戒するのではなく、懲戒のための非違行為であるとの批判をなしている。しかし、本件における経過全体を通してみても、当局側が漫然と各非違行為の累積を待って傍観していたとか、管理者において非違行為を故意に作出したとは認めがたい。

(二) 非違行為の期間が長期にわたっている。

原告らの非違行為は、いずれも、昭和六〇年四月から同年一二月まで八カ月にわたる長期間に及び、かつ連日のように同種の行為が繰り返されているものである。きわめて執拗というべきである。その間当局側が漫然と各非違行為の累積を待って傍観していたとは認められないことは前記のとおりである。

(三) 集団性が顕著である。

原告らの非違行為は、集団の中の一人としてのものが多いが、その中にあって、原告飯田、同円谷のリーダー性は否定しえないし、原告木村についても単なる不和雷同者といったものではない。本件は、国労の戦術的闘争の一環として、その指導方針に忠実であろうとした原告らの行為が引き起こした結果として捉えられる面がない訳ではないし、原告らはその指導のもとに当局側と対決するといった面が認められるものであるところ、本件で問題とされた各非違行為の際に、右原告らの発言・挙動等が引き金となって点呼等の場面での騒ぎが拡大したと認められることが多い点に鑑みれば、その意味で右原告らの責任は大きいというべきである。

(四) 暴言の評価

前記オの各個別の非違行為の検討での結果によれば、被告が懲戒処分の基礎として主張した非違行為のうち、非違行為として取り上げられるものの多くは、管理者に対する暴言である。右暴言にはそれなりの発言の背景があるにせよ、その内容・態様は極めて粗野にして無礼としか評しようがないものが見受けられる。広い意味での労働争議の場での労働者から管理者に対する発言であるとしてこれを考慮に入れても、その内容・態様において、いわれなき侮辱を与えるものとしかいいようがないものがないではない。職場における規律や秩序を全く無視しているとしか評しようがない。国鉄における職場規律の乱れが指摘を受け、これの是正が問題となっている中で、敢えてこの様な行為を繰り返し行うことは、仮に、原告らの言わんとすることが正当な主張を含んでいたとしても、その規律無視のみが目立つものであって、厳しい批判の目にさらされているという自覚が感じられない。

(五) 当局の警告・指導に従おうとする態度が見られない。

前記のとおり、当局側が漫然と各非違行為の累積を待って傍観していたとは認められないばかりか、右非違行為が繰り返されている間、当局側においてはその表現方法に一部行き過ぎがあったにせよ、国鉄のおかれている状況、今後の見通し等について機会があれば説明し、職員としての自覚を促す措置をとっていると一応はいえるところである。ところが、原告らは、基本的に管理者は悪であるとでも考えているのではないかと思われる態度に終始し(その根本には、国鉄の分割・民営化に絶対反対との立場があったにせよ)、日々の職務執行の場面において管理者に対する人格を誹謗するが如き発言、暴言の類まで正当化できるといった印象さえ受ける非違行為を反復している。その限りでは、原告らは決して良識的な労動者とはいえない面があり、各人の非違行為につき相応の懲戒処分がなされることはやむを得ないところである。

しかし、本件懲戒処分の当否を決定するにあたって、原告らに有利に考慮すべき事情も以下のとおり認められる。

(一) 原告らの非違行為のうちほとんどのものは、国労の闘争方針に従って、闘争の一環としての行為に付随して発生したものと認められるもので、その意味では組合本部の指令に従ったが故にかくも多数且つ長期の非違行為の繰り返しとなったともいいうるものである。

(二) 本件各非違行為は、国鉄内部における労使関係の範囲内に留まるもので、国鉄本来の業務である公共輸送機関としての運送業務につき具体的に実害・危険を生ぜしめたものではない。もとより、具体的な実害・危険の発生を生ぜしめない限り非違行為とならないというものでは決してないが、懲戒処分の選択にあたっては充分に考慮しなければならないところである。

(三) 当局側の態度について総括するに、職場規律の是正が叫ばれるに至るやその任務遂行に急なあまり、その態度の中に威嚇的・侮辱的・硬直的ととらえられても止むを得ないもの(結果的には国労壊滅のためととらえられても止むを得ないもの)が、多く見られるに至ったことは事実である。区長を始めとして管理者が暴力を振るったという主張が随所に見られるところ、全面的にそのように評価できるかどうかはともかく、そのような主張がなされてもやむを得ない態度があったことは問題とはなるであろう。

(四) 職員に対し、一応の警告・掲示・指導はなしてきたものの、職員の疑義に対し、誠意をもって誠実に対処しようとする姿勢に欠けていた。特に分割・民営化への移行過程において、それでなくとも先行きの生活不安を懐いている職員に対し、点呼などに際して、神経を逆撫でするが如き訓示をすることは、極めて不適切であったというほかない。

右(三)、(四)に触発されて発生したと認められる非違行為も多数存するところであって、これも懲戒処分の種類選択にあたっては考慮に入れなければならない。

(五) 最後に、本件は国鉄全体が長年にわたって慣行として(或いは一種の馴れ合いとして)黙認してきたり、放置してきたりしてきたこと(例えば、国鉄体操の有名無実化、早めしの黙認等であるが、これらは本来是正されて当然のものであった。)を急遽取上げて問題としたところに特色がある。これらは長年にわたって積み上げられてきたものであるだけに、一種の権利であるが如き錯覚に陥っていたとしてもある程度はやむを得ないであろう。それ故にこれを是正するには相応の時間をかけて、充分な話し合いの中で実行していかなければならなかったとも考えられる。換言すれば、国鉄全体の責任において、一丸となって解決しなければならないという性質の問題だった筈である。しかるに、これを性急に労働者個々の姿勢の問題としての面のみを取上げ、これを論難したところに、歪みや軋轢が生じたものといえる(もっとも、本件非違行為は、右の性質のものばかりではなく、事由の如何を問わず、職員として遵守しなければならない基本的服務関係違反も多数含まれていることにも留意する必要がある。)。

7 原告らの懲戒処分歴

原告らが被告主張のとおりの懲戒処分を受けたことについては、当事者間に争いがない。

これによれば、本件懲戒処分を除いて、

原告飯田は、訓告五回、厳重注意五回、戒告四回、減給一回、停職二回に、

原告木村は、訓告一回、厳重注意四回、戒告一回、停職一回に、

原告円谷は、訓告五回、戒告五回、減給二回、停職一回に

それぞれ処せられていることが認められる。

原告らが右の処分を受けるにいたった理由についてな様々で、原告らからすればそれぞれ主張があるであろうが、単に処分をうけた回数からみれば、決して少ないといえないものである。

右原告らの懲戒処分の中でも注目しなければならないのは、原告らは、ほぼ時期を同じくして、郡山客貨車区において管理者に対し再三にわたる業務妨害により職場規律を乱した、として、同じころ停職という懲戒処分を受けていることである(原告飯田については、昭和五七年八月から九月にかけての事由により同五九年八月四日停職一月間、原告木村については、昭和五七年八月から同五八年二月にかけての事由により同五九年八月一日停職一月間、原告円谷については、昭和五七年八月から同五八年六月にかけての事由により同五九年八月一日停職三月間)。

これらの処分は、その内容において本件非違行為の一部と類似していること、いずれも停職一月ないし三月という重大な処分であること(なお、停職処分は、免職処分に次ぐ重い処分である―職員管理規定四二条一項。)、特に処分を受けた昭和五九年八月から起算すると、僅か八ケ月程した時期からの非違行為が本件では問題とされていること、時あたかも国鉄の分割・民営化に向けて国民の関心が強まり始める時期にあたっていること等が共通した特徴であるといえる。

原告らには、これらの前処分の重みが全く理解されていないといって過言ではない。むしろかかる処分を受けたことを意に介さず、敢えて本件非違行為の挙に出たと解さざるを得ない。

8 他の被処分者との比較

原告らは、本件処分が懲戒権の濫用であると主張するなかで、仙台地本管内及び分会内部の他の被処分者(取下前原告ら)と比較して、同様の職場闘争者のなかで原告らのみが懲戒解雇という重い処分を受けている旨主張する。

先ず、原告ら主張の仙台地方裁判所昭和六二年(ヨ)第三〇号配転効力停止仮処分事件の債権者らとの比較であるが、原告らの提出した(証拠略)には、右事件の債権者らの「勤務実績の主な具体例」のなかで、本件と同様あるいは類似の非違行為が右事件の債権者らによって行われた事実が指摘され、また、最近の処分歴として、それらの非違行為が行われた期間における懲戒処分の種類及び事由が記載されている。

しかし、右の証拠では、右事件の債権者らのなした非違行為の種類と数、期間、職場の状況等が不明確であって、原告らのなした非違行為と受けた処分の軽重を比較するに充分なものとは言えない。

次に、原告らは、同時期に停職処分を受けた、取下前原告である佐藤(正)、高橋(敏)、上遠野、田谷との比較において、原告らの本件処分が重きに過ぎる旨主張する。

原告らと同時期に同様の非違行為を理由として、佐藤(正)、高橋(敏)、上遠野に対し停職一二か月の、田谷に対し停職一〇か月の各懲戒処分がなされたことは当事者間に争いがない。

また、前記ⅠないしⅤの類型による分類によって、被告が非違行為として主張するものを原告ら及び右四名について分類すると、次のとおりとなる(被告主張の事実であり、事実の存否及び非違行為と認められるか否かについての評価はしない状態による。)。

〈省略〉

右四名の最近の処分歴は次のとおりである。

佐藤

昭和五七年三月三一日

戒告

昭和五八年三月三〇日

減給1/10 三か月

昭和五九年八月一日

停職一か月

高橋

昭和五九年八月一日

訓告

昭和六〇年五月一六日

厳重注意

昭和六〇年九月一三日

訓告

昭和六〇年一〇月五日

訓告

上遠野

昭和五七年一二月一六日

厳重注意

昭和五八年三月三〇日

減給1/10 1か月

昭和五九年八月一日

減給1/10 3か月

昭和六〇年五月一六日

厳重注意

昭和六〇年九月一三日

訓告

昭和六〇年一〇月五日

訓告

田谷

昭和五七年三月三一日

戒告

昭和五八年三月三〇日

減給1/10 1か月

昭和五九年八月一日

減給1/10 3か月

前記の国鉄における職場規律の乱れがマスコミで取り上げられた昭和五六年暮れ以降における原告ら及び右四名の懲戒処分歴を対比すると原告飯田において懲戒処分を受けた回数が多いこと、原告円谷において停職三か月という比較的重い懲戒処分を受けていること、右四名のうち佐藤(正)を除いた三名は停職処分を受けていないことが指摘できる外は、概ね同様の処分歴と認めうる。

五 総括

1 被告主張の原告らの各非違行為のうち、非違行為として被告の就業規則一〇一条の(3)、(6)、(15)、(17)に抵触すると認められるものは、前記のとおりである。

2 ところで、右の如き行為に対し、懲戒処分権者がなしうる処分については、国鉄法三一条一項及び就業規則一〇二条一項によると、免職、停職、減給及び戒告の四種類が規定されている。このうち具体的にどの処分を選択するかは、懲戒権者である国鉄総裁の裁量判断に一応委ねられているものといえる。

しかしながら、免職処分については他の懲戒処分とは異なり、被処分者の職員としての身分を失わせるという重大な結果を生じさせ、被処分者の生活の基盤をも失わせるものであるから、その裁量の範囲も無制限ではなく、処分の対象となった行為の動機、態様、結果のみでなく、当該職員のその前後における態度、懲戒処分歴、社会的環境、選択する処分が他の職員及び社会に与える影響、処分の均衡等の諸般の事情を斟酌し、それらの事情を総合考慮したうえで、免職処分が社会通念上著しく合理性を欠くと考えられる場合には、当該免職処分は、裁量の範囲を逸脱した解雇権の濫用として無効となるものというべきである。

そこで、本件処分の社会的合理性について検討する。

(一) 各行為の動機及び社会的背景

原告らの行為の動機、社会的背景には、管理者のいやがらせに誘発されて行われたと評しうる一面がある。

すなわち、原告ら国労の組合員によって、長年にわたっての労使交渉によってかち取ってきた権利、自由と考えてきたもの及び職場慣行(もとよりその中には、到底保護に値しないヤミ手当、ヤミ休暇等も含まれる)が、職場規律の確立の名のもとに全て否定され、加えて、分割・民営化に向かってこれに反対の立場をとる国労組合員に対し、その多くを余剰人員として人材活用センターに配属しあるいはあからさまに国労所属の者は新会社への不採用を示唆するなどといった、国労潰しとの批判が必ずしも全面的には否定できないような労使が先鋭に対立している状況下における原告らの言動が非違行為として問題とされている。

もちろん、被告当局が業務の正常かつ円滑な運営のために職場規律の確立に向けて労務管理の強化をするにあたっては、原告らにおいても過去の慣行等に固執することなく、是正すべきものは是正に協力するということでなければならない。従って、職務執行中の管理者に対し暴言を吐くといった行動は、当該管理者の管理職員としての地位を無視した職場秩序を否定する言動といわなければならず、なかでも「このカメ」とか「蛇」とか「区長はドロボーしたべ」といった管理者に対する侮辱的な発言にいたっては、いかなる意味においても正当化できるものではない。

しかしながら、管理者側も職場規律の確立を急ぐ余り、午前八時三〇分出勤即点呼開始で、点呼においては作業服に着替えて出席することを指示し、右指示に従わないことをもって非違行為とするなど、行き過ぎた(考え方によっては違法とも評しうる)指示を強行し、それに対する抗議を一切受け付けないばかりか、発言そのものを捉えてこれをまた非違行為とするといった硬直した対応をしているのであって、本件で問題とされている原告らの非違行為はこのような労使が対立した状況下でのものであることを考慮しなければならないのであろう。

すなわち、原告らの前記各非違行為は、通常の職場秩序が維持されている労使関係のもとで発生したものであれば、その非違行為の数、期間、種類等に鑑みて、免職処分により職場から排除されてもやむを得ないと評し得るものであるが、原告らが所属する組合の上部がその職場自体の根本的組織変革である分割・民営化に反対の立場を採り、それに対する抵抗を指令し、他方それに向けて再編のための環境作りのため管理体制の強化に強硬な管理者と現場において対立し、その過程において発生した原告らの非違行為の責任を挙げて原告らの一身にのみ帰着せしめることには問題がある。

もちろん、原告らの非違行為の中には、右のような労使の対立とは無関係に行われたと評される行為も存する(例えば、勤務中に花火をしていたといった類のもの)し、個人的資質に基づくのではないかと考えられるものもないではないが、その大部分は、労使対立に起因するものである。

(二) 本件処分事由の特徴(その質、量、内容等)

本件懲戒処分は「昭和六〇年四月以降、郡山客貨車区において管理者の再三の注意指示にもかかわらず、管理者に対する業務妨害等職員としてあるまじき行為をくり返し行ったことは著しく不都合であった」ことを事由とするものであるが、具体的にいかなる行為が問題とされたかは、必ずしも明確ではなかったところ、被告は本件訴訟において、抗弁記載の多種、多様の長期にわたる非違行為の存在を主張する。

結局、被告の本件懲戒解雇は、その期間における非違行為の累積が、懲戒解雇に値するまでにいたったがゆえに、各原告を懲戒解雇処分としたものであって、決定的な非違行為の存在あるいは特に重大である非違行為を問題とはしないものと理解できるところ、前記認定のとおり、被告主張の各原告の非違行為のなかには、事実が認められないもの、事実は認められるが非違行為とは評価できないもの、非違行為とは認められるが違法の程度が極めて低いと認められるのが相当数ふくまれている。さらに前記のとおりワッペン着用の件の如く、すでに訓告という、懲戒処分に準ずる処分がなされており、これを再び取り上げるのは相当でないものも含んでいる。

非違行為の量的な問題でいうと、右のとおり既に処分済みのものを敢えて取りあげたり、原告らの日々の行動を克明にチェックするなど、これを重視するというよりこだわりすぎるとさえ言いうるが、それにしても、被告の主張する非違行為の数(本判決で採用した分類によると、原告飯田について一四二個、原告木村について四三一個、原告円谷について二九八個)と、当裁判所が本件懲戒処分の対象として認定しうる非違行為の数(原告飯田について八三個、原告木村について一七四個、原告円谷について一〇八個)とでは、相当の相違が認められ、その認定割合は、原告飯田については約五八パーセント、原告木村については約四〇パーセント、原告円谷については約三六パーセントにすぎないものである。

また、質的な問題を考えても、被告の主張する原告らの業務妨害は、その多くは点呼時における不規則発言、昼休み時間中の集団での管理者室への許可なき入室及び不退去による管理者への業務妨害といった類のもので、管理者の管理業務を妨害しているとの評価は一応評価できるとしても、原告らの職場である客貨車区の貨車等の検査、修繕等の本来的業務を妨害しているものとまでの評価はできない。

被告が特に問題としているものとうかがわれる「脱線復旧訓練の妨害」についても、検証の結果(ビデオテープ)によれば、訓練そのものはさしたる混乱もなく行われており、その周辺において管理者と原告らとの間で被告が主張する遣り取りがなされていた事実は認められるものの、騒然として訓練の実施が阻害されたといったものは認められず、また原告らが抗議していた時間も一〇分内外であった。

次に、原告らが、管理者の作業指示に従わないあるいは反抗的であるという点についてであるが、安全帽、安全靴の不着用に関しての原告らの言い分が理由のないことは勿論のこととしても、ペンキ塗り作業等については、いわばいやがらせの為の作業指示とも評しうるものであって、これらの作業従事中の原告らの言動には同情の余地がある。

最後に、原告らの非違行為中には、他の同種事案に見られるような管理者に対する直接の暴力行為といったものは見られない。原告木村において、管理者に対し机の上に就業規則を叩きつけたという被告の主張があるが、右は点呼について一分の遅参が否認されることについての抗議の遣り取りに際し、鉄道法規類抄(乙三〇号証の一)にも記載のあるとおり、出勤については、「職員は、定刻までに出勤し、自ら出務表になつ印し」とあり、「平日の始業時刻は八時三〇分」と書かれているではないかという趣旨でこれを示す際に行われたものと認められるのであって、直接管理者に暴行をはたらこうとしたものとは到底認められないものである。

むしろ、原告ら国労組合員の側で管理職との身体的接触があった場合、これを暴行として取り上げられることを恐れて注意を払っていた旨原告円谷はその陳述書で述べている。

以上のとおりであって、本件懲戒処分の対象となる非違行為は、その量においては相当多いと言わざるを得ないが、被告の本件懲戒処分が、決定的といえる重大な特定の行為を主張するのではなく、原告らの日々の業務の過程で発生した細々とした非違行為の累積を前提として考えられていることからすれば、主張の非違行為のなかで積極的に認定される割合も問題としなければならない。この観点からすれば、前記のとおり、その割合は決して高いものとは言えず、かえって、原告木村、同円谷については半分以下であることが指摘できる。

その質においては、かって経験したことのない未曽有の事態の下で、いやがうえでも先鋭となった労使の対立状況下でのものであることを考慮すれば、部分的には悪質なものもあるが、全体としては「耐えがたいほど悪質」であるとまでの評価はできないものと言わざるを得ない。

(三) 原告らの懲戒処分歴について

本件処分にいたるまでに、原告飯田において、停職二回、減給一回、戒告四回、訓告五回、厳重注意五回の、原告木村において、停職一回、戒告一回、訓告一回、厳重注意四回の、原告円谷において、停職一回 減給二回、戒告五回、訓告五回の懲戒処分ないしそれに準ずる処分を受けている事実については、前記のとおりである。

ところで、右原告らの懲戒処分のうち、国鉄の分割・民営化が問題となり、職場規律の確立をめぐって労使の対立が激化した昭和五七年以降に限ってみるならば、原告飯田はその間に七回の処分を受け、そのうち昭和五八年三月三〇日の減給処分事由は、「昭和五七年四月から七月まで郡山客貨車区において、再三にわたり、管理者に対し暴力的言動等により職場規律を乱した。」というものであり、昭和五九年八月四日の停職処分事由は、「昭和五七年八月から九月まで郡山客貨車区において、管理者に対し、再三にわたる業務妨害等により職場規律を乱した」というものである。

同様に原告木村は五回の処分を受け、そのうち昭和五九年八月一日の停職処分事由は、「昭和五七年八月から昭和五八年二月まで、郡山客貨車区郡山支区において、管理者に対し、再三にわたる業務妨害等により職場規律を乱した」というものである。

同様に原告円谷は三回の処分を受け、そのうち昭和五九年八月一日の停職処分事由は、「昭和五七年八月から昭和五八年六月まで、郡山客貨車支区において、管理者に対し、再三にわたる業務妨害等により職場規律を乱した」というものである。

右の如き原告らの停職あるいは減給という比較的重大と考えられる各懲戒処分は、その懲戒事由については本件の懲戒処分と同様「業務妨害等により職場の規律を乱した」というものであって、具体的にいかなる非違行為が問題とされたかは明確ではないものの、その具体的内容は、本件と同様日常の業務遂行過程で発生した細々とした問題の累積であると推認することができる。

ところで、「業務妨害等により職場の規律を乱した」という要件は、それ自体抽象的であるゆえに、その解釈・運用にあたっては、当局の恣意が入り込む余地が避けがたいところである。

とするならば、本件訴訟における具体的非違行為の認定においても、被告が非違行為として主張して取り上げたもののうち、相当の部分が非違行為とは認められなかったこと、非違行為として認められた場合においても、具体的なその場の状況等からして違法の程度が低いと認められる場合があること等の事情に照らすと、原告らの懲戒前歴を過度に重く見ることは妥当性に欠けるきらいがあるものと考えざるを得ない。

(四) 「区」における原告ら以外の被処分者との比較

前記のとおり、原告らが同時期に懲戒処分を受けた取下前原告である高橋、佐藤(正)、上遠野、田谷らとの比較において、特に懲戒解雇という最も重い処分に付さなければならなかったかの合理的理由については、明らかではない。もっとも、右取下前原告らには、昭和五七年以前にいかなる懲戒処分歴があったのかが不明ではあるが、国鉄の分割・民営化が問題となり、それに向かっての管理の強化がなされ、これに対する抵抗という状況下での処分の比較考量をなすうえでは、昭和五七年ころを境にして、処分の性質が異なるものと推認できるから、それ以前の処分歴は重要とは考えられず、原告らの受けた本件処分は、右取下前原告らの受けた処分と均衡を失しているものとの疑いが存する。

以上の原告らに対してなされた懲戒免職処分の処分事由である非違行為の種類、数、期間とそれらの非違行為そのものが業務執行に与えた影響等の違法の程度、それらがなされたその背景、社会的事情、本件処分の原告らに与える影響、同時期に同種の非違行為によって懲戒を受けた者との均衡等本件記録に現れた一切の事情を総合考慮するならば、原告らに対する本件懲戒解雇の処分は、その行ったと認められる非違行為等の情状と均衡を失しているものと評することができ、社会通念上著しく妥当を欠くもので、懲戒処分における裁量権を逸脱しており、従って、本件各懲戒解雇処分は無効というべきである。

六 原告らの賃金請求権

昭和六〇年の給与所得が、原告飯田において年額金三五七万一九〇八円、原告木村において年額金二八六万七九〇九円、原告円谷において年額金三七九万三六〇二円であったことは、当事者間に争いがない。右各原告の年間給与所得額を一二か月で除すと、原告飯田においては月額金二九万七六五九円、原告木村においては月額金二三万八九九二円、原告円谷においては月額金三一万六一三四円となる(右所得にいわゆる諸手当が含まれているか否か明確ではないが、特段それについての主張がない。)。賃金の支払いが毎月二〇日になされることは弁論の全趣旨によって認められる。

そうすると、原告らは、昭和六一年三月一日以降毎月二〇日限り、原告飯田においては月額金二九万七六五九円、原告木村においては月額金二三万八九九二円、原告円谷においては月額金三一万六一三四円の割合による金員(同年二月一六日から同月末日までについては、日割り計算による額(原告飯田につき金一三万八一九八円、原告木村につき金一一万〇九六〇円、原告円谷につき金一四万六七七六円―いずれも円未満切捨て)につき、同月二〇日に支給を受けることとなる。)を請求できることとなるほか、昭和六一年二月二〇日以降各支払い日の翌日から各完済にいたるまでの右各金員に対する民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払いを請求できることとなる。

七 結論

以上によると、原告らの各本訴請求は、全て理由があるからこれらを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、仮執行宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用し、主文のとおり判決する。

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